2018年12月09日

いよいよ最終回「獣になれない私たち」

大人の男女を描いていてなかなか面白かった。(o^∇^o)ノ

日本のドラマや映画って、大人を美しく素敵に描く作品がとっても少ないと思う。

このドラマで初めて菊地 凛子さんの演技を見た。
格好イイ(*^-゚)vィェィ♪
色白の端正な顔立ちの正統派の美人ではないと私は感じるんだけど、全体の姿がスッキリしていて、佇まいが格好良くて惹きつけられる。大人の魅力を放っている。
久しぶりに見習いたいと思わせてくれる女性(登場人物だけど)だった。


視聴率が低迷しているとネット情報に出ていたけれど、大人になりきれずに年取っただけの人や、若さが取り柄のチャラチャラの若輩者には理解しがたいのかもしれないね。(イっヒッヒ(笑))


脚本も深みがあって、決してセリフを聞き流せない内容だった。

菊池凜子さんの元恋人(?)役が松田龍平さん。
この人の演技も好きだな。
渋さが増してきて、自然で、説得力がある。
こちらも大人の男。


主演の新垣結衣さん、この二人を相手に大人の魅力を演じきれていると思う。
なかなか難しい役どころだったと思うもの。

作品自体が難しいものだったと思うわ。


2014年の「ロング・グッドバイ(NHK)」も格好イイドラマだったけど、「獣になれない〜」の抑えたトーンの画像も素敵だった。


来週で終わっちゃうのよのね。


テレビ局さん、また素敵な作品作って下さいね。('-'*)アリガトウサマデシタ♪




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2018年12月03日

最近の恋愛観

去年だったか、不倫騒動というのがあってレポーターが鬼の首を取ったように騒いでた。

昨夜、半藤一利著の「万葉集と日本の夜明け」を読んでいて、そうなのよやっぱり変よね近頃の結婚や恋愛に対する考え方。と変に納得したのだった。
なぜかキリスト教的なにおいがプンプンする。プラトニックなものこそ至上至高であろうとするような、鶏のガラみたいな恋愛観が伝統のようにふんぞりかえっている。
だから自分ときっちり対応する異性が、この世界のどこかにかならず一人だけいて、その人と会わなければいけない、そしてその人と一対一で結びつき、ついでに高めあう、それが近代日本人の恋愛であり、結婚であった。

笑わしちゃいけないよ。はじめは隣の見知らぬ人と会ったことが縁となって、何度も会っているうちにチャンスが生まれ、何やらモヤモヤとしてくる。そして苦しむ。これこそが恋愛観の根本であるべきなのである。・・・云々。


この本、まだ読み始めたばかりなのだが、万葉集の恋の歌は大っぴらで明け透けなんだなという印象を受けた。

千数百年前の日本人の恋愛って広々していたんだなと思った。

世間が騒いでいるとき、不倫不倫と騒ぎすぎじゃない?と思っていた。
そりゃ夫(妻)や恋人が、素敵な人に心を奪われたら悲しい。
しかし、それを倫理観で糾弾してどうにかなるの?
キリストに誓った永遠の愛であっても、人の心の移ろいを、キリストの教えに背くのかと責めることで、離れた心が元に戻るの?
人の心ってそんなに簡単じゃないでしょう?


だから、キリスト教では心変わりされた方は、それはあまりに可哀そうだからってことで、
永遠の愛を誓えば不倫は許されませんということにしたんだろうけど、
それって嘘をつく人生を送ってもいいよってことにならないの?
窮屈な条理だね。と、私などは考えてしまう。


日本人はむかしから浮気を大目に見る風習があるし、悋気はおバカな奴のすることで、大目に見ながらしっかり手綱は離さない。なんて知恵をはたらかせる健気な女もたくさんいたんだと思う。
美貌や手練手管に惑わされるバカな亭主を、臨機応変に操って女の器量で勝負する女性の格好よさ!!

そこに人として力量を認める社会通念の成熟度。
そんな文化が消えつつあるんだろうね。


西洋文化の精神性より日本古来の精神性のほうがやっぱり好きだな。d(^^*)





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2018年11月19日

幼児を叱る時

幼児を叱る時に気をつけたいこと。

二人で叱っちゃうことありません?


そうすると
子供は一人で二人の怒りを受け止めなければなりません。
それって辛いです。


お前は間違っているんだよ! お前はダメなんだよ!(;`O´)oコラー!
と、怒られたら大人だって面食らいます。悪かったんだと思う前に腹が立ちます。
しかも二人掛りでやられたら・・・。
あなたなら反省する前に理由を探る前に、混乱しますよね。そして反発します。


大人二人に対して幼子一人では勝ちっこないです。
そして子供にゴメンなさいを強要する。

勝ちっこない状況で服従を強いるのは子供の心を踏みつける行為です。


子供が叱られる原因は
気分に任せて(眠い、お腹が空いた、興奮している etc)駄々をこねる。
自分の欲求(お菓子が欲しい、玩具がほしい、もっと遊びたい)を通そうと我がままをいう。
マナーを無視して反抗する、小さい子供に暴力を振るう、など色々です。

でも、これらが悪いことだとは思っていない。
0歳から3歳の子どもってそういうものです。
それ以上になると多少社会性を理解し、ルールに従わなければならない状況を理解するようになります。
それでもまだまだ理解したくない子ども心も働きます。
そこは上手に誘導してやらなきゃならない。褒め上手になってイニシアティブを発揮してください。


私が心配に思うのは、躾と称して怒り方を間違うと、子どもにちゃんと伝わらないどころか、子どもの性格形成に悪い影響を与えてしまうということなんです。


叱られて腹を立ててしまった子供の心は、ひどく孤独で硬くなっています。
そこに寄り添って慰めることがとっても大切です。
硬くなった心を慰めることで癒し溶かす。
そうすると子どもはとても素直な気持ちになります。


だから、昔の人は怒る役目の親と、子供に優しく諭す役目の親とに役割分担をして躾けていました。
親に叱られて祖父母に救いを求める光景もよく見られました。

怖いお父さんと優しいお母さん。のパターンです。


我が家の例で恐縮ですが、
私は怒ると黙ってしまうタイプなので子供は取り付くシマがない。可愛そうです。
一人っ子ですから、兄弟に慰められることも、諭されることもありません。
一人っ子はそういう点で可愛そうです。


夫はというと、それを黙って見守っていました。
母と娘の対立を静観していました。

夫は穏やかな性格ですから、私に対しても娘に対しても怒りを表さない。
どうせたいしたことじゃないと思っている。
それがありがたかった。
一緒になって怒っていたら。娘は逃げ場をなくし、意固地になり、両親に反抗的になっていっただろうと思います。


娘が私に対して腹を立てていても、お父さんを見ればいつもと変わらずテレビを見て笑っていて、普通に接してくれる。
そこでクールダウンし、冷静に自分を見つめることが出来る。つまらないことに突っ掛かっていたと気づく。
小学生の高学年になるとそんな感じでした。


これって大切なことです。

子供の拠り所を塞いじゃダメです。
逃げ場をなくしちゃダメです。


躾けは大切ですが、理解できる時期が来れば分かるようになります。
乱暴な子も乱暴を指摘して正すより、優しさを諭して引き出してやったほうが効果的です。


先日読んでいた宮城谷昌光氏のエッセーに
日産の前身をつくった鮎川義介さんは小さいころ祖母に、ああしなさい、こうしてはだめです、などと、こまかなことはいわれすに、ただ、
「おまえは、きっと偉くなる」
と、いわれた。そういわれつづけると、ああ、オレは偉くなるのだ、と自然におもわれてきて、・・・。

要するに暗示法の一種であるが、人は尊敬する人や好きであったりする人から、良い事を言われると、それにむくいようとする気がはたらく。もっといえば、その人を喜ばせてあげようとする。逆に、そういう人から批判されたりすると、ショックが大きい。したがって親が子どもを批判することは、子どもの性格を最大に破壊すること行為であるともいわれる。批判についての弊害は、・・・・。

これを読んで、案外これに気付かないで怒ってしまう人、多いのよねと思った。

躾るために怒るのって、違う。
躾ける為に怒っても問題は解決しない。
子どもが、反抗的に親の気持ちを逆撫でするのは、何らかの理由を察してよ、という信号だと解釈したほうがいい。
怒る前に原因を親のほうが探ろうとしなきゃならない。
目の前で起こっている子どもの行為よりも、その原因を知り、その信号の方法がなぜこの行為なのかを思いやれば、躾け方も対応の仕方も違ってくるんじゃないだろうか。


宮城谷さんも書かれている様に、子どもの性格を最大に破壊すること行為は叱り方の中に隠れている。


子どもに愛情を持てば持つほど、好い子に育ってほしいと思う。
かわいい人に育っていってほしいと思う。

そう思うが故の腹立たしさに、自分がとるべき態度を見失ってはならない。
子どもに腹を立て、子を叱っている自分を、少し離れて冷静に見る目を持つことが必要なんだ、と私は思うのだが。



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2018年11月13日

NHKbs「エレガンスの舞台裏〜パリマダムを彩る世界最高峰のメゾン」

大石 静さんがパリのエレガンスの真髄に迫るドキュメンタリーを見た。

エレガンスとは「優雅」「上品」と日本では訳されている。
しかし、エレガンスの本場パリでは優雅や上品は、見た目だけでなくその人の生き方や考え方そのもの
日本の文化で例えるなら恥の文化や精神性に通じるものなのだという印象を受けた。


番組ではパリの花に対する愛着や美しく高価な下着の意義、高価で美しい宝飾品を紹介しつつ、それらを身に付ける自分自身への尊敬と他者への敬意が根底にあると語っていた。


---------*

先日、数十年前に買ったクChloéのスカートが着れる体型に戻ったので着て外出した。
雑誌で見る流行ファッションのデザインがあの頃の物に近いと思ったのだ。

さすがChloé。
全く型崩れしていない。生地と縫製がしっかりしていて上品で美しい。

そして思い出した。
昔、私はこんな高価な洋服を着用していたのだった。
ビシッとしたこんな高価な服が似合う、着こなせる女性でありたいと思ったのだった。

たぶん、どこかの雑誌で読んだことをそのまま受入れ、納得してしまったのだろう。
その着心地の良さ、背筋が伸びる緊張感、生地本来が持つ光沢と動きに合わせて優雅に流れる曲線。
一分の隙も無く仕立てられた洋服の持つエレガンスに対峙する自分の中のエレガンス。


やはり時には身なりをきちんとしようと思った。
背筋が伸びる服を着て街に出掛けよう。
自分自身をバシッとさせるために。



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2018年11月06日

優しさに付(つけ)入る悪意

古い友人が体調を壊して入院していたと聞き、会って詳しく話しを聞いた。

退院直後に会った時は随分萎れていて覇気が無いことに気付いた。

若い頃から気の強いタイプで、間違った事にしっかり向き合えるしっかり者だった。



その彼女の友人が占いに凝っていて、
姓名判断や誕生日からその人の憑物を見ることが出来る占い師を信じているらしく、私の友人の憑物を見てもらったのだそうだ。

結果、5人の霊が憑いていてそのうちの二人の質(たち)が悪いからその家には近付くなと言われた。という。


私はそういった類のものを全く馬鹿にしているわけではない。
私自身がそういった霊を感じやすいタイプの人なのだから仕方ない。
若い頃は葬儀社の前やお墓の前を通っただけで、「あっ、憑いてきたな」と思うことがしばしばあった。

今でも滝の傍には近付かない。
夫と紅葉を見に行って人けのない断崖をみてヤバイよと言って逃げ出したこともある。




今友人は病み上がりで生命力や免疫力が落ちている。
そこに霊が憑いていてあなたを苦しませるなんて言われたら怖くて脅えてしまう。
そんな思いに陥ったら人間明るい清清しい方向には進めなくなる。



さてどうしたものだろうと考えた。

悪い霊とは何か?
ひとでなし、人の不幸が嬉しい薄汚い了簡の輩、人を苦しめてやりたい悪鬼、
これらはこの世の中にもにうじゃうじゃ居る。

霊でも生きている人でも大差はない、性根の腐った奴は生きていても死んでいても同じだ。




誰の心の中にでも強弱の違いはあっても負の感情と正の感情がある。
妬ましさや嫉妬、悔しさ、悲しさ、恨み・・・。
自分の中のそんな負の感情をコントロールしながら人は生きている。

そのコントロールが出来ない人や霊に見込まれると困るのだ。



人には人を思いやる優しさがある。
守護霊なんて素敵な霊は優しく見守り助けてくれる。



成仏できない悪い霊に見込まれたら、さてどうすればいい?

私はある時から、自分で祓うことにした。
肩に乗ることが多いので、肩を手で払って「お前の来るところではない(`□´)!」と一喝する。



一喝するには力が要る。
大声ではなく気迫。



友人と話していて気付いた。
気弱にもなっているが、それ以上に優しくなりすぎている。
人間、優しいのはとても重要なことだ。人としての宝だ。
しかし、その優しい心の横にチラッと見えた弱さを見て、付入ってくる輩がいるのだ。
その輩は霊とは限らない。生きている人間の中にもそんな奴はいっぱい居る。



その心の隙を狙ってその人の心を蝕むことで快楽を感じる悪い奴には、しっかり対峙して付(つけ)入る隙を与えちゃいけない。

自分の中の優しさを守るのは自分自身しかない。(ง •̀_•́)ง



人に対して優しすぎたり無防備だったりしたら、思わぬ痛手を受けることになりかねない。



昨日娘が「クレーマーにやられた!(-""-;)」と心に傷を負っていた。

負の感情を誰かに叩きつけてストレス解消する方法として
氏名も名乗らず顔も見せず、低姿勢を旨とする対応を求められる相手に罵詈雑言の言葉の刃(やいば)を浴びせかけるやり方が堂々と罷り通っている。

これもいじめの別バーションなのだろう。


そんな相手から身を守る術を身につけねばならない世知辛い世の中になっているのだと思った。






一週間後にまたその友人と会った。

彼女は元気になっていた。
シャキッとなっていた。


悪鬼を跳ね除ける力が湧き出たようだった。



よかった。d(@^∇゚)/ファイトッ♪




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2018年10月26日

心の骨

宮本輝著「焚火の終わり」

なんとも後味の悪い小説だった。
なんだかイヤらしくて食傷気味、読まなきゃよかった。

宮本氏の小説は金持ち趣味の食べ物や高級な調度品が好きで、
たくさん読んで来たのだが今回のこの小説は非常に不味かった。

父親が誰なのかが謎の娘と、あの娘とお前は異母兄妹だと教えられて育ったその兄の恋愛を軸にアブノーマルなセックスが織成す物語。

セックス描写がしつこくて、これってエロ本?と途中から放り出したくなりつつ、宮本輝だから下品に終わらないだろうと希望を持って読み進めたが、途中からホモまで加わって結局エロ本だわこれ。となった。

価値観としてエロスやホモセクシャルや近親相姦についてこれまで深く考えたことはない。
エロティシズムを掘り下げると、こういう小説が出来上がるのかねぇ。なんだか釈然としないわと思った。
エロティシズムというのはもっと深みのある美しい芸術的なものじゃないのか?
こんなに上っ面な設定の小説にエロティシズムを持ち込み、美しく仕上げるというのが土台無理なはなしでしょう。


私が凄く気持ち悪いと感じたのはエロではなく、二人の男女の人間性の深さに対してだったように思う。


表面にキレイな皮を被っただけの人間のエロをこれでもこれでもかと文章ででも見せられたら、そりゃ気持ち悪いわよ。

善人としての価値基準を持っているこの兄妹だが、
人を評価する価値判断の目が澄んでいたとしてもアブノーマルなセックス趣味や近親相姦を纏わせても尚清く美しい姿を浮かび上がらせることは難しい。それは無理だ。
尚も美しく清らかであるには凛とした精神性が、もっと強い筋の通った土性骨(どしょうぽね)が、そんなものがなければね。
人間は土台がシッカリしてなきゃいくら美しげに装っても頼りないんだと思うよ。姿は内面を映し出す鏡だから。

宮本作品に登場する若き主人公の男性の多くがこの骨を持っていないんだなと今回気付いた。




私は人間性としての骨のない奴が嫌いなのだ。

人間性としての骨。
これはなかなか難しい。

頑固とも違う、意地とも違う、心(芯or真)を真直ぐに貫く価値基準を持っている人。とでも言えばいいのだろうか。




私が子育てで一番最後まで課題としたのがこの骨だったなと今思う。

口で教えてどうにかなるものではない。
日々の暮らしの中で子供の中にある心の骨を導き出す作業は、子供の中に骨を見つけ出すことにあると思う。

それを見出したとき、ニッコリ微笑むと子供がそれに気づく。
そうやって骨はガッシリしたものになる。

それを繰返すことで、子供の内面にシッカリした考え方や人間性の骨組みが出来てゆく。



今、私は孫に心の骨を見出している。

孫はなかなかしぶとい骨を持っていそうだ。(笑)
婆馬鹿?σ(^_^;)アセアセ...




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2018年10月11日

嬉しいリクエスト

孫はなんとか新しい保育園に泣かずに通えるようになったらしい。

保育園の入口で数日間は娘にしがみついて泣いていたようだった。

そりゃそうだろう。大人だって誰一人知る人のいない中に入れられたら不安で心細くなる。

ましてやまだ二歳の幼子。母親のぬくもりが一番でその中に浸っていたい年頃だ。

健気にも親達は仕事があるから自分はここで一日を過ごさなければならないと自覚しているらしい。

そうは思っても不安で涙が止まらない。


しかし、保育園の先生がやさしく慰めてくれて、美味しいおやつもあって、この保育園も良さそうだぞと思ったらしく娘にすがって泣いていた数日後、先生がkazyuちゃんおいでと笑顔で呼んだら泣きながら先生のところに行って先生に顔をうずめて泣いていたから、もう大丈夫だな、だんだん馴染んでくれるなと娘は思ったと言っていた。
そして保育園のこの先生スゴイなと思ったとも言っていた。
数日でkazyuの信頼を掴んだってことだものね。プロだねと話した。




そんな孫からLINE電話が掛かってきた。
いつもは電話してきてもモジモジしてあまり活発には話さない孫が、その時はなにか一生懸命伝えようとしている。
そして何かをカメラ向かって映している。

なんと、春に私が送った手紙のはしっこが破れたのでまた手紙を頂戴と言っているのだという。
「ここがね!破れちゃったの('◇'*)」


私の方は手紙を送ったことも忘れていた。
幼子でも手紙は嬉しいんじゃないかと思いついて送ったのだが、その後これといった反応も無かったので一回きりの思いつきで済んでしまっていたら、何回読まされたことか(汗)、もう覚えちゃったわよ。と娘が言う。

しかし、破れた時孫が「また買おうね」と言ったという。
食べ物も着る物も玩具もなんでもかんでも買うのだと孫は思っていたらしい。

「これは売ってないのよ。ばばちゃんが作った物だからね」「ばばちゃんに作ってと言わなきゃね」と説明すると、
「ばばちゃんに電話する!!」と言ってかけてきて先ほどの「ここがね・・・」となったらしい。



そりゃ、ばばちゃんの方は嬉しくて感動しちゃったわよ。(゚▽゚*)ニパッ♪

さっそく手紙を書き、動物カードを作って投函した。



子供から信頼される。
これ、なかなかできることじゃない。
子供は心の目でしっかり相手を見ている。
保育士という仕事は安全を見守るだけでは勿論済まない。
幼子からの目をシッカリ受け止め、包み育む優しさや成長を的確に判断する力が無ければ真の信頼を子供から勝ち取ることは出来ない。

だがそのような保育士は少ない。
どんな風な保育士であっても子供はそれに従うしかない。
子供は与えられた環境の中で妥協点を見出して生きている。
その環境の中で自ら成長していく。

孫は以前の保育園で度々注意されていた。(連絡帳に書いてある)
自分の意思を通そうとする強さのある孫は先生に従順ではない態度を取る。
それでも先生に髪を結んで可愛いゴムをつけてもらうと喜びオシャレを楽しむ事を教えてもらったようだ。

意思を通す自分の思いを曲げない孫が先生に顔をうずめて泣いたと聞いて、わたしも嬉しかった。




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2018年09月29日

あらま!悩んでたの?

孫は9月時点で小規模保育に通っていた。

1歳1ヶ月になった4月から通いだした。


大丈夫だろうか、保育園に行かない!ママの傍がいい!ママ行かないで!と後追いをしたら娘も辛かろうと心配した。
が、案外すんなりと嫌がらずに、むしろ喜んで通園しだしたと聞いてほっと胸をなでおろした。


あれから一年半、随分シッカリしてきて時に偉そうに喋り、食欲旺盛で元気に走り回っている。
お友達とテレビの話しをしたなんて聞くとコミュニケーションが図れるようにまでなったんだな。と成長に驚いたりする。


この保育園は小規模保育b型で、孫は来年3月で卒園となる。

親はその後(あと)どこか預ってくれるところを探さなければならない。

卒園して新たに次の保育園に入園するというのが順当な流れなのだろうが、そんな流れに身を任せていたらあれよあれよと埋まっていってしまって、行くところがなくなるということになりかねない。らしい。

そこで、空きが出たので今なら子供を受けいれらますよという所に希望を出しておたら、お呼びが掛かり、孫の転園が決まったという。


この孫、大人の会話をしっかり聞いていて時にドキッとするような突込みを入れる。
子供と思って侮っていると思わぬ感情的齟齬が発生しかねない。

小規模保育の園長先生は「子供は分かりませんから、大丈夫ですよ。オホホ」と仰ったらしいが、
娘達夫婦は、この娘(孫)はそんな玉じゃないぞ。なんでも分かっていて色々考える子供だから難しさがあるのよ。
そんな認識でいたのね。だからkazyuを叱っても効き目がないんだわよ。と失礼ながら思ったそうである。(笑)

で、転園について事前説明をしたほうがよいと考え、「kazyuはお姉ちゃんになったからね、大きい保育園に行かなきゃならなくなったんだよ」と言った。

孫は驚いた。
それから不機嫌が増え、夜中に突然泣き出す・・・。
見学に行こうよと言ってもイヤだと言ったりする。


そして、いつもの「ばばちゃんに電話する」が来た。

孫の顔からいつもの屈託の無さが萎れている。

不安を目の中に覗かせている。

娘から多少様子を聞いて、「保育園変わるんだってね」と振ってみた。

ますます顔色を曇らせる。


事前に転園先の保育園の教育方針や理念、口コミなどをネットで情報を収集しておいた。

「その保育園、ご飯が美味しいらしいね。kazyuはグルメな舌を持ってるからよかったね」と笑顔を向けると、ちょっと興味を持った様子。
すかさず娘が、「この地域は食材が良いので美味しいですよね。と園長先生が言ってたわ」と拍車をかける。

そして、「保育園に亀がいるんだよね」と娘。

今度はこっちが受けて
「亀が居るの? スゴイね」「亀ちゃんに『"亀ちゃん、おはよう、私kazyuよ』と言わなきゃ」(*^_^*)

孫の顔が少し緩んできた。



「そこの保育園は自由に遊ばせてくれるらしいよ。小さい保育園はkazyuちゃん!今先生が絵本で読んであげてるでしょ。ちゃんとお座りして聞きましょ!って怒るんでしょ?でも、kazyuは自分の好きな本が見たいし読みたいんだよね。」「大きい保育園は好きに遊ばせてくれるらしいよ。よかったね」(゚▽゚*)

「kazyuは慣れればまた『おいでおいでー!』って言いながら走り回ってると思うわ」


孫の顔が、心が、段々解れてきた。



後は大人の会話で
「今までの担任の○○先生と今度の先生ではどう?」と聞くと。
娘、「ドンと構えた感が有るね。細かくなさそうな印象を受けた」
私、「○○先生の神経が固そうなところがイマイチ好きになれなかったわ」
娘、「そうそう」

この会話を孫はちゃんと聞いているのである。

そして孫自身の芯の部分で受け止め、判断をしている。
恐るべし二歳児。



二歳にして、目の前の将来に不安を感じ悩んでいたなんて・・・。たらーっ(汗)


そのあと、もう電話切って洗濯物をたたもうよという娘に
まだ切らない。と言って、お別れするお友達の名前を教えてくれたり、小さな声で歌ってくれたりしていた。


実際に転園して、はたして馴染めるのかと不安になるが、そこはプロの腕に頼るしかない。
転園や転校というのは子供にとって大きなハードルだ。

それは二歳児であろうと高校生であろうと質や種類は違っても同じだと私は思う。



娘が年長さんのときに引越しをして、転入のために幼稚園を探した。
友人が自慢する大きな図書室を持つ幼稚園に無理やり入れてもらった。

娘の様子の変化に気付いたのは私の父だった。
父はとても心配をしていた。

夏休みに入る前の通知表を見て私はビックリした。
一人の時が多い、お友達に馴染もうとしない。
よく一人で本を眺めている。


娘は年長さんの時点で小学校低学年の本を黙読していた。

幼稚園の担任は、娘を知ろうともせず、眺めただけの印象を通知表に評価として書いてきた。


決定的だったのは絵だった。
キレイな色をふんだんに使って明るい絵を描いていた娘が、ダークトーンの絵を描くようになっていた。


友人自慢の図書室は自由に使えない鍵の掛かった宣伝用の部屋だった。



私はもう一度転園させることに決めて幼稚園を探した。
通知表と娘が以前書いた明るい絵と、転園後の暗い絵を携えて新たな幼稚園に行き、園長先生に見せた。
園長先生は驚き、「転園してきた子は1ヶ月から3ヶ月は大切に見守らないといけません!」「とてもデリケートなんですよ」と仰った。

娘はその後、以前の明るさと勝気さを取り戻した。



さて、孫は無事にこのハードルをクリアしてくれるだろうか。


心配心配。(;'o')m ・・!!




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2018年09月13日

子供は遊びの天才。

最近は孫からLINE電話が掛かってくる。
勿論まだ二歳なので自分で携帯を操作して掛けてくるわけではない。
娘に「ばばちゃんと電話する!」と言うのだそうだ。わーい(嬉しい顔)


何して遊んでる?と聞くと
もじもじして答えられない。でもニヤニヤしている。
答えたいが、どう言っていいのか分からない様子。

今日は新しいパズルを出してきて親子して挑戦している様子を見せてくれた。




近頃の子は何でも手に入って羨ましい気がする。
娘が小さい頃は、ネット検索もなく、勿論ネット購入など考えもしない時代。
何を買い与えればいいのかも分からず、昔ながらの積木や輪投げ、ブロック、ラッパや太鼓、ぬいぐるみなど貰い物をそのまま与えていた。砂場セットは必需品で毎日それを持って公園に行き、砂団子を作って遊んでいた。
夏はビニールプールを出して水遊び、そこでもお砂場セットは大活躍した。

テレビを観るようになって、ヒーローものの変身グッツを喜ぶようになったのは4〜5歳の頃だったような気がする。

たいした遊び道具がなくても子供は毎日機嫌よく元気に遊んでいた。

毎日毎日公園の砂場で午前中を過ごす子供。
親はママ友と合流して子供の様子を離れたところから眺めながらおしゃべりを楽しんでいた。

あの頃、数人の子供が同じ砂場で話すでもなく、喧嘩するでもなく、楽しそうに砂遊びに興じていたが、いったいなにを楽しんでいたのだろう。

親は只々見守っていただけだった。
子供は砂を掘ったり、山にしたり、団子にしたり、思うままに手を動かしていた。

時々、砂をばら撒く子がいると目に入ると危険なので止めたりしていた。親の介入はその程度だった。

今から思えば、子供は土や水に触れる感触を楽しんでいたような気がする。


二歳児は感触を楽しむ時期だった。
風の感触、太陽の感触、木の感触、布の感触、土や水の感触、植物の感触、動物・虫の感触・・・。
これってとても大切な経験なのだ。
娘はよく団子虫を触って遊んでいた。
目に見えるものの感覚や驚きも大切だ。耳にするものも楽しんでいた。
そして、子供はこれらを強く求めた。

雨の日など砂場に行けないと不機嫌で困った。
ママ友たちと「雨だね^〜 困るよね。洗濯物は乾かないし、子供は泣くし」とこぼしたものだった。

この時期に大人が砂場に踏み込んで道路を作ってトンネルを作ってミニカーを持ち込んで走らせたりすると、子供達は最初とても喜ぶ、自分もブーブーなどと言いながら車を動かしている。
しかし
そのうちに飽きて遊ばなくなる。
玩具の自動車に飽きるのだ。
玩具の自動車は想像を生まない。
基本的には遊びに介入しないが、様子を見てちょっとした刺激を与えることも必要だ。
ミニカーと同じくらいの石を自動車に見立て動かしてみせると、子供は自動車とは限定しないで色々に想像を膨らませる。
時に芋虫を思い、時に自転車を思い、時には飛行機にも。そして飛行機に変身した石が空を飛ぶ。

それが子供の世界だ。

その世界を引き出すのが幼児教育だと私は思っている。


教えるのではなく、引き出すきっかけを投げ掛ける。
そこが幼児教育の難しさだ。



石をなにかに見立てて遊んでいる子供に「これ何?」と聞くと、トンボなどと答えてくれる。

そのトンボ何色?と聞くと、「赤」とか「青」とか答えてくれる。
「赤トンボか!」♪夕焼け小焼けの赤トンボ〜♪と歌ってやると、うれしくてたまらなくなる。

頭の中では絵本で見た赤とんぼの絵と歌が満ち溢れる。


この頭に浮かぶ映像と記憶が大切なのだ。
この経験が多いほど頭脳は伸びる。


小さい子供に幼児教育と称して訓練や競争を強いて学習させようとする風潮がある。
これは訓練であって教育ではない。
訓練に従う子供は何を楽しんでいるのだろう。
優越感や競争心を煽って知識を身につけさせても地頭は良くはならない気がするのだが・・・。


子供は本来遊びの天才だ。
発想は無限で大人の想像を超える。
考える力の源を犯してはならない。

大人はじっと耐えて、子供が自分で納得するのを待つしかない。
例えば新しい玩具を与えられた子供は、いったいこれは何だ?と思う。
箱を開けて、ロボットだったとする。
あっ!ロボットだった。グッド(上向き矢印)
動く?と思う。
どうすれば動く?と思う。
手で動かしてみる。
あっ!動いた。わーい(嬉しい顔)
座るの?思う。
足を折ってみる。
膝が曲がった。exclamation

この過程が楽しいのだ。

買ってきたおじいさんが
「ほら!凄いぞ、電池をここに入れてスイッチを入れると、どうだ動くだろうъ( ゚ー^)イェー♪」
なんてやっちゃったら、やさしい子供は、一緒に喜んでくれる。が、興味や好奇心は奪われてしまっていることに本人も気付かないまま成長することになる。


一緒に喜びたい気持ちはよく分かる。が、大人は子供が成長のステップを少しづつ自分で掴んで進むことをじっと見守ってやるしかない。教えるのは簡単なんだけどそれは安易というもの。
じっと堪えて待たなきゃならない。子供の成長を見守るとはそういうことだ。
その姿勢を持ち続けなければならないんだ。




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2018年09月04日

白髪

ポツポツと白髪が出はじめたのは50代の後半。
前髪を下ろせば見えなくなった。
白髪のない私に、友人は苦労が足りないんだぞ (;`O´)oコラー! と睨んだ。


60代になって容易に隠せなくなり白髪染めを始めた。

何度も書いているが私は極度のアレルギー体質。
当然自然素材のヘナを使用した。

ヘナにも色々な種類(配合率?)がある。
生協が勧めるヘナは浸透させる時間が長く、冬など風邪をひく。
そしてアレルギー反応はやや苦痛という感じ。

最終的にはグリーンノートヘナ オーガニータ に落着いた。
オーガニック植物原料の審査をクリアしたと謳っている。
こちらはアレルギー反応も出ないし浸透時間も短い。



しかし
65歳になり、顔も随分年寄りじみてきた。(-д-`*)
そして髪を染めるのが面倒になってきた。
染めても直ぐに出てくる。出来栄えもたいしたことはない。あーぁ。



と、思っているところに
女子アナの近藤サトさんの記事が目に付いた。
『“年齢に抗わない”生き方』そして、お写真の老け込んでいないお顔とグレーヘアがステキだなと思った。



私はふと思った。

白髪を敵視している間に、段々顔も老けて白髪が似合う顔になっているんじゃない?わたし。

そもそも白髪がどうして老け込んだ印象になるのか考えてなかったわ。
白髪が老け込みの原因ではなく、気持ちの老け込みが白髪と重なってイメージを作り上げているのであって、若者が白く染めても老け込んでは見えない。
中身の問題なんじゃないのか?




今、白髪は全体の3割強から4割弱になっている。

髪の生えぎわの白髪の多い部分を思い切って出してみた。額を出してみた。
ウフ(*´∇`*) 似合ってるじゃない。

そうか、白髪が年寄りじみてみっともないんじゃなくて、隠そうとする卑屈さがみっともないんだわ。

バサバサになって艶も無く、髪型にも頓着せず、シミだらけの素顔を晒す様な真似がみっともないんだ。


市販のリンスやコンディショナーが使えない(アレルギー)から、
私はレモンを絞って湯に溶かしてリンスにしている。

このリンスはお勧め!!!
天使の輪ができるほど髪が艶々になる。


きらりと光る銀色の髪。
格好イイじゃない。ヽ(*^^*)ノ


そう思い込むと、自分で納得してきたぞ。

その思い込みが大切なんだわ。きっと。









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