2018年08月10日

子供の授かり方が進化しているみたいです。

先日テレビを見ていて驚いた。

美容整形外科の女医さんに突撃して「通帳を見せて下さい」とねだり、私生活も覗いちゃうという番組。


そこに登場した綺麗な女医さん(未婚)がお金の使い道を聞かれ、厳しい突込みにも正直に応えられ、淡々と説明していた。


その真摯な姿に私は好感を持った。

医学書をAmazonで購入。これが1冊数万円。学会出張費、、、等々。




突っ込みは更にエスカレートし鋭くてこの出費は???
「私、体外受精で妊娠するんです」「そのための費用です」「精子はカナダ人の知り合いの方のものです」
(゚∇゚ ;)エッー!?

そして、ご自宅へ押掛ける。
ご家族と一緒にとても広いマンションに住んでおられる。
ご両親と妹さんのご家族、小さな子供も同居している大家族だ。
和気藹々としたご家族の様子が映されている。エリートそうだ。



「妊娠には両親も賛成してくれていて、子育てには両親と妹も参加してくれます」と。




おー、世の中すでにこうなっているのか。(・・;)



三浦しをんさんの小説「まほろ駅前多田便利軒」のなかで行天(登場人物)が子供はいるけど家族はいないよ俺は只の精子提供者だからというのがあり、
ほう('-'*)エヘ、突飛な例としてはありうるなと、その時思ったのだったが、

現実に(テレビの中ではあるが)精子の質としてY染色体を選び、妊娠しようとしている女性を見て、
これは合理的というものなのだろうか?
我が子に父親は不必要と判断をくだしたの?と、思っていろいろなことを考えてしまった。



今、離婚して出戻ってきた娘は親孝行者だと喜んで迎えられることが多いそうだ。
かわいい孫を連れて帰ってきた。気を使わねばならない婿さんはもういない、親子水入らずで楽しく暮らそうねと喜ぶらしい。
そう安易に事を済ませて本当にいいのか?

娘はもういい大人の女だよ。男日照りなんて下世話な言葉もあるんだよ。
孫が父性の愛を知らないで育つ葛藤や成長を見るのは、とは考えないのかい?



ろくでなしの亭主に泣かされて、苦労して見る影も無くやつれた末に出戻ったというのなら
諸手を挙げて歓迎する親心は察して余りある。

が、

つまらない男は最初から排除して、出来のいい娘が出来がいいであろうY染色体を選んで妊娠し出産し、親子水入らずで我が家は幸せだと、テレビの女医さんのご両親が思ったとしたら、
それはやはりおかしいよ。


ご両親は娘や孫をいっぱい愛して、協力を求められて幸せかもしれないけれど。
娘は両親に愛されても、それほど幸せには思えない年齢に達しているんじゃない?
もう他人を愛する幸せのほうが大きくなっている年齢のはずだよ。

「愛すること、そして愛する人の子供を産むのが幸せじゃない?」と言ってやるのが親の優しさじゃないの?

それが出来れば苦労はないのよ!と言われそうな気もするが。






夫は要らないけれど、子供は絶対にほしいと思っている独身女性は多いだろう。
そして
一人の経済力では大変だから無理よねと諦めている。

しかし
経済力があり、惜しみなく愛情を注ぎ育ててくれる協力者がいれば今は可能なんだ。!!!





他人を愛するなんて馬鹿じゃないの?
そんな面倒なことイヤだよ。
と、考える若い人が増えていると聞いた。


うん!面倒なことだよ。
でもね。その空間に迷い込む勇気が有れば、とても幸せな錯覚に浸れるんだよ。
人って、案外馬鹿なんだよ。知らないでしょう?
馬鹿でいられる時って短いからね。そのバカさってとっても尊いの。一生の中でも一瞬なの。


昔は、簡単に入れた空間なのに、この頃は頭でっかちになっちゃって入り難くなってるみたい。




難しい世の中になっていくね。可哀そうね。





.
posted by win-manma at 18:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2018年07月23日

子供の能力と親と教師

私は中学で躓き成績が振るわなかった。


詰め込み教育の時代だった。

何でもかんでも覚えさせる授業に付いていけなくなった。
興味のあることなら覚えるのは簡単にできた、が何の興味もないことを丸暗記することが出来なかった。

そして記憶科目は全て投げ出してしまった。

興味のある本だけ朝まで徹夜で読んだりしていた。


我儘が通用するはずはなく、成績は惨憺たるものだった。



そんな私の娘が成績優秀だった。



乳児期から幼児期に入る頃からこの子は面白い子だなと思っていた。
言葉の吸収や意味の理解をスポンジが吸水する様にグングン伸ばし拡げていく。
娘を見ていて、そもそも人間の脳の発達とは?と興味をそそられた。
頭の中の伝達物質がどう作用して頭脳を作り上げていくのか。
母親が子を育てるという意識よりも、発達する頭脳や心理の観点から子供を見ていた。

こう書くと興味は頭だけなのかと勘違いされそうだが、もちろんファッションも躾けも食事も一緒に楽しんだ。
時はバブル、子供服といえどもいざというときはブランド物を着せた。
音楽も多岐にわたる。クラッシックから演歌までなんでも歌う、それは今彼女の財産になっている。
年齢に関わらずカラオケで人脈を築けるのは母の御かげだと思っているはずだ。(笑)


子供が小学校に入学する年齢に達しても中学生になっても頭脳に対する私の意識は変わらなかった。
学校の勉強に縛る必要はないと思っていた。

教師の中にも優劣がある。
優秀な教師は、それぞれの子供のアンテナを見て子供の能力を判断することができるものだと私は思っている。
能力のない教師は子供のアンテナを識別できず、自分の知識に頼ってそれを子供に押し付けることしかできない。

アンテナを見るとは、
1を言うと10先まで想像を膨らませ、答えを導き出す能力を備えた子供と、1を1と理解することで終わる子供の違いを見極め、指導方法を広げられる教師のことである。

娘は、1から10に発想を飛ばす能力を持った子供だった。
成績はいつもトップだった。

もし、1を教えられて10まで想像を膨らませる子供が、1を1と理解させることしかできない教師に当たった場合はどうなるだろう。
その教師は10まで発想を飛ばした子供の理解の幅が計れず、対応出来ず、こいつ何言ってんだ?
黙って先生の言う事を聞け!と握り潰す。或いは親に苦情を言って躾けてくれと逆切れするかだろう。


現実問題として子供の理解が10に及ぶことに着いて行けない教師が多い事を親は知っているだろうか。

親は教師の資質(能力)を見極めることが出来なければ、子供の能力を不完全燃焼させることになることを知っているだろうか。




娘は公立の小中学校に通った。
幼稚園と小学校4,5年生の時、お受験の塾に通わせたが、医者の子供が多く通う市内の私立の小中学校の受験はさせなかった。
理由はその私立中高一貫校の大学進学率が大して良くなかったから。そして私の望む進学の基準とは大きく違うと思えたから。

その程度ならば行く必要はないと判断した。


運よく小学校の5年生までは優秀な教師に当たった。
10を理解する能力が有る子供でも面倒がらずにクラスで上手く伸ばしてもらえた。

もし低学年で無能な教師に当たっていたら、教室で孤立し適応障害を起こしていたかもしれない。
その時は、難しい設問を提供してくれるお受験塾にでも入れて適度なガス抜きをする必要があるかもと思っていた。

しかし、毎日の大半を過ごす学校が辛いものであれば精神的苦痛は計り知れず、その後の性格形成にも多大な影を落とすことは想像に難くない。

親はどのような環境を子供に提供できるか、見栄や親の希望とは違う次元で、子供の側に立って考える必要があると思っていた。



娘の場合は、低学年で優秀な教師に受け持ってもらえたおかげで、中学の劣悪な能力の教師のカバーまでできたなと思っている。



子供の能力を如何にするか。

1を完璧に理解する能力を10積み重ねれば、1から10を理解する能力を持つ子とも並ぶことはできる。
それが努力が実るということかもしれない。

今の教育の基本姿勢は1を10積み重ねさせるというやり方だ。
これならば教師の指導を忠実に守っていけば、国公立の大学や有名私立には入れる。


しかし、これには難点がある。
発想の飛躍に乏しい。コツコツ積み上げてきたものはぐらつきやすい。
発想のスタンスが狭い。


勉強家で成績優秀なのに何処かしらひ弱なムードを漂わせた青白いお兄さん。


私はそんな風に育てたくはなかった。
私が記憶科目を放棄したのは、好きでもないことを無理やりやらされて気が変になりそうだったから。
性格が窮屈になりそうだったから。

性格が窮屈になった娘を見たいとは思わないから、コツコツ勉強しなさいとは言わなかった。
またコツコツが楽しいと思える性格じゃなかったし、コツコツ勉強しなくても成績は良かった。
ただ、計算能力は努力しとかなきゃ、後々行きたい方向を狭めることになるわよと言って励ました。


あなたの能力で出来るところまでやればいいじゃない。と思っていた。
あなたがやりたいならどこまでも応援するし、出費もできるところまで応援するわ。


子供の性格や能力を見極めるのは難しい。
ややもすると能力に期待して無理な重荷を背負わせることになりかねない。

また、能力を過小評価して子供を苦しい環境に置いてしまい、辛い思いをさせることになる場合もある。


親は子供に幸せに生きていける能力をつけてやることが出来うる責任を伴った大切な存在だ。


そして、
子供にとっての幸せとは、スクスクと快適に成長し、
大人になった時、その子が望む生き甲斐有る人生を生きられる人になれるか、ではないかと私は思っている。



子供の能力の見極めの難しさ、
生徒の能力を見抜けぬ大人が教育者として子供を潰す可能性と、そういう教育者を見抜く親の能力の有無。




小学校から私立を目指す親の意向というのは根っ子にこんな問題が見え隠れしている場合が少なくない。



小中高一貫校だと受験地獄に苦しまないためなどという単純な問題ではない。
ましてや、親として鼻が高い、格好イイなどという馬鹿な親はたぶん振るい落とされることだろうと私は思うのだが・・・・。





posted by win-manma at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

連日の35℃超えでも孫は元気です

猛暑の中 孫(二歳四ヶ月)がやってきた。

相変わらず厄介な身体で、眼科で処方された目薬に反応して酷いめまいを起こしてしまっていた。
横になることが多い日が続いていたのだが、
二泊二日(三日めは早朝に帰る)の短縮帰省なら、、、。
孫の顔を見ればめまいなんか吹っ飛ぶんじゃないかと?、、、。と受け入れ態勢を整えて待つことしばし。


孫は空港のロビーに現れた。
孫、ニンマリするも声に出して喜んだりはしない。
娘によると朝から「ばばちゃんちにくよーグッド(上向き矢印)
タクシーを降りると「ばばちゃんは?」地下鉄を降りて「ばばちゃんは?」モノレール降りて「ばばちゃん!」と、言っていたらしいのだが会って直ぐに嬉しがったりしないところが二歳児のおもしろさか?

ちなみに、じじちゃんが自分を指して「これだれ?」と聞いたら、「知らないと」答えた。たらーっ(汗)

じじちゃんは臆することなく「これ、じじちゃん!」と自己紹介していた。(笑)
その後はいたって仲良しな二人だった。「遊ぼう!遊ぼう!じじちゃん遊ぼ」わーい(嬉しい顔)


事件は二日目の昼食の時に起きた。

いのちのたび博物館で恐竜を見て、チャンポンのおいしい店に行った。
チャンポンは熱いよね、チャーハンないのかなぁというので確かあったと思うよということで、
「チャーハン!チャーハン!」と連呼しながら眠たがるのを鼓舞して店に到着。
そして、そうなのです。
チャーハンが無かった。あせあせ(飛び散る汗)

仕方なく急遽、お握りを注文。
孫にはチャーハン無いって、お握り食べようねと理(ことわり)を入れる。
しかし、なんと、出されたお握りが湯気を噴いている。
海苔が巻かれているが、海苔をはがすとご飯になってしまった。がく〜(落胆した顔)

孫、「おにぎり食べたい」「おにぎり食べたい」と言っている。
しかし、皿にはご飯しかない。おにぎりの跡形すらもない。
お腹は空いているけれど泣かないで我慢する健気な孫。

そこに注文していた焼きソバが運ばれてきた。
焼きソバは味が濃そうだなと言いつつも小皿に移して扇子であおいで熱を取り、食べさせる。
孫はおとなしく食べていた。
が、途中で「おにぎり食べたい」と言っている。(・・;)


ようやくチャンポンが運ばれてきた。
アツアツだ。
これは直ぐ食べさせられるものじゃない。
娘のチャンポンは、麺を孫の小鉢に移して随分少なくなっている。
娘が何気なく「kazyu(孫)に取られて麺が足りないわ」とこぼしてしまった。

孫の目がほんの一瞬、泳いだ。

その後、大人も焼きソバやチャンポンを適当に食べて人心地着いた時。


孫がチャンポンの入っている小鉢をゆっくりテーブルにひっくり返した。

私達は大慌てに紙ナプキンで汁を吸い取り、麺を皿に戻した。
お店の人が台拭きを持ってきて事なきを得た。

娘は孫を叱り付け、表につれて出た。

私も会計を済ませ、表に出ると孫は叱られて大泣きしていた。






おにぎりがご飯になって食べられなかったけど、泣かなかった。(ご飯ならせめてアンパンマンふりかけ掛けてよ!)
焼きソバはあまり美味しくなかったけど食べた。
そもそもチャーハン無いの?約束が違うじゃない。
チャンポンはママの分だった。



このやるせなさ。





しかし、大泣きして少し気が晴れたらしく。

その後、孫も娘もスッキリした顔をしていた。






お店の人不親切だったもの、わたし頑張ったモン、ママは怒ったけど食べ物で抗議しちゃだめだって教えたかったのわたし知ってる。
そんなkazyuの気持ち、ばばちゃん 今回は直ぐに分かってあげられなくてごめんね。





孫は言葉の理解がグーンと伸びていて驚かされる。
もう普通に会話ができているように感じる時も多い。
しかし、まだ完全に日本語をマスターしているはずはないのである。
使うところを微妙に間違っていることもある。
救急車が一台走っていった。通過後「救急車いっぱいいたね」という。
頭の中でいっぱいと急いでと早くが混在しているようだ。



最近は「怖い」を使うようになった。

怖い目をしたぬいぐるみを怖がるようになった。

なんと、「トトロの猫バス」は怖いのだそうだ。
アニメソングの「猫バス」も怖いと言う。

エー!赤ん坊の時、ドライブで猫バスを流すと直ぐに寝てたのはあれは逃避だったのか?
てっきりお気に入りだと信じて疑わず、みんなで合唱してたのに?(笑)


聞いて見なきゃ分からんもんです。(゚∇゚ ;)エッ!?




.
posted by win-manma at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2018年07月12日

めがねを買った

あまりの眼精疲労に危機感を覚え、眼科に行った。

夜になると物がぼやけて小説の字が見えない。風呂上りの顔すら見えにくい。
肩が凝る。等々。


眼科は涙目や閃光が見えるなどと訴えて5軒目だ。

どの医者も目薬を出して、様子を見てくださいとしか言わない。


最近になってようやく病院の口コミ評価がネットに載るようになった。
そこで、評判を見ながらホームページなど見てJR駅近くの女医さんを頼ってみることにした。

疲れ目と涙目を改善したいと訴えた。
そして、こちらの病院のホームページにある「シェーグレン症候群」が気になりました。と伝えた。
この病院のホームページはとてもうまくまとめられており、診断の大まかな要領を掴むことができた。
医師のプロフィールや学会とのつながりなども参考になった。


初診では炎症が起きているので瞳孔を開いて詳しく調べることが出来ない、目ヤニが治まったら来てくれと言われていたので、10日後に再診を受けた。

涙腺が詰まっているかの検査をした。
涙腺が詰まっていた。涙が喉に流れず溢れているのだそうだ。

それからドライアイの検査を受けた。
涙が溢れているにも関わらずドライアだと診断された。左目は涙が溢れているので傷にはなっていなが、右目はキズが入っているそうだ。

この時、涙目は若松区に涙目専門の医師がいて、専用内視鏡「涙道ファイバースコープ」を使って手術しているが行ってみますか?と聞かれた。鈴木眼科クリニック


涙目を治すより先に「シェーグレン症候群」の診断が先だろうなと考え、涙目は軽減できれば好しとする事にした。
ドライマウス、ドライアイ、筋肉痛、関節痛、甲状腺、アレルギー、、、一致するなぁ。怪しいなぁ。


今、目薬を二種類差している。
目薬を注している間はコンタクトレンズは使わないでくれと言われ、20日間コンタクトを使わずに過ごすと疲れ目が改善され、夜でも本が読めるようになった。

あー、もうコンタクトは無理なんだなと諦めることにした。

そこでかわいいメガネを新調することにした。(ง •̀_•́)งシメシメ


今使っているメガネは娘の結婚式の時に作ったものでちょっと気取った雰囲気が好くないなぁと思っていた。

最近、歳を取って地味な色が似合わなくなった。
ちょっと明るめの雰囲気にしなきゃダメだわと丁度思っていたのだった。


もともと乱視なのでコンタクトの矯正の方が楽なのだが、ドライアイで目に傷が常にあるようじゃ仕方ない。

不便だけど、これが老化というものなんだな。と観念した。(x_x;)シュン




.
posted by win-manma at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2018年06月26日

踵をつける

40年前、弟が言った。
「あんた、尻がハの字だな、恰好悪り〜なヾ(´ε`*)ゝ」

あいつはいつもそんな言い方ばっかするデリカシーのない奴だった。
憎まれ口を叩いては、私をイラッとさせる。年下のくせに、弟のくせに偉そうにしたがる奴だった。




私のお見合いをしたお相手がお母様を伴ってうちに来た時、
偉そうに応接セットの椅子に座ってドスを効かせた顔ををしてお相手を睨んでた。(笑)

結局、この話しは流れた。
弟さんが・・・。とは言われなかったが、思っただろうなとは思った。
お付き合いもしていない段階でお母様が品定めに来られる。
これは大変だ(゚゚;)エエッ
と、この話しは丁重にご辞退申し上げた。(゚ー゚;Aヨカッタ ヨカッタ




適齢期(あの頃はクリスマスケーキと言われた24歳を超えると・・・)を過ぎた私の結婚が決まった時は、ほんとうに嬉しそうな顔をしてみせて酒を飲んで酔っぱらっていた。





弟よ、私は
アンタが死んで10年経って気付いたのだよ。
「両足の踵をつけて足先を九十度開いて立つと、お尻がハの字にならないんだと」(笑)
そして、わたしつまんない事覚えてるのねと思った。


そして思ったあんたはいつもそうだった、解決方法は教えてくれなかったんだよね。と。



弟だからしかたないか。
思ったまんまを口にしただけ、それが姉弟だわね。


あいつは心の深いところを分かり合えてた共有しあえた数少ない人間だったんだよな。




大人になって老人の入り口に立ってみると、ひとことしゃべるのにも気を使って言葉を選ぶようになっちゃった。


なんだかつまんないわ。ヾ(_ _。)





.
posted by win-manma at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2018年06月18日

娘を持つ親

友人が娘さんの結婚が決まった。と嬉しそうに話してくれた。


そもそも彼女はこの話に反対していた。


理由は相手が医者だから。

彼女も旦那さんも裕福で派手な暮らしなど望んでいない、むしろ嫌っているのだ。
だから娘の相手も地味で堅実に静かに暮らす価値観を持った人をと望んでいるのだと言う。


お金持ちの家に育った人は普通の人から見ればどうしても派手に見える。
海外旅行、ブランド物、お洒落なレストランでお食事。
そんな家庭と親戚付き合いなんてしたくない!!


ちょっと待って。と私は反論した。

そうとは決まらんやろ?(標準語なら 決まらないんじゃない?(地方でこう言うとちょっと気取った感じになってしまうのだ))


(私)相手の家、病院なん?
(友人) 違うみたい。普通のサラリーマン。

(私)ほら〜、あんまり反対するとこじれるよ。反対されるとお互いに感情的になってややこしくなるからね。
思わぬ方向に走ったり、判断を間違ったりすることよくあるじゃん。
○○ちゃん逆上(のぼ)せるタイプじゃないから案外冷静に厳しい目で相手を見てるような気がするけどな〜。


それから数年後、
別れたみたい。(^^ゞ

更にその後、
復活したらしい。(-д-`*)


だらだら付き合って真剣さに欠けると女は不利になることがあるな。と私はその時思った。

いざ結婚となると男は二の足を踏む場合がある。
面倒くさくなるのだ。
結婚は人生の一大イベント、相手だけでなく親戚や世間に対してもけじめの宣言を見せなければならない。
責任も発生する。常識を踏まえた行いも科せられる。
だから、今のままでイイじゃないか。今二人で楽しく過ごせれば楽だ、これに越したことはない、と。

しかし
女にしてみれば、世間から見れば単に愛人扱いされても仕方ない立場、別れても何の保証もない微妙な立場。
世間からも親族一同からもちゃんと祝福された二人でありたい。
これは愛情の嵩の問題ではない。自分の居場所、自分の立位置の問題だ。

若ければそんなの不純とか計算高いとか思うのかもしれないけれど、
計算高いのは地位とか名誉とか財産とかを計算してそれを優先して事を運んだ場合だ。




ここは
親としての動きがいるのではなかろうかと考えた。


(私)「相手に会った?」「挨拶に来いとか、どういうつもりでいるんだ!」
「そんなんじゃなくて、この娘にはこの娘を愛している私達家族がいるんですよ」「この娘は私達の宝物なんです」ということを相手にちゃんと自覚してもらうのって必要な気がすると言った。



その後
彼氏が来たそうだ。

そして親も認める恋人同士なった。



そして相手の家にも行き、挨拶し気に入られたそうだ。
そりゃそうでしょう。
気立てが好くて美人ですもん。
うちの夫など○○ちゃんに会った愛想よくていいねと嬉しそうにしているもの。




よしよし、順調。(*^_^*)



そして先日、秋に式を挙げることになったと嬉しそうに友人は言った。
が、
それでー、もう一緒に暮らすって。ほんとうに今の子は(`□´)コラッ!と愚痴ってた。


ほんとうに頭、古いんだから。(笑)




.
posted by win-manma at 11:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2018年06月16日

列車を止めたんですって(゚゚;)エエッ

我が家から望む借景の山並みの裾野を新幹線が走っている。

その新幹線に人が飛び込んだと聞いて皆で驚いている。


新幹線は犬でも跳ねたか?と思ったのか広島まで走り続けたという。
最近の人間社会の近くに棲む動物は、ここは危ないぞという危険察知力は近年特に発達してきているんじゃないかと私は思っている。
猫も犬も道路の渡り方は承知していて、心神喪失状態、あるいは気持ちが動転している、生まれて直ぐで危険認知力が確立されていない状態にあるなどの極少数が春先にペッタンコに踏み潰されていたりするのではないか?と思うのだ。

動物達は意外になんでも分かっている。

夫の散歩の楽しみは、猫に遭遇すること。
夫は猫を見つけると必ず「ニャーヽ(=´▽`=)ノ」と話しかける。
車に乗って出かけてる最中にも猫を見つけると窓を開けて「ニャーヽ(=´▽`=)ノ」と挨拶する。

先日、二匹の猫が塀の上でなにやら話していた。
そこに夫が通りかかった。
すかさず、「ニャーヽ(*^^*)ノ」と声を掛けた。

すると、猫二匹が顔を見合わせ「誰? 知合い?」「いや知らんぞ(・・)」という顔をしたのだそうだ。

おそるべし、猫。





その認識が新幹線の運転手に有ったかどうかは知らないが、人を飲み込んだとは思いもしなかったのだろう。

これまで運転手はもとより誰もが新幹線の線路には入れないものと信じて疑わなかった思う。


今後は侵入できないよう改めて万全を期す必要が生じたのだと思う。



行きつけの喫茶店でマスターや常連客とこのような死に方を選んだ場合、賠償金が半端無いという話になった。
数億円は遺族に圧し掛かるんじゃないか?と、話していると一人のご夫人が・・・。
「子供の頃、私列車を止めたことがあるの」と仰る。


皆して、呆気にとられる。
「また、どうしたの?」となる。

ご婦人曰く。
横断歩道を渡る時は手を上げて渡りましょうと教えれらたので
素直に
線路脇に立って手を上げたら、列車が止まってくれた。
のだそうだ。
おー怖い怖い。

その時賠償金は?と当然聞く。
子供だったから知らないんだけど、親戚が集まるとその話になり、400万とか小耳に挟んだと。
(;゚ロ゚)
40〜50年前の400万円。って。(@Д@;




小さなお子さんをお持ちのお父さんお母さん。

くれぐれもご注意あそばしませ。
(ง •̀_•́)ง





.
posted by win-manma at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2018年06月10日

趣味は読書、面白くない本には腹が立つ。

月に何冊読むだろう。
長編小説を4〜6冊ほどだろうか。


時々読書のポーズで体が固まってしまっているので、去年の五十肩の痛みを思い出して身体をほぐすことにしている。


本の調達はもっぱら市民図書館。

年金だけに頼る暮らしになってからは例えブックオフの100円の本でも惜しむ気持ちになる。



最近の図書館は建物も近代的で窓の外は緑豊か、美しく広々していて随所に椅子やテーブルが用意してあり、居心地が良い。

平日に行けば、年金生活とおぼしき方々が静かに各社の新聞を読み、雑誌を広げ、本を読みながら、、、優雅に過ごしていらっしゃる。



私はもっぱら174267冊の蔵書の中から作家を絞って読んでいる、それでも時々目先を変えたくなる。
そこでじっくりスマホ片手に(google検索しながら)好きになりそうな作家を捜すのだがこれがなかなか難しい。


先週、玉岡かおる氏の「お家さん 上下」を読んだ。
女性実業家の波乱の人生が女性の視線で書かれていた。

何かしら展開の悪さを感じつつ、アッという間に読んだ。
そして、先日同じく玉岡氏の「負けんとき 上下」を借りた。

私は借りたからには最後まで読みたいタイプ。だが、途中で腹が立ってきた。
時間の無駄なんじゃないか?「あ〜納得だわ!」「そうよそうよ!」と一度も感じないなんて。

作中に登場する廣岡浅子さんの言葉には女性として「おー!分かっていらっしゃる」と思える台詞はあるものの、主人公一柳満喜子さんの生き方や思いや人柄にまったく魅力がない。
作者はこの人の何を書きたいのだろうと思ってしまう。高貴な身の上ということばかり羅列して高貴な美しさや姿がにじみ出ていない。
それって、作家の力不足なんじゃないの?

読者は高貴なんですと書かれていれば納得するもんじゃない。
高貴さは文章の行間に忍ばすもの。それには高貴さの空気観を作家が自分の内にしっかり持たなければ、あるいは掴んでいなければ書けないでしょう。

難しい題材を選んだ割には、、、。出来てないわ。(-д-`*)
高貴な生まれとは何なのか。どういう精神性が育まれ品位はどのように培われていくのか、そのプライドはその美しさの源泉はどこからくるのか、等など、深めれば見えてくるものがあるはずだ。あなたには見えないの?
などと思うのである。



しかし、待てよ?



そうなのよ、私ってやはり厳しいわ。
普通、そんなこと思ったり考えたりする人いないわね。


そして、この視線を他人にも向けている。これって怖いわよね。



反省反省。(゚ー゚;Aアセアセ




.
posted by win-manma at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2018年05月22日

書道「良寛展」

良寛展に行った。

東京目白の永青文庫
細川家の屋敷跡にあり古い建物はもの静かで、落着いた佇まいの中ゆっくり鑑賞出来た。


九州国立博物館で3月末に良寛さんの書を見て、もっと見たいと思っていたので娘の所に行ったついでに足を延ばしてみた。

展示数が多く、見応えがあった。



良寛さんの書、自在に操られる筆の運びに何かを掴めた気がした。

気負っていない伸びやかな線に、あーこれでいいんだ、こんなふうに筆を運ぶんだと思いながら見た。
このおばさん、熱心に見ているなぁと思われたかもしれない。(・・。




今月は昇段試験、課題を提出しなければならない。私の頭の中は今60%は書道で占められている。

掛け軸サイズの長い紙に書いて提出するのだが、思うように書けない。

私は我(が)の強い字を書いてしまう。
これまでは勢いよく力強くで済んでいたが、ここまで来るとそうは問屋がおろさない。


流麗にしかも上品であることを求められる。
手本をよく見てそこを習得しなければならない。
もともと持ち合わせない流麗にして上品な性格にこれを求められると切なくなる。




生徒は二つのタイプに分かれるように感じる。

臨書のように手本を完全に真似ようとするタイプと、真似しつつも個性が出てしまうタイプ。

後者はちょっと自分の字に自信を持っている人が多い。
前者は素直に下手だから上手くなりたいと思って努力する人。


今、私は自分の癖を修正しなければならないところにきている。

一気呵成に書いてしまう癖。
自信たっぷりに肘を張った書体を書く癖。←(これは品位の無い字になる)


良寛展でも
良寛さんが古典を臨書して学んでおられたと説明されていて、その臨書が残されていた。
良寛さんの臨書として「懐素の自叙帖」が展示してあった。


品のいい字が書けるようになると、性格や容姿も品良くなるんだろうか?


いやいや、そうでもなさそうだぞ。
素敵な字を書かれているのに・・・お人柄もお上品であられる人、めったに見ないものなぁ(笑)



でも、両方備わってこそ、きっと素敵ないい字が書けるものなのだと思いたい。
私はそこのところが不器用だから、自分に対しての誤魔化しが効かない。
裏腹な芸当ができないからきっと遠回りすることになるんだろうな。

腹が出来なきゃ書けないんだ。
または、習得を課すことによって腹ができてくるかだろうな、きっと。






.


posted by win-manma at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2018年04月25日

2才の孫から電話

娘が「ばばちゃんに電話すると言ってるよ」と言ってきた。


お正月に里帰りした時はイヤイヤ期の真っ只中で、自分の欲求を主張することでいっぱいいっぱいの状態だったあの孫である。  里帰り中の孫

孫は先月2才の誕生日を迎えた。


その間に携帯アプリのLINEで何度かテレビ電話で話したが、私が言っている事は理解しているようだが、モジモジしていて要領を得ない。そもそも私を覚えているのかさえ分からないぞと思えるときもあった。




この孫、娘にそっくり。容姿も性格もまるでコピーだ。(笑)

娘は小さい時から性格は素直なのだがとにかく負けん気が強かった。

ゆえに褒められると嬉しくてどんどん調子に乗って頑張るタイプだった。

ママ友には「ブタもおだてりゃ木の登るタイプ(笑)」なんて言っていた。
仲間内で少しでも成長が早い子がいるのは気分のよくないもの、嫉妬への牽制である。(汗)



孫も娘のこの性格を受け継いでいる。
生後6ヶ月頃、寝返りが打てるようになった。
「オー、すごいすごい!! ヽ(=´▽`=)ノ」とほめると何度もやってくれる。
その度にこちらを見てドヤ顔をするのである。


それを覚えているのかいないのか。。。

突然、「ばばちゃんに電話する」と言い出したという。


ジグソーパズルの35ピースが出来るようになってきた孫が
「オー、すごいすごい!! ヽ(=´▽`=)ノ」とほめられたいと思ったのではないかと私はにらんでいる。


バラバラにしたジグソーパズルをカメラに映し、パズルを繋いでみせる。

出来ると携帯を覗き込んで、こちらに向かって自分で手を叩いている。
私も スゴイスゴイ ""ハ(^▽^*) パチパチ♪ と手を叩く。

見せたいのだ。
褒められたいのだ。
素直に成長を喜んでくれる。それが嬉しいのだろう。




孫にとって私は成長を心から喜んでくれる存在として認識されているのだろうか。
それならば私も嬉しい。






子供にとって成長したいという欲求はエネルギーそのものである。


生命としての存在そのものを喜ぶのは祖父母として当然のことである。
が、
幼い子にとっては成長を、遅いとか早いとかを度外視して喜んでくれる存在が必要なのかもしれない。




わが孫、褒めると伸びるタイプ????? (笑)




.
posted by win-manma at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし