2015年01月19日

岡田民主党始まりましたね。

民主党代表戦の結果を見て感じたこと。

マスコミに乗せてもらって政権を取り、醜態を見せて終わった民主党。

その代表選びがあった、細野さん長妻さんも立候補しましたが、最終決戦で岡田さんに軍配が上がった。



今、それ程興味がある政党ではないのでニュースで報道される姿や演説の一部分だけを見てとやかく言うのはおこがましいのですが、、、、岡田さんでよかった。




あとのお二人は自分達のことよく分かっていらっしゃらないのではないかという印象を持った。


自民党対抗勢力になるために自分達が学ばねばならない何かが分かっているのだろうか。
民衆が求めている幸せを実現する為に彼らは働きたいと思っているようだが、民衆の求める幸せとは何かを深く掘り下げ突詰めるとどうなるかどのような形や言葉になるのか・・・。

また、民衆の幸せという雲を掴む様な漠然とした要求・要望を吸収し分析し受け皿をつくることが民主党に出来るのか、できるとしたらそれはどのようなものなのか。

そもそも現在の民主党は国民からどう見られているのか正しく把握しているのか。


国民に利用される政党を多くの国民は望んではいない。

国の行く末を見定め、世界の中での日本の立ち位置を確保し、経済やこころの豊かさを担保できる、舵取りができる政党や国会議員の集団であることを望んでいるのだ。


岡田さんには現状を厳しく捉えている姿勢が見える気がしたが、どうだろう。

がんばってもらわなければならない、成長してほしい、自民党対抗政党なのだぞ!と国民は期待している。
posted by win-manma at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2015年01月18日

冬は美味しいものが多いですね。

ちょっとほろ酔いでブログ書いています。


今日、鍋が美味しかった。


塩麴を作り、それが程好く発酵してイイお味になっています。


今日はその塩麴に数時間浸けた鶏肉(一番鳥)のお鍋にした。


出汁は、イリコと鰹節。

材料は塩麴漬け鳥肉、冷凍海老四尾、白菜、しめじ、絹豆腐、太い葱、たったそれだけ。

勿論、鶏肉の脂は丁寧に取り、皮を取り除きます。

塩小さじ1

これをチョーコーの「かけぽん酢」+ 七味で頂く



たったこれだけで美味しいexclamation×2

日本の冬を味わえる幸せ・・・・。(o^∇^o)ノ



そうexclamation


勿論、美味しいお酒があってこそです。


昨日、いつもの地酒酒店の鹿児島屋へ行きました。


お正月用に買った「冬の月」が無くなりました。
_MG_7011.JPG

ソフトで甘め、風味フルーティー。とても美味しいお酒です。
お父さん好みです。(;´▽`A``


昨日買って来たのは、「千代寿」と「獺祭 純米大吟醸50」
「冬の月」より少しお安いお酒をとリクエストすると、

もう好みを知っていてくださる店主さん達。

「じゃこれよ(奥様)グッド(上向き矢印)」と千代寿を冷蔵庫から出してくれました。
_MG_7061.JPG

生のお酒は必ず冷蔵庫保存です。防腐剤やその他の加工をしていなから。
アレルギーで化学薬品などが使われているとすぐに頭が痛くなる私はこれに限ります。


程好い甘みと辛味、フルーティーな風味。生酒が楽しめるこの季節。



人間に生まれてよかった。大人でよかった。(o^∇^o)ノ
posted by win-manma at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2015年01月04日

老人の心細さ

あけましておめでとうございます。


しなければならない事が色々あるのに、テレビの前でボーと時を過ごしてしまうお正月。
仕事で海外に行っている娘が帰省できないことをいいことに、はじめてお正月料理を力いっぱい手抜きした。
人は誰かのために料理をするものなのだなぁ・・・つくづく思う。
自分だけならインスタントラーメンでいいやとなる。
夫がいるから最小限の正月らしさを整えようかと思う。
もっと歳を取って誰かのために作れなくなったら、台所に立つ義務感も意欲も失せてしまったら、張り合いのないことだろうなと思う。


お正月、義母さまに会ってきた。

今日はどうしたのか?と仰る。
ご無沙汰すると精一杯の皮肉を込めてこう言う。



義弟のように年に一度しか行かなければ、そうは言わないだろうなと思う。

見舞った後、義兄の家に年始に行くと、不満が溢れていた。(笑)


例えば
義母さまの時計が止まると直ぐに電話が掛かってきて、「時計が止まった!!!」「どうにもこうにもならん(ง •̀_•́)ง!!!持ってきて頂戴!」
電話を受けた兄嫁はバスに飛び乗って持っていくのだそうだ。


義母さまは常に身体の不調を訴える。病院に行き、胃カメラ、骨のレントゲン、血液検査、etc
結果はどこも悪くないと診断される。その繰返し。
施設の職員達は「またか」と思うらしく相手にしなくなった。
病院でどこも悪くないといわれれば、安心するのか症状を口にしなくなる。


かまってもらいたいのだろう。
幼児が弟や妹が生まれて大人の感心が赤ちゃんに移った不満から赤ちゃんが帰りするのと一緒だ。


ようするに淋しいのだ。

耳が遠くて施設の人たちとはコミュニケーションがうまくとれない。
1人で時間を持て余す。
かといって1人遊びを見つけようとも思わない。
本も読みたくない。テレビは音声が聞き取れない。何もしたくない。
そして時間が経たないと愚痴ってまわりを困らせる。

気の毒にと思う。そして気の毒な性格だと思う。



そんな義母さまを見ていてこんな人のために宗教はありがたいのになと思った。

人の在り様をやさしい言葉で教え導いてくれるのだから宗教はありがたい。
どんな境遇にあっても謙虚になって信じて従えば心安らかに生きられる。
南無阿弥陀仏を唱えればだれでも極楽浄土にいけるという教えはスゴイ。

淋しくて、心細くて、病院の医師や息子に訴えてもその心の寒さは癒せはしない。
医師は身体を薬や施術で治すのが使命。
息子はいつまでも愛と慈しみのおおいなる母であることを信じている。
そんな息子には、母の赤ちゃん帰りしたような心理を包み込むことなどできない。



さて、今年62歳になる私は30年後どういう歳の取り方をしているのだろう。
宗教に頼ることを逃げと感じている私はどこまで突っ張りとおして凛とした母でいられるのだろうか。


母としてのプライドを失った時、私には何が残るのだろう。
一人の人間としての核が顕(あらわ)れるのだろうか。
それは、
人々への愛だろうか。全てに対する不平不満が溢れるのだろうか。自分の生命への執着だろうか。悲観的思考だろうか。


それに留意しながらこれから先の老齢を歩かねばならないと思う。

私の核には確かに美への執着がある。
芸術や自然の美に心酔わす癖(へき)がある。澄んだ水の美しさにさえ感動する感性がある。
その感性を頼りに心の平安を持ち続けることは可能だろうか。


90歳になっても朝露に輝く植物を見て美しいと感じる幸せ者になれるだろうか。

美しいものに心洗われる一年を過ごしたい。



年頭に思う。2015年正月
posted by win-manma at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 老い