2015年12月26日

おばあちゃま

「おあちゃん」なんて、呼ばれたくない。

manmaちゃんでイイじゃないかと思っていたら、娘夫婦に拒否された。たらーっ(汗)


娘・・・
「私が生まれた時、ばあちゃんいくつだったの?」

私・・・
「52だね」

娘・・・
「お母さんいくつよ!」

私・・・
「62」(・・。)ん?

娘・・・
「もういいんじゃないの?観念したら?」
「もう10年も追い越してるんだよ。十分おばあさんだよ(汗)」


私は「バ」の音がイヤなのだ。
ばばあのバの音は穢(汚)い音だと思う。


孫に○○ちゃんと名前で呼んでもらっても構わないから、ばあちゃんとは呼ばれたくない。

老いは、キラキラした瑞々しい美しさからは遙かに遠退いてしまうのは隠しようのない事実である。
しかし、次元の違う美しさの基準で見れば、月明かりのような静かな美を見出すことも出来るのである。


私は52歳の母を年老いた老婆だとは勿論思うはずも無く、娘にとって祖母である母を当然のごとく「ばあちゃん」と呼ばせた。

母はそれについて文句を言った。
「ばあちゃん」ではなく「ばあちゃん」と呼ばせろと。(゙ `-´)/

母は「お」が付かないことにむかっ腹が立ったらしい。(笑)
世間を気にする母らしいとその時は思った。
それでも母は、初孫に「ばあちゃん」と呼ばれると笑顔で応えていた。


ドラマ「コウノドリ」を見ていて、命を繋ぐことの幸せ観というのは生物の喜びだと改めて思った。
自分を含む先祖の血を繋ぐものがこの世に誕生するするということは喜びなのだと改めて感じている。


孫なる者が、私を何と呼ぶのだろうか

私は生まれたばかりの娘に「ほら、ばあちゃんだよ」と教えた。
「ばあちゃん」という呼称には親しみが溢れていると思っていた。
友達のような気安さがそこにはあると思った。
孫とじいちゃんばあちゃんは、縦の序列ではなく横の繋がりであってほしいと思った。
だから、あえてじいちゃん・ばあちゃんと呼ばせた。

期待通りに娘はじいちゃんばあちゃんを従えて偉そうにそして凛々しく育っていってくれた。
我が両親はそんな娘を頼もしく感じ、可愛く感じ、深く深く愛してくれた。
スープの冷めない距離に住む孫と祖父母はちょっとだけ離れた家族だった。


遠く九州と東京に暮らすことになる私達と孫はどんな絆を結ぶのだろう。
遠慮のない家族になれるのだろうか、どんな信頼関係を結ぶのだろう。


娘はおばあちゃんがイヤなら、「おばあちゃま」はどう?という。


むかし、姑を兄嫁が「おばあちゃま」と呼んでいたことを思い出した。
兄嫁は姑が苦手だった。
孫達は「ばあちゃん」と呼ぶのに兄嫁だけが「おばあちゃま」と、
なんだか余所余所しく感じたものだった。

言葉よりその奥に潜む言い方がよそよそしかったのかもしれない。
言葉には言霊が潜むのだ。






娘が大きなお腹に「おばあちゃまだよ」と言った。
さすがに余所余所しさはなくかわいい言霊だった。


可愛げのない初老のmanmaは、どんな響のばば様の呼称をいただけるのやら。
おばあちゃまの似合うばば様になれるのだろうか。(・・。)ん?





posted by win-manma at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2015年12月18日

遠近コンタクトレンズ(3)

先月、レンズを装着していて違和感を覚えた。


左右間違って装着したのだろうか?と左右の見え具合を確かめてもどちらもとてもぼやけている。

PCで仕事をするので、疲れると夕方から見え難くなる。

思えば、そういう時に確かめても良い結果にはならない。と、後で気付いた。


結局翌日、眼科に行って調べてもらった。
そろそろ一年近くなる。検診して度数が変わっていれば交換してもらえる期限も迫っている。

やはり、レンズが左右入れ替わっていた。


レンズは今の物がやはり適正だ。そうだ(・・。)ん?。


そして、「乱視の人は遠近両用よりも近視のレンズの方が矯正が効くのです」と眼科医さんが仰っていた。


夕方から見え難く、ショボショボゴロゴロする原因に思い当たる物があった。

レンズの保存液。
これを、ニチコンの物ではなく、以前使っていたボシュロムに変えていた。
ほんの少しボシュロムのほうが安かったから。(;´▽`A``


これをニチコンの物に変えたところ、少なからずショボショボゴロゴロが減った。

ついつい少しでも安くて良い物をと思うが、それが主婦の浅知恵だったようだ。たらーっ(汗)

病院で診察を受けるとその差額などすぐに帳消しになり、マイナスになる。
『安物買いの銭失い』とはこのことだ。


やはり、遠近両用レンズは必需品になった。

今更、「近視コンタクト+老眼鏡」なんて面倒な暮らしには戻りたくない。


贅沢な年寄り?(・・。)ん?だと思う。(笑)




posted by win-manma at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2015年12月12日

婦唱夫随ぶりを褒められたのかしら?

数年来信頼し頼り切っている歯医者さんがいる。

以前ブログでも書きました。
歯の治療中

若い女医さんです。

現在も週一回のペースでお世話になっている。
入れ歯にする決心もこの女医さんのアドバイスに納得してのこと。


その先生から今日、12月末で故郷に戻り歯科医を続けることになりました。と、告げられた。

それは、困ったわ。どこにいかれるんですか?
うん〜、大分ではさすがに追っかけて行けませんね。('◇'*)



そして、少しおしゃべり。
数ヶ月前までは夫もお世話になっていた。

運転できない私は、今も毎回夫の運転で歯科に行き、夫の待つ車に乗って帰ってくる。
数ヶ月前は二人一緒の時間帯が有りがたく。
夫婦二人して待合室で順番を待っていた。

その時の様子を見ていて、いいご夫婦だなと思っていました。
と、仰る。
あらぁそうですか?

今、夫は今、帯状疱疹がでていて痛がっています。(笑)

先生
お忙しかったんでしょう?

私、
多分ストレスも。

先生
優しそうなご主人ですもの。激しく言い返すなんてなさらないでしょう。?

私、
ハイ、私からのストレスにも我慢強く絶えてます。(笑)


先生
あんな夫婦になりたいと思いました。



待合室ではお互いに黙っておとなしく持参した本を読んでいた。

一度、私を待つ間、近くを散歩したいと思ったらしく受付の女性に、置いて行っていいですかね。と聞くと、受付の女性が、私なら淋しい思います。と答えたので散歩には行かずに待った。と夫から聞いたことがあった。

夫は女性はそんなもんなのかと思ったらしい。


その顔が微笑ましかったのかもしれない。



一生お世話になるつもりでいたのに・・・。もうやだ〜(悲しい顔)


きめ細かな治療とやさしさありがとうございました。

きっとお幸せなご結婚なさってくださいね。
posted by win-manma at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2015年12月07日

夫はカツ丼好き

家で夫婦で仕事をしていると、お昼の献立に困ることが多い。

夫はコッテリしたものが好き。
すき焼きとか、ミートソーススパゲッティとか、カツ丼とか、天丼とか、ハンバーグ等

私はサッパリ系だ。
寿司、素麺、雑炊、和風スパ、うどん等


お昼はすき焼き以外のこれらをとっかえひっかえしている。

トンカツが食べたいという時は夫はフランチャイズ店で、私はスーパーの寿司盛り合わせになる。

フランチャイズのトンカツの安さには驚く。
どんな豚肉使うんだろうと怖くなる。

それでもそこそこ美味しいらしく、夫は喜んで買いに行く。
先日かつやのトンカツが不味かったらしく、怒っていた。


「もうあそこのトンカツは止めた!」
今度はかつ味亭のトンカツにしみようと、希望的眼差しでチラシを見ていた。

そして、今日

そのかつ味亭のトンカツを買ってきた。





酷かったそうだ。
食べられない!、豚肉じゃない!、すり身のようだけど!、ブタか?

初めてだ。
トンカツ部分を棄てていた。こんなことをする人じゃない。

気持ち悪かったらしい。



ハンバーガーのマックが少しずつ閉店していると新聞に出ていた。
中国で作られるチキンナゲットのビデオを見て客離れが進んでいるのだろう。

昔からの文化として、日本人は清潔に暮らす習慣が有る。
海や山の風を肌で感じ、恩恵を受けてきた日本人は清浄を愛する国民なのだ。

汚い物は肌で感じて選り分ける体質を持っている。


その感覚を知らないマックの外国人経営者には理解しがたいかもしれない。

でも、日本人もそんな清浄の気風が薄れてきているのかもしれないと、ヘンなトンカツを見て思った。
カツ丼って日本の料理でしょう?売ってるの日本人でしょう?たらーっ(汗)


posted by win-manma at 16:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2015年12月03日

せっかちの器用貧乏

せっかちの器用貧乏。

私のことである。

最近、気付いた自分の性格。がく〜(落胆した顔)


なんでもエイヤーの勢いで一気に片付けようとする。
書道では勢いがあって宜しいと言われるが、勢いだけでは“よい書”にはならないと最近思う。
編物でも1日で完成させたいから大作に挑まない。せいぜい太い針で編むマフラー程度。


昔から、なんでもチャチャチャと終わらせたがる。
丁寧にじっくり取り組もうとは端(はな)から考えない。

料理でも掃除でも仕事でも。

手先が器用なのでそれが出来てしまう。
不器用なら、じっくし時間を掛けて丁寧に作り上げていける。
しかし、なまじっか器用だと適当でもそこそこの出来栄えになるからいけない。


何故そんな風に育ってしまったのだろうと、ふと思った。
子供の頃、習字と算盤のお稽古に通っていた。
算盤はスピードを競う。
急いで正解を出さなければならない。
もうこれは訓練以外の何ものでもない。
この訓練で急ぐ癖がついた。


きっと子供の頃のこの練習が性格形成に及んだんだexclamation

もっとオットリとした優しい性格に育ちたかった。(・・。)


その道の達人や熟練の職人は器用ではダメだ、不器用な方がイイと聞いたことがある。
不器用を克服して鍛錬して失敗を繰り返して技は磨かれていくのだと。


そこそこ出来ても人並みなのが器用貧乏の行き着く先なのだ。そこが到達点なのだ。
愚鈍で情けなくてもいいから、大器晩成の種を持って生まれたかったな。


そういえば、クロス刺繍だけは何日も掛けて完成させていた。
丁寧に一針一針、糸の揃いを気にしながら刺していた。
一気呵成に挑まない心地よさ。


今更大器晩成にはなれないけれど、ゆったりのんびり生きたいと思いはじめているのかもしれない。
posted by win-manma at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし