2016年02月29日

入れ歯デビューv(。・・。)イエッ♪

とうとう入れ歯デビューした。v(。・・。)イエッ♪

スマートデンチャーという。
特殊プラスチックで出来ており、歯と歯茎を抱え込む構造の義歯。


保険適用外であるため躊躇ったが、装着感がとても良いようですと言う医師のおススメでこれにした。


そのスマートデンチャー義歯がようやく出来てきて今日生まれて初めて入れ歯を装着。

なるほど、
水分吸収を抑えた特殊プラスチックを実感。
とても硬そうなのにツルツルの表面が舌に心地イイ。

硬い特殊プラスチックのバネは自分の歯に当たっている部分(歯を掴んでいる部分)に全く違和感がない。
締め付け感がほとんどない。ただ歯茎だけしかない部分は噛むと押されている感がある。

難を言えば、プラスッチク部分が厚めである。
強度を持たせるにはこれくらいは仕方ないが、薄くすることも出来ますと言われた。
薄くすれば破損のおそれが大きくなるのだろうと思う。


取り外す時は歯の上に当たっているプラスチック部分を引っ張って少し浮かせてグッと引き剥がす。
器用な要領がいるなと思った。



どのくらいの力で割れますか?と質問してみた。

実は私は指先の力が強い。
((電気製品などを指で壊したことが何度かあるのだ。(笑)))

先生は、エッとちょっと驚いて、???。

強度はどのくらいだろうと思って、と言うと。

あー(;´▽`A``
相当な力が掛かっても大丈夫です。僕が力いっぱい曲げても簡単には曲がりません。

これでひと安心。
10万円もするのだから、簡単に壊れちゃ困るのだ。(・・;)



右上奥歯三本が無くなった状態が長く続いたため、もうそれに慣れていた。

ただ、歯を噛み締める相手がいない下の歯と右の上顎が抜けている感は何らかの影響をどこかに及ぼすのかもしれないという不安はあった。


人間、噛みあわせは大事なのだ。
噛み合わせが悪いと身体全体のバランスが悪くなると聞いている。

如いては頭痛や耳鳴りや腰痛・肩凝り、膝、関節の痛み、内臓の歪みとなるらしい。


だから時間とお金を掛けて修繕してもらった。


医師に型取の段階でチタンを組み込むともっと良い物が出来ますよ言われたが、
値段を聞くのも怖くて・・・。(^^ゞ
イエイエ、これでじゅうぶんですと答えてしまった。

なるほど、付けてみて思ったが、チタンを使うとプラスチックに厚みを持たせなくても強度が保てるということなのだと理解できた。


お金持ちの方は、金かチタンで金属床付がおススメかもしれません。




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2016年02月27日

司馬遼太郎著 世に棲む日々

葉室 燐 著「春風伝」を読んで何か違うと感じ、司馬遼太郎さんの「世に棲む日々」を読みたいと強く思った。

春風伝は高杉晋作の名を語ったストーリーつまり物語の筋書きだと思えたのだ。
時代や場所や登場人物は幕末の長州や京都や上海なのに高杉が魅力的じゃない。

司馬さんならもっと高杉晋作をしっかり掴んで迫っているはずだと思った。

世に棲む日々は前半は吉田松陰の話である。
司馬さんは著書の中で松陰を好まないことに触れていらっしゃる。
松陰を避けては晋作を語れないから書くしかなかった、らしい。

司馬さんの小説の魅力は、人物の明るさにあると私は思っている。
快活でエネルギッシュで底抜けに明るい。

確かに松陰は命を掛けて密航してまでも己の思いを遂げたいと欲する情熱の凄まじさはある。
エネルギッシュで前向きではある、が大らかさに欠ける印象を受ける。

それも個性であり、魅力といえば魅力なのだが、私はこのタイプが苦手だ。

山鹿流兵学師範の家として徹底した英才教育で育てられ、あらゆる思想や情報を収集し、それを煮詰めて我が物とし幕末の尊王の思想を作り上げた。
これを聞いた松下村塾の若者たちは目が覚める思いだったに違いないだろうと思う。

しかし

若者ではない私は、その人物を大ききく捉えた中に偏狭という部分がチラッとでも見えると、底が見えてしまったような気になる変な癖がある。前半の松陰の部分を読んでいてそう感じてしまった。


松下村塾に集まる若者達は決して松陰を偏狭などとは思っていないと思う。
とてつもなく大きな存在だと思ったとおもう。

司馬さんは戦前、軍が天皇を奉るやり方に松陰を利用したから好んで取上げようとしなかったと書いておられる。

が、

それよりも、私にはこの世に在るわが身の命の捉え方の違いを感じておられたのではないだろうかと思えた。

高杉や竜馬の自分の命に対するフットワークの軽さが松陰には感じられなかったのではないか。

武士には死に花さかせて命を輝かせる思想がある。
戦国ではなくあの時代の武士でも生への執着は薄い。
天命を、命の終わりをあっさり受け入れる明るさがある。肝っ玉の太さがある。
しかし、
松陰には己の死を計算してそこに賭ける小賢しさがあったのではないか。
命を思案で弄ぶ傲慢さがあったのではないか。


竜馬や高杉にはそれがない、戦いの日々の途中で命を落とすのである。
そして、本人達がそれを悔やんでいない。
この世でひと暴れしてあの世に去ってゆくだけのこと。
あー面白かった。(*゚▽゚)ノ 
「おもしろき事もなき世をおもしろく・・・」晋作辞世の詩





松陰は死ぬべき時を間違ったんじゃなか?
死に急いだんじゃないか?
命は天に委ねて、もっと大らかに生きてほしかったな。

命は思案の外に在るものじゃない?



読みながら天命を全うするということの意味や意義に思いを馳せた2週間だった。



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2016年02月16日

バイクにヘルメット

先週、信号待ちの交差点

車で赤信号で止まっていた。

本線の国道から赤い深いシールドタイプヘルメットのおばちゃんが斜めにかっこよく滑り込んできた。
(シールドとは顔を覆う透明の防護マスクのことらしい(?))

結構スピードが出ている。


おー、かっこういい!!!
と思いつつ、お顔が見えてびっくり。


どう見ても老婆だった。


寒風の中、真剣な面持ちで颯爽とカーブを力強く走ってきた。


あのお婆さん、気が強いんだろうな。
きっと頑固なんだろうな。
力も強いんだろうな。(;´▽`A``

格好いいモン。exclamation×2


ほんの一瞬すれ違っただけなのに勇気もらった気がした。

格好イイっていいよ、やっぱり美しいよ。楽しいよ。


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2016年02月15日

締め出された!

締め出しを喰らった。(@Д@; アセアセ・・・ブルブル

外気温度6℃ 朝は小雪が舞っていた。


少し日が照ってきたのでベランダに洗濯物を出していたところ、夫が銀行に行ってくるねとベランダに顔を出して出て行った。


まさかその時ベランダの鍵を掛けてしまっていたとは。がく〜(落胆した顔)



置き去りにされたベランダで下を見下ろすと、夫の車がスーと走って出て行く。
4階から叫んでも聞こえるはずも無く(50cmの距離でも聞き取れないこともある老人性難聴なのだ(_ _。)・・・シュン)
黙って見送る。


泣きたくなる。もうやだ〜(悲しい顔)
子供なら泣くだろうなと思いながら、じっと帰りを待つ。
段々寒くなってきた。
植物の花ガラを取ったり、先月の雪でやられたアロエを引っ張り出して点検したり、足踏みしたり、、、、


チョッと銀行へ程度だから30分から1時間程で帰ってくるが、これが一日中となると身体が悪くなることは間違いない。
今日でも風邪をひく可能性は高い。
お隣は日中は居ない、更にその先は分からないがイザとなったら、境界のボードを破って助けを求めるしかないなと思案していたら、帰ってきた。


さすがにヘラヘラと笑いながらも済まなかったという顔をしている。

この男、こんな時にへらへら笑うのである。(-д-`*)

そして、次に昼飯は?と言う。


勿論、作るはず無いじゃないか exclamation



インスタントラーメンを作って食べていた。




しかし、

鍵を掛ける癖は私もある。
戸を締めるとき必ず無意識に鍵に手が行く。
玄関ドアも同じで、バタンと閉まったと同時に鍵に指が行く。


次は私がやってしまう可能性はある。


子供が小さいと子供に締め出されることがあると聞いたことがある。
小さい子供の場合、鍵の開け方が分からなくて、携帯も使えなくて、助けの呼びようが無くて困るらしい。
携帯は必ず肌身離さず持っていなければならないらしい。


老人も携帯を肌身離さず持たなければいけないかもしれない。
しかし、そうなるとあれは重い。


スマホの補助機としてメール機能だけでいいから軽くて首に掛けられるような物、おまけに付けてくれないものだろうか。


<(_ _*)> よろしくお願いします。
posted by win-manma at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2016年02月10日

甘利さん辞任ですか

頑張って苦労してやっとTPPがなんとかなったのに

1千万程度の賄賂なんてことで辞任なんて悔しいだろうなと思う。

普通の人が単純に損得感情で考えたって、角栄さんみたいに数億というのなら貰ったかもしれないと思いますが、
1千万程度でTPPの栄誉と苦労を水の泡にはしないでしょう。

正直「まぁ気の毒に」と誰でも思うと思います。



今、司馬遼太郎さんの「世に棲む日日」を読んでいる。
吉田松陰と高杉晋作について書いてある。
黒船来航のころの情勢が松陰を通して表されている。

国が大きく変ろうとするとき、
人々が右往左往するその時、今何をしなければならないのか、この先どのような状況に陥るのかをイメージできる人物というのは少ない。

多くの人はイメージできる人に着いていけば遅れをとらずに済むと思い、同時に感化されその情熱に感染する。
松陰が国の危機を感じ、打開策をイメージし、松陰の熱に晋作や玄瑞達が感染した。
こうして江戸時代を突き崩し、明治の時代を迎える原動力になった。


TPPで産業界は大きく変るのだろうなという予感はあるが、残念ながらだからこうした方がイイというイメージは全く湧かない。
私には知識が無いのだ。産業構造から学ばなければ今後の展開など思うに及ばない。

それを熟知してTPP交渉を出来る限り有利に進め締結に至った。というのは凄いことだと思う。
今後は具体的に経済・財政・産業に及ぼす利益、不利益を語ってもらえるものと期待していたのに残念なことになった。


人の足を引っ張るというのは社会という集合体にあっては仕方のないことではある。
ゆえに、松陰も久坂も晋作(病死)も竜馬も若くして死んでいる。


甘利さん辞任後の自民党支持率が上がっているらしい。


世間も棄てたモンじゃないようだ。



posted by win-manma at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2016年02月08日

カシミアのセーター

20数年前に買ったカシミアのセーターに穴が開いた。

寒くなるとこれこれ!これが有ったと嬉しくなる。


白のモヘアのカーゼのようなセーター。

軽くてインナーとしててとも重宝していた(る)。
毎日着ていた(る)。

娘が大学の頃は娘が着ていた。
卒業した時、取り返した。(ง •̀_•́)ง

先日、袖を通していて指が袖口でつっかえた。
その時、糸が1本切れた。



冬の間普段着に毎日着ても、肘が薄くなることも、縮むことも、毛玉だらけになることも無い。
不思議なセーターだと思っていた。


まだ黒崎にそごうがあったころ、SCAPAのバーゲンで買った。
このブランドが好きでバーゲンになるのを心待ちにしていた。


修繕できるかもと思い、糸を引っ張ってみたら直ぐに切れた。





そういえば子供の頃、母は編物を得意としていた。
古い糸を「湯のし」してふっくら再生して編んでいた。

湯のしの臭いが好きだった。
ウールがふっくらになるのも好きだった。


ふっくらになった毛糸を引っ張ると途中で切れる部分がある。
切れた糸をつないで長い糸にして編んでいた。
あの頃、リサイクルは当然だった。



そうかこのセーターはあの“湯のし”の糸のように全体的に弱っているんだな。




編み直しでセーターなどをほどく(糸に戻す)時の、あのスルスルブツブツの感触も楽しかった。
“湯のし”は編んで波型になった糸を真っ直ぐに直す為にしていたのだった。


ほどいていて、引っかかってブツブツ切れてしまう物はもう無理だねと廃棄処分されてた。


このカシミアのセーターももう廃棄処分の状態なんだろうな。


淋しいな。


そんな事を思いながら、穴を他の糸でかがって

今日も着ている。v(。・・。)イエッィ♪




posted by win-manma at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2016年02月04日

「誰も見舞いにも来ない、死んでも引き取らない、火葬場へ直行、だったらしいよ ( #` ¬´#) ノ!」

先日、肉屋の店先で聞いた噂話。
知り合いのお婆さんの話しらしく、とても同情し「なんと酷い子供なんだろうね」と憤慨していた。

が、そんな話を聞くたびに私は思う。

子供には子供の言い分があるんじゃないだろうかと。

親なんだから当然の事をしただけじゃないか、生んでくれて迷惑だわ。
あんたの子に生まれて私は不幸せだよ。
生んだ以上育てる義務があるんだから仕方ないね。
育ったよ。
もういいでしょう?
勝手に生きていくから、あんたも勝手にしたらいい。

ドラマか小説の話しのようだが、現実にあるんだなぁと心が寒くなった。




私はなぜ親の最後を看取ろうと思ったのだろう。
母がもうすぐ死ぬと医者から言われた時、泣けて困った。
別れが辛いとか、死なれたら心細いとか、これから私はどうしようとか思ったわけではなかった。



私は母に可愛がられた記憶が一度も無い。
三人姉弟の一番上で、こましゃくれた娘だった私は可愛げが無かった。
親を理詰めで言い負かす私を憎憎しく思っていたようだった。
それが母の言葉の端はしに表れていた。
益々、可愛げのない娘に私は育っていった。

大人になると母は私を頼るようになっていった。
愚痴をこぼし、淋しくなると長電話を掛けてきた。
私の機嫌が悪いとプリプリ怒り、翌日にはケロリとしてまだ電話を掛けてきた。
母に似たのか私は薄情だ。
私の薄情は気が強いぶん容赦が無い。
それを知っている母は、必ず自分から折れた。

仲は悪くてもお互いに好きではなくても親子の絆は結ばれていた。
切っても切れない絆を私は感じていた。



母は孫への出費を惜しまなかった。

娘(孫)のお宮参りの着物だ、雛人形だ、七五三の衣装だ、ランドセルだ・・・全て当然のように親に頼った。


母は親子の絆を信じ、その努力だけはしていたのだ。と今思う。


だから

もう死ぬという時、泣けたのだ。

好き嫌いではないのだ。


葬式も出してやらず、火葬場に直行した親不孝な子を他人がとやかく言えないと私は思う。

親子の絆を断ち切る何かがあった。


喧嘩しようが、呆れ果てようが、迷惑を掛けられようが、その絆を断ち切ることはなかなか出来るものではない。


死んでも知らん顔をされる親とは。


親が死んでも泣けない子とは。



いったい何があったの。何をしたの。
posted by win-manma at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2016年02月02日

鑑定団

長寿番組の「なんでも鑑定団」

この番組の骨董陶器の説明は、乏しい私の陶芸知識に多くの知識を与えてくれた。

趣味が高じてネットで作家物の陶器や人形作品を売っている。

陶芸作家さんとのお話が楽しくて、作品が魅力的で売ることよりもご紹介ページを作ることの方が楽しい。
このショップ経営は趣味と実益が叶っているのだが、大して売れていないので儲かってはいない。(汗)


もともと美術品が好きで、旅に出れば美術館めぐりを楽しみにしている。

価値ある物の審美眼を養うにはやはり本物を見てその空気観を味わうのが確かだ。
本物(定義は定かではないが)にはその周りに佇む静寂と凛とした美しさがあると感じる。それが好きなのだ。





鑑定団は始まった当初から見ている。


鑑定団を見ていてもテレビ画面からはその空気感までは伝わってこない。
それでも、解説を見ていてなるほどなぁと思うことは多い。

あの番組を作るにあたっては、放送局の企画で侃侃諤諤の話し合いがなされたことだろうなと推察する。

鑑定士なる人たちの存在をそれまで私は知らなかった。

宝石の鑑定士とか不動産鑑定士というのは聞いたことがあった。
美術品に関しては学芸員や大学教授の鑑定による物だとばかり思っていた。


しかし、昔から日本には骨董屋というのがあって、現在それらの店を持つには免許が要る。


物の鑑定書を発行した人物では、古くは安土桃山・江戸前期のころの本阿弥光悦が有名だ。
その本物を見極める眼力の流れをくむ者が、骨董商の旦那や古美術鑑定人ということになるのだろうと推察している。


鑑定団には、蔵や納戸や床の間、いつからか我が家にずっと飾られていた絵画や置物、等々。
番組に登場する作品にはいわく因縁がくっ付いている。

それらを鑑定するのは番組レギュラーの鑑定士たち。
番組が20数年も続いてきたということは、この鑑定士達がいい加減ではなかったということなのだと思う。

たぶん相当なエネルギーを注いできたことは想像に難くない。
人気番組でいい加減な事を言えば世間に完膚なきまでに叩かれる。
人の足を引っ張る事を楽しみに生きているような人はあの世界には数多いるはずだ。
番組を無きものにしよう、あの鑑定士の自信満々の顔の泣きっ面が見たいと思う人はきっといる。

番組のクオリティーを維持することを担ったのは誰だったのだろう。




島田紳助さんと石坂浩二さん、アシスタントの吉田さん。
普通アシスタントは若さにこだわりコロコロ入れ替わるのに、頼りない感じだが出しゃばらない吉田さんが降板しないのもあの番組らしい味になった。


応募者の面白さを引き出す紳助さんと、鑑定の確かさを石坂さんの博識と人脈でカバーした両者のバランスがよく調和した番組構成だったのだろうと思うのだが、どうだろう。



3月で石坂浩二さんとアシスタントの吉田さんが降板して、新装オープンになるらしい。


よほどしっかりした鑑定が出来なければ見応えは無い。

長く楽しめたのに。残念だ。(-д-`*)


posted by win-manma at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし