今年3月になみだ目で困った。さてどうしたものか?と、ブログに書いた。
それから3ヵ月過ぎて、益々酷くなり、涙が止まらなくなった。
寝ている間は出ないのだが、テレビを見ていたりすると左目だけタラタラと流れる。
段々うっとうしくなってきた。
ハンカチで目頭・目尻を押さえて涙を吸い取らなければならない。
これは老化現象だから仕方ないと諦めるレベルじゃないと思い始め、医者に頼るしかないかイヤだなぁと思いつつ観念した。
遠近両用コンタクトを買った眼科にはその後も何度か行った。
行くと必ずレンズ売り場の上にある眼科で視力・眼圧・眼底・視野・画像その他の検査と診察をされ、異常はないです。このレンズが一番合っていますよ。眼球にも異常は見当たりません。少し白内障の兆候が見えますよ。
と言って、5000円なりのお金を払ってきた。
あそこはどうも見立てが悪いような気がしてきた。
白内障手術で名を馳せた眼科で地元では有名眼科なのだが。(-д-`*)
眼科はコンタクトで行くとどうも扱いがいい加減になる気がするのは私の勘違いだろうか?
以前評判の良い中間市の眼科に行った時も、真っ暗な部屋でピカッと光る、目に閃光が走ると訴えた時も看護師さんが「あ〜ありますよ」と言っただけで取り合ってくれなかった。
私の病院嫌いを相手がキャッチして
「こいつうるさそう(゚ー゚;Aアセアセ」
「うちは深刻な人が来るところなのよ」
「先生を信じて縋りつく態度で来るのが本来の患者の態度なのよ!!」
と思っているのだろうなと拝察できるがこれも勘違い?
多分病院ってそういうところが多いのだろうなと思う。(-"-;)
だから当然のような顔をして治療の必要もない患者から高額の診察や検査費を請求できるんだろうなと思う。
それって変ですよ。
診察の時、目の中覗き込んだでしょう?それで大方の診断付いたでしょう?
検査が必要かどうか分かるでしょう?
う〜ん、チョッと引っ掛かるなぁ、気になるから検査するよ。と言われれば納得して受け、検査費用も気持ちよく払いますよ。
医者に縋(すが)る態度にしても、おかしいでしょ?
ほんとうに縋りつかれたら困るでしょう。
死にそうな人の必死に縋りつく気持ちに対して誠実に応じるのは人としてとても勇気のいることだし難しいことだと思う。それに全力で応えるのが医者の使命なのだ。
だからこそ誠実な医者は尊い。
誰も彼もが縋る態度で来られちゃ誠実な医者なら疲れるよ。(笑)
医者と患者の関係って、必死な思いや命をかけた願いに取り交わされる信頼関係でしょう。
尽力を尽くしましたが至りませんでした。と言われてもあなたが一生懸命に治療してくださったのは分かっています。それでも無理だった。あなたに看取られたなら私は本望ですよ。
と言って自分の命を諦められる。医者とはそういう職業でしょう?
縋ったら助かるなんて宗教じゃないんだから。
医術は科学なんだから、ね。
宗教の教組みたいに思われちゃ迷惑だと思うけれどな?
世の中は得てして縋って見せる低姿勢を装う方が世渡り上手で得をするのかもしれない。
世渡り上手ではない私は、
簡単に治療できるような身体の異常を縋りつくような態度や気持ちでお願いしないと親切にはみてくれないの?と思ってしまう。
末期と診断され、助かりたいと望めばその医者の腕に縋りつき信頼して命を託すことになる。
助かりたいと思わなければ、静かに安らかに命を全うしたいので、どうぞよろしくお願いします。と言い、緩和治療を託す。そこにも命を賭けた医者と患者の信頼関係があり清らかな関係がうまれる。
そこのところだけは分かっていただける話の通じる医師に巡り合いたいものだ。
で、
コンタクトでお世話になった眼科をポイして、近くのそこそこ流行っていそうな眼科に行ってみた。
目の中を機械を挟んで覗き込んでいる眼科医に
年だから仕方ないんでしょう?と聞くと、
年? まだ若いじゃない。年寄りの涙目は70よりもっと上、あと10年は・・・。
目の中に深い傷跡があるね。おや?なんか白い物が刺さってる。スクラブ洗顔とかしてる?小さい石というか鉱物が入ってる石鹸。
いいえ(私)
チョッと待って、(細い綿棒のようなものを持って瞳の上をなぞった)アッ、取れた。
目薬出すからそれ使ってみて。
診察終了。
会計で驚いた。!
初診料含めて1540円
別棟の薬局で目薬2種類620円
ジェネリックだともっと安くなりますがと聞かれたが、アレルギーが出るので丁重にお断りした。
これが町医者の本来の姿でしょう?
患者の側の気持ちや生活を慮って親切に接してくれる。
そこに医者の力量や知識が生かされる信頼関係がうまれる。
おかげさまで、涙の量がピーク時の30%にまで減少した。
目を酷使してしまう今の仕事や生活を改善したいと思いながら出来ずにいる。
あの先生になら、目が疲れてどうしようもない時は「先生、助けてー(;'o')m タスケテ・・!!」と言えそうだ。
2016年07月10日
2016年07月04日
町内会
先ほどお昼の番組で町内会の是非を話していた。
子供が小さい頃、私達も若かった頃、町内会が活発だった。
当然入らなければならないのだと思っていた。
そして町の長老達の指図に従わされながら、お祭り、運動会、、、等のイベントのたびに会合が有り、市政だより配布があり。毎月の町内会費集め公民館建設の寄付金集めなどに駆り出された。
地域の長老が幅を利かせていた時代だった。
(戦時中ほどではないが)
ある時、地域の話し合いに出なければならず仕方なく行き、意見を求められた。
子供が小学生の当時、町の公園はブロック塀と樹木に覆われ通りから遮蔽された場所になっていた。
外から死角になるため、そこで軽犯罪が起っていることが指摘され始め、ブロック撤去と樹木の配置変換などにより犯罪が軽減されるということから、行政による作り直しが検討され始めていた。
意見を求めらたので、この町でも公園の整備をお願いしてはどうだろうかと言ってみた。
長老達の反応は冷ややかだった。
そりゃ、何処の話ね?聞いたことないばい。
それで終わりだった。
また、ある時。
マンション住人が酒乱なのか薬物なのか分からないが、精神的におかしくなり奇声を発して家の中で暴れるようになった。食器棚をや家具を引き倒す凄まじい音が聞こえてくるのだ。
家族は辛かろうと思うが誰も見て見ぬ振りである。
マンションの住人達は寄ると噂話はしても解決に進める算段はつかないようである。
そこで長老である町内会長さんに民生委員さんに話して市の相談窓口を紹介して病院に行かせるなどのアドバイスを差し上げては如何でしょうかと話してみた。
結果はあのマンションにキチガイがいるから気をつけようという噂が広がっただけだった。
そして極めつけは町内の運動会
毎年大々的に行われる行事である。
参加と競技出場をお願いしてまわり、出場者名と弁当の数を集計して上に届ける。
誰も出たがらない。いい年をして恥をかきたくはない。
もちろん体力と運動神経に自信のある人は気軽に受けてくれる。ありがたいものだと思いつつも、「あんたに頼まれてでたところでねぇ」という顔をする人もいる。日頃近所付き合いをなるべく避けているとこんな時に苦労する。
だからこんな役目はごめん蒙りたいと思うのだが日本人としての決まりなら仕方ないと思っていた。
挙句の果てには、弁当で意地悪をされた。
長老に愛想笑いもしない私に対して若造が偉そうにと思っていたのだろう。
弁当を一つ削られていた。
夫の分がない。長老に言うとあー旦那さん要るんやったん!フンと笑った。
腹が立ったので町内会の事を調べた。
入会は強制ではないとある。市政だよりは近くの区役所に行きばもらえる。と書いてある。
高齢者は町内会を辞めたいと仰っていた。
組長さんの役が回ってきてもお役に立てません。もう無理なんですと仰る。
脱会しますといいましょうか?というとたいそう喜んで、そうしてください。ありがとうございます。と感謝された。
ついでに
わたしもこの年度を最後に町内会を抜けた。
地域のコミュティーが大切なことはよく分かる。
災害時に連携して助け合うことは重要である。
しかし、私は思う。
震災で避難住民がテレビに映し出されるたびに全員にちゃんと弁当は配られているだろうか。
お宅の旦那さんも要るんやったんと言う人はいないだろうか。
この長老を頼っていて大丈夫だろうか?
こんな思いをするくらいなら公園で車中泊したほうがいい。と私はきっと思う。
我家はマンション住まいである。
いざとなれば、町内会よりマンションの理事会のほうが頼りになると思っている。
親切な優しさを発揮する町内会のイメージを持っていただけに、人の世の世知辛さになんとも耐えられなかった。
番組でも最後は時代に合った町内会の有り方を求めますねとなった。
子供が小さい頃、私達も若かった頃、町内会が活発だった。
当然入らなければならないのだと思っていた。
そして町の長老達の指図に従わされながら、お祭り、運動会、、、等のイベントのたびに会合が有り、市政だより配布があり。毎月の町内会費集め公民館建設の寄付金集めなどに駆り出された。
地域の長老が幅を利かせていた時代だった。
(戦時中ほどではないが)
ある時、地域の話し合いに出なければならず仕方なく行き、意見を求められた。
子供が小学生の当時、町の公園はブロック塀と樹木に覆われ通りから遮蔽された場所になっていた。
外から死角になるため、そこで軽犯罪が起っていることが指摘され始め、ブロック撤去と樹木の配置変換などにより犯罪が軽減されるということから、行政による作り直しが検討され始めていた。
意見を求めらたので、この町でも公園の整備をお願いしてはどうだろうかと言ってみた。
長老達の反応は冷ややかだった。
そりゃ、何処の話ね?聞いたことないばい。
それで終わりだった。
また、ある時。
マンション住人が酒乱なのか薬物なのか分からないが、精神的におかしくなり奇声を発して家の中で暴れるようになった。食器棚をや家具を引き倒す凄まじい音が聞こえてくるのだ。
家族は辛かろうと思うが誰も見て見ぬ振りである。
マンションの住人達は寄ると噂話はしても解決に進める算段はつかないようである。
そこで長老である町内会長さんに民生委員さんに話して市の相談窓口を紹介して病院に行かせるなどのアドバイスを差し上げては如何でしょうかと話してみた。
結果はあのマンションにキチガイがいるから気をつけようという噂が広がっただけだった。
そして極めつけは町内の運動会
毎年大々的に行われる行事である。
参加と競技出場をお願いしてまわり、出場者名と弁当の数を集計して上に届ける。
誰も出たがらない。いい年をして恥をかきたくはない。
もちろん体力と運動神経に自信のある人は気軽に受けてくれる。ありがたいものだと思いつつも、「あんたに頼まれてでたところでねぇ」という顔をする人もいる。日頃近所付き合いをなるべく避けているとこんな時に苦労する。
だからこんな役目はごめん蒙りたいと思うのだが日本人としての決まりなら仕方ないと思っていた。
挙句の果てには、弁当で意地悪をされた。
長老に愛想笑いもしない私に対して若造が偉そうにと思っていたのだろう。
弁当を一つ削られていた。
夫の分がない。長老に言うとあー旦那さん要るんやったん!フンと笑った。
腹が立ったので町内会の事を調べた。
入会は強制ではないとある。市政だよりは近くの区役所に行きばもらえる。と書いてある。
高齢者は町内会を辞めたいと仰っていた。
組長さんの役が回ってきてもお役に立てません。もう無理なんですと仰る。
脱会しますといいましょうか?というとたいそう喜んで、そうしてください。ありがとうございます。と感謝された。
ついでに
わたしもこの年度を最後に町内会を抜けた。
地域のコミュティーが大切なことはよく分かる。
災害時に連携して助け合うことは重要である。
しかし、私は思う。
震災で避難住民がテレビに映し出されるたびに全員にちゃんと弁当は配られているだろうか。
お宅の旦那さんも要るんやったんと言う人はいないだろうか。
この長老を頼っていて大丈夫だろうか?
こんな思いをするくらいなら公園で車中泊したほうがいい。と私はきっと思う。
我家はマンション住まいである。
いざとなれば、町内会よりマンションの理事会のほうが頼りになると思っている。
親切な優しさを発揮する町内会のイメージを持っていただけに、人の世の世知辛さになんとも耐えられなかった。
番組でも最後は時代に合った町内会の有り方を求めますねとなった。
2016年07月02日
DC扇風機2
前回からのつづきです。
ようやく心地よい眠りが得られるようになりました。
扇風機が進化を遂げていた。
モーターを使ってプロペラを回し風を起こす。
風が起きればそれで用途は完結したように思われたのか、長年デザインだけがオシャレになっていっただけだった。
子供の頃から扇風機は当然のように家にあった。
羽の部分を覆うネットの隙間が昔は大きかった。
これに指を入れて怪我をする事故が増え、父が胡瓜を回る扇風機に入れて粉々になる様子を見せて「お前達の指もこのようにぐちゃぐちゃになるのだから決して指を入れてはいけない」と真剣に注意された。
しかし、プロペラの中心部分がツルツルのとんがり帽子のような形の金属で出来ており、美しく、指を入れて力づくで止めるのが面白かった、またあーと声をだすと風に寸断されてあ・あ・あ・あとなるのも面白く、よく扇風機で遊んでいた。
気の効いた玩具もゲームも無い時代、恰好の遊び道具だったのだ。
扇風機はそんな楽しみを少しずつ削り、単なる家電になっていった。
羽の部分は子供の指が入らないように覆われ、金属部分がプラスチックになり、デザイン的にも優美な曲線の美しさから離れていった。
私は長年扇風機には美しさを求めていた。(笑)
存在感を主張する物ではない、しかし奥ゆかしくそこに在って優しい風を送ってもらいたい。
団扇に優美な絵画が似合うように。
扇風機は機械としての高性能を感じさせる姿で部屋の隅に静かに在ってほしい。そう思っていた。
12000円の扇風機ではあるが、ようやく好きな家電に出会えた気がしている。
佳かった好かった。
ようやく心地よい眠りが得られるようになりました。
扇風機が進化を遂げていた。
モーターを使ってプロペラを回し風を起こす。
風が起きればそれで用途は完結したように思われたのか、長年デザインだけがオシャレになっていっただけだった。
子供の頃から扇風機は当然のように家にあった。
羽の部分を覆うネットの隙間が昔は大きかった。
これに指を入れて怪我をする事故が増え、父が胡瓜を回る扇風機に入れて粉々になる様子を見せて「お前達の指もこのようにぐちゃぐちゃになるのだから決して指を入れてはいけない」と真剣に注意された。
しかし、プロペラの中心部分がツルツルのとんがり帽子のような形の金属で出来ており、美しく、指を入れて力づくで止めるのが面白かった、またあーと声をだすと風に寸断されてあ・あ・あ・あとなるのも面白く、よく扇風機で遊んでいた。
気の効いた玩具もゲームも無い時代、恰好の遊び道具だったのだ。
扇風機はそんな楽しみを少しずつ削り、単なる家電になっていった。
羽の部分は子供の指が入らないように覆われ、金属部分がプラスチックになり、デザイン的にも優美な曲線の美しさから離れていった。
私は長年扇風機には美しさを求めていた。(笑)
存在感を主張する物ではない、しかし奥ゆかしくそこに在って優しい風を送ってもらいたい。
団扇に優美な絵画が似合うように。
扇風機は機械としての高性能を感じさせる姿で部屋の隅に静かに在ってほしい。そう思っていた。
12000円の扇風機ではあるが、ようやく好きな家電に出会えた気がしている。
佳かった好かった。