2017年03月29日

新聞

朝日新聞の販売店との付き合いが30数年になる。
前半は朝日新聞を後半は日本経済新聞を読んでいた。

結婚と同時に取りはじめ、取り扱いはどちらも朝日の販売店であったため長い付き合いになった。


先月その新聞を止めた。

日経に読みたい記事が載っていないことに気付いたのだ。
大きい文字の見出しだけザッと見て世情の流れを掴むだけで月々5000円弱の出費は勿体無いではないか!。

真面目に読むのはテレビ欄と連載小説、私の履歴書、交遊録。
楽しみなのが週間誌の中刷りでは馬鹿げている。

読みたい記事をどんなふうに探せばいいのかよく考える必要があるなと思った。


若い人たちが新聞を取らないと聞いて久しい。
娘のところでも新聞は取っていない。

朝、新聞をマンション1Fの郵便受けまで取りに行くのが面倒だ。
出勤前にゆっくり新聞を読む時間がない。
ニュースならスマホに瞬時に送られてくる。
面白そうな興味をひく記事も携帯サイトには、あふれるほど載っている。


新聞をやめて一ヶ月、PCやスマホでニュースを読んでみた。
最初は当然のごとくyahooのトップページに並んでいる記事を読んだ。
ここには色々なところから出ている記事が並んでいる。
注目を集めた記事が上位に並んでいるらしい。
今話題になっている記事が分かるので情報としてはありがたい。
が、
出版元のポリシーというか主張というか、そう社説に当たる核が無いため統一性に欠けるのは当然といえば当然だ。
yahooは出版元ではない。記事を集めてくれているだけなのだから、選ぶ基準も注目度であって、yahooの主観的選択ではない。



もっと深みがある、なるほどと思える記事が欲しい。

そんな不満を感じつつ、yahooのニュースや色々な論説を読んでいて東洋経済という出版社が出しているサイトに行き着いた。
会社四季報などを出している出版社で経済畑の出版社だ。

昨日このサイトのキャリア・教育欄の親野智可等さん著「『しつけ第一』で子どもをスポイルする親たち一番大切な「基本的信頼感」が育たない」が気になって読んだ。

そうなのよ。叱り方や怒り方が分からないで間違ってしまう親が多いのよね。
なんて共感したり感心したりしてしまった。(笑)



今日は
『考えが「浅い」と言われる人が知らない思考法 ひらめきが起きる人は「幅・深さ・角度」がある
なるほど、人材育成コンサルタントというのはスゴイなぁと感心させられた。

考えが浅いと自分を評価したことはなかったが、こんな風に分析されると、私は思考に角度が加わらない為に発想の豊かさに乏しく面白みが無いのだと分かった。



このような記事は新聞には載せにくい。
ネットならではの新たな情報源だ。専門家が教えてくれる新たな知識や発想は興味深くありがたい。



が、新聞の魅力の一つでもある一見無駄そうに見えるゆるい記事をどこかで求めてしまう。

新聞に求めるものは、世の中の動きと真実と平和的こころ和む記事だ。



新聞社や記者の主観的意見ではなく、客観的意見も公平に知らしめてほしい。
もう世論を代表するように見せていながら、実は世論を誘引誘導している見え透いた記事をありがたく読む気にはなれない。



左右どちらにも偏らない家庭欄が主体で経済や政治が少しだけみたいな新聞があれば良いのに。(笑)



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2017年03月13日

眠れない

眠れなくても気にしなければいいのよ、と能天気なことを言っていたのだが
段々酷くなり気にしないわけにはいかなくなってきた。


明け方までうつらうつらとしたような気がするが眠った自覚が無い。

寝る前の読書がいけないのか頭が冴えてしまうので眠気がこない。推理小説は特にいけない先が気になっておちおち寝ていられない。(笑)
しかし、目はショボショボして霞んでくるので読書を続けるのは諦めるが、頭だけ冴えて眠れない。


そのうちに足がムズムズしてきた。
表面近くがヒリヒリムズムズして気持ち悪い。


そんな日がつづき、googleってみたら、栄養剤が効果的ですよというサイトに行き当たった。


そうだ最近はアレルギー皮膚炎も酷くなってきたのだった。
絆創膏を貼っただけで見当違いの所に湿疹が出て治らない。
絆創膏の跡が痒くなったり赤くなるのなら分かるが、肩に湿疹が出てもまさか絆創膏が原因だとは思わない。
今まで使っていたクレンジングにも負けた。
なんとお尻に湿疹が出て治らない、もしかしてと使用をやめると徐々に治っっていく。

そこで同じような体験談をネットで探すと、マルチビタミンが良いですよ。というのがあった。

アレルギーも体力が落ちると出やすくなる。とそのサイトに書いてあった

なるほどそうか、栄養の吸収率が落ちてるのかと素直に納得。

足がムズムズして眠れない時はビタミンB群や葉酸がいいらしい。
アレルギーが酷く出る時は脂肪肝の可能性。


やはり眠るにも体力が必要なんだ。


そこでもう一度googleって、マルチビタミン薬を探した。
http://stretchpole-blog.com/supplements-and-drugs-for-fatigue-recovery-9612
 ↑
サプリより信用できそうなのであえて薬

新リバヘルスゴールド(第一三共ヘルスケア)第2類指定医薬品を買ってみた。
コレステロールを下げる効果を期待して。というよりここで紹介された薬の中では一番安上がり。(笑)
※アマゾンで半額です。


私は新陳代謝異常の橋本病ですから、ついつい代謝を助けるとか書かれていると弱いのです。(_ _。)・・・


真面目に毎日飲むタイプではありません。眠れなかった翌日は飲みます。('-'*)エヘ


飲むから眠れるのか、飲んだからと安心して、眠るのか分かりませんが、12時を過ぎると眠くなるようになりました。





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posted by win-manma at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康

2017年03月06日

上か下かで人を見たがる人が書いた本

娘がこんな風に考える人がいるんだねと言って紹介したのが「下に見る人 酒井順子著」

人が集えば必ず生まれる序列に区別、そして差別。自らの"人を下に見てしまう"感覚を吐露し、人間の心の闇に鋭く迫る。なかなか書けないホンネを余すところなく露わにする異色のエッセイ!(内容紹介文)


気持ち悪くない?と聞くと。

ウン!気分悪くなる。でもこんな風に考えるんだと思って参考になった。と言う。


ブログのネタになるかもね。と言うと。そうそうと笑っている。


何故この本は人を不快にするのだろうと思いながら読んだ。

そもそも何故こんな本が出版されるのかということにも疑問が生じた。
怖い物見たさというのは誰にでもあるが、気持ちの悪いものが見たいというのはあまり聞かない。
出版社はある程度売れると踏んだのだろうが、根拠が分からない。

残酷な戦場の写真は見たくはないが、そこから感じる重要なメッセージは在るし、メッセージを確かに受け止め平和への願いと祈りを誘う。



この本の作者は現代の風潮として、ごく一般的に他人を下に見て自分の置かれている位置を確認し安心する人々の習性を吐露し指摘ている。



読んでいると引きずられてどうしても自分はどうだろうと思ってしまう。
彼女の物指しで自分を計ってしまう。
そして気分が悪くなる。
窮屈な服や靴を身に付けさせれられているような、身体を締め付けられているような不快感に見舞われる。

人の身なりや容姿を評価して自分と比較して安心する?或いは焦る?嫉妬する?
なぜ比較しなきゃならないの?
お金持ちか貧乏か、美人かブスか、背が高いか低いか、頭が良いか悪いか、、、、
人と比較して楽しい? それで豊な心持で暮らしていけるの? 幸せになれる?

相手が自分より下だと思うと安心するんだ。へー。なんとも情け無いね〜。
もう少し空気いっぱい吸い込んで晴れ晴れとしたら?と、つい説教したくなる。(笑)



子供の頃他人を羨む事を口にすると父に叱られた。
他人は他人! 自分は自分! プライドを持って生きろ!


自分に自信が持てなかった19歳の時、
自分を好いてやらなきゃダメだよ。自分を愛さなきゃね。誰もアンタを愛しちゃくれないよ。
と教えてくれた大人がいた。

その時、泣きたくなった。
自分に冷たくしてどうする。自分で自分を突き放してどうする。
自分を暖かく包むのは他人ではなく自分なんだ。
基本はそこからなんだ。


「下に見る人」を書いたこの作家が忘れているものが有るとしたら、それは人や社会に対する愛情ではないかと思った。
この人は愛に飢えているの?と考えた。が、いやいやどうもそうではないらしい。


容姿が劣り頭の悪い女を見て安心するという心理はあまりに冷たいし狭い。

容姿が劣っても頭が悪くても、大らかな優しさと明るい心があれば人は幸せになる。

この人は、ただ見下すことの心地良さを訴えている。
上か下かなんて誰も言わないけれど誰でも考えていることだと今更のように言っている。
が、
上か下かなんて人類が集落で生きるようになった大昔からあるのだし、いじめも今に始まったことじゃない。
司馬遼太郎さんの菜の花の沖でも書かれている通り江戸時代でも熾烈なものだったのだ。


部落差別だって戦後十数年後の私が子供の頃まであったし、子供であってもその中に入り遊ばせてもらおうものなら親たちにこっぴどく叱られたのだ。
朝鮮部落というのもあった。小学校の時の教師が侮蔑の目を向けているのを子供の目で見て知っていた。


今は部落解放運動の御かげで隠され、分からなくしてしまったが彼らの血の中からは消せないのではないだろうかと思ったりする。


そして問題は差別される側ではなく、差別する側の血が未だにくすぶっているということだ。
私はあなた達とは違うのよという優越感を棄てられず人を見下していたいという心理が潜在意識の中にある。ということをこの本は示している。

大昔の田舎の賤民意識の強いヒステリックなおばさんみたいに他人を見下してシラーとした顔をしている人がいることに驚いた。



戦後の民主主義教育を受けた少し教養のある人なら、己の薄汚い差別意識はすでに封じている。

どのような生まれや育ちの人であれ、その人の内面やその人となりを見て価値を見出そうとするように導かれて我々は育った。


武士の精神性を誇りに生きた父に育てられた私には確かに血筋を誇りに思う気持ちがある。が、人を見下す卑(いや)しさも同時に教えられた。
むしろ卑しい心を説いてくれたことの方がありがたかったと言える。


人を見る意識とは見る側の人の人間性の表れであろう。



この本は、その人間性の薄さや卑しさに気持ちが悪くなり薄気味悪さを感じるのだなと思った。






あまりに後味が悪いので、向田邦子さんの文庫本「隣の女 (短編集)」を貪るように読んだ。

さすが、向田さん。ハートたち(複数ハート)





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2017年03月02日

アイデンティティ?

アイデンティティとは
自己同一性などと訳される。自分は何者であるか,私がほかならぬこの私であるその核心とは何か,という自己定義がアイデンティティである。何かが変わるとき,変わらないものとして常に前提にされるもの (斉一性,連続性) がその機軸となる。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)


小難しい解説はさて置き。

孫の話である。(笑)

今、娘の所にドイツ留学中に知り合ったドイツ人が来て泊まっている。
会話はほとんどがドイツ語らしい。(゚゚;)エエッ
日本語しか話せない私からするとなんとも羨ましい気がする。外国人とペラペラ喋っている人なんてこの辺じゃ見ませんから。恰好良さげに見える。
が、そうでも無いらしい。

留学したことのある人ならそりゃ話せるでしょうと思いがちだが、生活が出来る程度の言葉はなんとか習得して帰国することになるが、2、3年の外国住まいでネイティブに劣らぬ言葉や思考を習得するなんてことは無理なんだそうだ。
ようするに娘の頭は日本語で出来ていて、ドイツ語はツールでしかない状態。
その片言ドイツ語の母親を見て聞いて、孫が面白い反応を見せているようだ。

この娘の頭と言葉を介して今まさに言語を習得しようとしている孫の混乱ぶりが垣間見えた気がしたので書いてみようと思った次第である。

赤ちゃんは保護者の主に母親の声だけを耳で吸収して言葉を習得するのではなく、その表情を読み取り頭の中の回路も見て習得しているのではないかと私は見ている。


人は自分の脳に詰め込まれた膨大な言葉を使って考えをめぐらせてアイデンティティを確立していく。
あるいは芸術的センスで自分の思いや潜在的意識を形作ったりする。


自己形成において言葉(語彙)はたいへん重要だと私は思っている。
悩みにぶつかった時や苦し心情にある時、その断片的な思いや感情を文章にしてみるとなるほどと思い当たることは多い。
その文章は当然日本語で綴られる。
多くの人が母国語で自分の考えをめぐらせているのである。思考は言語で表現される。

さて
人は何才頃からこの自己構築をはじめているのだろうか

自分の思いを相手に伝える。自分に問いかける。
そのためには言葉は不可欠だ。
その言葉の習得に全身全霊で吸収している時期はかなり早い段階。
乳期時期からだと私は思っている。
いやもっと早くて胎児の頃からかもしれない。

孫はドイツで生を受けた。
妊娠五ヶ月に入ってから日本に来た。

最近、もうすぐ1歳になる孫は私達の会話に参加したがる。
自分でも何か言わなきゃと思うらしく、喃語(なんご)で喋りに参加する。
単語ではなくセンテンスになっていてアクセントは既に習得しているように感じる。

では何故言葉を発しないかというと、分からないのではなく、舌が動かないのだと思う。
まだおっぱいを飲んでいる舌は喋る為の機能が未発達で言葉にならずに喃語になるのではないだろうか。


ドイツからのお客様と過ごす間、孫は何となく違和感を覚えつつもあやされると喜んでいたらしい。

が、

パパが帰宅し、英語で話に介入してきたところで、
カルチャーショックを起こし、泣き出したそうである。(笑)


会話に参加できないその状況が悲しいのではなく、理解不能になったことが悲しい。

疎外感とか、ここは何処?私は誰?みんなどうしたの?私にも分かるように話してよ。
この混乱はなんとも気の毒である。
母親は時々外国人といつもと違う言葉で話しているがその内容やその気持ちはなんとなく分かる。
だからそれほどの混乱はなかった。
しかし、父親の英語は始めて聞いた。アッ!(゚ρ゚;
そして三人が英語とドイツ語で会話している
パパもママもどうしたの?。・゚゚・(>д<;)・゚゚・。 ヒィッ
この話を聞いて、
これは孫はもう言葉を吸収しアイデンティティを築き始めていたということになるのではないか?
と、私は思った。



母国語というのは初期の成長段階において重要なものなのだと思う。
早い段階から他国語を聞かせると言語の習得がスムーズになるように感じるが、そう簡単な話しではなさそうだ。



絵本を読んでやったり、童謡を歌ってやるのは情緒の安定に役立つといわれている。

親が楽しくもないと感じている絵本をイヤイヤ読んでやっても情緒の安定には繋がらない。
絵本の情景を想像しながら読んでやると伝わりやすい。童謡の風景を想像しながら歌ってやると喜ぶ。


先日、ドライブでジブリの曲に飽きた私達は孫を乗せた車で孫の好きそうなアップテンポのジャズを流した。
孫は静かに聞いていた。時々アーとかウーとか声を挟んでいる。
マライア・キャリーを流すと歌に聞き惚れてように見える。
英語の歌でも心情は伝わるようだ。
やはり教え込む事を目的として聞かされても習得するのは難しいのではないだろうかと思う。


赤ちゃんは親の心情を敏感に感じ取っている。心情とともに言葉を受け止めている。
親が頭に描いた絵やイメージと言葉を同時に受け止めているのだろう。


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上の写真は八ヵ月半のころのものである。
親を真似て楽譜を見てピアノの音を出している。

ピアノの音に興味あるのではなく、楽譜を見て弾くことに興味を持ったらしい。
やはり
子供の発達心理学は面白い。o(*^▽^*)o~♪
posted by win-manma at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし