先日娘が、1歳の孫を見ながらお受験なんてイヤだワーと言っていた。
幼児教育=お受験
娘が生まれた時代、30数年前もそうだった。
有名私立小学校に入らせたいと願う親の希望に応えてくれるのが幼児用のお受験塾。
というのが常識になっている。
娘はおしゃべりが早かった、目を輝かせておしゃべりを楽しみ、絵本を読んでくれと持ってきて読むと喜び自分も声に出して読む真似をするような子だった。
その様子が可愛く、また頭をフル回転して言葉を飲み込もうとしている姿にただならぬ気迫を感じ、親子で言葉ゲームやおしゃべりや童謡を歌って活発にすごした。
これは何?あれは何?の頃には面倒がらずに丁寧に教えた。
娘はドンドン言葉を吸収していった。
こちらも工夫を凝らした。難しい言葉には抑揚をつけた。
例えば住所、名前、親の名前、電話番号、をリズムカルに歌うように教えると、スラスラと言える。
名詞、形容詞、接続詞、動詞など言葉の種類に気をつけながら教えた。
漢字をイラスト風に絵にして書いて壁に貼っておくと、これは?と聞いてくる。
教えてやると漢字が読めるようになる。ひらがなはイラストにならないので面白くないらしく覚えなかった。
6月生まれの娘は3歳と10ヶ月で年少組に入った。
担任の先生は50代のベテラン。
アメリカにモンテッソーリ教育を学ぶ為に留学し、帰国したばかりだと仰った。
私のやり方を聞いて、モンッテソーリが合ってるお子さんですね。と仰る。
私もその教育をやってもらいたいと思った。
知的刺激を求めるタイプの子供は常に喉の渇きを訴えるように、頭の渇きを訴える。
常に次に出来ることへの挑戦をしたがる。
だから次に次に何か与えてやらなければと親は思うのだった。
出来ないことへの挑戦がたまらなく楽しい。出来た時の達成感が嬉しい。
そんな子供を見ていると、何の疑いもなく一緒に楽しんでしまう。
それを今度はカリキュラムにそった教育という概念に基いて指導をしてくださる。
願ってもないことだと思った。
娘達のクラスからは誰も私立小学校を希望する人はいなかったが、次の年のクラスからは私立小学校に入る子が出てきた。
そこではじめて有名私立に入るのに都合のいい教育なんだと知った。(笑)
子供が求める知的欲求に応えるため健やかな成長の為にあるのではなく、受験用にあるというのは本末転倒だろう。
このような難しいタイプの幼児教育を楽しまない子に無理やり押し付けるのは成長を阻害する気がする。
幼児期は楽しく暮らしながら成長するんだし、そもそも幼児を教育するなんて捉え方はおかしいのではないか?
環境を与えて、それに乗ってくるならその子にとって合っているのだし、楽しめないなら合わないと判断して別の環境を与えてやらないとかわいそうだ。
そのほうがその子の成長にとって良い結果を出すと思うのだが・・・。
先日テレビで優れていると思われる能力の子供の個性を尊重した教え方をする学校を紹介していた。
その小学校は知識ややり方を教え込むのではなく、能力を引き出し伸びるようにというスタンスに立っていた。
知識欲が強く、積極的に学びたがる子はちょっと異質で、普通の小学校や中学校では浮いてしまう存在になりやすい。
教師がうまく全体に溶け込ませてくれたり、程好く目を掛けて伸ばしてくれるとありがたいが、教師の腕が劣ると潰されてしまう結果になりかねない。
能力があるから伸ばしてみたいと教師が思っても、他の子から見るとエコヒイキに見えるらしく。
クレーム処理に困った様子の先生のご苦労を見ると申し訳なくなる。
そんなちょっと浮いてしまうような子にとってテレビで紹介していた私立の小学校は魅力的だと思ったが、
年間60万円の授業料と設備費が掛かると知り、庶民にはむつかしいなぁと感じた。
娘の時はモンテッソーリに始まって、公立の小学校、中学校と進んだが、
受験勉強としてではなく、知的刺激を与えてやりたいと思い5年生の時私立中学校受験の為の塾に通わせた。
娘は公立の小学校では絶対に与えられない難しい問題をもらって喜々として通っていた。
全国で何番なんて成績にも喜んでいた。
私立に行かせるつもりはなかったので、六年生の時皆さんの邪魔になることを考えて退塾させた。
中学校では3年生の時、突然難関私立高校に受験したいと言い出したのでそれ用の塾の難関コースに通った。
そこでも全国で何番とはっきり出される成績が面白くて親子してがんばった。
経済的に裕福ではなかった我が家でもなんとか知的欲求を叶えてやりたいものだと考え、お受験の為の塾や教育を利用させてもらってた。
世の中には子供をエリートにするための早期教育や英才教育塾が数多有る。
その中で親の思惑など意に介さず
ゆうゆうと泳いでいる素晴らしいお子供を見て、いいなぁあの子きっとイイ脳みそ持ってるんだろうなと思ったりした。
子供の能力というのは自然と伸びるものなのであり、無理やり伸ばすものではない。
お受験でレールに乗せるつもりなど全くなかったが、能力を潰しては申し訳ないと思ってきた。
この程度の単発的な教育費でも我が家にとってはたいへんな負担だった。
もっと裕福な家庭だったらきっとこの子は水を得た魚になるんだろうなと思ったこともあったが、
そんなことは思っても仕方ないこと。
与えられた環境で精一杯にやるしかないのだ。
お受験でたとえ有名な私立小学校や中学校に入れても、その子に合わなければ能力潰すことになる。
しかし、公立の小中学校に行って能力を潰されることも多いのが現実だ。
公立の学校は普通の標準のレベルの教育をするところなのだから。
子供の能力に合わせてくれたりはしない。
経験から見ると、公立の小中学校は、上に出る子は頭を金槌で叩いて平均レベルに落とし、下に落ちる子は無理やり引っ張り上げるような事をする。
一兵卒を育てる為の教育をするんだなぁと何度も感じた。
公立の小中学校ではエリートなど育てる必要は無い。
突撃ラッパが鳴ったら一斉に敵に突っ込む兵隊を育てているんだ。
下手に賢かったり、上に反発するような子は困る。
逆らわず有無を言わず、命令に従う人間を育てなければならないのだろう。
エリートと一平卒。
エリートになってもらわなきゃとお受験に情熱を注ぐ人たちの気持ちが今なら私にも分かるのである。
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