昨日、池上彰氏×磯田道史氏の対談番組があった。
『池上彰の5夜連続 BIG対談』
テーマは『政治不信』『国の借金』『日本の外交』『少子高齢化』
これからの日本を想像するに、将来が明るいと思っている人は少ない。
これから産業はどう進み、経済はどうなっていくのだろう。
日本は世界の主要産業の一翼を担っていけるのだろうか。
主要国の一員として連なっているのだろうか。
世界はどう進んで行くのだろう。誰(国)が世界を牽引していくのだろう。
私のような普通のおばさんでもその先行きの見えなさに戸惑いを感じている。
体力・気力が尊ばれた時代からエンジニアなど技術や知識を持つ人が尊ばれる時代になり、今もそれは続いている。
しかし
これからは違うんじゃないかと私は感じている。
私は娘を育てるにあたり、知識人として社会的に通用する人になってくれればいいのだとは思っていなかった。
法学部に行って知識を身に付け、それを役立たせる職業に就ければいいじゃないかと思っていたわけでもない。
法律の知識を持つことは大変なことではあるが、それ以上のなにか。
社会の方向性を見つめて進める人材、人間力ある人材になってくれる事を期待していた。
その為には、グローバルな視点から日本を客観視できる頭脳を持って欲しいと思った。
広い視野をもった人に育って欲しいと思っていた。
昨日の対談を見ていて磯田氏が面白い事を仰った。
“反実仮想”「もし〜だったら」と想像して未来を読み解く。
つまり、これまでの倣いに依存しきってしまう考え、寄らば大樹的に流れに身を任せるのではなく
「???」疑問を持って考えてみましょう。想像したり想定したりすれば何かが見えてくるのではないかと。
そして、AIは問題の答えを導き出す能力には優れているが、問題を作る能力は備わっていないとも言っておられた。
これからの社会は問題を解く人を大量生産してもダメだ。
問題を提起できる人が必要なんだと。
なるほどそうかもしれない。そうだろう。
AIについては日本は既にアメリカ中国に遅れを取っているのだそうだ。
その先を考えなければならないと。
これからの教育は問題を解くという技術や能力を持たせるのではなく、
AIに課題を提供する発想力、能力が求められるということになるらしい。
さて、それはどのような教育によって培われるのか。
孫は先日2歳になった。
パパとママからのプレゼントはピタゴラス。
孫は今これに挑戦しているらしい。
なかなか上手くいかないと腹を立て悔しがり、泣き出すそうだ。(笑)
出来ることが大切なんじゃない。
出来ないことに悔しがり泣くほどの思いをする。
そこが大事なんじゃないかと私は思う。
娘はそんな孫を呆れつつ見守っているらしい。
それでいいそれでいい。
そんな気がするぞ。ヾ(・ε・。)
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2018年03月21日
2018年03月10日
気性が激しい?
習字を習っていることは時々このブログに書いている。
50代〜80歳のご婦人達15名ほどの中に混じって月に2回、楽しい時を過ごしている。
ちょっと入りにくい、敷居の高い雰囲気のこの教室。
生徒の半数が既に師範の免許を持っておられる。
皆さん素晴らしい書を書かれる。
この教室では先生を除く十余名が、ライバルなのだ。
悔しいから頑張るぞと思える人を持てるのは嬉しいことである。
優しく穏やかに、その時々先生が生徒それぞれに対して指摘される点を我が事に反映して受け入れようとされる人が私は好きだ。
が、中にはライバル心剥き出しの怖いお婆様もいらっしゃる。
この年齢のご婦人たちというのは、人生が立ち居振る舞いや言動に如実に表れる。
この怖いお婆様はどんな風に生きてこられたんだろう、ご家族は大変だろうな、息子にお嫁さんはいないと言っておられたが、お嫁さんは大変だろう。イヤイヤ案外お嫁さんに尽くすタイプかもしれない。なんて勝手に想像したりしている。(笑)
昨日は先生が私の書を見て、字の強さを指摘された。
筆圧があり墨が食い込んでいて迫力があると褒めてくださった。
すると、そのライバル心剥き出しのお婆様が仰った。
「強い字を書く人というのは性格も強いんでしょうね┐('д')┌」と。
数年前ならきっと私は傷ついた。(゚゚;)エエッ
しかし、三年も経つと馴れてしまった。
この人はこういうことを言う人なのだ。
誰にでもこんな風なのだと分かっているから、教室のみんなもそう思っていて呆れつつ聞き流している。
達観に至らないで感情をむき出しにする人に対しても、そういう人なのね。ヾ(・ε・。)ォィォィ 、と。
中にはこのお転婆さんを上手に扱っている人を見ることもある。
この人、世渡り上手だなぁと感心したりする。
私はこの手の世渡り上手になれない至らなさがあるよなぁと思ったりもする。
歳を取ると、多くの人が人生の経験をへて利口になり、水飛沫を寛容に受け止められるようになる。
教室の素敵なお婆様方と見ていてそう感じることがよくある。
歳を取るというのは好(よ)いことだな。幸せなことだな、老境というのもいいなと思う。
ちなみに、わたくし気は強いですが、気が荒くはないですよ。
(*^▽^*)oエヘヘ!
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50代〜80歳のご婦人達15名ほどの中に混じって月に2回、楽しい時を過ごしている。
ちょっと入りにくい、敷居の高い雰囲気のこの教室。
生徒の半数が既に師範の免許を持っておられる。
皆さん素晴らしい書を書かれる。
この教室では先生を除く十余名が、ライバルなのだ。
悔しいから頑張るぞと思える人を持てるのは嬉しいことである。
優しく穏やかに、その時々先生が生徒それぞれに対して指摘される点を我が事に反映して受け入れようとされる人が私は好きだ。
が、中にはライバル心剥き出しの怖いお婆様もいらっしゃる。
この年齢のご婦人たちというのは、人生が立ち居振る舞いや言動に如実に表れる。
この怖いお婆様はどんな風に生きてこられたんだろう、ご家族は大変だろうな、息子にお嫁さんはいないと言っておられたが、お嫁さんは大変だろう。イヤイヤ案外お嫁さんに尽くすタイプかもしれない。なんて勝手に想像したりしている。(笑)
昨日は先生が私の書を見て、字の強さを指摘された。
筆圧があり墨が食い込んでいて迫力があると褒めてくださった。
すると、そのライバル心剥き出しのお婆様が仰った。
「強い字を書く人というのは性格も強いんでしょうね┐('д')┌」と。
数年前ならきっと私は傷ついた。(゚゚;)エエッ
しかし、三年も経つと馴れてしまった。
この人はこういうことを言う人なのだ。
誰にでもこんな風なのだと分かっているから、教室のみんなもそう思っていて呆れつつ聞き流している。
達観に至らないで感情をむき出しにする人に対しても、そういう人なのね。ヾ(・ε・。)ォィォィ 、と。
中にはこのお転婆さんを上手に扱っている人を見ることもある。
この人、世渡り上手だなぁと感心したりする。
私はこの手の世渡り上手になれない至らなさがあるよなぁと思ったりもする。
歳を取ると、多くの人が人生の経験をへて利口になり、水飛沫を寛容に受け止められるようになる。
教室の素敵なお婆様方と見ていてそう感じることがよくある。
歳を取るというのは好(よ)いことだな。幸せなことだな、老境というのもいいなと思う。
ちなみに、わたくし気は強いですが、気が荒くはないですよ。
(*^▽^*)oエヘヘ!
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