良寛展に行った。
東京目白の永青文庫。
細川家の屋敷跡にあり古い建物はもの静かで、落着いた佇まいの中ゆっくり鑑賞出来た。
九州国立博物館で3月末に良寛さんの書を見て、もっと見たいと思っていたので娘の所に行ったついでに足を延ばしてみた。
展示数が多く、見応えがあった。
良寛さんの書、自在に操られる筆の運びに何かを掴めた気がした。
気負っていない伸びやかな線に、あーこれでいいんだ、こんなふうに筆を運ぶんだと思いながら見た。
このおばさん、熱心に見ているなぁと思われたかもしれない。(・・。
今月は昇段試験、課題を提出しなければならない。私の頭の中は今60%は書道で占められている。
掛け軸サイズの長い紙に書いて提出するのだが、思うように書けない。
私は我(が)の強い字を書いてしまう。
これまでは勢いよく力強くで済んでいたが、ここまで来るとそうは問屋がおろさない。
流麗にしかも上品であることを求められる。
手本をよく見てそこを習得しなければならない。
もともと持ち合わせない流麗にして上品な性格にこれを求められると切なくなる。
生徒は二つのタイプに分かれるように感じる。
臨書のように手本を完全に真似ようとするタイプと、真似しつつも個性が出てしまうタイプ。
後者はちょっと自分の字に自信を持っている人が多い。
前者は素直に下手だから上手くなりたいと思って努力する人。
今、私は自分の癖を修正しなければならないところにきている。
一気呵成に書いてしまう癖。
自信たっぷりに肘を張った書体を書く癖。←(これは品位の無い字になる)
良寛展でも
良寛さんが古典を臨書して学んでおられたと説明されていて、その臨書が残されていた。
良寛さんの臨書として「懐素の自叙帖」が展示してあった。
品のいい字が書けるようになると、性格や容姿も品良くなるんだろうか?
いやいや、そうでもなさそうだぞ。
素敵な字を書かれているのに・・・お人柄もお上品であられる人、めったに見ないものなぁ(笑)
でも、両方備わってこそ、きっと素敵ないい字が書けるものなのだと思いたい。
私はそこのところが不器用だから、自分に対しての誤魔化しが効かない。
裏腹な芸当ができないからきっと遠回りすることになるんだろうな。
腹が出来なきゃ書けないんだ。
または、習得を課すことによって腹ができてくるかだろうな、きっと。
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