40年前、弟が言った。
「あんた、尻がハの字だな、恰好悪り〜なヾ(´ε`*)ゝ」
あいつはいつもそんな言い方ばっかするデリカシーのない奴だった。
憎まれ口を叩いては、私をイラッとさせる。年下のくせに、弟のくせに偉そうにしたがる奴だった。
私のお見合いをしたお相手がお母様を伴ってうちに来た時、
偉そうに応接セットの椅子に座ってドスを効かせた顔ををしてお相手を睨んでた。(笑)
結局、この話しは流れた。
弟さんが・・・。とは言われなかったが、思っただろうなとは思った。
お付き合いもしていない段階でお母様が品定めに来られる。
これは大変だ(゚゚;)エエッ
と、この話しは丁重にご辞退申し上げた。(゚ー゚;Aヨカッタ ヨカッタ
適齢期(あの頃はクリスマスケーキと言われた24歳を超えると・・・)を過ぎた私の結婚が決まった時は、ほんとうに嬉しそうな顔をしてみせて酒を飲んで酔っぱらっていた。
弟よ、私は
アンタが死んで10年経って気付いたのだよ。
「両足の踵をつけて足先を九十度開いて立つと、お尻がハの字にならないんだと」(笑)
そして、わたしつまんない事覚えてるのねと思った。
そして思ったあんたはいつもそうだった、解決方法は教えてくれなかったんだよね。と。
弟だからしかたないか。
思ったまんまを口にしただけ、それが姉弟だわね。
あいつは心の深いところを分かり合えてた共有しあえた数少ない人間だったんだよな。
大人になって老人の入り口に立ってみると、ひとことしゃべるのにも気を使って言葉を選ぶようになっちゃった。
なんだかつまんないわ。ヾ(_ _。)
.
2018年06月26日
2018年06月18日
娘を持つ親
友人が娘さんの結婚が決まった。と嬉しそうに話してくれた。
そもそも彼女はこの話に反対していた。
理由は相手が医者だから。
彼女も旦那さんも裕福で派手な暮らしなど望んでいない、むしろ嫌っているのだ。
だから娘の相手も地味で堅実に静かに暮らす価値観を持った人をと望んでいるのだと言う。
お金持ちの家に育った人は普通の人から見ればどうしても派手に見える。
海外旅行、ブランド物、お洒落なレストランでお食事。
そんな家庭と親戚付き合いなんてしたくない!!
ちょっと待って。と私は反論した。
そうとは決まらんやろ?(標準語なら 決まらないんじゃない?(地方でこう言うとちょっと気取った感じになってしまうのだ))
(私)相手の家、病院なん?
(友人) 違うみたい。普通のサラリーマン。
(私)ほら〜、あんまり反対するとこじれるよ。反対されるとお互いに感情的になってややこしくなるからね。
思わぬ方向に走ったり、判断を間違ったりすることよくあるじゃん。
○○ちゃん逆上(のぼ)せるタイプじゃないから案外冷静に厳しい目で相手を見てるような気がするけどな〜。
それから数年後、
別れたみたい。(^^ゞ
更にその後、
復活したらしい。(-д-`*)
だらだら付き合って真剣さに欠けると女は不利になることがあるな。と私はその時思った。
いざ結婚となると男は二の足を踏む場合がある。
面倒くさくなるのだ。
結婚は人生の一大イベント、相手だけでなく親戚や世間に対してもけじめの宣言を見せなければならない。
責任も発生する。常識を踏まえた行いも科せられる。
だから、今のままでイイじゃないか。今二人で楽しく過ごせれば楽だ、これに越したことはない、と。
しかし
女にしてみれば、世間から見れば単に愛人扱いされても仕方ない立場、別れても何の保証もない微妙な立場。
世間からも親族一同からもちゃんと祝福された二人でありたい。
これは愛情の嵩の問題ではない。自分の居場所、自分の立位置の問題だ。
若ければそんなの不純とか計算高いとか思うのかもしれないけれど、
計算高いのは地位とか名誉とか財産とかを計算してそれを優先して事を運んだ場合だ。
ここは
親としての動きがいるのではなかろうかと考えた。
(私)「相手に会った?」「挨拶に来いとか、どういうつもりでいるんだ!」
「そんなんじゃなくて、この娘にはこの娘を愛している私達家族がいるんですよ」「この娘は私達の宝物なんです」ということを相手にちゃんと自覚してもらうのって必要な気がすると言った。
その後
彼氏が来たそうだ。
そして親も認める恋人同士なった。
そして相手の家にも行き、挨拶し気に入られたそうだ。
そりゃそうでしょう。
気立てが好くて美人ですもん。
うちの夫など○○ちゃんに会った愛想よくていいねと嬉しそうにしているもの。
よしよし、順調。(*^_^*)
そして先日、秋に式を挙げることになったと嬉しそうに友人は言った。
が、
それでー、もう一緒に暮らすって。ほんとうに今の子は(`□´)コラッ!と愚痴ってた。
ほんとうに頭、古いんだから。(笑)
.
そもそも彼女はこの話に反対していた。
理由は相手が医者だから。
彼女も旦那さんも裕福で派手な暮らしなど望んでいない、むしろ嫌っているのだ。
だから娘の相手も地味で堅実に静かに暮らす価値観を持った人をと望んでいるのだと言う。
お金持ちの家に育った人は普通の人から見ればどうしても派手に見える。
海外旅行、ブランド物、お洒落なレストランでお食事。
そんな家庭と親戚付き合いなんてしたくない!!
ちょっと待って。と私は反論した。
そうとは決まらんやろ?(標準語なら 決まらないんじゃない?(地方でこう言うとちょっと気取った感じになってしまうのだ))
(私)相手の家、病院なん?
(友人) 違うみたい。普通のサラリーマン。
(私)ほら〜、あんまり反対するとこじれるよ。反対されるとお互いに感情的になってややこしくなるからね。
思わぬ方向に走ったり、判断を間違ったりすることよくあるじゃん。
○○ちゃん逆上(のぼ)せるタイプじゃないから案外冷静に厳しい目で相手を見てるような気がするけどな〜。
それから数年後、
別れたみたい。(^^ゞ
更にその後、
復活したらしい。(-д-`*)
だらだら付き合って真剣さに欠けると女は不利になることがあるな。と私はその時思った。
いざ結婚となると男は二の足を踏む場合がある。
面倒くさくなるのだ。
結婚は人生の一大イベント、相手だけでなく親戚や世間に対してもけじめの宣言を見せなければならない。
責任も発生する。常識を踏まえた行いも科せられる。
だから、今のままでイイじゃないか。今二人で楽しく過ごせれば楽だ、これに越したことはない、と。
しかし
女にしてみれば、世間から見れば単に愛人扱いされても仕方ない立場、別れても何の保証もない微妙な立場。
世間からも親族一同からもちゃんと祝福された二人でありたい。
これは愛情の嵩の問題ではない。自分の居場所、自分の立位置の問題だ。
若ければそんなの不純とか計算高いとか思うのかもしれないけれど、
計算高いのは地位とか名誉とか財産とかを計算してそれを優先して事を運んだ場合だ。
ここは
親としての動きがいるのではなかろうかと考えた。
(私)「相手に会った?」「挨拶に来いとか、どういうつもりでいるんだ!」
「そんなんじゃなくて、この娘にはこの娘を愛している私達家族がいるんですよ」「この娘は私達の宝物なんです」ということを相手にちゃんと自覚してもらうのって必要な気がすると言った。
その後
彼氏が来たそうだ。
そして親も認める恋人同士なった。
そして相手の家にも行き、挨拶し気に入られたそうだ。
そりゃそうでしょう。
気立てが好くて美人ですもん。
うちの夫など○○ちゃんに会った愛想よくていいねと嬉しそうにしているもの。
よしよし、順調。(*^_^*)
そして先日、秋に式を挙げることになったと嬉しそうに友人は言った。
が、
それでー、もう一緒に暮らすって。ほんとうに今の子は(`□´)コラッ!と愚痴ってた。
ほんとうに頭、古いんだから。(笑)
.
2018年06月16日
列車を止めたんですって(゚゚;)エエッ
我が家から望む借景の山並みの裾野を新幹線が走っている。
その新幹線に人が飛び込んだと聞いて皆で驚いている。
新幹線は犬でも跳ねたか?と思ったのか広島まで走り続けたという。
最近の人間社会の近くに棲む動物は、ここは危ないぞという危険察知力は近年特に発達してきているんじゃないかと私は思っている。
猫も犬も道路の渡り方は承知していて、心神喪失状態、あるいは気持ちが動転している、生まれて直ぐで危険認知力が確立されていない状態にあるなどの極少数が春先にペッタンコに踏み潰されていたりするのではないか?と思うのだ。
動物達は意外になんでも分かっている。
夫の散歩の楽しみは、猫に遭遇すること。
夫は猫を見つけると必ず「ニャーヽ(=´▽`=)ノ」と話しかける。
車に乗って出かけてる最中にも猫を見つけると窓を開けて「ニャーヽ(=´▽`=)ノ」と挨拶する。
先日、二匹の猫が塀の上でなにやら話していた。
そこに夫が通りかかった。
すかさず、「ニャーヽ(*^^*)ノ」と声を掛けた。
すると、猫二匹が顔を見合わせ「誰? 知合い?」「いや知らんぞ(・・)」という顔をしたのだそうだ。
おそるべし、猫。
その認識が新幹線の運転手に有ったかどうかは知らないが、人を飲み込んだとは思いもしなかったのだろう。
これまで運転手はもとより誰もが新幹線の線路には入れないものと信じて疑わなかった思う。
今後は侵入できないよう改めて万全を期す必要が生じたのだと思う。
行きつけの喫茶店でマスターや常連客とこのような死に方を選んだ場合、賠償金が半端無いという話になった。
数億円は遺族に圧し掛かるんじゃないか?と、話していると一人のご夫人が・・・。
「子供の頃、私列車を止めたことがあるの」と仰る。
皆して、呆気にとられる。
「また、どうしたの?」となる。
ご婦人曰く。
横断歩道を渡る時は手を上げて渡りましょうと教えれらたので
素直に
線路脇に立って手を上げたら、列車が止まってくれた。
のだそうだ。
おー怖い怖い。
その時賠償金は?と当然聞く。
子供だったから知らないんだけど、親戚が集まるとその話になり、400万とか小耳に挟んだと。
(;゚ロ゚)
40〜50年前の400万円。って。(@Д@;
小さなお子さんをお持ちのお父さんお母さん。
くれぐれもご注意あそばしませ。
(ง •̀_•́)ง
.
その新幹線に人が飛び込んだと聞いて皆で驚いている。
新幹線は犬でも跳ねたか?と思ったのか広島まで走り続けたという。
最近の人間社会の近くに棲む動物は、ここは危ないぞという危険察知力は近年特に発達してきているんじゃないかと私は思っている。
猫も犬も道路の渡り方は承知していて、心神喪失状態、あるいは気持ちが動転している、生まれて直ぐで危険認知力が確立されていない状態にあるなどの極少数が春先にペッタンコに踏み潰されていたりするのではないか?と思うのだ。
動物達は意外になんでも分かっている。
夫の散歩の楽しみは、猫に遭遇すること。
夫は猫を見つけると必ず「ニャーヽ(=´▽`=)ノ」と話しかける。
車に乗って出かけてる最中にも猫を見つけると窓を開けて「ニャーヽ(=´▽`=)ノ」と挨拶する。
先日、二匹の猫が塀の上でなにやら話していた。
そこに夫が通りかかった。
すかさず、「ニャーヽ(*^^*)ノ」と声を掛けた。
すると、猫二匹が顔を見合わせ「誰? 知合い?」「いや知らんぞ(・・)」という顔をしたのだそうだ。
おそるべし、猫。
その認識が新幹線の運転手に有ったかどうかは知らないが、人を飲み込んだとは思いもしなかったのだろう。
これまで運転手はもとより誰もが新幹線の線路には入れないものと信じて疑わなかった思う。
今後は侵入できないよう改めて万全を期す必要が生じたのだと思う。
行きつけの喫茶店でマスターや常連客とこのような死に方を選んだ場合、賠償金が半端無いという話になった。
数億円は遺族に圧し掛かるんじゃないか?と、話していると一人のご夫人が・・・。
「子供の頃、私列車を止めたことがあるの」と仰る。
皆して、呆気にとられる。
「また、どうしたの?」となる。
ご婦人曰く。
横断歩道を渡る時は手を上げて渡りましょうと教えれらたので
素直に
線路脇に立って手を上げたら、列車が止まってくれた。
のだそうだ。
おー怖い怖い。
その時賠償金は?と当然聞く。
子供だったから知らないんだけど、親戚が集まるとその話になり、400万とか小耳に挟んだと。
(;゚ロ゚)
40〜50年前の400万円。って。(@Д@;
小さなお子さんをお持ちのお父さんお母さん。
くれぐれもご注意あそばしませ。
(ง •̀_•́)ง
.
2018年06月10日
趣味は読書、面白くない本には腹が立つ。
月に何冊読むだろう。
長編小説を4〜6冊ほどだろうか。
時々読書のポーズで体が固まってしまっているので、去年の五十肩の痛みを思い出して身体をほぐすことにしている。
本の調達はもっぱら市民図書館。
年金だけに頼る暮らしになってからは例えブックオフの100円の本でも惜しむ気持ちになる。
最近の図書館は建物も近代的で窓の外は緑豊か、美しく広々していて随所に椅子やテーブルが用意してあり、居心地が良い。
平日に行けば、年金生活とおぼしき方々が静かに各社の新聞を読み、雑誌を広げ、本を読みながら、、、優雅に過ごしていらっしゃる。
私はもっぱら174267冊の蔵書の中から作家を絞って読んでいる、それでも時々目先を変えたくなる。
そこでじっくりスマホ片手に(google検索しながら)好きになりそうな作家を捜すのだがこれがなかなか難しい。
先週、玉岡かおる氏の「お家さん 上下」を読んだ。
女性実業家の波乱の人生が女性の視線で書かれていた。
何かしら展開の悪さを感じつつ、アッという間に読んだ。
そして、先日同じく玉岡氏の「負けんとき 上下」を借りた。
私は借りたからには最後まで読みたいタイプ。だが、途中で腹が立ってきた。
時間の無駄なんじゃないか?「あ〜納得だわ!」「そうよそうよ!」と一度も感じないなんて。
作中に登場する廣岡浅子さんの言葉には女性として「おー!分かっていらっしゃる」と思える台詞はあるものの、主人公一柳満喜子さんの生き方や思いや人柄にまったく魅力がない。
作者はこの人の何を書きたいのだろうと思ってしまう。高貴な身の上ということばかり羅列して高貴な美しさや姿がにじみ出ていない。
それって、作家の力不足なんじゃないの?
読者は高貴なんですと書かれていれば納得するもんじゃない。
高貴さは文章の行間に忍ばすもの。それには高貴さの空気観を作家が自分の内にしっかり持たなければ、あるいは掴んでいなければ書けないでしょう。
難しい題材を選んだ割には、、、。出来てないわ。(-д-`*)
高貴な生まれとは何なのか。どういう精神性が育まれ品位はどのように培われていくのか、そのプライドはその美しさの源泉はどこからくるのか、等など、深めれば見えてくるものがあるはずだ。あなたには見えないの?
などと思うのである。
しかし、待てよ?
そうなのよ、私ってやはり厳しいわ。
普通、そんなこと思ったり考えたりする人いないわね。
そして、この視線を他人にも向けている。これって怖いわよね。
反省反省。(゚ー゚;Aアセアセ
.
長編小説を4〜6冊ほどだろうか。
時々読書のポーズで体が固まってしまっているので、去年の五十肩の痛みを思い出して身体をほぐすことにしている。
本の調達はもっぱら市民図書館。
年金だけに頼る暮らしになってからは例えブックオフの100円の本でも惜しむ気持ちになる。
最近の図書館は建物も近代的で窓の外は緑豊か、美しく広々していて随所に椅子やテーブルが用意してあり、居心地が良い。
平日に行けば、年金生活とおぼしき方々が静かに各社の新聞を読み、雑誌を広げ、本を読みながら、、、優雅に過ごしていらっしゃる。
私はもっぱら174267冊の蔵書の中から作家を絞って読んでいる、それでも時々目先を変えたくなる。
そこでじっくりスマホ片手に(google検索しながら)好きになりそうな作家を捜すのだがこれがなかなか難しい。
先週、玉岡かおる氏の「お家さん 上下」を読んだ。
女性実業家の波乱の人生が女性の視線で書かれていた。
何かしら展開の悪さを感じつつ、アッという間に読んだ。
そして、先日同じく玉岡氏の「負けんとき 上下」を借りた。
私は借りたからには最後まで読みたいタイプ。だが、途中で腹が立ってきた。
時間の無駄なんじゃないか?「あ〜納得だわ!」「そうよそうよ!」と一度も感じないなんて。
作中に登場する廣岡浅子さんの言葉には女性として「おー!分かっていらっしゃる」と思える台詞はあるものの、主人公一柳満喜子さんの生き方や思いや人柄にまったく魅力がない。
作者はこの人の何を書きたいのだろうと思ってしまう。高貴な身の上ということばかり羅列して高貴な美しさや姿がにじみ出ていない。
それって、作家の力不足なんじゃないの?
読者は高貴なんですと書かれていれば納得するもんじゃない。
高貴さは文章の行間に忍ばすもの。それには高貴さの空気観を作家が自分の内にしっかり持たなければ、あるいは掴んでいなければ書けないでしょう。
難しい題材を選んだ割には、、、。出来てないわ。(-д-`*)
高貴な生まれとは何なのか。どういう精神性が育まれ品位はどのように培われていくのか、そのプライドはその美しさの源泉はどこからくるのか、等など、深めれば見えてくるものがあるはずだ。あなたには見えないの?
などと思うのである。
しかし、待てよ?
そうなのよ、私ってやはり厳しいわ。
普通、そんなこと思ったり考えたりする人いないわね。
そして、この視線を他人にも向けている。これって怖いわよね。
反省反省。(゚ー゚;Aアセアセ
.