私は中学で躓き成績が振るわなかった。
詰め込み教育の時代だった。
何でもかんでも覚えさせる授業に付いていけなくなった。
興味のあることなら覚えるのは簡単にできた、が何の興味もないことを丸暗記することが出来なかった。
そして記憶科目は全て投げ出してしまった。
興味のある本だけ朝まで徹夜で読んだりしていた。
我儘が通用するはずはなく、成績は惨憺たるものだった。
そんな私の娘が成績優秀だった。
乳児期から幼児期に入る頃からこの子は面白い子だなと思っていた。
言葉の吸収や意味の理解をスポンジが吸水する様にグングン伸ばし拡げていく。
娘を見ていて、そもそも人間の脳の発達とは?と興味をそそられた。
頭の中の伝達物質がどう作用して頭脳を作り上げていくのか。
母親が子を育てるという意識よりも、発達する頭脳や心理の観点から子供を見ていた。
こう書くと興味は頭だけなのかと勘違いされそうだが、もちろんファッションも躾けも食事も一緒に楽しんだ。
時はバブル、子供服といえどもいざというときはブランド物を着せた。
音楽も多岐にわたる。クラッシックから演歌までなんでも歌う、それは今彼女の財産になっている。
年齢に関わらずカラオケで人脈を築けるのは母の御かげだと思っているはずだ。(笑)
子供が小学校に入学する年齢に達しても中学生になっても頭脳に対する私の意識は変わらなかった。
学校の勉強に縛る必要はないと思っていた。
教師の中にも優劣がある。
優秀な教師は、それぞれの子供のアンテナを見て子供の能力を判断することができるものだと私は思っている。
能力のない教師は子供のアンテナを識別できず、自分の知識に頼ってそれを子供に押し付けることしかできない。
アンテナを見るとは、
1を言うと10先まで想像を膨らませ、答えを導き出す能力を備えた子供と、1を1と理解することで終わる子供の違いを見極め、指導方法を広げられる教師のことである。
娘は、1から10に発想を飛ばす能力を持った子供だった。
成績はいつもトップだった。
もし、1を教えられて10まで想像を膨らませる子供が、1を1と理解させることしかできない教師に当たった場合はどうなるだろう。
その教師は10まで発想を飛ばした子供の理解の幅が計れず、対応出来ず、こいつ何言ってんだ?
黙って先生の言う事を聞け!と握り潰す。或いは親に苦情を言って躾けてくれと逆切れするかだろう。
現実問題として子供の理解が10に及ぶことに着いて行けない教師が多い事を親は知っているだろうか。
親は教師の資質(能力)を見極めることが出来なければ、子供の能力を不完全燃焼させることになることを知っているだろうか。
娘は公立の小中学校に通った。
幼稚園と小学校4,5年生の時、お受験の塾に通わせたが、医者の子供が多く通う市内の私立の小中学校の受験はさせなかった。
理由はその私立中高一貫校の大学進学率が大して良くなかったから。そして私の望む進学の基準とは大きく違うと思えたから。
その程度ならば行く必要はないと判断した。
運よく小学校の5年生までは優秀な教師に当たった。
10を理解する能力が有る子供でも面倒がらずにクラスで上手く伸ばしてもらえた。
もし低学年で無能な教師に当たっていたら、教室で孤立し適応障害を起こしていたかもしれない。
その時は、難しい設問を提供してくれるお受験塾にでも入れて適度なガス抜きをする必要があるかもと思っていた。
しかし、毎日の大半を過ごす学校が辛いものであれば精神的苦痛は計り知れず、その後の性格形成にも多大な影を落とすことは想像に難くない。
親はどのような環境を子供に提供できるか、見栄や親の希望とは違う次元で、子供の側に立って考える必要があると思っていた。
娘の場合は、低学年で優秀な教師に受け持ってもらえたおかげで、中学の劣悪な能力の教師のカバーまでできたなと思っている。
子供の能力を如何にするか。
1を完璧に理解する能力を10積み重ねれば、1から10を理解する能力を持つ子とも並ぶことはできる。
それが努力が実るということかもしれない。
今の教育の基本姿勢は1を10積み重ねさせるというやり方だ。
これならば教師の指導を忠実に守っていけば、国公立の大学や有名私立には入れる。
しかし、これには難点がある。
発想の飛躍に乏しい。コツコツ積み上げてきたものはぐらつきやすい。
発想のスタンスが狭い。
勉強家で成績優秀なのに何処かしらひ弱なムードを漂わせた青白いお兄さん。
私はそんな風に育てたくはなかった。
私が記憶科目を放棄したのは、好きでもないことを無理やりやらされて気が変になりそうだったから。
性格が窮屈になりそうだったから。
性格が窮屈になった娘を見たいとは思わないから、コツコツ勉強しなさいとは言わなかった。
またコツコツが楽しいと思える性格じゃなかったし、コツコツ勉強しなくても成績は良かった。
ただ、計算能力は努力しとかなきゃ、後々行きたい方向を狭めることになるわよと言って励ました。
あなたの能力で出来るところまでやればいいじゃない。と思っていた。
あなたがやりたいならどこまでも応援するし、出費もできるところまで応援するわ。
子供の性格や能力を見極めるのは難しい。
ややもすると能力に期待して無理な重荷を背負わせることになりかねない。
また、能力を過小評価して子供を苦しい環境に置いてしまい、辛い思いをさせることになる場合もある。
親は子供に幸せに生きていける能力をつけてやることが出来うる責任を伴った大切な存在だ。
そして、
子供にとっての幸せとは、スクスクと快適に成長し、
大人になった時、その子が望む生き甲斐有る人生を生きられる人になれるか、ではないかと私は思っている。
子供の能力の見極めの難しさ、
生徒の能力を見抜けぬ大人が教育者として子供を潰す可能性と、そういう教育者を見抜く親の能力の有無。
小学校から私立を目指す親の意向というのは根っ子にこんな問題が見え隠れしている場合が少なくない。
小中高一貫校だと受験地獄に苦しまないためなどという単純な問題ではない。
ましてや、親として鼻が高い、格好イイなどという馬鹿な親はたぶん振るい落とされることだろうと私は思うのだが・・・・。
2018年07月23日
連日の35℃超えでも孫は元気です
猛暑の中 孫(二歳四ヶ月)がやってきた。
相変わらず厄介な身体で、眼科で処方された目薬に反応して酷いめまいを起こしてしまっていた。
横になることが多い日が続いていたのだが、
二泊二日(三日めは早朝に帰る)の短縮帰省なら、、、。
孫の顔を見ればめまいなんか吹っ飛ぶんじゃないかと?、、、。と受け入れ態勢を整えて待つことしばし。
孫は空港のロビーに現れた。
孫、ニンマリするも声に出して喜んだりはしない。
娘によると朝から「ばばちゃんちにくよー
」
タクシーを降りると「ばばちゃんは?」地下鉄を降りて「ばばちゃんは?」モノレール降りて「ばばちゃん!」と、言っていたらしいのだが会って直ぐに嬉しがったりしないところが二歳児のおもしろさか?
ちなみに、じじちゃんが自分を指して「これだれ?」と聞いたら、「知らないと」答えた。
じじちゃんは臆することなく「これ、じじちゃん!」と自己紹介していた。(笑)
その後はいたって仲良しな二人だった。「遊ぼう!遊ぼう!じじちゃん遊ぼ」
事件は二日目の昼食の時に起きた。
いのちのたび博物館で恐竜を見て、チャンポンのおいしい店に行った。
チャンポンは熱いよね、チャーハンないのかなぁというので確かあったと思うよということで、
「チャーハン!チャーハン!」と連呼しながら眠たがるのを鼓舞して店に到着。
そして、そうなのです。
チャーハンが無かった。
仕方なく急遽、お握りを注文。
孫にはチャーハン無いって、お握り食べようねと理(ことわり)を入れる。
しかし、なんと、出されたお握りが湯気を噴いている。
海苔が巻かれているが、海苔をはがすとご飯になってしまった。
孫、「おにぎり食べたい」「おにぎり食べたい」と言っている。
しかし、皿にはご飯しかない。おにぎりの跡形すらもない。
お腹は空いているけれど泣かないで我慢する健気な孫。
そこに注文していた焼きソバが運ばれてきた。
焼きソバは味が濃そうだなと言いつつも小皿に移して扇子であおいで熱を取り、食べさせる。
孫はおとなしく食べていた。
が、途中で「おにぎり食べたい」と言っている。(・・;)
ようやくチャンポンが運ばれてきた。
アツアツだ。
これは直ぐ食べさせられるものじゃない。
娘のチャンポンは、麺を孫の小鉢に移して随分少なくなっている。
娘が何気なく「kazyu(孫)に取られて麺が足りないわ」とこぼしてしまった。
孫の目がほんの一瞬、泳いだ。
その後、大人も焼きソバやチャンポンを適当に食べて人心地着いた時。
孫がチャンポンの入っている小鉢をゆっくりテーブルにひっくり返した。
私達は大慌てに紙ナプキンで汁を吸い取り、麺を皿に戻した。
お店の人が台拭きを持ってきて事なきを得た。
娘は孫を叱り付け、表につれて出た。
私も会計を済ませ、表に出ると孫は叱られて大泣きしていた。
おにぎりがご飯になって食べられなかったけど、泣かなかった。(ご飯ならせめてアンパンマンふりかけ掛けてよ!)
焼きソバはあまり美味しくなかったけど食べた。
そもそもチャーハン無いの?約束が違うじゃない。
チャンポンはママの分だった。
このやるせなさ。
しかし、大泣きして少し気が晴れたらしく。
その後、孫も娘もスッキリした顔をしていた。
お店の人不親切だったもの、わたし頑張ったモン、ママは怒ったけど食べ物で抗議しちゃだめだって教えたかったのわたし知ってる。
そんなkazyuの気持ち、ばばちゃん 今回は直ぐに分かってあげられなくてごめんね。
孫は言葉の理解がグーンと伸びていて驚かされる。
もう普通に会話ができているように感じる時も多い。
しかし、まだ完全に日本語をマスターしているはずはないのである。
使うところを微妙に間違っていることもある。
救急車が一台走っていった。通過後「救急車いっぱいいたね」という。
頭の中でいっぱいと急いでと早くが混在しているようだ。
最近は「怖い」を使うようになった。
怖い目をしたぬいぐるみを怖がるようになった。
なんと、「トトロの猫バス」は怖いのだそうだ。
アニメソングの「猫バス」も怖いと言う。
エー!赤ん坊の時、ドライブで猫バスを流すと直ぐに寝てたのはあれは逃避だったのか?
てっきりお気に入りだと信じて疑わず、みんなで合唱してたのに?(笑)
聞いて見なきゃ分からんもんです。(゚∇゚ ;)エッ!?
.
相変わらず厄介な身体で、眼科で処方された目薬に反応して酷いめまいを起こしてしまっていた。
横になることが多い日が続いていたのだが、
二泊二日(三日めは早朝に帰る)の短縮帰省なら、、、。
孫の顔を見ればめまいなんか吹っ飛ぶんじゃないかと?、、、。と受け入れ態勢を整えて待つことしばし。
孫は空港のロビーに現れた。
孫、ニンマリするも声に出して喜んだりはしない。
娘によると朝から「ばばちゃんちにくよー

タクシーを降りると「ばばちゃんは?」地下鉄を降りて「ばばちゃんは?」モノレール降りて「ばばちゃん!」と、言っていたらしいのだが会って直ぐに嬉しがったりしないところが二歳児のおもしろさか?
ちなみに、じじちゃんが自分を指して「これだれ?」と聞いたら、「知らないと」答えた。

じじちゃんは臆することなく「これ、じじちゃん!」と自己紹介していた。(笑)
その後はいたって仲良しな二人だった。「遊ぼう!遊ぼう!じじちゃん遊ぼ」

事件は二日目の昼食の時に起きた。
いのちのたび博物館で恐竜を見て、チャンポンのおいしい店に行った。
チャンポンは熱いよね、チャーハンないのかなぁというので確かあったと思うよということで、
「チャーハン!チャーハン!」と連呼しながら眠たがるのを鼓舞して店に到着。
そして、そうなのです。
チャーハンが無かった。

仕方なく急遽、お握りを注文。
孫にはチャーハン無いって、お握り食べようねと理(ことわり)を入れる。
しかし、なんと、出されたお握りが湯気を噴いている。
海苔が巻かれているが、海苔をはがすとご飯になってしまった。

孫、「おにぎり食べたい」「おにぎり食べたい」と言っている。
しかし、皿にはご飯しかない。おにぎりの跡形すらもない。
お腹は空いているけれど泣かないで我慢する健気な孫。
そこに注文していた焼きソバが運ばれてきた。
焼きソバは味が濃そうだなと言いつつも小皿に移して扇子であおいで熱を取り、食べさせる。
孫はおとなしく食べていた。
が、途中で「おにぎり食べたい」と言っている。(・・;)
ようやくチャンポンが運ばれてきた。
アツアツだ。
これは直ぐ食べさせられるものじゃない。
娘のチャンポンは、麺を孫の小鉢に移して随分少なくなっている。
娘が何気なく「kazyu(孫)に取られて麺が足りないわ」とこぼしてしまった。
孫の目がほんの一瞬、泳いだ。
その後、大人も焼きソバやチャンポンを適当に食べて人心地着いた時。
孫がチャンポンの入っている小鉢をゆっくりテーブルにひっくり返した。
私達は大慌てに紙ナプキンで汁を吸い取り、麺を皿に戻した。
お店の人が台拭きを持ってきて事なきを得た。
娘は孫を叱り付け、表につれて出た。
私も会計を済ませ、表に出ると孫は叱られて大泣きしていた。
おにぎりがご飯になって食べられなかったけど、泣かなかった。(ご飯ならせめてアンパンマンふりかけ掛けてよ!)
焼きソバはあまり美味しくなかったけど食べた。
そもそもチャーハン無いの?約束が違うじゃない。
チャンポンはママの分だった。
このやるせなさ。
しかし、大泣きして少し気が晴れたらしく。
その後、孫も娘もスッキリした顔をしていた。
お店の人不親切だったもの、わたし頑張ったモン、ママは怒ったけど食べ物で抗議しちゃだめだって教えたかったのわたし知ってる。
そんなkazyuの気持ち、ばばちゃん 今回は直ぐに分かってあげられなくてごめんね。
孫は言葉の理解がグーンと伸びていて驚かされる。
もう普通に会話ができているように感じる時も多い。
しかし、まだ完全に日本語をマスターしているはずはないのである。
使うところを微妙に間違っていることもある。
救急車が一台走っていった。通過後「救急車いっぱいいたね」という。
頭の中でいっぱいと急いでと早くが混在しているようだ。
最近は「怖い」を使うようになった。
怖い目をしたぬいぐるみを怖がるようになった。
なんと、「トトロの猫バス」は怖いのだそうだ。
アニメソングの「猫バス」も怖いと言う。
エー!赤ん坊の時、ドライブで猫バスを流すと直ぐに寝てたのはあれは逃避だったのか?
てっきりお気に入りだと信じて疑わず、みんなで合唱してたのに?(笑)
聞いて見なきゃ分からんもんです。(゚∇゚ ;)エッ!?
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2018年07月12日
めがねを買った
あまりの眼精疲労に危機感を覚え、眼科に行った。
夜になると物がぼやけて小説の字が見えない。風呂上りの顔すら見えにくい。
肩が凝る。等々。
眼科は涙目や閃光が見えるなどと訴えて5軒目だ。
どの医者も目薬を出して、様子を見てくださいとしか言わない。
最近になってようやく病院の口コミ評価がネットに載るようになった。
そこで、評判を見ながらホームページなど見てJR駅近くの女医さんを頼ってみることにした。
疲れ目と涙目を改善したいと訴えた。
そして、こちらの病院のホームページにある「シェーグレン症候群」が気になりました。と伝えた。
この病院のホームページはとてもうまくまとめられており、診断の大まかな要領を掴むことができた。
医師のプロフィールや学会とのつながりなども参考になった。
初診では炎症が起きているので瞳孔を開いて詳しく調べることが出来ない、目ヤニが治まったら来てくれと言われていたので、10日後に再診を受けた。
涙腺が詰まっているかの検査をした。
涙腺が詰まっていた。涙が喉に流れず溢れているのだそうだ。
それからドライアイの検査を受けた。
涙が溢れているにも関わらずドライアだと診断された。左目は涙が溢れているので傷にはなっていなが、右目はキズが入っているそうだ。
この時、涙目は若松区に涙目専門の医師がいて、専用内視鏡「涙道ファイバースコープ」を使って手術しているが行ってみますか?と聞かれた。鈴木眼科クリニック
涙目を治すより先に「シェーグレン症候群」の診断が先だろうなと考え、涙目は軽減できれば好しとする事にした。
ドライマウス、ドライアイ、筋肉痛、関節痛、甲状腺、アレルギー、、、一致するなぁ。怪しいなぁ。
今、目薬を二種類差している。
目薬を注している間はコンタクトレンズは使わないでくれと言われ、20日間コンタクトを使わずに過ごすと疲れ目が改善され、夜でも本が読めるようになった。
あー、もうコンタクトは無理なんだなと諦めることにした。
そこでかわいいメガネを新調することにした。(ง •̀_•́)งシメシメ
今使っているメガネは娘の結婚式の時に作ったものでちょっと気取った雰囲気が好くないなぁと思っていた。
最近、歳を取って地味な色が似合わなくなった。
ちょっと明るめの雰囲気にしなきゃダメだわと丁度思っていたのだった。
もともと乱視なのでコンタクトの矯正の方が楽なのだが、ドライアイで目に傷が常にあるようじゃ仕方ない。
不便だけど、これが老化というものなんだな。と観念した。(x_x;)シュン
.
夜になると物がぼやけて小説の字が見えない。風呂上りの顔すら見えにくい。
肩が凝る。等々。
眼科は涙目や閃光が見えるなどと訴えて5軒目だ。
どの医者も目薬を出して、様子を見てくださいとしか言わない。
最近になってようやく病院の口コミ評価がネットに載るようになった。
そこで、評判を見ながらホームページなど見てJR駅近くの女医さんを頼ってみることにした。
疲れ目と涙目を改善したいと訴えた。
そして、こちらの病院のホームページにある「シェーグレン症候群」が気になりました。と伝えた。
この病院のホームページはとてもうまくまとめられており、診断の大まかな要領を掴むことができた。
医師のプロフィールや学会とのつながりなども参考になった。
初診では炎症が起きているので瞳孔を開いて詳しく調べることが出来ない、目ヤニが治まったら来てくれと言われていたので、10日後に再診を受けた。
涙腺が詰まっているかの検査をした。
涙腺が詰まっていた。涙が喉に流れず溢れているのだそうだ。
それからドライアイの検査を受けた。
涙が溢れているにも関わらずドライアだと診断された。左目は涙が溢れているので傷にはなっていなが、右目はキズが入っているそうだ。
この時、涙目は若松区に涙目専門の医師がいて、専用内視鏡「涙道ファイバースコープ」を使って手術しているが行ってみますか?と聞かれた。鈴木眼科クリニック
涙目を治すより先に「シェーグレン症候群」の診断が先だろうなと考え、涙目は軽減できれば好しとする事にした。
ドライマウス、ドライアイ、筋肉痛、関節痛、甲状腺、アレルギー、、、一致するなぁ。怪しいなぁ。
今、目薬を二種類差している。
目薬を注している間はコンタクトレンズは使わないでくれと言われ、20日間コンタクトを使わずに過ごすと疲れ目が改善され、夜でも本が読めるようになった。
あー、もうコンタクトは無理なんだなと諦めることにした。
そこでかわいいメガネを新調することにした。(ง •̀_•́)งシメシメ
今使っているメガネは娘の結婚式の時に作ったものでちょっと気取った雰囲気が好くないなぁと思っていた。
最近、歳を取って地味な色が似合わなくなった。
ちょっと明るめの雰囲気にしなきゃダメだわと丁度思っていたのだった。
もともと乱視なのでコンタクトの矯正の方が楽なのだが、ドライアイで目に傷が常にあるようじゃ仕方ない。
不便だけど、これが老化というものなんだな。と観念した。(x_x;)シュン
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