2018年09月29日

あらま!悩んでたの?

孫は9月時点で小規模保育に通っていた。

1歳1ヶ月になった4月から通いだした。


大丈夫だろうか、保育園に行かない!ママの傍がいい!ママ行かないで!と後追いをしたら娘も辛かろうと心配した。
が、案外すんなりと嫌がらずに、むしろ喜んで通園しだしたと聞いてほっと胸をなでおろした。


あれから一年半、随分シッカリしてきて時に偉そうに喋り、食欲旺盛で元気に走り回っている。
お友達とテレビの話しをしたなんて聞くとコミュニケーションが図れるようにまでなったんだな。と成長に驚いたりする。


この保育園は小規模保育b型で、孫は来年3月で卒園となる。

親はその後(あと)どこか預ってくれるところを探さなければならない。

卒園して新たに次の保育園に入園するというのが順当な流れなのだろうが、そんな流れに身を任せていたらあれよあれよと埋まっていってしまって、行くところがなくなるということになりかねない。らしい。

そこで、空きが出たので今なら子供を受けいれらますよという所に希望を出しておたら、お呼びが掛かり、孫の転園が決まったという。


この孫、大人の会話をしっかり聞いていて時にドキッとするような突込みを入れる。
子供と思って侮っていると思わぬ感情的齟齬が発生しかねない。

小規模保育の園長先生は「子供は分かりませんから、大丈夫ですよ。オホホ」と仰ったらしいが、
娘達夫婦は、この娘(孫)はそんな玉じゃないぞ。なんでも分かっていて色々考える子供だから難しさがあるのよ。
そんな認識でいたのね。だからkazyuを叱っても効き目がないんだわよ。と失礼ながら思ったそうである。(笑)

で、転園について事前説明をしたほうがよいと考え、「kazyuはお姉ちゃんになったからね、大きい保育園に行かなきゃならなくなったんだよ」と言った。

孫は驚いた。
それから不機嫌が増え、夜中に突然泣き出す・・・。
見学に行こうよと言ってもイヤだと言ったりする。


そして、いつもの「ばばちゃんに電話する」が来た。

孫の顔からいつもの屈託の無さが萎れている。

不安を目の中に覗かせている。

娘から多少様子を聞いて、「保育園変わるんだってね」と振ってみた。

ますます顔色を曇らせる。


事前に転園先の保育園の教育方針や理念、口コミなどをネットで情報を収集しておいた。

「その保育園、ご飯が美味しいらしいね。kazyuはグルメな舌を持ってるからよかったね」と笑顔を向けると、ちょっと興味を持った様子。
すかさず娘が、「この地域は食材が良いので美味しいですよね。と園長先生が言ってたわ」と拍車をかける。

そして、「保育園に亀がいるんだよね」と娘。

今度はこっちが受けて
「亀が居るの? スゴイね」「亀ちゃんに『"亀ちゃん、おはよう、私kazyuよ』と言わなきゃ」(*^_^*)

孫の顔が少し緩んできた。



「そこの保育園は自由に遊ばせてくれるらしいよ。小さい保育園はkazyuちゃん!今先生が絵本で読んであげてるでしょ。ちゃんとお座りして聞きましょ!って怒るんでしょ?でも、kazyuは自分の好きな本が見たいし読みたいんだよね。」「大きい保育園は好きに遊ばせてくれるらしいよ。よかったね」(゚▽゚*)

「kazyuは慣れればまた『おいでおいでー!』って言いながら走り回ってると思うわ」


孫の顔が、心が、段々解れてきた。



後は大人の会話で
「今までの担任の○○先生と今度の先生ではどう?」と聞くと。
娘、「ドンと構えた感が有るね。細かくなさそうな印象を受けた」
私、「○○先生の神経が固そうなところがイマイチ好きになれなかったわ」
娘、「そうそう」

この会話を孫はちゃんと聞いているのである。

そして孫自身の芯の部分で受け止め、判断をしている。
恐るべし二歳児。



二歳にして、目の前の将来に不安を感じ悩んでいたなんて・・・。たらーっ(汗)


そのあと、もう電話切って洗濯物をたたもうよという娘に
まだ切らない。と言って、お別れするお友達の名前を教えてくれたり、小さな声で歌ってくれたりしていた。


実際に転園して、はたして馴染めるのかと不安になるが、そこはプロの腕に頼るしかない。
転園や転校というのは子供にとって大きなハードルだ。

それは二歳児であろうと高校生であろうと質や種類は違っても同じだと私は思う。



娘が年長さんのときに引越しをして、転入のために幼稚園を探した。
友人が自慢する大きな図書室を持つ幼稚園に無理やり入れてもらった。

娘の様子の変化に気付いたのは私の父だった。
父はとても心配をしていた。

夏休みに入る前の通知表を見て私はビックリした。
一人の時が多い、お友達に馴染もうとしない。
よく一人で本を眺めている。


娘は年長さんの時点で小学校低学年の本を黙読していた。

幼稚園の担任は、娘を知ろうともせず、眺めただけの印象を通知表に評価として書いてきた。


決定的だったのは絵だった。
キレイな色をふんだんに使って明るい絵を描いていた娘が、ダークトーンの絵を描くようになっていた。


友人自慢の図書室は自由に使えない鍵の掛かった宣伝用の部屋だった。



私はもう一度転園させることに決めて幼稚園を探した。
通知表と娘が以前書いた明るい絵と、転園後の暗い絵を携えて新たな幼稚園に行き、園長先生に見せた。
園長先生は驚き、「転園してきた子は1ヶ月から3ヶ月は大切に見守らないといけません!」「とてもデリケートなんですよ」と仰った。

娘はその後、以前の明るさと勝気さを取り戻した。



さて、孫は無事にこのハードルをクリアしてくれるだろうか。


心配心配。(;'o')m ・・!!




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posted by win-manma at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2018年09月13日

子供は遊びの天才。

最近は孫からLINE電話が掛かってくる。
勿論まだ二歳なので自分で携帯を操作して掛けてくるわけではない。
娘に「ばばちゃんと電話する!」と言うのだそうだ。わーい(嬉しい顔)


何して遊んでる?と聞くと
もじもじして答えられない。でもニヤニヤしている。
答えたいが、どう言っていいのか分からない様子。

今日は新しいパズルを出してきて親子して挑戦している様子を見せてくれた。




近頃の子は何でも手に入って羨ましい気がする。
娘が小さい頃は、ネット検索もなく、勿論ネット購入など考えもしない時代。
何を買い与えればいいのかも分からず、昔ながらの積木や輪投げ、ブロック、ラッパや太鼓、ぬいぐるみなど貰い物をそのまま与えていた。砂場セットは必需品で毎日それを持って公園に行き、砂団子を作って遊んでいた。
夏はビニールプールを出して水遊び、そこでもお砂場セットは大活躍した。

テレビを観るようになって、ヒーローものの変身グッツを喜ぶようになったのは4〜5歳の頃だったような気がする。

たいした遊び道具がなくても子供は毎日機嫌よく元気に遊んでいた。

毎日毎日公園の砂場で午前中を過ごす子供。
親はママ友と合流して子供の様子を離れたところから眺めながらおしゃべりを楽しんでいた。

あの頃、数人の子供が同じ砂場で話すでもなく、喧嘩するでもなく、楽しそうに砂遊びに興じていたが、いったいなにを楽しんでいたのだろう。

親は只々見守っていただけだった。
子供は砂を掘ったり、山にしたり、団子にしたり、思うままに手を動かしていた。

時々、砂をばら撒く子がいると目に入ると危険なので止めたりしていた。親の介入はその程度だった。

今から思えば、子供は土や水に触れる感触を楽しんでいたような気がする。


二歳児は感触を楽しむ時期だった。
風の感触、太陽の感触、木の感触、布の感触、土や水の感触、植物の感触、動物・虫の感触・・・。
これってとても大切な経験なのだ。
娘はよく団子虫を触って遊んでいた。
目に見えるものの感覚や驚きも大切だ。耳にするものも楽しんでいた。
そして、子供はこれらを強く求めた。

雨の日など砂場に行けないと不機嫌で困った。
ママ友たちと「雨だね^〜 困るよね。洗濯物は乾かないし、子供は泣くし」とこぼしたものだった。

この時期に大人が砂場に踏み込んで道路を作ってトンネルを作ってミニカーを持ち込んで走らせたりすると、子供達は最初とても喜ぶ、自分もブーブーなどと言いながら車を動かしている。
しかし
そのうちに飽きて遊ばなくなる。
玩具の自動車に飽きるのだ。
玩具の自動車は想像を生まない。
基本的には遊びに介入しないが、様子を見てちょっとした刺激を与えることも必要だ。
ミニカーと同じくらいの石を自動車に見立て動かしてみせると、子供は自動車とは限定しないで色々に想像を膨らませる。
時に芋虫を思い、時に自転車を思い、時には飛行機にも。そして飛行機に変身した石が空を飛ぶ。

それが子供の世界だ。

その世界を引き出すのが幼児教育だと私は思っている。


教えるのではなく、引き出すきっかけを投げ掛ける。
そこが幼児教育の難しさだ。



石をなにかに見立てて遊んでいる子供に「これ何?」と聞くと、トンボなどと答えてくれる。

そのトンボ何色?と聞くと、「赤」とか「青」とか答えてくれる。
「赤トンボか!」♪夕焼け小焼けの赤トンボ〜♪と歌ってやると、うれしくてたまらなくなる。

頭の中では絵本で見た赤とんぼの絵と歌が満ち溢れる。


この頭に浮かぶ映像と記憶が大切なのだ。
この経験が多いほど頭脳は伸びる。


小さい子供に幼児教育と称して訓練や競争を強いて学習させようとする風潮がある。
これは訓練であって教育ではない。
訓練に従う子供は何を楽しんでいるのだろう。
優越感や競争心を煽って知識を身につけさせても地頭は良くはならない気がするのだが・・・。


子供は本来遊びの天才だ。
発想は無限で大人の想像を超える。
考える力の源を犯してはならない。

大人はじっと耐えて、子供が自分で納得するのを待つしかない。
例えば新しい玩具を与えられた子供は、いったいこれは何だ?と思う。
箱を開けて、ロボットだったとする。
あっ!ロボットだった。グッド(上向き矢印)
動く?と思う。
どうすれば動く?と思う。
手で動かしてみる。
あっ!動いた。わーい(嬉しい顔)
座るの?思う。
足を折ってみる。
膝が曲がった。exclamation

この過程が楽しいのだ。

買ってきたおじいさんが
「ほら!凄いぞ、電池をここに入れてスイッチを入れると、どうだ動くだろうъ( ゚ー^)イェー♪」
なんてやっちゃったら、やさしい子供は、一緒に喜んでくれる。が、興味や好奇心は奪われてしまっていることに本人も気付かないまま成長することになる。


一緒に喜びたい気持ちはよく分かる。が、大人は子供が成長のステップを少しづつ自分で掴んで進むことをじっと見守ってやるしかない。教えるのは簡単なんだけどそれは安易というもの。
じっと堪えて待たなきゃならない。子供の成長を見守るとはそういうことだ。
その姿勢を持ち続けなければならないんだ。




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posted by win-manma at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2018年09月04日

白髪

ポツポツと白髪が出はじめたのは50代の後半。
前髪を下ろせば見えなくなった。
白髪のない私に、友人は苦労が足りないんだぞ (;`O´)oコラー! と睨んだ。


60代になって容易に隠せなくなり白髪染めを始めた。

何度も書いているが私は極度のアレルギー体質。
当然自然素材のヘナを使用した。

ヘナにも色々な種類(配合率?)がある。
生協が勧めるヘナは浸透させる時間が長く、冬など風邪をひく。
そしてアレルギー反応はやや苦痛という感じ。

最終的にはグリーンノートヘナ オーガニータ に落着いた。
オーガニック植物原料の審査をクリアしたと謳っている。
こちらはアレルギー反応も出ないし浸透時間も短い。



しかし
65歳になり、顔も随分年寄りじみてきた。(-д-`*)
そして髪を染めるのが面倒になってきた。
染めても直ぐに出てくる。出来栄えもたいしたことはない。あーぁ。



と、思っているところに
女子アナの近藤サトさんの記事が目に付いた。
『“年齢に抗わない”生き方』そして、お写真の老け込んでいないお顔とグレーヘアがステキだなと思った。



私はふと思った。

白髪を敵視している間に、段々顔も老けて白髪が似合う顔になっているんじゃない?わたし。

そもそも白髪がどうして老け込んだ印象になるのか考えてなかったわ。
白髪が老け込みの原因ではなく、気持ちの老け込みが白髪と重なってイメージを作り上げているのであって、若者が白く染めても老け込んでは見えない。
中身の問題なんじゃないのか?




今、白髪は全体の3割強から4割弱になっている。

髪の生えぎわの白髪の多い部分を思い切って出してみた。額を出してみた。
ウフ(*´∇`*) 似合ってるじゃない。

そうか、白髪が年寄りじみてみっともないんじゃなくて、隠そうとする卑屈さがみっともないんだわ。

バサバサになって艶も無く、髪型にも頓着せず、シミだらけの素顔を晒す様な真似がみっともないんだ。


市販のリンスやコンディショナーが使えない(アレルギー)から、
私はレモンを絞って湯に溶かしてリンスにしている。

このリンスはお勧め!!!
天使の輪ができるほど髪が艶々になる。


きらりと光る銀色の髪。
格好イイじゃない。ヽ(*^^*)ノ


そう思い込むと、自分で納得してきたぞ。

その思い込みが大切なんだわ。きっと。









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