宮本輝著「焚火の終わり」
なんとも後味の悪い小説だった。
なんだかイヤらしくて食傷気味、読まなきゃよかった。
宮本氏の小説は金持ち趣味の食べ物や高級な調度品が好きで、
たくさん読んで来たのだが今回のこの小説は非常に不味かった。
父親が誰なのかが謎の娘と、あの娘とお前は異母兄妹だと教えられて育ったその兄の恋愛を軸にアブノーマルなセックスが織成す物語。
セックス描写がしつこくて、これってエロ本?と途中から放り出したくなりつつ、宮本輝だから下品に終わらないだろうと希望を持って読み進めたが、途中からホモまで加わって結局エロ本だわこれ。となった。
価値観としてエロスやホモセクシャルや近親相姦についてこれまで深く考えたことはない。
エロティシズムを掘り下げると、こういう小説が出来上がるのかねぇ。なんだか釈然としないわと思った。
エロティシズムというのはもっと深みのある美しい芸術的なものじゃないのか?
こんなに上っ面な設定の小説にエロティシズムを持ち込み、美しく仕上げるというのが土台無理なはなしでしょう。
私が凄く気持ち悪いと感じたのはエロではなく、二人の男女の人間性の深さに対してだったように思う。
表面にキレイな皮を被っただけの人間のエロをこれでもこれでもかと文章ででも見せられたら、そりゃ気持ち悪いわよ。
善人としての価値基準を持っているこの兄妹だが、
人を評価する価値判断の目が澄んでいたとしてもアブノーマルなセックス趣味や近親相姦を纏わせても尚清く美しい姿を浮かび上がらせることは難しい。それは無理だ。
尚も美しく清らかであるには凛とした精神性が、もっと強い筋の通った土性骨(どしょうぽね)が、そんなものがなければね。
人間は土台がシッカリしてなきゃいくら美しげに装っても頼りないんだと思うよ。姿は内面を映し出す鏡だから。
宮本作品に登場する若き主人公の男性の多くがこの骨を持っていないんだなと今回気付いた。
私は人間性としての骨のない奴が嫌いなのだ。
人間性としての骨。
これはなかなか難しい。
頑固とも違う、意地とも違う、心(芯or真)を真直ぐに貫く価値基準を持っている人。とでも言えばいいのだろうか。
私が子育てで一番最後まで課題としたのがこの骨だったなと今思う。
口で教えてどうにかなるものではない。
日々の暮らしの中で子供の中にある心の骨を導き出す作業は、子供の中に骨を見つけ出すことにあると思う。
それを見出したとき、ニッコリ微笑むと子供がそれに気づく。
そうやって骨はガッシリしたものになる。
それを繰返すことで、子供の内面にシッカリした考え方や人間性の骨組みが出来てゆく。
今、私は孫に心の骨を見出している。
孫はなかなかしぶとい骨を持っていそうだ。(笑)
婆馬鹿?σ(^_^;)アセアセ...
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2018年10月26日
2018年10月11日
嬉しいリクエスト
孫はなんとか新しい保育園に泣かずに通えるようになったらしい。
保育園の入口で数日間は娘にしがみついて泣いていたようだった。
そりゃそうだろう。大人だって誰一人知る人のいない中に入れられたら不安で心細くなる。
ましてやまだ二歳の幼子。母親のぬくもりが一番でその中に浸っていたい年頃だ。
健気にも親達は仕事があるから自分はここで一日を過ごさなければならないと自覚しているらしい。
そうは思っても不安で涙が止まらない。
しかし、保育園の先生がやさしく慰めてくれて、美味しいおやつもあって、この保育園も良さそうだぞと思ったらしく娘にすがって泣いていた数日後、先生がkazyuちゃんおいでと笑顔で呼んだら泣きながら先生のところに行って先生に顔をうずめて泣いていたから、もう大丈夫だな、だんだん馴染んでくれるなと娘は思ったと言っていた。
そして保育園のこの先生スゴイなと思ったとも言っていた。
数日でkazyuの信頼を掴んだってことだものね。プロだねと話した。
そんな孫からLINE電話が掛かってきた。
いつもは電話してきてもモジモジしてあまり活発には話さない孫が、その時はなにか一生懸命伝えようとしている。
そして何かをカメラ向かって映している。
なんと、春に私が送った手紙のはしっこが破れたのでまた手紙を頂戴と言っているのだという。
「ここがね!破れちゃったの('◇'*)」
私の方は手紙を送ったことも忘れていた。
幼子でも手紙は嬉しいんじゃないかと思いついて送ったのだが、その後これといった反応も無かったので一回きりの思いつきで済んでしまっていたら、何回読まされたことか(汗)、もう覚えちゃったわよ。と娘が言う。
しかし、破れた時孫が「また買おうね」と言ったという。
食べ物も着る物も玩具もなんでもかんでも買うのだと孫は思っていたらしい。
「これは売ってないのよ。ばばちゃんが作った物だからね」「ばばちゃんに作ってと言わなきゃね」と説明すると、
「ばばちゃんに電話する!!」と言ってかけてきて先ほどの「ここがね・・・」となったらしい。
そりゃ、ばばちゃんの方は嬉しくて感動しちゃったわよ。(゚▽゚*)ニパッ♪
さっそく手紙を書き、動物カードを作って投函した。
子供から信頼される。
これ、なかなかできることじゃない。
子供は心の目でしっかり相手を見ている。
保育士という仕事は安全を見守るだけでは勿論済まない。
幼子からの目をシッカリ受け止め、包み育む優しさや成長を的確に判断する力が無ければ真の信頼を子供から勝ち取ることは出来ない。
だがそのような保育士は少ない。
どんな風な保育士であっても子供はそれに従うしかない。
子供は与えられた環境の中で妥協点を見出して生きている。
その環境の中で自ら成長していく。
孫は以前の保育園で度々注意されていた。(連絡帳に書いてある)
自分の意思を通そうとする強さのある孫は先生に従順ではない態度を取る。
それでも先生に髪を結んで可愛いゴムをつけてもらうと喜びオシャレを楽しむ事を教えてもらったようだ。
意思を通す自分の思いを曲げない孫が先生に顔をうずめて泣いたと聞いて、わたしも嬉しかった。
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保育園の入口で数日間は娘にしがみついて泣いていたようだった。
そりゃそうだろう。大人だって誰一人知る人のいない中に入れられたら不安で心細くなる。
ましてやまだ二歳の幼子。母親のぬくもりが一番でその中に浸っていたい年頃だ。
健気にも親達は仕事があるから自分はここで一日を過ごさなければならないと自覚しているらしい。
そうは思っても不安で涙が止まらない。
しかし、保育園の先生がやさしく慰めてくれて、美味しいおやつもあって、この保育園も良さそうだぞと思ったらしく娘にすがって泣いていた数日後、先生がkazyuちゃんおいでと笑顔で呼んだら泣きながら先生のところに行って先生に顔をうずめて泣いていたから、もう大丈夫だな、だんだん馴染んでくれるなと娘は思ったと言っていた。
そして保育園のこの先生スゴイなと思ったとも言っていた。
数日でkazyuの信頼を掴んだってことだものね。プロだねと話した。
そんな孫からLINE電話が掛かってきた。
いつもは電話してきてもモジモジしてあまり活発には話さない孫が、その時はなにか一生懸命伝えようとしている。
そして何かをカメラ向かって映している。
なんと、春に私が送った手紙のはしっこが破れたのでまた手紙を頂戴と言っているのだという。
「ここがね!破れちゃったの('◇'*)」
私の方は手紙を送ったことも忘れていた。
幼子でも手紙は嬉しいんじゃないかと思いついて送ったのだが、その後これといった反応も無かったので一回きりの思いつきで済んでしまっていたら、何回読まされたことか(汗)、もう覚えちゃったわよ。と娘が言う。
しかし、破れた時孫が「また買おうね」と言ったという。
食べ物も着る物も玩具もなんでもかんでも買うのだと孫は思っていたらしい。
「これは売ってないのよ。ばばちゃんが作った物だからね」「ばばちゃんに作ってと言わなきゃね」と説明すると、
「ばばちゃんに電話する!!」と言ってかけてきて先ほどの「ここがね・・・」となったらしい。
そりゃ、ばばちゃんの方は嬉しくて感動しちゃったわよ。(゚▽゚*)ニパッ♪
さっそく手紙を書き、動物カードを作って投函した。
子供から信頼される。
これ、なかなかできることじゃない。
子供は心の目でしっかり相手を見ている。
保育士という仕事は安全を見守るだけでは勿論済まない。
幼子からの目をシッカリ受け止め、包み育む優しさや成長を的確に判断する力が無ければ真の信頼を子供から勝ち取ることは出来ない。
だがそのような保育士は少ない。
どんな風な保育士であっても子供はそれに従うしかない。
子供は与えられた環境の中で妥協点を見出して生きている。
その環境の中で自ら成長していく。
孫は以前の保育園で度々注意されていた。(連絡帳に書いてある)
自分の意思を通そうとする強さのある孫は先生に従順ではない態度を取る。
それでも先生に髪を結んで可愛いゴムをつけてもらうと喜びオシャレを楽しむ事を教えてもらったようだ。
意思を通す自分の思いを曲げない孫が先生に顔をうずめて泣いたと聞いて、わたしも嬉しかった。
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