2018年11月19日

幼児を叱る時

幼児を叱る時に気をつけたいこと。

二人で叱っちゃうことありません?


そうすると
子供は一人で二人の怒りを受け止めなければなりません。
それって辛いです。


お前は間違っているんだよ! お前はダメなんだよ!(;`O´)oコラー!
と、怒られたら大人だって面食らいます。悪かったんだと思う前に腹が立ちます。
しかも二人掛りでやられたら・・・。
あなたなら反省する前に理由を探る前に、混乱しますよね。そして反発します。


大人二人に対して幼子一人では勝ちっこないです。
そして子供にゴメンなさいを強要する。

勝ちっこない状況で服従を強いるのは子供の心を踏みつける行為です。


子供が叱られる原因は
気分に任せて(眠い、お腹が空いた、興奮している etc)駄々をこねる。
自分の欲求(お菓子が欲しい、玩具がほしい、もっと遊びたい)を通そうと我がままをいう。
マナーを無視して反抗する、小さい子供に暴力を振るう、など色々です。

でも、これらが悪いことだとは思っていない。
0歳から3歳の子どもってそういうものです。
それ以上になると多少社会性を理解し、ルールに従わなければならない状況を理解するようになります。
それでもまだまだ理解したくない子ども心も働きます。
そこは上手に誘導してやらなきゃならない。褒め上手になってイニシアティブを発揮してください。


私が心配に思うのは、躾と称して怒り方を間違うと、子どもにちゃんと伝わらないどころか、子どもの性格形成に悪い影響を与えてしまうということなんです。


叱られて腹を立ててしまった子供の心は、ひどく孤独で硬くなっています。
そこに寄り添って慰めることがとっても大切です。
硬くなった心を慰めることで癒し溶かす。
そうすると子どもはとても素直な気持ちになります。


だから、昔の人は怒る役目の親と、子供に優しく諭す役目の親とに役割分担をして躾けていました。
親に叱られて祖父母に救いを求める光景もよく見られました。

怖いお父さんと優しいお母さん。のパターンです。


我が家の例で恐縮ですが、
私は怒ると黙ってしまうタイプなので子供は取り付くシマがない。可愛そうです。
一人っ子ですから、兄弟に慰められることも、諭されることもありません。
一人っ子はそういう点で可愛そうです。


夫はというと、それを黙って見守っていました。
母と娘の対立を静観していました。

夫は穏やかな性格ですから、私に対しても娘に対しても怒りを表さない。
どうせたいしたことじゃないと思っている。
それがありがたかった。
一緒になって怒っていたら。娘は逃げ場をなくし、意固地になり、両親に反抗的になっていっただろうと思います。


娘が私に対して腹を立てていても、お父さんを見ればいつもと変わらずテレビを見て笑っていて、普通に接してくれる。
そこでクールダウンし、冷静に自分を見つめることが出来る。つまらないことに突っ掛かっていたと気づく。
小学生の高学年になるとそんな感じでした。


これって大切なことです。

子供の拠り所を塞いじゃダメです。
逃げ場をなくしちゃダメです。


躾けは大切ですが、理解できる時期が来れば分かるようになります。
乱暴な子も乱暴を指摘して正すより、優しさを諭して引き出してやったほうが効果的です。


先日読んでいた宮城谷昌光氏のエッセーに
日産の前身をつくった鮎川義介さんは小さいころ祖母に、ああしなさい、こうしてはだめです、などと、こまかなことはいわれすに、ただ、
「おまえは、きっと偉くなる」
と、いわれた。そういわれつづけると、ああ、オレは偉くなるのだ、と自然におもわれてきて、・・・。

要するに暗示法の一種であるが、人は尊敬する人や好きであったりする人から、良い事を言われると、それにむくいようとする気がはたらく。もっといえば、その人を喜ばせてあげようとする。逆に、そういう人から批判されたりすると、ショックが大きい。したがって親が子どもを批判することは、子どもの性格を最大に破壊すること行為であるともいわれる。批判についての弊害は、・・・・。

これを読んで、案外これに気付かないで怒ってしまう人、多いのよねと思った。

躾るために怒るのって、違う。
躾ける為に怒っても問題は解決しない。
子どもが、反抗的に親の気持ちを逆撫でするのは、何らかの理由を察してよ、という信号だと解釈したほうがいい。
怒る前に原因を親のほうが探ろうとしなきゃならない。
目の前で起こっている子どもの行為よりも、その原因を知り、その信号の方法がなぜこの行為なのかを思いやれば、躾け方も対応の仕方も違ってくるんじゃないだろうか。


宮城谷さんも書かれている様に、子どもの性格を最大に破壊すること行為は叱り方の中に隠れている。


子どもに愛情を持てば持つほど、好い子に育ってほしいと思う。
かわいい人に育っていってほしいと思う。

そう思うが故の腹立たしさに、自分がとるべき態度を見失ってはならない。
子どもに腹を立て、子を叱っている自分を、少し離れて冷静に見る目を持つことが必要なんだ、と私は思うのだが。



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2018年11月13日

NHKbs「エレガンスの舞台裏〜パリマダムを彩る世界最高峰のメゾン」

大石 静さんがパリのエレガンスの真髄に迫るドキュメンタリーを見た。

エレガンスとは「優雅」「上品」と日本では訳されている。
しかし、エレガンスの本場パリでは優雅や上品は、見た目だけでなくその人の生き方や考え方そのもの
日本の文化で例えるなら恥の文化や精神性に通じるものなのだという印象を受けた。


番組ではパリの花に対する愛着や美しく高価な下着の意義、高価で美しい宝飾品を紹介しつつ、それらを身に付ける自分自身への尊敬と他者への敬意が根底にあると語っていた。


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先日、数十年前に買ったクChloéのスカートが着れる体型に戻ったので着て外出した。
雑誌で見る流行ファッションのデザインがあの頃の物に近いと思ったのだ。

さすがChloé。
全く型崩れしていない。生地と縫製がしっかりしていて上品で美しい。

そして思い出した。
昔、私はこんな高価な洋服を着用していたのだった。
ビシッとしたこんな高価な服が似合う、着こなせる女性でありたいと思ったのだった。

たぶん、どこかの雑誌で読んだことをそのまま受入れ、納得してしまったのだろう。
その着心地の良さ、背筋が伸びる緊張感、生地本来が持つ光沢と動きに合わせて優雅に流れる曲線。
一分の隙も無く仕立てられた洋服の持つエレガンスに対峙する自分の中のエレガンス。


やはり時には身なりをきちんとしようと思った。
背筋が伸びる服を着て街に出掛けよう。
自分自身をバシッとさせるために。



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2018年11月06日

優しさに付(つけ)入る悪意

古い友人が体調を壊して入院していたと聞き、会って詳しく話しを聞いた。

退院直後に会った時は随分萎れていて覇気が無いことに気付いた。

若い頃から気の強いタイプで、間違った事にしっかり向き合えるしっかり者だった。



その彼女の友人が占いに凝っていて、
姓名判断や誕生日からその人の憑物を見ることが出来る占い師を信じているらしく、私の友人の憑物を見てもらったのだそうだ。

結果、5人の霊が憑いていてそのうちの二人の質(たち)が悪いからその家には近付くなと言われた。という。


私はそういった類のものを全く馬鹿にしているわけではない。
私自身がそういった霊を感じやすいタイプの人なのだから仕方ない。
若い頃は葬儀社の前やお墓の前を通っただけで、「あっ、憑いてきたな」と思うことがしばしばあった。

今でも滝の傍には近付かない。
夫と紅葉を見に行って人けのない断崖をみてヤバイよと言って逃げ出したこともある。




今友人は病み上がりで生命力や免疫力が落ちている。
そこに霊が憑いていてあなたを苦しませるなんて言われたら怖くて脅えてしまう。
そんな思いに陥ったら人間明るい清清しい方向には進めなくなる。



さてどうしたものだろうと考えた。

悪い霊とは何か?
ひとでなし、人の不幸が嬉しい薄汚い了簡の輩、人を苦しめてやりたい悪鬼、
これらはこの世の中にもにうじゃうじゃ居る。

霊でも生きている人でも大差はない、性根の腐った奴は生きていても死んでいても同じだ。




誰の心の中にでも強弱の違いはあっても負の感情と正の感情がある。
妬ましさや嫉妬、悔しさ、悲しさ、恨み・・・。
自分の中のそんな負の感情をコントロールしながら人は生きている。

そのコントロールが出来ない人や霊に見込まれると困るのだ。



人には人を思いやる優しさがある。
守護霊なんて素敵な霊は優しく見守り助けてくれる。



成仏できない悪い霊に見込まれたら、さてどうすればいい?

私はある時から、自分で祓うことにした。
肩に乗ることが多いので、肩を手で払って「お前の来るところではない(`□´)!」と一喝する。



一喝するには力が要る。
大声ではなく気迫。



友人と話していて気付いた。
気弱にもなっているが、それ以上に優しくなりすぎている。
人間、優しいのはとても重要なことだ。人としての宝だ。
しかし、その優しい心の横にチラッと見えた弱さを見て、付入ってくる輩がいるのだ。
その輩は霊とは限らない。生きている人間の中にもそんな奴はいっぱい居る。



その心の隙を狙ってその人の心を蝕むことで快楽を感じる悪い奴には、しっかり対峙して付(つけ)入る隙を与えちゃいけない。

自分の中の優しさを守るのは自分自身しかない。(ง •̀_•́)ง



人に対して優しすぎたり無防備だったりしたら、思わぬ痛手を受けることになりかねない。



昨日娘が「クレーマーにやられた!(-""-;)」と心に傷を負っていた。

負の感情を誰かに叩きつけてストレス解消する方法として
氏名も名乗らず顔も見せず、低姿勢を旨とする対応を求められる相手に罵詈雑言の言葉の刃(やいば)を浴びせかけるやり方が堂々と罷り通っている。

これもいじめの別バーションなのだろう。


そんな相手から身を守る術を身につけねばならない世知辛い世の中になっているのだと思った。






一週間後にまたその友人と会った。

彼女は元気になっていた。
シャキッとなっていた。


悪鬼を跳ね除ける力が湧き出たようだった。



よかった。d(@^∇゚)/ファイトッ♪




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posted by win-manma at 15:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし