2020年05月23日

学芸員というお仕事

4月末の笑ってこらえて見て学芸員に興味を持った。

工芸作家さんとつながる仕事をしていて元々工芸や美術に興味があり美術館にはよく行く方だと思う。
そこで展示物のそばにいらっしゃる学芸員さんを見ることはあったがどんなお仕事をしていらっしゃる人なのかは知らなかった。
大切な美術品の番をしているんだなと思っていた。

笑ってこらえてで紹介された学芸員さんは「豊田ホタルの里ミュージアム」の館長さんでもある川野啓介さん。

身近にある生物や鉱物を学術的知識に照らして分かりやすく紹介してくださっている人だ。

養老孟司さんの本を読んでいると目は脳の一部だということが書いてあった。
川野さんもナメクジを使って同じことを仰っていた。
ナメクジの片方の目を切除しても再生される。これ凄いことだなんだと言っておられた。
そうだよな、人間には再生能力なんてないもんな、いろんなことを知っている人がいて実験したり観察したりしてそれを教えてくれるのが博物館や学芸員さんなんだと知って驚いた。

学校ではそんな風に教えてもらえない。知識だけ吸収して試験に備えられればいい。悲しいかなそれが学校教育の現状だよな。

本来の教育ってのは違うのよね。何が不思議なのか気付かせてくれて導いてくれるのが教授してくれるということだと思うけどな。

もし今、小さい子を育てている段階だったらこんな先生の話を聞かせたり見せたりして先生の言わんとしていることを吸収できるように子を導いてやりたいと私は考えるだろうなと思った。

そのためには、親に科学や生物の不思議をキャッチできる柔らかい頭が必要なんだと思う。

目が脳の一部だと言われても知識としてしか認識できなければ言葉のコピーを子に渡すことしかできない、目からの情報を脳がどうキャッチしどう処理するのかということに興味が進まなければ不思議と思うところまでは行けない。
さらにその脳が再生されるとはどういうことなんだ?と思わなければ興味は膨らみ進めない。
その興味を進ませるということには親のちょっとした言葉かけが必要だったりする。

これが子育ての面白さだ。


未来の科学者、育て!! と応援したい。だって面白そうだもの。(*^^*)




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posted by win-manma at 19:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2020年05月07日

お金じゃないのよと言われて・・・

書道サークルを1月末に立ち上げたがコロナで会議室が使えず教室が開けない状況が続いている。
が、書道は皆さん続けている。先生は自宅にいて送られてきた作品を添削して送り返す毎日を続けておられる。

書道サークルとしては会費を集めて緒経費や講師への謝礼などの活動を行わなければならない。
皆さんから集める会費をいくらにするのが妥当なのか会計さんと話し合った。
会計さんが公民館講座の謝礼を参考に2500円〜3000円ではどうだろうかという。
少ないと思いつつも、1月の時点で先生にこれでどうでしょうかとお聞きした。
先生はそんなに要らないと仰った。

講師に払われる謝礼というのは少なく、元のカルチャーでは1人2000円に満たない報酬だったと聞き驚いた。(月に2回の講座)
我々はカルチャーセンターには4、510円/1ヶ月払っていたのに・・・。"(-""-)"

説得して先生への謝礼を2500円ということでご納得いただいた。

それから逆算して経費を含めて3ヶ月10000円ということにほぼ決まった。

異見が出た。
半紙しか見てもらわない人と半紙と条幅を見てもらう人が同額というのはおかしいと。

それはそうかもしれない。(';')

そこで条幅を見てもらう人は上乗せするべきだということになったらしい。
会計さんから条幅部は1000円足して3500円を先生に謝礼を払うという案が示された。

さてどうしたものだろうと思案した。

先生の『そんなに要らない』という最初の言葉が引っかかった。
ここに先生の深い思いがあるのではないだろうかと感じた。


会計さんにちょっと待ってね。先生に納得してもらわないといけないと思うからねとこの案を預かることにした。

会費改定案を作り先生のお宅に行った。

案の定先生は「要らない」と仰る。
皆さんが受け取ってもらいたいと言っているんです。と言っても首を縦に振らな。

年金もあるし困らないからとしか言われない。
会で預かって何かの時に使えばいいじゃない私は要らないからと仰る。頑なだ。
そうか!お金が欲しくて書道を教えているのではない。これは先生のプライドなんだ。
お金を払うということはそのプライドを傷つける行為なんだと気付いた。

後で人と人との繋がりはお金ではないと思って数十年やってきたと先生は仰った。
金銭の多寡なんてどうでもいいこと。他の教室よりも少し多く受け取るなんて意味のないことなのよと思っておられるのだと私の方が納得してしまった。

なんと大きな器なのだと今少し感動している。


先生は子供に恵まれなかった。
大先生から厳しく指導されて身につけた技と美を弟子に惜しげなく注ぎ伝授してくださっている。

そして生徒が自分の宝だと笑顔で言われる。

なんと有り難い師に私は巡り合ったのだろうと思う。



私は先生のこのお気持ちをメンバーの人たちに伝えなければならない、分かってくれるだろうか???




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posted by win-manma at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし