戦後の学校教育というのは知識偏重で、思想や哲学や形而上学などを最低限の知識として教えるのみでそのような精神性のものは家庭でそれぞれが行って下さいというスタンスを取り続けている。これはある意味当然である。真っ新(さら)な子供に変な思想を植え付けられては困る。
しかし、学校でも家庭でも変な思想もなにも教えられることなく大人になると価値観や心の拠り所を見いだせず、知識と感情で社会や人を測る人間に育ってしまっているんだなと思うことがよくある。
戦前の教育を受けてはいないので偉そうなことは言えないが、少なくとも明治大正期ころまでは日本人としての精神性や誇りは尊ばれそれを価値観の軸として子供たちに教え諭していたのだなと思えることが時々ある。
しかしながらその思想の一部分を利用した教育が太平洋戦争へと駆り立てる集団ヒステリーに進んだとする反省から思想教育そのものを教育から排除した。
娘が高校三年生になりいよいよ志望校を決める段になって娘と揉めたことがある。
第二志望は東京の私立でもいいじゃないかと言うのだ。
東京の私立でもいい?
その言いようや態度を見て、あーこの子は世の中を舐めてるな思考がチャラチャラしているなと思った。
親元を離れて寮に入り有名進学校に入り受験競争に揉まれるうちに、人として大切なものを身に着けないまま18歳になってしまっていると思った。
このまままた親元を離れてしまえば、精神性の浅いチャラチャラした女になり本当の幸せとは何かを見つけられない心の貧しさに気付かないまま彷徨う人になるのではないだろうかと感じた。
家に置いて人としての深みを身に着けさせる努力をしなければならないと思い、自宅から一時間の通学の道を選ばせた。
この手の教育というのは難しい。
言って聞かせても「はいそうですか」とはいかない。
頭で理解すればいいわけじゃない。知識ではないのだ。
精神性はその立ち居振る舞いにその成果が現れる。
目の据え方、背筋の伸ばし方、声のトーン、笑顔、親はそれらに留意しながら見守るしかない。
座禅や瞑想に通じる、精神性の空間として茶道や神社仏閣の静謐さがある。
それを心の内に持って物事を考えられる人になってほしいと思った。
己のアイデンティティをしっかり確立した大人になってほしいと思った。
それらは何気ない日々の会話から徐々に徐々に自分の内面に培われ行くものだ。
私が静寂さのある人間ではないことは家族は百も承知である。
理想としてそういうものを求めていることは家族も承知している。
その中で育つ娘の人間性に期待した。
大学入学から五年後親元を飛び立つ時が来た。
チャラチャラした軽い大学生にはならず、一年で大学院修了の単位をもらうことができ、首席で卒業できたことは教授たちからのご褒美を頂けたんだなと思った。
先生方もちゃんと見てくださっていた。物事に取り組む姿勢というものにその“人となり”がでる。それを評価してくださったことに親として誇らしく思えた。
土台はできた。
これから先はお前の好きに生きるがいいと、ようやく思えた。
以前上か下かで人を見たがる人〜というブログをここで書いた。こんな人が目の前に現れた。改めて人を育てる難しさを思った。
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