私は4年近くも母娘の穏やかで幸せな時を過ごしたんだなと思うことがある。
娘は小さい頃、常に機嫌のいい子だった。不満でイライラする様子もなく素直に私の言うことに納得し、散歩に出ると道行く人、一人ひとりに笑顔で「ちわ!ちわ!( ◜ᴗ◝)و」と挨拶しながら歩いてた。お年寄り達はみな笑顔で応えてくれていた。
グズらない泣かない子なんているの?そんな子いないよ!と思うだろう、と思う。が、娘はクズったことのない子だった。
私は子供のヒステリックな泣き声に耐えられない大人だということを自覚していた。
だから泣かすまいと思った。
そのためにまず子供が目覚めたら泣く前に対処する。母の笑顔に勝る武器はない。
満面の笑みで寝起きの不安を払拭する。
あとは毎日決まったスケジュールを繰り返す。
常にご機嫌さんで、バカ笑いや泣く等の感情を爆発させることなく順調に知的興味に進んでいった。
知的興味はそのまま幼稚園入園に受け継がれた。偶然にも、この年赴任されたベテラン保育士がモンテッソーリ教育のスペシャリストだった。
先生は娘を見てこの子はモンテッソーリに合っていると思われ、直ぐにモンテッソーリの教材を用意して年少組をモンテッソーリ教室にしてしまった。娘はラッキーだった。
半年もすると絵本を黙読するようになり、言うこともしっかりしてきた。そして、シッカリし過ぎるようになった。


強すぎる。

お友達に対して優しくない。

出来て当たり前。出来ない友達を見下しているように見える。ママ友から娘ちゃん時々酷いこと言ってるよと忠告されたこともあった。
さて、どうしよう。
いつもニコニコ明るい楽しい子が幼稚園ではお友達との関わり方が分からないで威張ってる。
大人となら上手く話が出来て楽しく明るい面を見せるのに同年代と噛みあわない。
そうか!
一人っ子で兄弟喧嘩の経験が無い。
子供同士の関係を肌感覚で捉える経験が足りてない。
しかも、何でも水準以上に出来るものだから回りが引け目を感じて従う子が多い。本人も従わせようとする。
モンテッソーリでは上の子が下の子を導くことを教える。
娘は導くことを意識していたのかもしれない。
こうして、のび太とジャイアンのジャイアン化していったようだ。
この時、私は正直に言うと性格なんだもんと仕方ないじゃないと思った。
娘は意地悪な性格では無い、友達を泣かせたいと画策するような子でもない。
そして、水準以下の子を憐れむような憐憫の情を掛けてやるような高慢な性格でもない。
この子になんと言ってやれと言うのか。
お友達に優しくしなさいと言うのか?
普通はそうだろう。
が、私はなんでも深く掘り下げて考える癖がある。
優しさってなに?
幼児期の切磋琢磨する友達関係において、優しさの占める位置とは価値とは。
優しは教えてやるものなのか?
元々の性格を無視して優しさを押し付けるのはその子の有り様を否定することになりはしないか?
持って生まれた性格は何よりも大切にしてやりたい。
それが佳きにしろ悪しきにしろだ。きっと伸びしろがここにあるはずなのだ。
強い負けず嫌いな性格であっても(私は好まないが)、裏を返せば生きていく上での強い逞しさとなる場合がある。
気が弱く消極的な性格なら、親は歯痒く思うことも多いだろうが、それを責めても仕方がない。
どうしてそんなにダメな子なのなんて言えば傷つくし、言われて性格が強くなるとは思えない。
どの子も一長一短なのだ。
強い性格の子がいれば周りは迷惑だろう。気弱な性格の子の親は腹も立つだろう。
強い子同士で喧嘩もするだろう。
風当たりが強いことを覚悟して生きるしかないんだろうなこの子は。
社会で揉まれて学んでくれ!と思った。
処世術を幼子に教えていては、物事の真価の判断力を培うことができなくなりそうな気がした。
誰に教わるでもなく己の内から誠や真義や道義をつかめる人間性の土台こそ、大切に育んでやらなければならないのではないか親のなすべきことはこれだろうと思っていた。
今はまだ表面ヅラを装う優しさなんて、纏わせたくないと思った。
こんな厳しい親をもった娘こそ気の毒だったなとこの年になると思う。
もう少し柔らかい心根の親だったらよかったのにね。
スポーツの部活では厳しく辛い時、芯に信頼があればこそキツい言葉も優しい言葉も活きる。
真の優しさをこの子は持っているはすだ。
何らかの極面において内面から滲み出る優しさこそを尊びたいと私は考えていた。
硬いな。

今孫が、娘と同じような状況にあるらしい。
負けず嫌いで元気な孫はついつい乱暴になる。親はそれを気にしている。
娘は私の教育方針から被った弊害から友達関係で苦労したと言っている。
自分の子供には穏やかな友達関係をと願っているらしい。
1歳から保育園で揉まれている孫は娘のその頃のように単純ではない。
複雑な精神状態と頭を持ち合わせているようだ。
今月上旬に会いに行った。
随分大きくなっていた。活発だ、つい乱暴になると空かさず親から窘められる。
私に乱暴に振舞ったといって謝りなさい!ということになった。
なかなか謝れない。そっぽを向いたまま言葉だけゴメンなさい。
それじゃダメと言われる。
祖母としては可哀想になるが親の方針を台無しにする訳にはいかない。

言われていることに納得出来ないのか?
無理やり謝罪を強要されることに理不尽を感じるのか。
確かめたいと思ったが時間が足りなかった残念。私はこの手の心理に興味がある。

多分後者だろうと思う。
子育ては難しいなと今更ながら思った。
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それにしても育メンパパ振りが凄かった。

常に親に頼ることが出来ない地方出身の子育て世代は、夫婦で共に乗り越える覚悟が私達の頃とは比べものにならない強さで伝わってきた。
しかし仕事場では理解を示されないと嘆いていた。
いつでも助っ人に馳せ参じるつもりでいるが、コロナだ老いによる力不足だと思うようにはにいかない。
孫よすくすくと育てよ!!
優しさを心根に持てよ!!
娘夫婦よ
遠慮せずに親を頼っていいんだぞ。自分を追い詰めるなよ。

自分に負荷を掛けすぎていないか?苦しないか?
ほどほどに気を緩めて“のほほんと”生きていくことの心地よさ年金生活をするようになって感じている。
あー、世間の人たちはのほほんと生きているんだ。それって幸せなことだったんだ。知らなかった。(^^)v
年を取って丸くなるとはこういうことなんだろうか。
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