2020年12月17日

備忘録 AI.vs 教科書が読めない子供たち

「AIvs 教科書が読めない子供たち」 新井 紀子 著

AIが世の中を変えると言われるようになって久しい。

問題は今後AIが、多くの人の仕事を簡単に短時間でこなしてしまうようになるということだ。
そうなると、社会においての人の仕事が減り、収入を得る方法を失う人が相当数に上るようになるだろうと予測されている。

大昔から人間社会は進歩を続けてきた。

物々交換の次にお金が生まれ、農業が根幹だった社会から機械産業へとシフトし、車社会の次にコンピューターが出現した。
その度に人々は戸惑い流れに乗り遅れる人々が困窮し翻弄されて辛酸をなめることを繰り返してきた。



私の世代(1953年生まれ)は経済成長に必要な人材育成が急務となり、詰め込み教育が本格的になった時代だった。
概説
詰め込み教育は試験の点数は上がる反面、児童・生徒の学習の動機付け・持続に欠けるという短所があると言われる。

普通教育の最終目標が大学入学試験突破にあり、また当時の高度経済成長下において均質かつ従順で質の高い勤労者を育成する必要があった日本においては、少なくとも1970年代まではこの教育方法が一般的であった。だが、詰め込み教育の一番の問題として、「テスト過ぎたらすべて忘れる」(『剥落学力』と呼ばれる)といった成績のための暗記が一般的になったことがある。また、膨大な量の知識だけをひたすらに暗記させた結果、「なぜ、そうなるのか」といった単純な疑問や創造力が欠如してしまう点も問題である。授業速度の上昇や、現場の準備不足、教師の力不足もともない、落ちこぼれと呼ばれる、授業についていけない子どもが増加した。
Wikipediaより



中学生の時、機械的に丸暗記させられることに嫌気がさした。

私は中学での学習を放棄した。
当然成績は無残なものになった。
要するに頭が(特に記憶系が)弱かったということだ。
それでもなんとか普通に生きてこられた。
高度経済成長、昭和元禄のおかげなんだろうなと思う。


30年前パソコンと出会ったとき、今からはこれが主体の社会になるなと直感した。PCは記憶力を補ってくれる、計算ミスをしない。思考力や直感力が発揮できる世の中にやっとなるなと思った。
しかし、PCが社会に浸透しAIが世に知られるようになるまでに30年も掛かった。

長い間PCは計算機だった。



人間の思考には複雑な回路がある。
記憶と創造力とが合わさり織りなして、イメージが出来上がる。


AIにはましてやPCには思考力は無い。発想力が無い。閃きなんて起きようがない。


計算力や膨大な知識量を活かせる能力は、AIの方が人間より勝っている。


これからは思考力や発想力、閃きを持つ人間が、膨大な量の計算や途轍もない量のデータを持つAIを駆使して時代を進ませることになる。



記憶力が苦手な私は子供を育てるとき、思考力に力を入れた。

2歳の子に疑問を投げてやると、幼児のくせに小さい頭で一生懸命に考えている。それが手に取るように分かる。少ない知識を駆使して突拍子もなく面白い答えを引っ張りだす。
人間は考える生き物なのだ。

ドンドン伸ばしてやりたいと思った。
10代のころに読んでいた発達心理学の知識が少し役に立った。



娘は文系頭だと直ぐに分かった。

字を読む能力が卓越していた。幼い頃、視覚に文字が飛び込んでくると言っていた。


ちなみに孫は理系頭だ、数字やパズルが目に飛び込んでくるらしい。

先日上京した際に孫と、毎月送られてくるドリルで遊んだ。
迷路やパズルや数字が載っていると嬉々として取り組もうとする。あっという間に解いてしまう。

しかし、問題文をちゃんと読もうとしない。

字は読めるが、意味を持った言葉として吸収されるまでにタイムラグが生じる。
娘の幼少時はこの時期が全くと言っていいほど無かった。センテンスとして文字を捉えていた。

これからの時代、教科書がちゃんと読めない子供たちの将来はAIに取って代わられちゃうよとこの本は訴えている。

裏返せば教科書くらいは一字一句違えずに読めるならば、なんとかなるということだろうか?


私も教科書が読めない部類に入る。
一字一句見逃さないで読もうとする意識が欠落している。

頭の悪さは治しようのない持病だと諦めている。その頭で読むものだから飛ばし読みになってしまう。

それではダメらしいので、「AI.vs 教科書が読めない 」を読んで、ゆっくり読む練習をしてみた。
なかなかできない。早く問題を解くことを強いられる環境で育ったせいだと思うが、単に注意力散漫なだけだなと観念する。

それならばと、飛ばし読みの癖は直らないが漢字に注意を払いながら読んでみた。

成る程、文章の内容が今までよりちゃんと入ってきた。

意識の集中の仕方が少し変わった。




PCの総力を上げて進化した末にAIが生まれた。

AIはかなり複雑な問題もハイスピードで答えを出してくれる優れものだ。

AIは文句も言わずご飯も食べずに24時間動き続ける。

事務処理も銀行の窓口業務もスーパーのレジも病理の検査もなんでもやってのける。


これからは記憶や計算力やデータ処理に下支えされた職業はAIに取って代わられるようになるらしい。


AIは国語が苦手なんだそうだ。

特に日本語は分解処理しても入力の種が一定せずパターン化が難しいらしい。

日本語は音読みと訓読みあり、音で分類しても同一音で意味が違う場合が多い。

ニュアンスを重視する日本語は数学的に分解するのが困難だという。




これからの教育は、大きく変わらざるを得ない。


思考力の無いAIと思考力の無い頭脳なら、AIのほうが便利に使えるのは言うまでもない。


AIに取って代わられない社会人に育てなければならない。



今、先が見えにくい時点に来ている。


社会が大きく変わろうとしている。




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posted by win-manma at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 備忘録