2022年12月25日

漢字の書き取り「とめ・はね・はらい」

今年もおかげさまで県展に応募し入選できました。拍手

筆文字の半紙サイズと条幅サイズ(136cm×34.5cm)を所属する会に毎月提出して評価を受けている。

筆とは別にボールペン・万年筆の練習もしていてこちらも会に提出して審判を仰いでいる。

何年か掛けてようやくボールペンは順師範に、万年筆は特級になった。

ボールペンは日常的に使うので自分の癖が出て、手本通りにはなかなか書けない。
今更小学生の書き取り練習のように素直に書けないのは性格の歪みかと思えてくるほどに書けない。

それでも続けているのはやはりきれいな文字に対する憧れがあるからだろう。
これは美的なものに惹かれる私の欲だ。

小学校の頃書取りでよく褒められた。
学級新聞作りを手伝わされて鉄筆でガリ版に書いたりしていた。


ボールペンや万年筆で書いて提出してもなかなか昇級できないのは、とめ・はね・はらいの正確性が問われていることが分かった。
一字一字丁寧に書け、書けていなければ落とす。と聞いて驚いた。

キレイに見えることよりも正確であることの方が大切だということらしい。
万年筆は特級までは楷書で書かされる。どうりで進級できないはずだ。


私は綺麗な文字が書けるようになりたくて練習しているのに、木偏の二画目の末尾がはねられていない?
そんなことを覚えたくて書いているんじゃないよと言いたいが、それが判断基準というならそれを満たすしかない。
これじゃ書道教室の真義を逸脱するだろうにと心配になった。


この様なことが小学校の一年生にも行われていると聞いて驚いた。

孫の書取りノートにびっしりと付箋が張られている。不備が指摘されているのだという。

てん、はね、はらい、接合点の隙間、等々

小学校一年生ではまだ鉛筆をコントロールする握力にも個人差があり、器用不器用の個性もある。
孫はまだ鏡文字を書くことがある。これは脳の処理能力が未発達だということだ。
そのような子にそんな細かな点やはねや隙間を指摘しても伝わるはずもないだろうにと思う。

それよりもきれいな文字楽しい文字を書く楽しさの方が先じゃないのか?

感性を育てる大切さの方が今の教育には求められているはずだ。
コンピューターに任せられるような仕事は世の中からどんどん淘汰され、感性や創造力を発揮して未来を切り開いていく能力が求められている。

昔、職場の上司が言っていた。
数枚の設計図が提出され見比べた場合、美しい設計に手が行くと。
数学者がよく言う、美しい数式。

一本の線が引いてある、美しい線と汚い線、それを識別するその感性こそが大切なのだ。

起点と終点の幅と色。
書道でいうなら起筆・送筆・収筆、起筆の強さと濃さ、走筆のスッと伸びた線の細さ太さ、収(終)筆の締め具合。

これを見て感じる目が感性だ。




初頭教育では勉強嫌いにさせない工夫が大切だ。

頭ごなしに間違いだぞ!と指摘されて直させられたら誰でも苦手になり漢字が嫌いになる。
勿論漢字に限ったことではない。

その根は深く残る。


文化庁が平成28年2月29日
常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)を発表している。
そこには
漢字の字体・字形については,昭和 24 年の「当用漢字字体表」以来,その文字特有の骨
組みが読み取れるのであれば,誤りとはしないという考え方を取っており,平成 22 年に改
定された「常用漢字表」でも,その考え方を継承している。
しかし,近年,手書き文字と印刷文字の表し方に習慣に基づく違いがあることが理解さ
れにくくなっている。また,文字の細部に必要以上の注意が向けられ,正誤が決められる
傾向が生じている。


「常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)」 (平成28年2月29日 国語分科会)
○ 手書き文字と印刷文字の表し方には,習慣の違いがあり,一方だけが正しいのではない。
○ 字の細部に違いがあっても,その漢字の骨組みが同じであれば,誤っているとはみなされない。


この様な指針が出ているにもかかわらず、「とめ・はね・はらい」問題は、小さな書道教室にまでも類が及んでいる。



何故か教育の場においては時々おかしなことがまかり通る。

娘を育てている時はゆとり教育に疑問を持った。
国は何を血迷っているのかと本当に腹が立った。

国全体がゆとり教育まっしぐらの中で異を唱えてもモンスター扱いされるのが関の山なので、独自で子供の成長を見ながら塾や家庭での指導を選びながら教育には力を注いだ。


くれぐれもおかしな方向に流されないように!
頑張ってください。



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posted by win-manma at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2022年12月19日

読書三昧

今年もよく本を読みました。

111冊は確かに読んだようです。
他にも途中で時間の無駄か?と投げ出したものが数冊、最後まで読んだけれど面白くなかった物は撮らなかった。


全部図書館で借りて読むので、手元に残らない。
そうすると何を読んだのか分からなくなる。
そこでスマホで写真に撮り記録しておくことにした。

今、写真を手繰ってみたら内容を全く覚えていない物が何冊かあった。
面白くなかったなぁと思ったものは写真に撮らなかったのだから悪くはなかった内容のはずなのに、、、。


読み飛ばすという表現があるがまさにそんな感じ。
先が気になってドンドン急ぎ足で、しまいには駆け足で読んでいる。
もう少しゆっくり味わおうよと自分に文句言っている自分がいる。


neko.JPG

先日読んだ「猫も老人も役立たずでけっこう」養老孟司著

この中に養老さんちの"まる"は虎屋の羊羹の味が分かるようだという文章があり、更に他所の羊羹は食べないと書いてあり、私はこれに反応してしまった。


恥ずかしながら私は未だ寅屋の羊羹を食べたことが無い。

"まる"に対抗心を燃やしてしまった。

そんなに美味しいの?
私は外側に砂糖が薄っすら覆っている羊羹が好きなんだけど、本物の羊羹は奥行きが違うということ?


えーい!
食ってやろうじゃないか!
だが、なんせ高級品あせあせ(飛び散る汗)

toraya.jpg

小さい小さい箱入りを買ってみた。

うーんあせあせ(飛び散る汗)
確かに美味しいには美味しいが、違いがはっきり分かるというほどのことはない。
紅茶は食べたことが無かったからか確かに美味しいと思った。
小豆と黒砂糖は上品だと思った。

やはり高級羊羹は抹茶や煎茶などの改まった清らかな空気感漂う茶席で美しい菓子皿に載せて頂いてこそ美味しいのかもしれない。
駄菓子と同等に扱っては気の毒だ。勿体ないとはこのこと。


気の毒?
何に対して気の毒なんだ?
羊羹に対して?
まさか、たかが羊羹だよね。


(*^-^*)



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posted by win-manma at 18:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2022年12月10日

焼き芋鍋

DSC_0306.JPG


寒くなったのでストーブを出した。

毎年のことながら手間のかかるアラジンストーブ。
常に芯のご機嫌を見ながら手入れをしていないとキレイなブルーフレームが赤い炎を見せ始める。

円筒形の筒の上でお湯を沸かし、シチュー、おでんや黒豆やぜんざい等の手間暇掛ける料理に活躍している。

これで焼き芋を作りたいのだが、筒の上に直接サツマイモを置くと蜜がこぼれてストーブの上に黒い染みが付き、これが焼き付けられたようになって取れない。


今年こそはと思い立ち、焼きも鍋を探してみた。

先ずはネットで情報収集。

鋳物鉄は憧れるが7000円から10000円以上の物まである。
断捨離を心掛けている。物を増やすことに後ろめたさがある。

この鋳物鉄の焼き芋鍋は後の世代にまで受け継がれ使い続けられる価値ある品物だな。(^^;
私あと何年使うつもり?
後の世代?
娘や孫は絶対に要らないと 言うに決まっている。

私が使わなければ憂いなく処分できる物を選ばなければ。
(; ・`д・´)

そこで高木金属の「ホーロー 焼いも器 24cm 石付き」をチョイス
これを選んだ理由は、メルカリで新品2800円(送料込み)を見つけたから。

Amazon4980円より相当安い! (*'▽')


これなら“一生もの”にはならないだろうから使わなくなったら思い切って捨てられる。(笑)


私は物を捨てられない人。あせあせ(飛び散る汗)

物に対する思い入れや執着心が強くて、身軽になれない。
手放すと風邪を引きそうな肌寒さを感じてしまう。(笑)


先日友人が使いもしない金のネックレス質屋で処分しようと思うのよ言う。

うちにも少しある。
ノリタケの派手な洋食器、分解掃除に出すのが惜しいほど出番がなかった夫のオメガの腕時計、ブランド物のバッグ、母の形見の金ネックレス。


友人は金のネックレスを質屋に持って行って79000円に換えてきた。


そうよね。
使いもしない物より現金よねたらーっ(汗)


美味しいもの食べた方がよっぽどいいよね。


石焼鍋はお芋だけではないらしい。
スイートコーン、栗、焼きナスも活けるようだ。

そうだ今日は生椎茸を焼いてみよう。醤油を垂らして美味しい日本酒が手に入ったからそれで一杯。
(*^^*)




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posted by win-manma at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし