2023年05月21日

初恋の人の死に涙する60代

姉弟の三人兄弟で育った。

この関係というのはどうしても一対二になる。


下の弟は兄ちゃんの後をくっついて離れない。
3歳の幼いころからずっと、大人になっても二人はよく飲み、遊び、歌い、話していた。

ギターも兄ちゃんに倣って弾き、酒を愛し歌い青春を謳歌していた。


私はそんな二人をちょっと離れた母寄りの立ち位置で見守っていた。


時々事故やトラブルに見舞われ、心配も半端なくした。


去年亡くなった下の弟は痩せっぽちでひょろりと背が高く笑うと愛嬌があった。
そして体は華奢だけど気が強かった。キャンキャン吠えるタイプではなかった。

飲み屋で喧嘩になり相手が凄んできた。
下の弟が立ち上がり店の天井の蛍光灯を握って武器にしようとした時は、こいつ喧嘩慣れしとうなと思ったと上の弟が話してくれた。

そういえば高校生の頃、常に眼飛ばしてくるとかちょっと顔貸せとか言われると言っていた。
目つきが悪くてガン付けた言われてはトラブっているようだった。

その頃、女の子とも仲良くて常に彼女がいて、この女誑しがと苦々しく思っていた。
時々家に連れてきたり、ちょっと会う?なんて言って連れて行かれたこともあった。

その度にあの娘はダメよとか、連れてくるなとか言った記憶がある。

駅前で蜷局を巻くように座っている連中なのだ我が家に合うはずがない。
父親は女性に対して理想を求める躾けに厳しい堅物なのだ。


上の弟は真摯なまでに女性に対して優しく真面目に向き合うタイプだった。

だからチャラチャラした付き合いはすることがなかった。
だから、気軽に彼女ができるタイプでもない。
本質的に厳しい内面を持っていて、それでもって相手を包み込む力を持っていた。

亡くなって十数年、未だに40そこそこで未亡人になった弟嫁があんな男はいません。
再婚なんて無理ですと億目もなく言い切る。
それを聞くたびに私はそれほどのもんかい!と突っ込まないわけにはいかない。

その弟が下の弟のモテ具合をみて、「ほんと、マメ」と言っていた。
確かに、携帯の無いあの時代に常に連絡を取っていた。
あのエネルギーこそがモテる秘訣なのだろうなと思った。



下弟繋がりの古い友人(女性)から昨日電話があった。

弟のその頃の彼女に亡くなったことを知らせたらしい。
会うことになり、40年ぶりに会った。
彼女等ももう60代のお婆さんの仲間入りの年頃、本人達はまだまだと思っているようだが・・・。

あの頃のあの切ない想いを思い出したのか、亡くなってしまったという悲しみなのか。
孫のいる初老の女二人、泣いたいう。


青春だった。

確かに輝いていた。


しかし、私はきっと泣かない。
泣けない。


切ないの想い出もある。
しかし、どうしてるかなぁとは思っても、泣いて悲しむほどの気持ちにはなれない。
それほどの純粋な気持ちを持ち続けている人柄に頭が下がる。



娘に話したら、今の嫁さんを選んだの間違いやったねと言った。


弟が連れてきた女性たちの中で、唯一良さそうに見えた今の嫁さんを押したのは私だった。

ハチャメチャな青春をおくる弟に7年も黙って付いている美人の彼女。
結婚させてやったら?お金出してやったら?と母に言った。


今の嫁さんも弟が好きで仕方なかった。その気持ちは今も変わらず持ち続けていると思う。

葬祭場に送り出す時の姿は今も私の目に焼き付いている。
涙をこらえ泣き崩れたい気持ちをぐっとこらえて立ち尽くしていた。


たぶん、嫁さんは弟と誰よりも一番近い存在、唯一無二の存在でいたかったのかもしれない。
姉ちゃんを慕う弟の気持ちが許せなかったし弟の幸せを思い遣る姉の存在が邪魔だった?
独り占めにしたかったのだろうか、結婚ってそんなものじゃないのにね。



もうあの嫁さんに傷付けられるのはご免被りたいので今後の付き合いはお断りしたけれど。

「最後まで弟と添い遂げてくれてありがとう」と伝えた。
その言葉に嘘はない。







最近、あの時のあの判断は間違っていたなと思うことがある。
例えば母の手術、もう手術はしたくないという母に可能性に掛けようよと言ったけれど、手術しなければもう少しだけ生きられたのにとねとか。



後悔は先に立たずというけれど、その時はこれがベストだと思っていたのだ。
未熟者だったんだなと今思う。



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posted by win-manma at 16:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2023年05月13日

11年ぶりに胃カメラとエコー

逆流性食道炎なのだろうなたぶん。

それにしてもビールコップ半分で胃が痛くなるなるなんてことは今までなかった。

こりゃかなり悪いな。


頭はふらつくし、便が黒い。
最初に黒い便が出たのは一月末その時は驚いた。
これは撮っておいた方がいいかもしれないとスマホで撮った。その後少し良くなったり悪くなったりを繰り返す。

喉を突き上げるような痛みや不調がつづき

覚悟して11年前に胃カメラで診てくれた昔の掛かり付け医院に行った。

この先生はとても気さくな先生で親しみやすい。
夫は今も毎月血圧の薬を出してもらい、時々健康診断をしてもらっている。


私の名前は残っていたが当時のカルテは処分されていた。

今の状態を話すと直ぐにカメラ・エコーしようと言ってくれ、翌々日エコーに続いて胃カメラを鼻から挿入。
ゆっくり丁寧に診てくれた。

エコーが済んだ後の雑談で、もう少し早く来ればよかったのに!と思うことあるんだよね。小さければ気が楽だけどね。大きければ言えないしね。外科に行っておいでと言うしかない。


あーこれはエコーで引っ掛かったのだろうか?

不安になりながらモニターに映し出される食道・胃を見る。

先生はカメラを進めながら説明してくれながら探している。どこからか出血してるだろう箇所を。

胃はキレイなピンク色をしていた。
爛れた箇所は無いように素人目には見える。
カメラを抜く方向に行きながら、少し白っぽい箇所で逆流性あるねと言われた。

時々小さな血痕があるがこの程度なら大丈夫。ジワーと出続けてるのがいかんのよねそれが認められない。

うん大丈夫そうよ。



良かった。(;'∀')



外科に行けと言われ、抗がん剤治療を受ける覚悟をしなければならないと思っていた。



もう少しこの世を楽しめることが有難いと思う。



エコーでも写真をみせて丁寧に説明してくれた。
肝臓も膵臓も腎臓も大丈夫、太い血管の動脈瘤も無いと言ってもらえた。




今月、習字のメンバーさんが一人やめた。

役所に毎月出す書類をお願いしていたのだがミスが多い。
聞くと、説明されたことを覚えられない。渡された紙の内容が???渡されたことも覚えていない昔はこういう事務仕事は得意だったのにねと本人が言う。
ならば役所の書類はもういいよ。習字は続けようねと話したのだが、これ以上周りに迷惑を掛けるのは不本意だから辞めることにしたと、、、。


歳をとるとこうなるのよ。と相変わらずの上から目線で諭された。


老人の健忘症?を自覚して受け入れるのは辛いことだろうなと気の毒になるが、明日は我が身かもしれないのだ。



楽しみをなるべくたくさん見つけて明るく健康に生きられたらいいな、これは願いというより祈りに近い想いだと思う。





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posted by win-manma at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし