2015年09月22日

シルバーウィーク2015年

お彼岸と敬老の日が重なった21日
夫の実家の仏壇に手を合わせにいった。
以前、お前達はお墓参りは行く必要ないのだと義兄に言われているので仏壇に手を合わせる。

そして義母さまを見舞った。
義兄が骨折で入院中なので兄嫁と一緒に施設に行く。

義母様、相変わらず不機嫌で体の不調を訴える。
聞く方はもう皆ウンザリしている。
少し汗ばむ陽気、皆ジンワリ汗をかいている。
義母さまに言わせると「今日は生汗(なまあせ)が出る。~(-゛-;)~」になる。
喉に違和感がある。一度カメラを入れて見てもらった時、出来物がある言われた。
食べ物がつかえる痛みがある。と、訴える。
体調不良を訴え病院の診察をせがむのが癖になっている。

今日は兄嫁が一緒に居てくれたのできっぱり否定してくれた。
「診察の結果、何も無いと言われたよ。カメラを入れてもらったのは2回よ!」「のど飴が効くんやろ?」
なんだか頼もしくさえ感じる。溜飲が降りる気分だ。
毎回毎回病気依存の人の訴えを聞くのは気が滅入る。お見舞いの足が遠のくのを聞いてやることくらいしか出来なのだから・・・。と思い直してお見舞いに行っているのだ。
93歳でも陽気に明るく生きている老人を見ると拍手を送りたくなる。

義母様、今度は私達に墓掃除の手伝いをしろ、兄嫁が病気にでもなったら大変じゃないかと言い出した。
兄嫁に限らず主婦が病気になったらどこも大変なのは同じ。
私が病気になっても大変なのだが、それは義母様自身には関係ないことだと思っているらしい。
要するに大変なのは自分の世話をする人がいなくなったら大変だということなのだ。
兄嫁の苦労を労う気があるなら、世話や気苦労を掛けないように気遣うことの方がよほど大切なのに、その気は全く無いらしい。
義兄は親の面倒を見ているのだ、あんた達が義兄を手伝うのは当たり前だ!という手前勝手な発想はちょっと勘弁してもらいたい。浅はかな女はこれだから困る。舅が亡くなった時長男に頼ると決めたのはあなた自身ではないか。
そしてその後、本家を引き継ぐことを決めたのは兄達自身が出した答えだ、その息子である甥も自分は本家の長男だと言って憚らない。本家の長男であることにプライドを持った人達なのだ。
その時全財産は長男である兄が引き継ぐからいいな!と、次男三男は約束させられている。
だからといってもう関係ないと介護の面倒など掛けないでくれと思っているわけではない。
親が危うくなれば助け舟を出すのは当然だと思っている。
本家の家長である兄が義母様を見捨てるようなことがあれば、チョッと待った!とレッドカードなりイエローカードを出す気構えでいる。
我々の役目はそこだ。この存在は義兄達にはプレッシャーとなる。このバランスが義母様にとって重要なのだ。
義兄がどうしても介護ができないような困った状況になれば義兄が我々に招集を掛ける。
そこで兄弟で話し合い対処法を協議する。それが筋だ。
義兄もそこのところはわきまえていて、よほどのことがない限り我々に「困ったどうしよう」とは言わない。

いい年をして(93歳)そこのところの判断を間違えてもらっちゃ困る。
兄嫁へのおべんちゃらのつもりで言ったのだろうが、その出汁に使われては迷惑、笑止千万だ。
物事がスムーズに進むにはそれなりの道筋のつけ方というのがある。
それを間違えると迷路に落ち込む。堪えるべきところを堪え切れずに茨の道を進むことになる。トラブルが絶えない状況にもなりかねない。
家長、長男の才覚とはこういう時に表れる。ちゃんと治められるか器が試される。

義兄夫婦は今、後を継いだ長男として意地とプライドを持って頑張っている。
気の毒だと同情して助けようとしても素直に快く受け入れてはくれない。
我が夫が俺の親でもあるのだからと手を出せば長男としてのプライドを傷つけることになりかねない。
私達のできることは時に愚痴を聞き相談に乗ることくらいなのだ。
そして無事に義母様をおくりだす日が来たら我々は心から義兄夫婦を敬い感謝しなければならない。


本家の長男というのは特別の存在として昔は育てられた。
相当の財産のある家では○○家が栄えるように公私に渡り動き働き、分家が立ち行くように相談に乗り、助けるから偉かったのだ。
財産だけ受取って私服を肥やすような狭い了見で務まるようなものじゃなかった。そんな家はいずれ滅びるというのが一般的な見方だった。

今は、小さな土地と古ぼけた家を貰って長男面をしている人が多い。
滑稽なのだが、案外これが今の主流になっているから面白い。

歳を取れば心細いのは分かる。
しかし、人に対する思慮や優しさ失った姿はつくづく哀れだと思う。
わが身を我が命を永らえる為には他人など構っていられない、そんな潜在意識がそうさせるのだろうか。
上っ面な優しさではなく、死ぬまで持ち続けることが出来る芯の優しい心根や思い遣りの気持ちはどうのようにして培うことが出来るのだろう。
posted by win-manma at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 老い
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