2016年02月27日

司馬遼太郎著 世に棲む日々

葉室 燐 著「春風伝」を読んで何か違うと感じ、司馬遼太郎さんの「世に棲む日々」を読みたいと強く思った。

春風伝は高杉晋作の名を語ったストーリーつまり物語の筋書きだと思えたのだ。
時代や場所や登場人物は幕末の長州や京都や上海なのに高杉が魅力的じゃない。

司馬さんならもっと高杉晋作をしっかり掴んで迫っているはずだと思った。

世に棲む日々は前半は吉田松陰の話である。
司馬さんは著書の中で松陰を好まないことに触れていらっしゃる。
松陰を避けては晋作を語れないから書くしかなかった、らしい。

司馬さんの小説の魅力は、人物の明るさにあると私は思っている。
快活でエネルギッシュで底抜けに明るい。

確かに松陰は命を掛けて密航してまでも己の思いを遂げたいと欲する情熱の凄まじさはある。
エネルギッシュで前向きではある、が大らかさに欠ける印象を受ける。

それも個性であり、魅力といえば魅力なのだが、私はこのタイプが苦手だ。

山鹿流兵学師範の家として徹底した英才教育で育てられ、あらゆる思想や情報を収集し、それを煮詰めて我が物とし幕末の尊王の思想を作り上げた。
これを聞いた松下村塾の若者たちは目が覚める思いだったに違いないだろうと思う。

しかし

若者ではない私は、その人物を大ききく捉えた中に偏狭という部分がチラッとでも見えると、底が見えてしまったような気になる変な癖がある。前半の松陰の部分を読んでいてそう感じてしまった。


松下村塾に集まる若者達は決して松陰を偏狭などとは思っていないと思う。
とてつもなく大きな存在だと思ったとおもう。

司馬さんは戦前、軍が天皇を奉るやり方に松陰を利用したから好んで取上げようとしなかったと書いておられる。

が、

それよりも、私にはこの世に在るわが身の命の捉え方の違いを感じておられたのではないだろうかと思えた。

高杉や竜馬の自分の命に対するフットワークの軽さが松陰には感じられなかったのではないか。

武士には死に花さかせて命を輝かせる思想がある。
戦国ではなくあの時代の武士でも生への執着は薄い。
天命を、命の終わりをあっさり受け入れる明るさがある。肝っ玉の太さがある。
しかし、
松陰には己の死を計算してそこに賭ける小賢しさがあったのではないか。
命を思案で弄ぶ傲慢さがあったのではないか。


竜馬や高杉にはそれがない、戦いの日々の途中で命を落とすのである。
そして、本人達がそれを悔やんでいない。
この世でひと暴れしてあの世に去ってゆくだけのこと。
あー面白かった。(*゚▽゚)ノ 
「おもしろき事もなき世をおもしろく・・・」晋作辞世の詩





松陰は死ぬべき時を間違ったんじゃなか?
死に急いだんじゃないか?
命は天に委ねて、もっと大らかに生きてほしかったな。

命は思案の外に在るものじゃない?



読みながら天命を全うするということの意味や意義に思いを馳せた2週間だった。



posted by win-manma at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 備忘録
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