2017年01月09日

血のつながり

娘は結婚し去年子供にも恵まれた。
人間にとって子供を産むということは人生の一大事。

出産を経験すると人生観がガラリと変わる人が多い。
不思議なことに自分よりも子供の方が大切に思えるのだ。
子供を育て上げる使命感に突き動かされ力が漲ってくる。

結婚は縁あって互いにまぁ良いなぁと思い、自分の意思で一緒に生活するようになる。
が、子供は互いの信頼もそれぞれの意思もへったくれも無い。
何も無いところから関係を築きあげ作り上げていくことになるのだと娘の出産子育てを見ていて改めて強く感じているこの頃である。

生まれたばかりの子供は、最初から親を信頼して頼ってくるような心優しき者ではない。
冷たい言い方になるが、単なる生きもの、生命体なのだなと感じることが多々あった。
それを優しく抱(いだ)き肌と肌を触れ合い、優く声を掛けられ、微笑みを受けてはじめて心通い合う親子になっていく。
生まれた直後から赤ちゃんは母親に親しみの感情を持っているというのが一般的認識として有るように思う。
が、その認識を前提にした勘違いが多くの母親を悩ませているのではないだろうか。

余談になるが、ではいつ頃から赤ちゃんは親の母性や父性や親しみ愛情を感じるようになるのだろうか。
個人差は大きいのだろうとは思うが、たぶん声掛けに反応し始め、自分の手足を認識し始めた頃から笑顔で包み込んでくれることを快く感じ、母乳やミルクをいっぱい飲んでお腹が満たされ、不快を取り除き、いつも傍にいてくれる安心感や心地良さを感じるようになるのではないだろうか。
保護者の愛情を認識するのは案外に遅く声掛けに反応し笑顔を見せ始める頃からかもしれない。
これはあくまでも私の感じたままの私感です。



親はわが子の成長をお腹の中にいた時から感じ見つめ、出産によってようやく対面となる。
正に血肉を分けて生まれでた子を抱く感動を味わう。



夫婦はパートナーだから、解消することができる。
しかし、親子はどんなに不都合・不出来な親であり子であってもDNAが証明するまでもなく血の繋がった、自分の中の細胞から分離した子。親子なのだ。
この関係は消しようがない。

今年の正月は義母様の所に子供夫婦、孫夫婦、曾孫らがうち揃って新年の挨拶に行った。
総勢17名がベットを囲んだ。
血の繋がった者がこんなにいっぱいいる。
それだけで義母様は幸せな人だなと思ったが、ご本人はそれぞれの連れ合いの名を覚えるのに必死だとぼやいていた。(笑)




年末に義妹(弟嫁)のお父さんが亡くなった。
94歳で自宅で義妹の介護を受けて続け、娘夫婦に看取られて自宅で静かに往生したそうである。
これもまた幸せな死に方である。

弟夫婦には子供がいない。
義妹はひとりっ子である。
血の繋がった近しい人がいなくなってしまった淋しさを思うとなんとも切ない。
毎日のように綴っていた彼女のフェイスブックが更新されなくなっている。


30年前
父が逝き2年後に母が逝った時、この弟とひと悶着有った。
それぞれに連れ合いが出来、連れ合いの家族の思惑に翻弄され、その上に親戚達がからんで縺れてしまった関係は容易に解(ほぐ)れはしなかった。
三人姉弟の真ん中が抜け去った時、棺の前で一晩中この弟と話した。
まだ30歳そこそこだった弟も50になろうとしていた。
20余年の歳月と血の繋がりが当時の記憶と感情を淡い色にしてしまった事をその時私は感じた。

兄弟は他人の始まりというが、しかし血は争えず、水よりも濃いものを我が心の内に感じたのだった。


私は娘に兄弟(姉妹)を授けることが出来なかった。
それはかわいそうよ。もう一人産んであげなさい。と近所のおばさんが言っていた。
おばさんはきっと、血のつながりの重さを知っていたのだろうと今になって思う。


それでも
娘がいて娘の夫がいて、孫がいる。優しい気性の夫がいる。

人数は少ないが、いてくれるだけで幸せだと思う。

大切にしたいと思う。



義妹が少しずつでいいから、淋しさ悲しさから解き放たれる日が近付くことを願うばかりである。
posted by win-manma at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし
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