話が出来るようになったのもかなり早かったです。
manmaの第一子だったこともあって、多少早いみたいだけど2.3歳になるころにはみんな同じになるんだろうな。と思っていました。
子供が1歳のある日、接続詞を付けて話すとこの子はそれを理解するんだろうかと思ったんです。
そこで、接続詞を強調して話してみました。
すると、直ぐに理解して接続詞をつけて話すようになりました。
次に、形容詞を強調して話すと、形容詞を理解して話すようになりました。
「クッキー美味しいね」

鸚鵡(おうむ)返しではなくセンテンスを理解し、センテンスで話すようになりました。
ひらがなを教えても覚えず、漢字を象形文字から絵文字ふうに教えると直ぐに理解して覚えました。
ちょっと変わった子だと思いました。
そして幼稚園の年少組みに入り、モンテッソーリ教育と出会い年少さんで物語を黙読できる幼稚園児になりました。
しかし、ある日気付いたのです。
この子は毎日毎日3.4冊の本を読んでいるのに母親であるmanmaにストーリーに感激したとか内容に違和感を持ったとか、面白かったとか面白くなかったとか言ったこと無いないなぁ・・・と
ドラマチックなストーリーや物語の主人公に惹かれて読んでいるのではなく、読むことを楽しんでいるんじゃないか???と
要するに文学少年・少女ではないんだ。
行間を読む、想像しつつ思考を深めてはいない・・・と。
そこを聞いてみると「うん、そんなこと考えないよ」

しかし、印刷物は貪欲なほど片っ端から読むんです。
活字が目に飛び込んでくるらしいのです。
道路の片隅にある面白看板や標語、
レストランのメニューの目立たない所にある小さなプレゼント情報
センテンスで読むのでmanmaの5倍の速さで読みます。
そこで、小学校3年生のとき六法を買って読ませてみました。
目を輝かせて「面白い



特に文法が得意でした。接続詞の法則や活用など、文章の決まりごとは当然のように理解していました。
読解力というのは、こうした能力に裏打ちされた力なんだと改めて思いました。
manmaは国語力とは、文学を理解する力だと思っていたんです。
要するに、作家の意図を追及し、文学作品全体の崇高な表現や視野を解する能力だと思っていました。
勿論、そういう側面もあるはずです。
しかし、わが子は、崇高な表現には全く興味を持たず、ストーリーのスピードや展開を楽しんでいる。
それならばそのように導かなければなりません。
この子には一貫して、家で漫画を読むことをさせませんでした。
こんな子に漫画を与えたら、思考力が育たないと思ったからです。
家で漫画を禁止していても外で読む機会はいくらでもあります。
お友達の所、書店での立ち読み・・・etc
半端なく読むスピードが早いですから、それで充分間に合うんですね。

manmaの漫画禁止作戦は正解でした。

今、わが子は法律の具体的な文言を扱う仕事をしています。
国会で取り上げられる法律案の文章を作ったり、法律の見直しに係る法解釈のデータなどを扱っています。
官僚の仕事は
上のような法律の文章の「てにをは」レベルから紐解くような作業だけでなく、難解で曖昧な法律を理解するのは至極当然のことです。
それには文学的国語力ではなく、感情を排除した的確な法律理解と判断力と冷静に世界を捉える知識と視野が必要だと思います。
小学校3年生の時六法全書を与えた時から、manmaはこの子はそちらの方向に伸ばしたほうがいいな思いました。
勿論、aboutな範囲の方向性として捉えたに過ぎません。
ただ、資質としてみた場合の判断としては間違っていなかったように思います。
法律を学ばれた方々にもいろんなタイプの人がいます。
そのタイプを知ればどの方向に進むのが自分にとってベストなのかの判断はつきやすいように思います。
今後、求められる法律系官僚のタイプは
記憶型の人材(記憶型の多くが過去のデータの踏襲に陥りがちです)ではなく、頑強な法律基礎知識と文章作成力という土台に上に適宜状況に応じた判断力を持つ、思考力と広い視野のある人材だと思います。
これは今に始まったことではありません。
昔から、出世してゆく人に求められることです。
国T官僚には出世しうる資質が求められることは当然の事です。
官僚バッシングがされる世の中ですが、広い見識と思考を持った人が採用されることを切に願うばかりです。
このブログに多くの国T志望者の方がいらっしゃいます。
その方々の参考になれれば嬉しい限りです。ご検討を祈ります。
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