2018年12月03日

最近の恋愛観

去年だったか、不倫騒動というのがあってレポーターが鬼の首を取ったように騒いでた。

昨夜、半藤一利著の「万葉集と日本の夜明け」を読んでいて、そうなのよやっぱり変よね近頃の結婚や恋愛に対する考え方。と変に納得したのだった。
なぜかキリスト教的なにおいがプンプンする。プラトニックなものこそ至上至高であろうとするような、鶏のガラみたいな恋愛観が伝統のようにふんぞりかえっている。
だから自分ときっちり対応する異性が、この世界のどこかにかならず一人だけいて、その人と会わなければいけない、そしてその人と一対一で結びつき、ついでに高めあう、それが近代日本人の恋愛であり、結婚であった。

笑わしちゃいけないよ。はじめは隣の見知らぬ人と会ったことが縁となって、何度も会っているうちにチャンスが生まれ、何やらモヤモヤとしてくる。そして苦しむ。これこそが恋愛観の根本であるべきなのである。・・・云々。


この本、まだ読み始めたばかりなのだが、万葉集の恋の歌は大っぴらで明け透けなんだなという印象を受けた。

千数百年前の日本人の恋愛って広々していたんだなと思った。

世間が騒いでいるとき、不倫不倫と騒ぎすぎじゃない?と思っていた。
そりゃ夫(妻)や恋人が、素敵な人に心を奪われたら悲しい。
しかし、それを倫理観で糾弾してどうにかなるの?
キリストに誓った永遠の愛であっても、人の心の移ろいを、キリストの教えに背くのかと責めることで、離れた心が元に戻るの?
人の心ってそんなに簡単じゃないでしょう?


だから、キリスト教では心変わりされた方は、それはあまりに可哀そうだからってことで、
永遠の愛を誓えば不倫は許されませんということにしたんだろうけど、
それって嘘をつく人生を送ってもいいよってことにならないの?
窮屈な条理だね。と、私などは考えてしまう。


日本人はむかしから浮気を大目に見る風習があるし、悋気はおバカな奴のすることで、大目に見ながらしっかり手綱は離さない。なんて知恵をはたらかせる健気な女もたくさんいたんだと思う。
美貌や手練手管に惑わされるバカな亭主を、臨機応変に操って女の器量で勝負する女性の格好よさ!!

そこに人として力量を認める社会通念の成熟度。
そんな文化が消えつつあるんだろうね。


西洋文化の精神性より日本古来の精神性のほうがやっぱり好きだな。d(^^*)





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posted by win-manma at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし
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