2019年05月26日

角を矯めて牛を殺す

年を取ると一年があっという間だと年寄りはよく言っている。
まったくその通りで、私も近頃半年一年が瞬く間に過ぎ去っていく気がする。

ならばまだ三歳の孫は時間経過をどのように感じているのだろうか。

先日孫と話していてなるほどと思ったことがある。

去年11月に中耳炎になってしまった孫、耳鼻科に行き医師に指しゃぶりは良くないよとやさしく諭されたのだそうだ。

そこで孫は決心した。
指しゃぶりをしないexclamationことにすると。
夜泣きをしたり体調を崩したりしながらも、孫は指しゃぶりを克服しようと頑張った。
そして自分の意志で指しゃぶりを卒業した。

それを聞いて「すごいね。偉かったね。黒ハート」とほめてやったことは勿論だ。


「次はおむつを卒業しなければね」というと、「kazyuちゃんはあかちゃんだからまだいいの」と言う。
二歳は赤ちゃんだぞ!とでも思っているのだろうか。ヾ(・ε・。)ォィォィ

娘は、この子は自分でやると決めたらそうする子みたいだから、そのうちトイレでウンチするよ。とか言い出すんじゃない?と焦っている様子もない。



そして三才を2ヶ月後に控えたある日、そろそろ赤ちゃん卒業だ、お姉ちゃんパンツを穿くのだと決め、いざ決行とあいなった。
そしてすんなりとおむつを外してしまったという。


私の子育ての頃はおむつ外しは親の大仕事だったと記憶している。
最近の子は大したもんだ。(゚∇゚ ;)


今年のゴールデンウィークに電話で面白いことをいう。
「kazyuちゃんが赤ちゃんの頃、ウンチをおむつの中にしてたんだよ(笑)」
「あのころはね。〜〜 うふふ」
って、あなたまだ数ヶ月しかたってませんが。ヾ(・ε・。)ォィォィ


あー。そうかこの子にとっての1ヶ月は、私の1年位に相当する長さなのかもしれない。

時間感覚の違いに驚かされた。





感覚の違いに今もう一つ問題が生じている。

自分の意志がしっかりしているこの子は、お友達たちも自分と同じで頑張れると思っている。
誰でも自分で自分をコントロールできるものだと思っている。
そこでお友達が保育園のルールに背いたり、成長が遅かったりすると「どうしてできないの?」と思い、言ってしまう。


お友達に「いけないのよ!」とか「どうして分からないの?」と言ってしまうことはお友達を非難攻撃する言葉だと捉えれられても仕方がない、配慮や優しさに欠ける言動だ。


こんな時、周りの大人はどうしたらいいのだろう。
ネット検索を掛けると、「そんな風に言ったら可哀そうよ。優しく言ってあげてね」と言うというのがあった。

三歳の子に「そんな風に言ったら可哀そうよ。優しく言ってあげて」と嗜(たしな)めれば、たぶん素直にそうなのだと受け入れるかもしれない。
はたまた嫌いな食べ物を床に捨てるのはダメだってパパもママも言うじゃない。(゙ `-´)/ と反発するかもしれない。

可哀そうよで片付く問題か?それは安易ではないか?それでいいのか?
これは深い問題だぞと私は思った。



友達に対して可哀そうだと思う憐みの感情を教えることに私は少なからず抵抗を覚えた。
同い年の、成長の速い遅い、能力の多少の優劣を可哀そうと捉える。それ間違ってるでしょう。
そもそも三歳になったばかりのおむつをやっと卒業したような子に他人への配慮が理解できるのか。


冒頭でも書いたように「赤ちゃんだったころ、おむつにウンチしてたんだよ」「自分で食べれなくてママやばばちゃんに食べさせてもらってたんだよね」赤ちゃんだったから。
このお友達は私より大きいけれどまだ自分でスプーンでご飯が食べられない。だから食べさせてもらっている。

この子は赤ちゃんなんだな、と思うとしたら。そしてそれと可哀そうが結びつくとどうなる。

“可哀そう”という言葉で繕った他者への配慮が、子供の心の中でどう成長するのだろうか。

憐みの感情を呼び覚まされ、上から目線、不遜、思い上がり、高慢につながりはしないか?





「角を矯めて牛を殺す」という諺がある。
曲がった牛の角をまっすぐにするために叩いたり引っぱったりすると、牛は弱って死んでしまうことから、欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうことをいう。 by コトバンク



この諺を私は父に教えられた。
子供の全体を見て子育てしろよと言われた。

部分に囚われると子供の大切な要素(芽)を摘み取ることになりかねない。


至らなくて当然なのだから、気には留めても先ずは見守ることだ。
直ぐに矯正しようなんて考えないで成長段階の時期を選んで、少しづつ少しづつ活花の枝を矯(た)めるように形を整えなければならないのだと思っていた。


優しい心根は私の子供なのだから確かに遺伝している。それが顔を出した時に大切に育めばいい。

いろいろ弄(いじ)くって、ドンドン出てくる才能の芽を摘んではならない。

周りの目を気にして子供を小さいく纏め上げないでいくことは難しい。
子供にとって窮屈な環境がどれほどのストレスか。それを分かってやることはとても重要だと思う。
子供は伸び伸び育ちたい、それが本来の姿なのだから。




子供の世界には大人が介入しちゃいけない領域というのがあるような気がする。
子供の喧嘩に親は出て行かないで傍観するという知恵が昔はあった。




そして親同士が仲良くしていれば大事に至らず子供の知恵で問題を解決する賢さを親は愛でた。


昔の親は賢かったんだな。私らの世代からダメになっているんだわね。きっと。


孫よお友達同士で切磋琢磨して大きく育て。d(@^∇゚)/ファイトッ♪






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posted by win-manma at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし
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