2019年08月24日

97歳になった義母様

90歳になったとたんに心と体が萎えたようになった義母様

それまでは意気盛んに強きを貫き、嫁の世話になるものかと嫁に睨みを利かせていきがっていたのに
フニャフニャと嫁に心も体も寄りかかってしまった。

私は気丈な義母様が好きだった。
可愛げはないが、シャンとしている老い方が格好いいと思っていた。

しかし、90歳の誕生日を迎えたころに不調を訴え取乱し、鎧を脱ぎ捨て本心を露わにするようになった。

ハッキリ言って、それからの日々の変遷で私は失望していった。
自分の余命に怯え慄き、わが身を持て余し子供の役割として老親を支えよと威圧してくる。

口では迷惑をかけると言うが、けっして迷惑を掛けまいとは思っていないことは言葉の端々ににじみ出ている。
食事を用意してもらわなければならない、買い物をしてもらう、洗濯をしてもらう、それらの面倒を見てもらうことが迷惑だろうと思っているらしい。

迷惑とはなんなのか分かっていないようだ。それは面倒を掛けるというものだろう。
生きていることが長生きをしていることが迷惑なことだと思っているのだろうか。それほどに恐縮しているのならばまだ可愛げもある。だがそうではないらしい。

先日は私に向かってさも兄嫁に感謝しろと言わんばかりに「T子さんに迷惑をかけている」と訴えた。それ以上聞くに堪えなくて私は顔を逸らした。


この人は自分の面倒を見るのは嫁たちの仕事なんだぞと思っているらしい。

二男三男の嫁には恩を被せ、それをこれ見よがしに言うことで長男の嫁に済まんこっちゃと思っているよと伝わると考えているようだ。

しかし内心では自分もこの家に嫁ぎ姑を看取ったぞと。
そう、あなたは舅姑のいる家に嫁ぎその存在に耐え、家財産を譲り受け子供を育てた。
そして、義理の兄家族もその家に住み着き舅姑とひとつ屋根の下に暮し、財産を受け取った。
それがどうしたと言いたい。


親を看護し看取るのは義務ではない。放ってはおけないと思う情が勝っていてほしいと私などは思う。
実の母は私を可愛がりはしなかった。嫌っていた。私も母を好いてはいなかった。
しかし、死の床に就いた母を放っておくことなどできなかった。理屈ではなく傍に付いていてやらなければという思いだけだった。


義母様よ、その考えは味気ないぞ貧しいぞと私は思う。
長く生きていることに感謝しろよと思う。長く生きて子や孫や曾孫に看取られて静かに命を終える荘厳な命の終わりを見せてやることが、あなたに今残された最後の生き様じゃないか。
それまで静かに優しく子孫の繁栄を幸せを祈って明るく清らかに日々を送ってほしい。


「T子さんが優しくて私は幸せ者だわ」という気持ちがあって私にそう伝えてくるならば。
私は兄嫁に素直に感謝するのである。我夫も「義姉さんありがとう」と義姉に感謝する。
人とはそういうものだぞと私は思っている。
人は弱ると底の方にある心根や優しさや謙虚さや感謝という素直な心情がその為人(ひととなり)が露わになる。

幸せな老人というのは基礎に素敵な心根が有るからこそなのだろうなとつくづく考えさせられた。




最初は戸惑い苦しんだ義兄夫婦も今ではすっかり落ち着き愚痴も言わなくなった。
それだけでもう私たち夫婦はちゃんと義兄たちの気持ちを汲みとって感謝している。


先日、義兄から義母様のお金の名義を自分に変えたいが良いだろか了承してくるか?と言われた。
勿論、快諾した。


死に際になってその人となりが現れるのだな。
肝に銘じて心して老後の心構えに備えなければならんなと思った。



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posted by win-manma at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし
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