2022年09月29日

二つのお葬式

義母様が100年の生涯を閉じた。

夜10時過ぎに義兄からいよいよ危ないらしいと電話。

二日前に見舞いに行ったらコロナが出て全館閉鎖状態になっていた。
看護師長さんが出てきてくれて、病状や今後の見通しなど聞かせてくれた。

明日なのか10日後なのか分からない状況だと言われ、数日後に迫っていた東京行きを延期した。

葬儀は身内のみに拘り、小さくひっそり静かに送ろうと話し合っていたのでそのように。

ただ、孫たちが最後のお別れはしたいというので十数名になった。


いよいよ危ないと聞き駆け付けると意識はないままだが呼吸は強い。胸が上下するほど呼吸している。
血圧が下がる傾向にあるが、持ち直して多少落着く様子も見える。

頑張って生きている。

朝まで頑張って生きたが呼吸が止まった。


亡くなった直後から数日は魂が浮遊しているように感じることがよくある。
100年と半年の命は完全に燃え尽きたのだろうか、そこに魂は感じられなかった。肉体のみが横たわっているという印象を受けた。

「生き切ったね」と手を合わせた。




その一週間後、実の弟が亡くなった。

未明に家の電話が鳴った。
昨今、固定電話に掛けてくるのはセールスかファックス、いたずら電話が多い、
夜中だ、いたずらかと判断して出なかった。親しい人なら携帯に掛けてくる。

そのまま眠れず早朝に携帯を見ると留守電が入っていた。弟の嫁さんからだった。

この弟は30余年前、両親が亡くなった時に色々あり、音信は極力避ける状態になっていた。
数年に一度会うことがあれば、情が湧いてきて懐かしい顔をお互いにするのだが、彼には彼の事情があり、親しくすることはなかった。

上の弟が亡くなった10数年前、二人で亡くなった弟の傍で一夜を明かした。
その時、これまでのことなど色々話した。そして互いに死んだら知らせようねと約束したのだった。

弟が嫁さんにそれをどう伝えていたのか知らないが、嫁さんは亡くなって直ぐに電話を掛けてきた。
両親が亡くなっあとのごたごたはお人好しだった私を変えた。深く傷付き数年間は人間不信になり苦しんだ。

あの嫁さんのことだ、亡くなったら通夜葬儀の日時を事務的に知らせてくるのだろうと思っていた。

しかし、亡くなった直後に電話掛けてきた、何回も何回も、私を求めているの?


電話を切って直ぐに駆け付けた。

去年会った時、癌が見つかったが抗がん剤が効いて消えたと笑顔を見せた。
だが今年再発し入退院を繰り返していて、数日後に再入院の予定だったのに大量出血してそのままとなった。
嫁さんは信じられず、死を受け入れられないでいた。
斎場が空いてないと言って、ドライアイスを載せて3日間自宅に置くことしたという。


嫁さんは一人っ子で、子を産んでいない。両親も他界。

夫だけが頼りだったのだろう。

離れがたい様子、気持ちが伝わってくる。


優しい気持ちでついていてやることしかできない。

5日間傍に居た。

遺体は段々と劣化する。一ミリ程の虫が付く。


死を受け入れるしかない。



嫁さんは取り乱すことなく気丈に振舞っている。
大したもんだ。



義母様の葬儀と違ってこちらは100人からの弔問客。

米つきバッタのごとく二人並んで頭を下げ続けた。



両親も二人の弟も皆逝ってしまった。


だが優しい夫と優秀だが忙しすぎる娘、孫二人、娘婿、皆が寄り添ってくれる。
私は幸せ者だ。
信頼できるかけがえのない家族がいる。



信頼できる人間が傍にいるという幸せは何物にも代えがたいと改めて思う。




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posted by win-manma at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし
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