姉弟の三人兄弟で育った。
この関係というのはどうしても一対二になる。
下の弟は兄ちゃんの後をくっついて離れない。
3歳の幼いころからずっと、大人になっても二人はよく飲み、遊び、歌い、話していた。
ギターも兄ちゃんに倣って弾き、酒を愛し歌い青春を謳歌していた。
私はそんな二人をちょっと離れた母寄りの立ち位置で見守っていた。
時々事故やトラブルに見舞われ、心配も半端なくした。
去年亡くなった下の弟は痩せっぽちでひょろりと背が高く笑うと愛嬌があった。
そして体は華奢だけど気が強かった。キャンキャン吠えるタイプではなかった。
飲み屋で喧嘩になり相手が凄んできた。
下の弟が立ち上がり店の天井の蛍光灯を握って武器にしようとした時は、こいつ喧嘩慣れしとうなと思ったと上の弟が話してくれた。
そういえば高校生の頃、常に眼飛ばしてくるとかちょっと顔貸せとか言われると言っていた。
目つきが悪くてガン付けた言われてはトラブっているようだった。
その頃、女の子とも仲良くて常に彼女がいて、この女誑しがと苦々しく思っていた。
時々家に連れてきたり、ちょっと会う?なんて言って連れて行かれたこともあった。
その度にあの娘はダメよとか、連れてくるなとか言った記憶がある。
駅前で蜷局を巻くように座っている連中なのだ我が家に合うはずがない。
父親は女性に対して理想を求める躾けに厳しい堅物なのだ。
上の弟は真摯なまでに女性に対して優しく真面目に向き合うタイプだった。
だからチャラチャラした付き合いはすることがなかった。
だから、気軽に彼女ができるタイプでもない。
本質的に厳しい内面を持っていて、それでもって相手を包み込む力を持っていた。
亡くなって十数年、未だに40そこそこで未亡人になった弟嫁があんな男はいません。
再婚なんて無理ですと億目もなく言い切る。
それを聞くたびに私はそれほどのもんかい!と突っ込まないわけにはいかない。
その弟が下の弟のモテ具合をみて、「ほんと、マメ」と言っていた。
確かに、携帯の無いあの時代に常に連絡を取っていた。
あのエネルギーこそがモテる秘訣なのだろうなと思った。
下弟繋がりの古い友人(女性)から昨日電話があった。
弟のその頃の彼女に亡くなったことを知らせたらしい。
会うことになり、40年ぶりに会った。
彼女等ももう60代のお婆さんの仲間入りの年頃、本人達はまだまだと思っているようだが・・・。
あの頃のあの切ない想いを思い出したのか、亡くなってしまったという悲しみなのか。
孫のいる初老の女二人、泣いたいう。
青春だった。
確かに輝いていた。
しかし、私はきっと泣かない。
泣けない。
切ないの想い出もある。
しかし、どうしてるかなぁとは思っても、泣いて悲しむほどの気持ちにはなれない。
それほどの純粋な気持ちを持ち続けている人柄に頭が下がる。
娘に話したら、今の嫁さんを選んだの間違いやったねと言った。
弟が連れてきた女性たちの中で、唯一良さそうに見えた今の嫁さんを押したのは私だった。
ハチャメチャな青春をおくる弟に7年も黙って付いている美人の彼女。
結婚させてやったら?お金出してやったら?と母に言った。
今の嫁さんも弟が好きで仕方なかった。その気持ちは今も変わらず持ち続けていると思う。
葬祭場に送り出す時の姿は今も私の目に焼き付いている。
涙をこらえ泣き崩れたい気持ちをぐっとこらえて立ち尽くしていた。
たぶん、嫁さんは弟と誰よりも一番近い存在、唯一無二の存在でいたかったのかもしれない。
姉ちゃんを慕う弟の気持ちが許せなかったし弟の幸せを思い遣る姉の存在が邪魔だった?
独り占めにしたかったのだろうか、結婚ってそんなものじゃないのにね。
もうあの嫁さんに傷付けられるのはご免被りたいので今後の付き合いはお断りしたけれど。
「最後まで弟と添い遂げてくれてありがとう」と伝えた。
その言葉に嘘はない。
最近、あの時のあの判断は間違っていたなと思うことがある。
例えば母の手術、もう手術はしたくないという母に可能性に掛けようよと言ったけれど、手術しなければもう少しだけ生きられたのにとねとか。
後悔は先に立たずというけれど、その時はこれがベストだと思っていたのだ。
未熟者だったんだなと今思う。
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2023年05月21日
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