近藤道生さん(博報堂最高顧問)の手記を読んでいて胸が詰まって泣きそうになりました。
一ヶ月連載のはじめから15日間、ずっと戦争体験を綴っておられます。
数年前、急に「岸壁の母」という歌の切なさに気付き自分でもビックリしたことがあります。
それまで、二葉百合子さんが登場したらチャンネルを変えるほど興味も何も無かった、むしろ嫌っていたんです。あの手の演歌を・・・
それが、子供が高校を卒業した頃、唐突に
卒業式で若い青年らを目の当たりにして、この眩しいほどの若者達が戦争で無残に殺されたとしたら・・・
母は辛く切なく、悔しいだろう と思ってしまったのです。
manmaにマリオ(ゲーム)の攻略法を教えてくれたK君。
女の子が大好きで いつも 恥ずかしげにニタッと微笑むM君。
成績優秀のS君。
足がものすごく速くて運動会のヒーローのD君。
そうそう、D君にはいつも弟がくっついていて、我が家に来ると弟にご挨拶を教えてた。ヾ(´ε`*)ゝ
そんな子らが、みんな戦場に送られ命を落とす。
そうリアルに想像した時、岸壁の母が“ひとごと”ではなくなってしまったのです。
manmaの祖母は、まさにその母でした。

子供の頃、父や母から戦争中の話は聞きました。
しかし、幼かった私には既に10数年前の戦争体験は、織田信長や徳川家康の戦国時代と同レベルに聞こえ、
暖かな温もりを持った平和な家庭で聞くそれは、むかしむかしの小説と変わらない出来事のように感じていました。
それは、たぶんに我が両親の説得力の無さが原因だったのかもしれません。
近藤道生さんの文章からは、
若き上官としての苦悩がありありと伝わってきます。
瀕死の状態で帰国された近藤さんは、銀行局総務課長、大蔵省銀行局長、国税庁長官、博報堂会長、博報堂最高顧問 となって行かれます。
今日の記事では復員2.3年後に靖国神社に参ったと書いていらっしゃいます。
近藤さんにとっての靖国神社とは?と私は是非聞いてみたい。
開戦前、近衛首相のお話を間近に聞き、決して主戦論者ではなかった人の靖国神社とは何なのか。
それを聞かせていただけたなら、あの戦争の総括が違った側面を見せるのではないか。と思うのです。
この国はまだ、戦争の総括が終わっていない。
アメリカがこしらえた総括では、
どうも納得できない。しっくり来ない。
日本には日本の価値観と判断があったはずです。
世界全体で見た日本の立場と状況があったはずです。
誰々に責任があるという問題ではなく、
歴史的背景や民族性を踏まえ、軍の暴走で片付けない戦争の総括、歴史や経済、人や組織。それらを検証し、明白にしてほしいのです。
私達戦後生まれは、靖国神社の置かれている立場を知らない。
誰もが納得し、理解しうる「あの戦争はなんだったのか」
近藤さんの手記を読めばA級戦犯の曖昧さも垣間見えます。
そこには、男らしさと責任感ゆえの無念も見えます。
アジアの国々が靖国カードをちらつかせて日本の行く手を遮ろうとする。
あの戦争に至る、ヨーロッパを含む大きな流れが世界にあった。
それを踏まえたうえで靖国のことを教えてほしいと思うのです。
50代の私達が次世代に受け継ぐことは、あの戦争で何がなされたのかもさることながら、
なぜ戦争に至り、敗戦に至り、復興し、経済的繁栄を築きえたのか。
そして、これから先、どのように平和を築くことが望ましいかを指し示したビジョンを示唆する必要があるのではないでしょうか。
我が子らに知恵を授ける先達として私達が先輩方から受け継がねばならないことは、総括から見えてきた平和的思考や思想だと思うのです。
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