なかなか会えずにお互いに年齢を重ね、悩みも色々、子供のこと自分の健康のこと、親の介護・・・
40代50代のお母さんや奥さんは色々大変です。
時に迷って心霊師の言葉に涙することも多々あるようです。
しかし、今回はちょっと・・・ 腹が立ちました。
「あなた、水子がいるでしょう?」
「水子というのは池の中から顔だけ出してずーっと彷徨っているんですよ」
「そして、自分を葬ったあなたを恨み、生を受けてこの世に生まれたその子の兄弟を恨んでいるんです」
「あなたや家族の不幸はその子が災いをするんです」
と言ったと言うんです。
『そんなことあるかい

『そんな不幸を願うような子、生まなくてよかった』

なんらかの事情で生んでやることが出来なかった。その負い目を友人は一生抱えて苦しんでいる。
霊能者であれ何であれ、その傷に塩を塗るようなことを言ってはいけません。
そんな弱みを聞いて、人を諭す行為は卑怯者のすることです。
大昔は避妊も分からず、流された子はいっぱいいっぱいいたはずです。そんな子がみな水子として池で泳ぎ彷徨っていたとしたらどれほどの池が必要か・・・冷静に考えればへんでしょう。
そんなオゾマシイ想像をするのは、母親の慈愛と母性の呵責の想念です。
子供はどんなひどい親でも恨んだりしません。
自分の運命をけなげに受止めます。
辛くて泣いても、恨んで泣いてなんかいません。
それほどに純真なんです。なーんにもないんです。
親に殺された子が親を恨んで化けて出たなんて話ないでしょう?
だから、子供を流した親は苦しむんです。
子供の無垢な笑顔を見て涙するんです。
純真に親の愛を信じているその子を殺めた不幸。
怨念をとやかく言い出したらきりがない。
成長すれば人は人を恨み羨み、恐れ、また、好きになり愛する。
そこに愛憎入り乱れるそれがこの世です。
そこから抜け出したのがあの世です。
その愛憎入り乱れたこの世を自分らしく生きる。
愛だけでは成り立たないのがこの世なんですよね。
愛があるから憎しみも恨みも生じる。
それらを経て明るく生きてこそ味わいある老人になるんです。
友人はmanmaが敏感な人だと思い出して、電話をくれたようでした。
『私の所に変な霊が来たら、「世を恨んでも人を恨んでも辛いのはあなたよ、成仏して今度は幸せになりなさい
