何年か音信が途絶えていた弟の嫁さんから電話
鼻声で
「お姉さん・・・ごめんなさい」
ご無沙汰を気にして電話しづらくなっていたのかな、なんて思いながら やさしく
「どうした??」
「お姉さんごめんなさい」
「のぶあきさんが死にました。(涙)」
「何があったの?」
「心臓麻痺だそうです」
「朝、起きてこないので、ふざけてるんだと思って近づいたら硬くなっていました・・・」
親の意向と愛情を注がれながら兄弟姉妹として育ち、
反発し、衝突しながら大人になり、
結婚して独立し、其々に妻や夫を得てその伴侶の価値観や好みと溶け合い
変わってゆく兄弟達
時に調子のいい軽口と、愛嬌を見せて楽しませてくれたり、
時に呆れるほどの無責任さに歯がゆさや憤りを感じたり、口論になったり、
それでも血は水より濃く、
そんな紆余曲折の歳月を飲み込み、一瞬に捨て去って昨日まで一緒に暮らしていたかのような錯覚に陥る。
兄弟とはそんなものだ。
何年もゆっくり話していなかった弟の突然の死。
兄弟は他人の始まりとは言うが、同じDNAの親近感は拭えるものではない。
うら若き頃、この弟とは「生や死」をよく論じ合った。
仏教やキリスト教の書物を読んでは「成仏」「悟り」「生」「死」の議論を交わした。
弟が生とは
「『真っ暗闇に火が灯りスーと光ってフッと消える』そんなもんだ」
と言った。ある意味そうだと思った。
そして、弟はそんなふうに人生を閉じた。
弟の嫁さんがそんな弟の生き様をスマートに決める演出を凝らした葬儀の形を拵えて見せてくれた。
宗教に頼らない坊さんや神父さんを呼ばない、「お別れ会」
会場の中央に棺を置き、その周りにお洒落な活け花をたくさん配置して、椅子を並べ、少し離れた所にオードブルとシャンパン・ワイン・ビールを供する立食パーティー形式で、弟の愛した音楽やギターを流し、夜が更けると友人達がグラスを持って棺の周りに集まり、棺をテーブルにして、ジャズを唄い。涙し笑い。思い出話をする。
のぶあき、嬉しいだろうな 一緒に歌いたいだろうな と思うと泣けてくる。
そんな葬儀だった。
けいこちゃん(嫁さん)、ありがとう。
いいお葬式だったよ。
2009年10月18日
新しいお葬式
posted by win-manma at 23:43| Comment(0)
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