30代で夫は医者、子供1人
結婚と同時に専業主婦へ・・・
同級生が女子アナになって活躍している姿をみて空しさを感じている。というものでした。
manmaも結婚と同時に寿退社で専業主婦になりました。

楽しかったですよ。最初は。
家の手伝いなどしたこと無かったですから。
見るもの聞くもの驚きの日々です。
煮物の作り方も分からず電話で母に教えてもらってました。
料理本見てもシンプルな料理が載ってなくて・・・
筑前煮を作りたいのに載っていない。

数年後に知ったのですが、筑前煮は郷土料理でシンプルではないんですね。
洗濯機と掃除機を同時に使えなくて、二層式の洗濯機がぐるぐる回るのをじっと見てたり・・・(笑)
すすぎがチャンと出来てるか気になって水が透き通るまで何度も濯いだり・・・

それらに馴れてくると退屈になってくるんですよね。
そうすると好いタイミングに妊娠、つわり、出産、育児。


日々変化する子供の成長、観察していると。
突っ込みどころ満載。
好きでかじっていた発達心理学が役に立ちます。
脳(五感)を刺激するとドンドン成長するのがわかる。
はまりました。

30歳で出産して10年は瞬く間でした。
気が付けば40歳

周りのお母さん友達はみんなパートに出てしまっていて取り残された気分です。
それでもmanmaは専業主婦にこだわりました。
士族の家風を重んじる父に時代錯誤を無視してmanmaは躾けられました。

裁縫、活け花、茶道、書道、・・・等です。
そして、ある一定のレベルの生活水準を維持できる教養を結婚後発揮するのだと父に教えらたのです。
意外にも
これはカッコイイゾ

昔から「女三界に家なし」といいますが、夫に養われて服従するのが女の美徳と思ったら大間違い。
家庭を取り仕切るのは女の裁量だと心得え、大昔の女はそのための教養を持ったのだ。オーー

そして
手作りの料理、手作りのおやつ、手作りのパン、ホームソーイングで子供服、家には花を活け、毛筆で手紙を書き、時にはおやつに抹茶をたてて和菓子を頂く。
こうして子供をエリートの道へいざなった。
それはそれで楽しかったし、遣り甲斐もあったのです。
家族もそんな演出を楽しんでいました。
しかし、
manmaは子供の年代にmanmaと同じ生き方を望みません。
manmaの子供はそんなmanmaを見て育ちましたから母親が作った家庭、その環境を肌で覚えています。
今の若い女性は仕事を持っています。
それはとても素敵なことです。
自分の能力を社会で発揮できるのです。仕事は時に苦しいけれど生甲斐にもなる面白いものだと思います。
そこには素敵な人も多く、その人たちとの交流も人生の宝になるでしょう。
manmaにとっては専業主婦は遣り甲斐のある楽しい事でした。
しかし、残念なことに専業主婦は素敵な人達との交流が極めて少ないのです。
そのような交流をあまり必要としない業務なんです。
ご近所の人やPTAや学校・塾の先生、趣味のサークルくらいなものです。
寿退社した専業主婦なりたてで陥るのが
「私、馬鹿になりそう

知識の源泉がワイドショー。これでは“然も有なん”でしょ。
manmaが長年専業主婦をやってきて一番損をしたと思っていることは、尊敬する友人が少ないことです。
話をしていてドンドン刺激を与えてくれる、頭をフル回転して語り合えるような友人がいない事です。
専業主婦はその特徴として家庭を差配していますから、外に向かいません。内に向かっています。
自分の家庭を外に向かってアピールすると単なる自慢か愚痴になってしまいます。

要するに狭い

この息苦しさ、

家族が喜んでくれれば楽しいのですが、家族が嫌がれば空しい徒労になってしまいます。
能力ある今の女性にはそんな風に生きてほしくはないのです。
上手に時間を使って、おじいちゃんおばあちゃんに役割を持ってもらって、家庭を切盛りしてほしいと思っています。
そして、心豊かな生活をしてほしいと思っています。
調理を楽しみ美味しいものを食べ、お酒を愛し、会話を楽しみながら生きていってほしい。
manmaがわが子に伝えた文化はそのように生きる素地を与えただろうと思うのです。
manmaの父がmanmaに与えた幸せな専業主婦としての生き方の次は、
更に進化した仕事を持ちつつも幸せに生きるかたちが形成されるだろう。
そしてわが子がその次の世代に伝えなければならないこと。
それはやはり『味わう』ということだと思うのです。
美味しいものを食べさせるというのでは余りにお粗末。
味覚もさることながら、目で味わい、空気で味わい、耳で味わう、知識で味わう。
豊かな人に育ててほしい。そう願うのです。
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