「競争によって人間はもまれないと、成長しないし、自立も出来ない。自分の生き方さえ分からなくなります。競争は社会の原理なんです。国家や社会も競い合い、その結果、栄枯盛衰があり、進歩や退歩が決まるのです。いくら努力しても結果は同じですなんて教育はありえません。」・・・後略 (古森氏インタビューより)
今になってここ20〜30年の“競争社会を否定し続けた教育”を批判される人多いですね。
いや、あの当時、唱えてもマスコミが取り合わなかったと言うほうが正しいのかもしれません。
わが子を育てている時がこの時期と重なります。
自然の感情として勝てば嬉しいですし、負けたら悔しいです。
競争相手に対して悔しがる人もいれば自分に対して悔しがる人もいます。
内向的性格と外向的性格の違いです。
外向性タイプ=
外界の出来事に価値を感じ、自分の外にあるものに心のエネルギーを向かわせる人のことです。
内向性タイプ=
内界に関心を向け、自分の内側に心のエネルギーを向かわせて、外界にはあまり関心を持たない人のことです。
勝って嬉しい花一匁負けて口惜しい花一匁

値段をまけて口惜しい売り手側と、安く買ってうれしい買い手側の様子が歌われているとされる。
と唄われるくらいに勝ち負けの感情は自然なものなのに何故全否定した教育方針が採られたんでしょうね。
わが子は外向的性格でしたから学校では性格が悪いと随分批判され人格を否定されました。
manmaは競争原理を否定した「みんないい子教育」に真っ向から異論を持って子育てをしていましたから歯牙にも掛けませんでしたが、言われる本人は「学校では居場所がない時期もあって苦しかった」と振り返っています。
外向的であれ内向的であれ人は他人との比較で自分を見出すことに変わりはありません。
古森さんも言っておられます。
「人生における勝者、敗者は世俗的な地位では決まりません。自分なりに努力して自分なりの生き方を貫ける人が真の勝者です。受験競争も私の頃はひどかったが、偉くなりたいがために勉強したわけではない。負けてたまるかと思っただけですよ。それは動物の本能でしょう。」
----差をつけてはならないという意識は根強いです。
「ごまかしですよ。人間は赤裸々な存在です。他人との違いを知り、自分を知ることで、人生に対して折合をつけられるんです。それを避けるからちょっとしたことでくじけてしまう」
負けて口惜しいと思う気持ちと、みんな仲良く安らかに生きようと教えることとは全く次元の違うことです。
他人との競争意識がトラブルの元であることは確かな事実です。
だからといって、競争を排除して仲良く優しく生きることを教育の柱にしてしまっては
仏作って魂入れずになってしまいます。
教育はスピリッツを育て鍛える場でしょう。
それと戦中の大和魂とは分けて考えなければならない。
日本人の精神性やアイデンティティーや文化はプライドを持って教えなければ日本人の誇りは消されてしまいます。
仏作って魂入れずと言われてもよく分からないですよね。
魂を入れると同じような意味合いに開眼というのがあります。
1 新作の仏像・仏画を供養し、眼を点じて魂を迎え入れること。また、その儀式。「大仏―」「―供養」
2 真理を悟ること。特に、技術・芸能の道で真髄を悟り、極致を窮めること。また、こつを会得(えとく)すること。
つまり、腹の据えどころをつかむということになるかと思います。
弱者をみとめ横一列に並ぶゆとり教育の欠陥の最たるものが清らかな精神性を欠いている点にあると、わが子たちが受けた教育をみて感じていました。
スピリットの無い教育がもたらすものそれは・・・
スピリッツとは
「精神、情熱、根性。 本質、意味、意図。」
「グループのメンバーで共有している価値観、信念。」
切磋琢磨するなかでスピリットは磨かれ育まれるのではないか?
多分ゆとり教育側では、チームプレイのような競技でそのスピリッツは培われる、だからチームプレイをスポーツを奨励していると答えるだろう。
しかし、異質を認めずみんな仲良くみんないい子と信じている子供はチームの中の飛び抜けた運動神経の持主を認めることが出来るのだろうか?
隣人の優秀を認めず見出そうとしない狭い料簡に陥るのではないだろうか。
ゆとり教育は、そんな料簡の狭い、スピリッツという概念が理解できない人を大量に作ってしまったのではないだろうか。
清らかな日本人の道徳概念や細やかな優しさは、“決して負けないぞ”という強い精神性に裏打ちされた崇高なこころにあったのではないか。
そんなことを考えさせられた記事でした。
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