http://tit-hp.sblo.jp/archives/20100930-1.html ← 熟年夫婦の危機
熟年離婚はこの鎹(かすがい)が無くなった夫婦がその距離をどうするかだと思うんです。
この時期は、親の介護や親の死を乗り越えなければならない時期とも重なります。
また、自身の健康にも不安を抱える時期でもあります。
定年退職で経済状態や生活が大きく変わる時期でもあります。
↑これの前に、成長した子供が妻にとって夫より頼もしく、しかも話していて楽しいというのがありました。
これ、夫に嫌気がさすとっても重要な要素です。
子どもがもたらす新しい感覚や流行、その上恋話、聞いているだけで母親はまるでタイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。
あのデートに向かう前のワクワク感を思い起こすこともできる。
ファッションから時事問題、美味しいお店、etc etc ・・・
それにひきかえ、くたびれた夫の寝姿。緩んだ(人のよっては硬い)頭。
女は常に今を生きる生き物ですから、世間に対してアンテナを張り巡らせています。
そこにフレッシュな情報と感覚をもたらしてくれる子どもと夫とでは比べるに気の毒なほどの格差があるわけです。
この時期の母親は子育ても終わりその余暇を楽しんでいるわけです。
そこに父親の入る隙を与えようとはしません。なぜか?
時代に敏感ではない父親はその母子のスピードに遅れを取ってしまいます。そこに不甲斐なさを見つけてしまうわけです。
時にその遅れを自覚した父親が娘の恋路にいちゃもんを付けて存在をアピールするも結託した母子は意に介さずとばかりに父親の切なる思いを蔑ろ(ないがしろ)にします。
かくして、父親は疎外感を味わう気の毒な立場に追いやられる。
しかしです、悲しいかなその子どもは近い将来飛び立ちます。
しかも、男の子場合は嫁の下(もと(本来は元))に走る。

その時の母親の失望感たるや・・・
いくら良い嫁であっても、かわいらしい嫁であっても、優しい嫁であっても
憎たらしい

ここで、夫の真髄発揮です。

「良い子(男)に育ててくれたな

子どもとの蜜月の末、戻るのは少々くたびれた夫の元だと気付かせてくれる。やさしい夫の存在の大きさ。
そうだったのか、「私もこの人のかわいい妻だったのだ」「さぞや、姑は悔しかっただろうなぁ」
かくして、妻は老妻の座に安住する。めでたしめでたし。
それまでのしばし、心を広く持って優しい気持ちで待ってやってください。<(_ _)>