新郎新婦ともお涙頂戴の演出を嫌う上に、嫁に貰うとか、嫁がせるとかの悲壮感が無い結婚式は、終始明るくホットな雰囲気に包まれていました。(*゚▽゚*)
結婚は二人の合意の上に成り立つものだとmanmaは昔から思っていました。
○○家と△△家の婚礼というのは、それはそれで伝統と格式において良い文化だと思います。
家柄という文化の継承を否定するものではありません。
子供にそんな重みを背負わせたいと望む親は今は少ないです。
昔は玉の輿とか、逆玉とか言って重宝がられましたが、今は経済的に独立できるように育てていれば遺産を当てにすることなく生きていけますからね。
家柄と文化を重んじる家ならば、それなりの恥をかかない教育や教養や躾けというものがいります。
価値観も違ったものになりますし、人としてのプライドの持ち方も違ったものになりますから、そのように育てる必要があります。
自由闊達に育てた手前、年頃になってそのような人を選んだらどうしようと本当はビクビクしていたんですよ。(笑)
「結婚させてください」と挨拶に来た時、曹洞宗であることやお名前からして多分歴史ある家柄だろうとは思ったのですが、何も無いところから二人で築くという考えをお持ちのようなので、他は目を瞑って「おめでとう、よろしくね (*゚▽゚*)」と言ったのでした。
自分の「家」を築ける要素を今までの子育て培ってきました。
明るく楽しく頑張れる幸せな家庭を作ってほしいと思います。
義理の親子関係は、これから親しみを込めて新たな人間関係を築き上げなければなりません。
山岡荘八が小説「徳川家康」の中で、家康の母おだいが姑の事を「嫌いになってはならぬお方だと思っている」というようなことを言わせています。
manmaもそう思って義理の人達とは30年付き合ってきました。
ビックリするようなことを言われても・・・
「へー、そういう人なんだぁ (;´▽`A``」
それ以上のことは考えないようにしています。

そして、その後のお付き合いの距離を測らせていただきます。
30年立った今でも、「へー、そういう人なんだぁ (;´▽`A``」と思うことがあります。
特に冠婚葬祭の際にそう思うことが多いです。
今回もありましたよ。ウフフ

義理の仲というのは逃げようがありません。
相手が自分の思い通りに変わるというのは至難の業。
50年60年その性格と顔で生きてきたのですから変わるはずが無いのです。
この義理の仲はいずれブログでテーマにさせていただきます。(^^ゞ
この結婚式は二人で相談して親族と先輩知人とをはっきり分けて二度披露宴を行う形にしたようです。
ですから、今週の日曜日に執り行った結婚式と披露宴は40名足らずの小規模なもの。
親族が隅に追いやられたような職場の独壇場になることもなく和気藹々(わきあいあい)のうちに終わりました。
途中のビデオ上映では、manmaが産まれたばかりの我子を抱く姿が映し出され・・・
「manma伯母ちゃん!若い (爆笑)

いつまでも若いままのつもりでいるmanmaがカルチャーショックを受ける一幕もありました。(笑)
manmaの子はユニークでおもしろいですよ。manma自信、子育てがとてもおもしろかったですからね。
伴侶になった人は幸せだと思います。夫婦であることを楽しんでください。
そして、苦しみの中にあっても希望をもって明るく前向きに生きていってください。
健闘を祈ります。