2011年07月01日

朝ドラを見ていて思い出しました。

朝ドラの「おひさま」を見ています。



今、昭和20年頃の戦争中の思い出の中でドラマは動いています。




戦死した春樹兄さんの戦死の報に泣くシーン・・・




そこで、ふと思い出しました。



manmaが小学生の頃



子供のいない父方の伯父の家に夏休み春休みに長期滞在していました。




伯父はロシア戦線で捕虜にならずに無事帰還した人でした。



「皆とは逆の方向に逃げた!」と自慢するちょっと変わったタイプの人でした。



その伯父は帰還後直ぐにお見合い結婚していました。


お相手は人も振り向くかなりの美人さん。目




女っぷりに惚れたようで、かなりの愛妻家でした。


伯母は病弱でした。結核を患っていたようで、昭和30年代にカリエスの手術をした事を幼かったmanmaも覚えています。




その美しい伯母が、manmaにアルバムを見せてくれました。


その中にステキな軍服姿の青年がいました。



「この人は?誰?」と聞くと


「許嫁(いいなずけ) 黒ハート」 「戦死したの バッド(下向き矢印)
「私が死んだらこの人の写真を棺に入れてね。伯父ちゃんにも話してるのよ」揺れるハート



それを聞いていた伯父は笑顔でした。「・・・ わーい(嬉しい顔)




manmaは小学生の低学年でしたから恋愛の機微は分かりませんでしたが、脳裏に刻まれたことは確かでした。




子供に恵まれなかった伯父夫婦は、知り合いの伝手を頼って採り娘採り婿を決心しました。

血の繋がらない家族関係は難しいものです。

manmaは、義理の娘と婿に遠慮して伯父家族との交流は疎遠になってゆきました。


余談になりますが、伯母の妹が
「あんな縁組をしてがく〜(落胆した顔) manmaちゃんもこのうちに来難くなったね。」と言ってくれた時は、分かっている人はちゃんといるんだなぁと嬉しくなりました。



manmaの両親がいた頃は、兄弟ですから行き来はありました。

病弱だった伯母は伯父の献身的な愛情に支えられ、長生きをしました。50代で癌になり親戚中を巻き込んで大騒ぎしたのですが、生き延び、伯父より長生きをしたようです。




「おひさま」を見ていて、50年前のあの日の光景がはっきりと蘇りました。


そして、思ったことは・・・




養女や婿殿はあの写真をちゃんと棺に入れてやっただろうか。(・・。)?ということでした。


50年前、アラサーの若くて美しい伯母の恋する乙女の輝きを湛えた横顔から発せられた
「この写真を抱いて天国に逝きたい」という気持ちを受止めたのは、幼かったmanmaだけだったのではないか・・・




悲しいことだけれど・・・
伯母自信、もうあの頃の気持ちは葬り去っていたかもしれない。




でもね、伯母ちゃん、manmaの心の中にちゃんと残されていますよ。


今、あの写真を見せられたらこの兵隊さんだと分かるほどにね。



あの戦争の頃、そんな若者達がいっぱい居た。

切ないほどに純真な若者が恋人や憧れの人や妻や母を思って死んでいった。


その踏むにじられたこころの上に今がある。

放射能で汚染されようとしている今がある。







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posted by win-manma at 12:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし
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