2013年06月28日

「永遠の0」を読んで(2)

2009年に近藤道生さんの「私の履歴書」を読んだ後、近藤さんが書かれた「国を誤りたもうことなかれ」を読んだ。

それから司馬遼太郎さんの「この国のかたち」を読んだ。

NHKが放送した元軍高官のインタビューやドキュメンタリーを見た。


昭和の戦争への理解が進むうち、最初は何が書いてあるのかチンプンカンプンだったのに、最近ようやく少しずつではあるが分かりだしてきた。




近藤さんや司馬さんはその当時軍隊にいて実際に戦争を体験した人達である。


大正の終りの頃生れた人たちは皆戦争に駆り出され、気持ちの上では命を捨てて戦地に行き武器を持って戦った人だ。

わが父も大正13年生まれ、戦地は台湾だった。

父は戦争体験をあまり語らなかった。特に辛い思いは死ぬまで語らなかった。

しかし、昭和28年生れの私が小学校に入学する頃まで、夜中に酔って日本刀を振り回すことが度々あった。
必死の形相で何かに切りつけていた。

PTSDだったのだろうと思う。




昭和の戦争は1937年(昭和12年)7月7日中国での盧溝橋事件から日中戦争へと進んで行ったとされている。
そして、この盧溝橋事件は陸軍の謀略であったと多くの人が言っている。



しかし思うに、なぜ陸軍はそのような謀略を企てなければならなかったのだろうか。

何が彼らを駆り立てたのだろうか。

時代背景を知らなければその答えは探せないと私は考えた。

1927年(昭和2年) 昭和金融恐慌、東方会議、山東出兵
1928年(昭和3年) 三・一五事件、済南事件、張作霖爆殺事件
1929年(昭和4年) 世界恐慌
1930年(昭和5年)
1931年(昭和6年) 中村大尉事件、柳条湖事件、満州事変、三月事件、十月事件
1932年(昭和7年) 血盟団事件、五・一五事件、第一次上海事変
1933年(昭和8年) 国際連盟脱退、滝川事件、神兵隊事件
1934年(昭和9年) 帝人事件
1935年(昭和10年) 相沢事件、天皇機関説問題
1936年(昭和11年) 二・二六事件、綏遠事件、西安事件
1937年(昭和12年) 盧溝橋事件、第二次上海事変(日中戦争(支那事変)始まる)

盧溝橋事件で武器を持った兵隊が戦う戦争は始まったかもしれないが、
そこに至る10数年の間、日本は貧困にあえぎ苦しみ抜いていたのだろうと思う。

昭和恐慌があり、世界恐慌あった。

日本はずっと貧乏国だった。
しかし、江戸時代の人々は食べていける程度の貧乏だったのに、明治大正昭和へと進むほど食べて行けないほどの貧乏になった。

今も昔も政治家などという得体の知れないものが俺達をこんな目に合わせていると昭和初期の人たちは思った。

50、60の長老達が言う「明治の軍人は偉かった。」は、実際に共に生きていた生身の軍人達の姿だ。
昭和初期は、日露戦争からまだ20数年しか経っていないのだからつい先ごろのことなのだ。




1904年2月8日 - 1905年9月5日大日本帝国とロシア帝国との日露戦争で勝利した日本人は戦勝に酔った。

新聞の文面が国民感情を大いに刺激し、酔わせた。

軍人が国民の憧れ尊敬の対象になった。


司馬遼太郎著の「坂の上の雲」を読み、この日露戦争が児玉源太郎、大山巌、乃木希輔、東郷平八郎の人格なくして勝ち得なかったことを私は知った。

児島源太郎は戦う前から貧乏国日本の体力を推し量って日露戦争終結の落としどころ心得ていた。


ポーツマス条約において、「金が欲しくて戦争した訳ではない」との政府意向と共に賠償金を放棄して講和を結んだことが、「平和を愛するがゆえに成された英断」と国際的には評価されたが、戦勝に酔った国民には受け入れられなかった。

政府は国際情勢からこれ以上戦えないこと戦う力が無いことを口外できなかった。




新聞は国民感情を煽り、日比谷公園国民決起集会に集まった人々が暴徒化し、その勢力が膨張拡大し政府を追い詰め退陣に至らせている。




日露戦争を挟む50余年の間に人々の心はどう動いていったのか。

世界全体に暗雲が立ち込めていたことも当然忘れてはならない要素だ。





永遠の0の中で、新聞記者を批判する場面がある。

国民を煽り、戦場に駆り立て一億玉砕と声を張り上げた新聞にこそ悲劇を生んだ責任があるのではないか。という。

溜飲を下げ、胸の空く思いをさせてもらえる場面だった。


それも一理ある。

しかし、国民が軍に大きな期待を寄せたことも事実だ。

近藤さんは軍服を着て任地に向かう途中、小学生の篤い眼差しと礼を受け、この子達のために自分は死ぬのだと悔いは無いと思ったと書いておられる。



期待に応えて多くの若者が戦場で屍となった。

その責任は国民の側が認識し反省し英霊に対して尊敬を持って深く頭(こうべ)を垂れなければならないのではないかと思う。靖国参拝の意義はここにあるのではないかと思う。




だが、軍は国民の期待を利用し、易々と日本を乗っ取っていた。

統帥権だ。

これを振りかざして、日本全土を支配してしまっていた。


つづく




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posted by win-manma at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会
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