2013年07月05日

「永遠の0」を読んで(4)

太平洋戦争の兵士たちにとって、靖国とはなんだったのだろうか。


国のために命を捧げ兵士として散った人たちの霊魂は靖国神社に神として祀られることになっていた。


彼らは本当に神を信じ、自分は神様になるのだと思っていたのだろうか。

神になるとは思わなくても、日本の為にこの身は滅んでも国を思うこの魂は靖国に祀られることは信じていただろうと思う。




潔い死は、武士が登場した昔から日本人の精神性の中で尊ばれてきた。

死に花を咲かせられれば、これぞ武士の本懐。
生(うま)れた甲斐も、生(い)きた甲斐もあったというもの。
この死生観は日本独特のものだと思う。

士族の家では、これを小さい時から教え込まれる。
実際、私は小学校低学年の時、父から自害の作法を教えられた。
怖いとかイヤだとか思わなかった。タダそういうものなのだと思った。

自分の命を自分の力で制御することができる。これが武士の精神性の中核にある。

だからといって、命を粗末にするわけではない。
死を受け入れると人は強くなる。哲学的になる。気分的なものにしろ覚悟を持って生きるようになる。

先週のNHK八重の桜は前宣で流れていた場面で山場なので見た。
(いよいよ会津藩は大詰め、これから先は明治になるので見れる。(*゚▽゚*))

会津の女・子供が健気に死んでゆく。
永遠の0の舞台昭和の戦争でも、若者達が健気に死んでゆく。

勇敢に死んでゆくことに美意識を載せて死んでゆく。

上層部の無茶な作戦に抵抗することも許されずに死んでゆく。

不条理の極みの中で健気に死んでゆく。


何が、悲しい、辛い、腹立たしいって、不条理が健気さを食いつぶしながら破滅へと進むその進行を止められない社会の弱さ。




永遠の0では、軍上層部の官僚思考が敗戦へと進ませてたとある。
満点を取れば昇進できると考える。エリート達の点取り虫根性が大局を見誤ったと・・・。


よく聞く、国民受けする納得のさせ方ではあるが、

そこに帰着すると何時までたっても結論は出ない。
ようするに、大山鳴動してねずみ一匹の例えどおり。
だから何だったんだ!!


日本全体の高級官僚が全員で点取り根性を発揮して数多(あまた)の若者を無謀に殺したのか。
日本は、そんな馬鹿の国ではない。
多くの官僚を輩出した東大の学生は陸軍を嫌い馬鹿にしていたと、当時東大生だった近藤道生さんは書いておられる。

海軍の山本五十六は端(はな)からアメリカとの戦争は反対だった。
アメリカ留学の経験のある山本は勝てないと分かっていた。
だから短期決戦で講和に持っていくつもりだった。

多くのユダヤ人を救った杉原千畝は外務省の官僚である。

何でもかんでもお馬鹿官僚のせいにして納得する現代の風潮を見ていると、
マスコミを信用した昭和初期の人々のように、先を見誤ることになりかねないと危惧してしまう。



山本五十六が早くに戦死しなければ、特攻作戦などという愚行はさせなかっただろうと思う。

極々少数の軍官僚の絶対的イデオロギーの亡者が振りかざした指揮棒を奪うことができなかった。
そのタクトに従い踊らされた昭和初期の日本人達。

当時軍人だった近藤道生さんは戦後「国を誤りたもうことなかれ」を書かれ、司馬遼太郎さんは連綿と続く快活な日本の歴史の中の奇態の時代だと「この国のかたち」で書いておられる。


日本はその風土ゆえ、海風に晒され、山からの吹き降ろしに晒されている。
四方を海に囲まれ常に浄化作用が効いている国なのだと聞いたことがある。
塩で清められているらしい。
その風土に育まれた日本人は本来闊達自在だ。

しかし、

日比谷焼き討ちから終戦までは、日本らしからぬ澱んだ空気に包まれた時代だった。

その時代を作ったのは、一部の偏狭な軍人とその時代に生きた人々だと思う。
傍観者は加害者でありうることを認識しなければならないと思う。




永遠の0を読んで思ったことは

主人公宮部は決して落とされない優秀なパイロットだった。
どんな過酷な戦況でも生き延びる知恵と技術と体力と気力を併せ持っていた。

その宮部が死を選ぶ。

死に花を咲かせることもできずに、惨めに必ず打ち落とされる健気な特攻隊の教え子達に手本でも見せるが如く、操縦技術を駆使して艦砲射撃の中をかいくぐり敵艦に体当たりして教え子達のいるところに逝ってしまう。

宮部は日本に失望したのだと思う。
不条理が勝ってしまった日本に失望したのだと思う。

誇り高き日本人として死んでいったのだと思う。



作者がその時代を調べ上げて書かれたこの本は大ベストセラーである。

読み応えがあった。しかしなにかしら言い知れぬ不満が残った。
それは軍の不条理と社会と軍人達のバランスが描ききれていない点にあるのではないかと思った。








2009年の近藤道生さんの私の履歴書から抱き続けた疑問の答えとしては満足のいくものではないが、



戦死した人たちが今の日本を見て嘆いているとしたら、
日本男児としての、日本婦女子としての、底知れぬ誇りを失ってしまっていることかもしれない。

いやいや、

あの1000年に一度の大津波では日本人のどんな時でも取り乱すことなく、隣人を思いやる姿を見て、さすが我らの子孫だと喜んでおられるかも知らない。



私達が子々孫々に伝えなければならないのは、
先祖から受け継いだDNAに刻まれている闊達で清清しい日本人魂なのではないだろうかと思った。






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posted by win-manma at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会
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