それがなんだか惜しいと思う自分がいる。
突然、父が余命一ヶ月と宣告された時、医師の前であるにもかかわらず涙が溢れて困った。
しかし、亡くなった時は覚悟が定まっていたのか涙は出なかった。
そのあとの手筈を整えることに専念し、葬儀が終わるまで泣く事なく役目を果たした。36歳の時だった。
涙はその後一人の時に溢れた。
子煩悩な父の優しさだけを思い出して、見守ってくれる人のいない淋しさを思って泣いた。
父亡き後の母は心細げでなにかと頼ってきた。
2年後その母が癌に倒れ、完全にもたれかかってきた。
必死に支え励ましながら、心のどこかで「母はもうダメだろうな」と思い泣いた。
亡くなった後、不思議と泣かなかった、励まし支えていたものが無くなっても喪失感は無かった。
自分は気丈で責任感の強い可愛げの無い人間だと思っていたのに、今回は全く違っていた。
winは二年前から明らかに老衰が目立ち、いつ逝っても不思議ではないと思い定めていた。
それなのに、命途絶えた途端に涙が溢れて明らかにいつもの自分ではない。
ペット霊園や後の始末を本来の自分は黙々と進めているはずなのに、
winの傍を離れられずじっと抱いていたい思いで動けない。
口を開けば涙声になってしまう。
夫は不思議そうに「俺が進めていいのか?」と言う。
「頼むわ、私、今回は無理 (ノ_・。)」
涙する姿にペット霊園の人も呆れているだろうと思いながら
かろうじて、お骨は持ち帰りません。とだけは、はっきり言った。
誇り高い猫として死んだのだ。人間様のように弔ってはいけないと思い。
荼毘にふした後の始末はスッキリしなくてはいけないように感じて持ち帰らないことにした。
それから、毎日、毎日涙はどこででも溢れてきた。
泣いてしまうので友人に知らせることも出来ない。
ランチにも行けない。仕事も手につかない。
ある日、ふと思った。
これ、失恋に似ている。
幼いわが子を失った程の重篤なものとは明らかに違うだろう。
肉親を失ったのとも違う。
愛するものを失った喪失感なのだ。
私は、winに心底惚れていたのだ。と改めて気付いた。
あの凛とした面構えに、決して媚びないプライドに、ドキッとする野性に、馬鹿みたいな無邪気さに、時々見せる悪ガキのようないたずらな目に、無防備な寝姿に、拗ねてみせる甘え方に、
winは魅力的な男だった。
母性と女の感性でwinを愛していたのだ。心底惚れていたらしい。
だから、今は泣いていたいのだ。と思った。泣けるだけ泣けばいいと思った。
こんなに泣いてもらえるwinは幸せものだ、泣けるmanmaも幸せ者だと思った。
野生を内に持ち続けてほしいと思い、虚勢手術をしなかった。
人間の都合のいいように飼い馴らしたくはないと思った。
「三分の虫にも魂」は父の口癖だった。魂を絶対に尊重したいと思った。
winを買ってきたとき、そんな事は考えていなかった。
猫を飼うのは初めてで、従順な犬と大差はないと高を括っていた。
それが、手に負えない野生の本性を魅せつけられて少し恐れ入った。
概ね上から目線(親の古い価値観による教育の賜物

この時から、manmaはwinに惚れたようだ。
あれから20年、色あせることの無い魅力的な男との20年は幸せだった。
君は相手にとって不足無いイイ男だったよ。
涙するの時間が、一日中から毎日になり今は時々になった。
winへの恋心が消えてゆくのが淋しい気がする。
還暦間近のなかなか可愛げのある自分を発見した。