2018年11月13日

NHKbs「エレガンスの舞台裏〜パリマダムを彩る世界最高峰のメゾン」

大石 静さんがパリのエレガンスの真髄に迫るドキュメンタリーを見た。

エレガンスとは「優雅」「上品」と日本では訳されている。
しかし、エレガンスの本場パリでは優雅や上品は、見た目だけでなくその人の生き方や考え方そのもの
日本の文化で例えるなら恥の文化や精神性に通じるものなのだという印象を受けた。


番組ではパリの花に対する愛着や美しく高価な下着の意義、高価で美しい宝飾品を紹介しつつ、それらを身に付ける自分自身への尊敬と他者への敬意が根底にあると語っていた。


---------*

先日、数十年前に買ったクChloéのスカートが着れる体型に戻ったので着て外出した。
雑誌で見る流行ファッションのデザインがあの頃の物に近いと思ったのだ。

さすがChloé。
全く型崩れしていない。生地と縫製がしっかりしていて上品で美しい。

そして思い出した。
昔、私はこんな高価な洋服を着用していたのだった。
ビシッとしたこんな高価な服が似合う、着こなせる女性でありたいと思ったのだった。

たぶん、どこかの雑誌で読んだことをそのまま受入れ、納得してしまったのだろう。
その着心地の良さ、背筋が伸びる緊張感、生地本来が持つ光沢と動きに合わせて優雅に流れる曲線。
一分の隙も無く仕立てられた洋服の持つエレガンスに対峙する自分の中のエレガンス。


やはり時には身なりをきちんとしようと思った。
背筋が伸びる服を着て街に出掛けよう。
自分自身をバシッとさせるために。



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2018年11月06日

優しさに付(つけ)入る悪意

古い友人が体調を壊して入院していたと聞き、会って詳しく話しを聞いた。

退院直後に会った時は随分萎れていて覇気が無いことに気付いた。

若い頃から気の強いタイプで、間違った事にしっかり向き合えるしっかり者だった。



その彼女の友人が占いに凝っていて、
姓名判断や誕生日からその人の憑物を見ることが出来る占い師を信じているらしく、私の友人の憑物を見てもらったのだそうだ。

結果、5人の霊が憑いていてそのうちの二人の質(たち)が悪いからその家には近付くなと言われた。という。


私はそういった類のものを全く馬鹿にしているわけではない。
私自身がそういった霊を感じやすいタイプの人なのだから仕方ない。
若い頃は葬儀社の前やお墓の前を通っただけで、「あっ、憑いてきたな」と思うことがしばしばあった。

今でも滝の傍には近付かない。
夫と紅葉を見に行って人けのない断崖をみてヤバイよと言って逃げ出したこともある。




今友人は病み上がりで生命力や免疫力が落ちている。
そこに霊が憑いていてあなたを苦しませるなんて言われたら怖くて脅えてしまう。
そんな思いに陥ったら人間明るい清清しい方向には進めなくなる。



さてどうしたものだろうと考えた。

悪い霊とは何か?
ひとでなし、人の不幸が嬉しい薄汚い了簡の輩、人を苦しめてやりたい悪鬼、
これらはこの世の中にもにうじゃうじゃ居る。

霊でも生きている人でも大差はない、性根の腐った奴は生きていても死んでいても同じだ。




誰の心の中にでも強弱の違いはあっても負の感情と正の感情がある。
妬ましさや嫉妬、悔しさ、悲しさ、恨み・・・。
自分の中のそんな負の感情をコントロールしながら人は生きている。

そのコントロールが出来ない人や霊に見込まれると困るのだ。



人には人を思いやる優しさがある。
守護霊なんて素敵な霊は優しく見守り助けてくれる。



成仏できない悪い霊に見込まれたら、さてどうすればいい?

私はある時から、自分で祓うことにした。
肩に乗ることが多いので、肩を手で払って「お前の来るところではない(`□´)!」と一喝する。



一喝するには力が要る。
大声ではなく気迫。



友人と話していて気付いた。
気弱にもなっているが、それ以上に優しくなりすぎている。
人間、優しいのはとても重要なことだ。人としての宝だ。
しかし、その優しい心の横にチラッと見えた弱さを見て、付入ってくる輩がいるのだ。
その輩は霊とは限らない。生きている人間の中にもそんな奴はいっぱい居る。



その心の隙を狙ってその人の心を蝕むことで快楽を感じる悪い奴には、しっかり対峙して付(つけ)入る隙を与えちゃいけない。

自分の中の優しさを守るのは自分自身しかない。(ง •̀_•́)ง



人に対して優しすぎたり無防備だったりしたら、思わぬ痛手を受けることになりかねない。



昨日娘が「クレーマーにやられた!(-""-;)」と心に傷を負っていた。

負の感情を誰かに叩きつけてストレス解消する方法として
氏名も名乗らず顔も見せず、低姿勢を旨とする対応を求められる相手に罵詈雑言の言葉の刃(やいば)を浴びせかけるやり方が堂々と罷り通っている。

これもいじめの別バーションなのだろう。


そんな相手から身を守る術を身につけねばならない世知辛い世の中になっているのだと思った。






一週間後にまたその友人と会った。

彼女は元気になっていた。
シャキッとなっていた。


悪鬼を跳ね除ける力が湧き出たようだった。



よかった。d(@^∇゚)/ファイトッ♪




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2018年10月26日

心の骨

宮本輝著「焚火の終わり」

なんとも後味の悪い小説だった。
なんだかイヤらしくて食傷気味、読まなきゃよかった。

宮本氏の小説は金持ち趣味の食べ物や高級な調度品が好きで、
たくさん読んで来たのだが今回のこの小説は非常に不味かった。

父親が誰なのかが謎の娘と、あの娘とお前は異母兄妹だと教えられて育ったその兄の恋愛を軸にアブノーマルなセックスが織成す物語。

セックス描写がしつこくて、これってエロ本?と途中から放り出したくなりつつ、宮本輝だから下品に終わらないだろうと希望を持って読み進めたが、途中からホモまで加わって結局エロ本だわこれ。となった。

価値観としてエロスやホモセクシャルや近親相姦についてこれまで深く考えたことはない。
エロティシズムを掘り下げると、こういう小説が出来上がるのかねぇ。なんだか釈然としないわと思った。
エロティシズムというのはもっと深みのある美しい芸術的なものじゃないのか?
こんなに上っ面な設定の小説にエロティシズムを持ち込み、美しく仕上げるというのが土台無理なはなしでしょう。


私が凄く気持ち悪いと感じたのはエロではなく、二人の男女の人間性の深さに対してだったように思う。


表面にキレイな皮を被っただけの人間のエロをこれでもこれでもかと文章ででも見せられたら、そりゃ気持ち悪いわよ。

善人としての価値基準を持っているこの兄妹だが、
人を評価する価値判断の目が澄んでいたとしてもアブノーマルなセックス趣味や近親相姦を纏わせても尚清く美しい姿を浮かび上がらせることは難しい。それは無理だ。
尚も美しく清らかであるには凛とした精神性が、もっと強い筋の通った土性骨(どしょうぽね)が、そんなものがなければね。
人間は土台がシッカリしてなきゃいくら美しげに装っても頼りないんだと思うよ。姿は内面を映し出す鏡だから。

宮本作品に登場する若き主人公の男性の多くがこの骨を持っていないんだなと今回気付いた。




私は人間性としての骨のない奴が嫌いなのだ。

人間性としての骨。
これはなかなか難しい。

頑固とも違う、意地とも違う、心(芯or真)を真直ぐに貫く価値基準を持っている人。とでも言えばいいのだろうか。




私が子育てで一番最後まで課題としたのがこの骨だったなと今思う。

口で教えてどうにかなるものではない。
日々の暮らしの中で子供の中にある心の骨を導き出す作業は、子供の中に骨を見つけ出すことにあると思う。

それを見出したとき、ニッコリ微笑むと子供がそれに気づく。
そうやって骨はガッシリしたものになる。

それを繰返すことで、子供の内面にシッカリした考え方や人間性の骨組みが出来てゆく。



今、私は孫に心の骨を見出している。

孫はなかなかしぶとい骨を持っていそうだ。(笑)
婆馬鹿?σ(^_^;)アセアセ...




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2018年10月11日

嬉しいリクエスト

孫はなんとか新しい保育園に泣かずに通えるようになったらしい。

保育園の入口で数日間は娘にしがみついて泣いていたようだった。

そりゃそうだろう。大人だって誰一人知る人のいない中に入れられたら不安で心細くなる。

ましてやまだ二歳の幼子。母親のぬくもりが一番でその中に浸っていたい年頃だ。

健気にも親達は仕事があるから自分はここで一日を過ごさなければならないと自覚しているらしい。

そうは思っても不安で涙が止まらない。


しかし、保育園の先生がやさしく慰めてくれて、美味しいおやつもあって、この保育園も良さそうだぞと思ったらしく娘にすがって泣いていた数日後、先生がkazyuちゃんおいでと笑顔で呼んだら泣きながら先生のところに行って先生に顔をうずめて泣いていたから、もう大丈夫だな、だんだん馴染んでくれるなと娘は思ったと言っていた。
そして保育園のこの先生スゴイなと思ったとも言っていた。
数日でkazyuの信頼を掴んだってことだものね。プロだねと話した。




そんな孫からLINE電話が掛かってきた。
いつもは電話してきてもモジモジしてあまり活発には話さない孫が、その時はなにか一生懸命伝えようとしている。
そして何かをカメラ向かって映している。

なんと、春に私が送った手紙のはしっこが破れたのでまた手紙を頂戴と言っているのだという。
「ここがね!破れちゃったの('◇'*)」


私の方は手紙を送ったことも忘れていた。
幼子でも手紙は嬉しいんじゃないかと思いついて送ったのだが、その後これといった反応も無かったので一回きりの思いつきで済んでしまっていたら、何回読まされたことか(汗)、もう覚えちゃったわよ。と娘が言う。

しかし、破れた時孫が「また買おうね」と言ったという。
食べ物も着る物も玩具もなんでもかんでも買うのだと孫は思っていたらしい。

「これは売ってないのよ。ばばちゃんが作った物だからね」「ばばちゃんに作ってと言わなきゃね」と説明すると、
「ばばちゃんに電話する!!」と言ってかけてきて先ほどの「ここがね・・・」となったらしい。



そりゃ、ばばちゃんの方は嬉しくて感動しちゃったわよ。(゚▽゚*)ニパッ♪

さっそく手紙を書き、動物カードを作って投函した。



子供から信頼される。
これ、なかなかできることじゃない。
子供は心の目でしっかり相手を見ている。
保育士という仕事は安全を見守るだけでは勿論済まない。
幼子からの目をシッカリ受け止め、包み育む優しさや成長を的確に判断する力が無ければ真の信頼を子供から勝ち取ることは出来ない。

だがそのような保育士は少ない。
どんな風な保育士であっても子供はそれに従うしかない。
子供は与えられた環境の中で妥協点を見出して生きている。
その環境の中で自ら成長していく。

孫は以前の保育園で度々注意されていた。(連絡帳に書いてある)
自分の意思を通そうとする強さのある孫は先生に従順ではない態度を取る。
それでも先生に髪を結んで可愛いゴムをつけてもらうと喜びオシャレを楽しむ事を教えてもらったようだ。

意思を通す自分の思いを曲げない孫が先生に顔をうずめて泣いたと聞いて、わたしも嬉しかった。




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2018年09月29日

あらま!悩んでたの?

孫は9月時点で小規模保育に通っていた。

1歳1ヶ月になった4月から通いだした。


大丈夫だろうか、保育園に行かない!ママの傍がいい!ママ行かないで!と後追いをしたら娘も辛かろうと心配した。
が、案外すんなりと嫌がらずに、むしろ喜んで通園しだしたと聞いてほっと胸をなでおろした。


あれから一年半、随分シッカリしてきて時に偉そうに喋り、食欲旺盛で元気に走り回っている。
お友達とテレビの話しをしたなんて聞くとコミュニケーションが図れるようにまでなったんだな。と成長に驚いたりする。


この保育園は小規模保育b型で、孫は来年3月で卒園となる。

親はその後(あと)どこか預ってくれるところを探さなければならない。

卒園して新たに次の保育園に入園するというのが順当な流れなのだろうが、そんな流れに身を任せていたらあれよあれよと埋まっていってしまって、行くところがなくなるということになりかねない。らしい。

そこで、空きが出たので今なら子供を受けいれらますよという所に希望を出しておたら、お呼びが掛かり、孫の転園が決まったという。


この孫、大人の会話をしっかり聞いていて時にドキッとするような突込みを入れる。
子供と思って侮っていると思わぬ感情的齟齬が発生しかねない。

小規模保育の園長先生は「子供は分かりませんから、大丈夫ですよ。オホホ」と仰ったらしいが、
娘達夫婦は、この娘(孫)はそんな玉じゃないぞ。なんでも分かっていて色々考える子供だから難しさがあるのよ。
そんな認識でいたのね。だからkazyuを叱っても効き目がないんだわよ。と失礼ながら思ったそうである。(笑)

で、転園について事前説明をしたほうがよいと考え、「kazyuはお姉ちゃんになったからね、大きい保育園に行かなきゃならなくなったんだよ」と言った。

孫は驚いた。
それから不機嫌が増え、夜中に突然泣き出す・・・。
見学に行こうよと言ってもイヤだと言ったりする。


そして、いつもの「ばばちゃんに電話する」が来た。

孫の顔からいつもの屈託の無さが萎れている。

不安を目の中に覗かせている。

娘から多少様子を聞いて、「保育園変わるんだってね」と振ってみた。

ますます顔色を曇らせる。


事前に転園先の保育園の教育方針や理念、口コミなどをネットで情報を収集しておいた。

「その保育園、ご飯が美味しいらしいね。kazyuはグルメな舌を持ってるからよかったね」と笑顔を向けると、ちょっと興味を持った様子。
すかさず娘が、「この地域は食材が良いので美味しいですよね。と園長先生が言ってたわ」と拍車をかける。

そして、「保育園に亀がいるんだよね」と娘。

今度はこっちが受けて
「亀が居るの? スゴイね」「亀ちゃんに『"亀ちゃん、おはよう、私kazyuよ』と言わなきゃ」(*^_^*)

孫の顔が少し緩んできた。



「そこの保育園は自由に遊ばせてくれるらしいよ。小さい保育園はkazyuちゃん!今先生が絵本で読んであげてるでしょ。ちゃんとお座りして聞きましょ!って怒るんでしょ?でも、kazyuは自分の好きな本が見たいし読みたいんだよね。」「大きい保育園は好きに遊ばせてくれるらしいよ。よかったね」(゚▽゚*)

「kazyuは慣れればまた『おいでおいでー!』って言いながら走り回ってると思うわ」


孫の顔が、心が、段々解れてきた。



後は大人の会話で
「今までの担任の○○先生と今度の先生ではどう?」と聞くと。
娘、「ドンと構えた感が有るね。細かくなさそうな印象を受けた」
私、「○○先生の神経が固そうなところがイマイチ好きになれなかったわ」
娘、「そうそう」

この会話を孫はちゃんと聞いているのである。

そして孫自身の芯の部分で受け止め、判断をしている。
恐るべし二歳児。



二歳にして、目の前の将来に不安を感じ悩んでいたなんて・・・。たらーっ(汗)


そのあと、もう電話切って洗濯物をたたもうよという娘に
まだ切らない。と言って、お別れするお友達の名前を教えてくれたり、小さな声で歌ってくれたりしていた。


実際に転園して、はたして馴染めるのかと不安になるが、そこはプロの腕に頼るしかない。
転園や転校というのは子供にとって大きなハードルだ。

それは二歳児であろうと高校生であろうと質や種類は違っても同じだと私は思う。



娘が年長さんのときに引越しをして、転入のために幼稚園を探した。
友人が自慢する大きな図書室を持つ幼稚園に無理やり入れてもらった。

娘の様子の変化に気付いたのは私の父だった。
父はとても心配をしていた。

夏休みに入る前の通知表を見て私はビックリした。
一人の時が多い、お友達に馴染もうとしない。
よく一人で本を眺めている。


娘は年長さんの時点で小学校低学年の本を黙読していた。

幼稚園の担任は、娘を知ろうともせず、眺めただけの印象を通知表に評価として書いてきた。


決定的だったのは絵だった。
キレイな色をふんだんに使って明るい絵を描いていた娘が、ダークトーンの絵を描くようになっていた。


友人自慢の図書室は自由に使えない鍵の掛かった宣伝用の部屋だった。



私はもう一度転園させることに決めて幼稚園を探した。
通知表と娘が以前書いた明るい絵と、転園後の暗い絵を携えて新たな幼稚園に行き、園長先生に見せた。
園長先生は驚き、「転園してきた子は1ヶ月から3ヶ月は大切に見守らないといけません!」「とてもデリケートなんですよ」と仰った。

娘はその後、以前の明るさと勝気さを取り戻した。



さて、孫は無事にこのハードルをクリアしてくれるだろうか。


心配心配。(;'o')m ・・!!




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2018年09月13日

子供は遊びの天才。

最近は孫からLINE電話が掛かってくる。
勿論まだ二歳なので自分で携帯を操作して掛けてくるわけではない。
娘に「ばばちゃんと電話する!」と言うのだそうだ。わーい(嬉しい顔)


何して遊んでる?と聞くと
もじもじして答えられない。でもニヤニヤしている。
答えたいが、どう言っていいのか分からない様子。

今日は新しいパズルを出してきて親子して挑戦している様子を見せてくれた。




近頃の子は何でも手に入って羨ましい気がする。
娘が小さい頃は、ネット検索もなく、勿論ネット購入など考えもしない時代。
何を買い与えればいいのかも分からず、昔ながらの積木や輪投げ、ブロック、ラッパや太鼓、ぬいぐるみなど貰い物をそのまま与えていた。砂場セットは必需品で毎日それを持って公園に行き、砂団子を作って遊んでいた。
夏はビニールプールを出して水遊び、そこでもお砂場セットは大活躍した。

テレビを観るようになって、ヒーローものの変身グッツを喜ぶようになったのは4〜5歳の頃だったような気がする。

たいした遊び道具がなくても子供は毎日機嫌よく元気に遊んでいた。

毎日毎日公園の砂場で午前中を過ごす子供。
親はママ友と合流して子供の様子を離れたところから眺めながらおしゃべりを楽しんでいた。

あの頃、数人の子供が同じ砂場で話すでもなく、喧嘩するでもなく、楽しそうに砂遊びに興じていたが、いったいなにを楽しんでいたのだろう。

親は只々見守っていただけだった。
子供は砂を掘ったり、山にしたり、団子にしたり、思うままに手を動かしていた。

時々、砂をばら撒く子がいると目に入ると危険なので止めたりしていた。親の介入はその程度だった。

今から思えば、子供は土や水に触れる感触を楽しんでいたような気がする。


二歳児は感触を楽しむ時期だった。
風の感触、太陽の感触、木の感触、布の感触、土や水の感触、植物の感触、動物・虫の感触・・・。
これってとても大切な経験なのだ。
娘はよく団子虫を触って遊んでいた。
目に見えるものの感覚や驚きも大切だ。耳にするものも楽しんでいた。
そして、子供はこれらを強く求めた。

雨の日など砂場に行けないと不機嫌で困った。
ママ友たちと「雨だね^〜 困るよね。洗濯物は乾かないし、子供は泣くし」とこぼしたものだった。

この時期に大人が砂場に踏み込んで道路を作ってトンネルを作ってミニカーを持ち込んで走らせたりすると、子供達は最初とても喜ぶ、自分もブーブーなどと言いながら車を動かしている。
しかし
そのうちに飽きて遊ばなくなる。
玩具の自動車に飽きるのだ。
玩具の自動車は想像を生まない。
基本的には遊びに介入しないが、様子を見てちょっとした刺激を与えることも必要だ。
ミニカーと同じくらいの石を自動車に見立て動かしてみせると、子供は自動車とは限定しないで色々に想像を膨らませる。
時に芋虫を思い、時に自転車を思い、時には飛行機にも。そして飛行機に変身した石が空を飛ぶ。

それが子供の世界だ。

その世界を引き出すのが幼児教育だと私は思っている。


教えるのではなく、引き出すきっかけを投げ掛ける。
そこが幼児教育の難しさだ。



石をなにかに見立てて遊んでいる子供に「これ何?」と聞くと、トンボなどと答えてくれる。

そのトンボ何色?と聞くと、「赤」とか「青」とか答えてくれる。
「赤トンボか!」♪夕焼け小焼けの赤トンボ〜♪と歌ってやると、うれしくてたまらなくなる。

頭の中では絵本で見た赤とんぼの絵と歌が満ち溢れる。


この頭に浮かぶ映像と記憶が大切なのだ。
この経験が多いほど頭脳は伸びる。


小さい子供に幼児教育と称して訓練や競争を強いて学習させようとする風潮がある。
これは訓練であって教育ではない。
訓練に従う子供は何を楽しんでいるのだろう。
優越感や競争心を煽って知識を身につけさせても地頭は良くはならない気がするのだが・・・。


子供は本来遊びの天才だ。
発想は無限で大人の想像を超える。
考える力の源を犯してはならない。

大人はじっと耐えて、子供が自分で納得するのを待つしかない。
例えば新しい玩具を与えられた子供は、いったいこれは何だ?と思う。
箱を開けて、ロボットだったとする。
あっ!ロボットだった。グッド(上向き矢印)
動く?と思う。
どうすれば動く?と思う。
手で動かしてみる。
あっ!動いた。わーい(嬉しい顔)
座るの?思う。
足を折ってみる。
膝が曲がった。exclamation

この過程が楽しいのだ。

買ってきたおじいさんが
「ほら!凄いぞ、電池をここに入れてスイッチを入れると、どうだ動くだろうъ( ゚ー^)イェー♪」
なんてやっちゃったら、やさしい子供は、一緒に喜んでくれる。が、興味や好奇心は奪われてしまっていることに本人も気付かないまま成長することになる。


一緒に喜びたい気持ちはよく分かる。が、大人は子供が成長のステップを少しづつ自分で掴んで進むことをじっと見守ってやるしかない。教えるのは簡単なんだけどそれは安易というもの。
じっと堪えて待たなきゃならない。子供の成長を見守るとはそういうことだ。
その姿勢を持ち続けなければならないんだ。




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2018年09月04日

白髪

ポツポツと白髪が出はじめたのは50代の後半。
前髪を下ろせば見えなくなった。
白髪のない私に、友人は苦労が足りないんだぞ (;`O´)oコラー! と睨んだ。


60代になって容易に隠せなくなり白髪染めを始めた。

何度も書いているが私は極度のアレルギー体質。
当然自然素材のヘナを使用した。

ヘナにも色々な種類(配合率?)がある。
生協が勧めるヘナは浸透させる時間が長く、冬など風邪をひく。
そしてアレルギー反応はやや苦痛という感じ。

最終的にはグリーンノートヘナ オーガニータ に落着いた。
オーガニック植物原料の審査をクリアしたと謳っている。
こちらはアレルギー反応も出ないし浸透時間も短い。



しかし
65歳になり、顔も随分年寄りじみてきた。(-д-`*)
そして髪を染めるのが面倒になってきた。
染めても直ぐに出てくる。出来栄えもたいしたことはない。あーぁ。



と、思っているところに
女子アナの近藤サトさんの記事が目に付いた。
『“年齢に抗わない”生き方』そして、お写真の老け込んでいないお顔とグレーヘアがステキだなと思った。



私はふと思った。

白髪を敵視している間に、段々顔も老けて白髪が似合う顔になっているんじゃない?わたし。

そもそも白髪がどうして老け込んだ印象になるのか考えてなかったわ。
白髪が老け込みの原因ではなく、気持ちの老け込みが白髪と重なってイメージを作り上げているのであって、若者が白く染めても老け込んでは見えない。
中身の問題なんじゃないのか?




今、白髪は全体の3割強から4割弱になっている。

髪の生えぎわの白髪の多い部分を思い切って出してみた。額を出してみた。
ウフ(*´∇`*) 似合ってるじゃない。

そうか、白髪が年寄りじみてみっともないんじゃなくて、隠そうとする卑屈さがみっともないんだわ。

バサバサになって艶も無く、髪型にも頓着せず、シミだらけの素顔を晒す様な真似がみっともないんだ。


市販のリンスやコンディショナーが使えない(アレルギー)から、
私はレモンを絞って湯に溶かしてリンスにしている。

このリンスはお勧め!!!
天使の輪ができるほど髪が艶々になる。


きらりと光る銀色の髪。
格好イイじゃない。ヽ(*^^*)ノ


そう思い込むと、自分で納得してきたぞ。

その思い込みが大切なんだわ。きっと。









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2018年08月21日

連ドラミスキャスト

テレビの連ドラ、好きです。
しかし最近はイマイチ熱が入らない番組が多い。

歳を取って感性が鈍ったか?
人生経験に照らして有得んわたらーっ(汗)、と思うと白けて楽しめなくなってきている。


この夏は「義母と娘のブルース」と「高嶺の花」と「せごどん」をビデオに撮り置きして見ている。
放送時間に縛られるほど時間を持て余してはいないため、好きな時に好きなようにテレビは見ることにしている。

この夏のドラマは、
「義母娘」が中盤になっても視聴率が良いと高評価。
物語の軸がシッカリしているし、役者さんがそれぞれに説得力があるので見ていて引き寄せられる。


残念なのが「高嶺の花」
主演が石原さとみさんで今年1月12日〜3月16日まで放送された「アンナチュラル」(主演女優賞を総ナメ)でイイ女優さんになったわぁと喜んでたのに・・・。

この「高嶺の花」何が言いたいの?
何を世間にアピールしたいの?
華道会の内側を描くのに苦心惨憺?(笑)
お家元の内部事情や風情があまりに陳腐で見ててイヤになるほど、只の下品なお金持ちぽくっていけません。
お家元ならもう少し品位と凄味が有る人のほうが似合うのに!
後妻さんどう見ても元ホステス風じゃない?
妹さん可愛いのかおバカなのか、おっとりなのか、才能がないという部分は上手く演じてるわね。

ドラマを作るのってひとつボタンを掛け違えるとこうなるんだね。


最後に「せごどん」
10回分も貯まってしまってもう消しちゃおうかなと思いつつ、瑛太さんや小栗旬さんが見たくて早送りで消化。

小栗さんの竜馬を見て、また止まっている。
なんで岩倉具視が鶴瓶。ちっ(怒った顔)
あんな油ぎった太ちょで大阪弁の岩倉具視?
他に似合いそうな人いなかったの?

俳優さんの説得力というのはスゴイよなと思う。
実在の人物ならその人物に成りきって、違和感を抱かせないほどに昇華して見せてくれる。
それがドラマの醍醐味でしょ。

ミムラさんの向田邦子
中谷美紀さんの白洲正子
....etc




これからもあの鶴瓶そのままの岩倉具視なら見るのよそうかな。




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2018年08月10日

子供の授かり方が進化しているみたいです。

先日テレビを見ていて驚いた。

美容整形外科の女医さんに突撃して「通帳を見せて下さい」とねだり、私生活も覗いちゃうという番組。


そこに登場した綺麗な女医さん(未婚)がお金の使い道を聞かれ、厳しい突込みにも正直に応えられ、淡々と説明していた。


その真摯な姿に私は好感を持った。

医学書をAmazonで購入。これが1冊数万円。学会出張費、、、等々。




突っ込みは更にエスカレートし鋭くてこの出費は???
「私、体外受精で妊娠するんです」「そのための費用です」「精子はカナダ人の知り合いの方のものです」
(゚∇゚ ;)エッー!?

そして、ご自宅へ押掛ける。
ご家族と一緒にとても広いマンションに住んでおられる。
ご両親と妹さんのご家族、小さな子供も同居している大家族だ。
和気藹々としたご家族の様子が映されている。エリートそうだ。



「妊娠には両親も賛成してくれていて、子育てには両親と妹も参加してくれます」と。




おー、世の中すでにこうなっているのか。(・・;)



三浦しをんさんの小説「まほろ駅前多田便利軒」のなかで行天(登場人物)が子供はいるけど家族はいないよ俺は只の精子提供者だからというのがあり、
ほう('-'*)エヘ、突飛な例としてはありうるなと、その時思ったのだったが、

現実に(テレビの中ではあるが)精子の質としてY染色体を選び、妊娠しようとしている女性を見て、
これは合理的というものなのだろうか?
我が子に父親は不必要と判断をくだしたの?と、思っていろいろなことを考えてしまった。



今、離婚して出戻ってきた娘は親孝行者だと喜んで迎えられることが多いそうだ。
かわいい孫を連れて帰ってきた。気を使わねばならない婿さんはもういない、親子水入らずで楽しく暮らそうねと喜ぶらしい。
そう安易に事を済ませて本当にいいのか?

娘はもういい大人の女だよ。男日照りなんて下世話な言葉もあるんだよ。
孫が父性の愛を知らないで育つ葛藤や成長を見るのは、とは考えないのかい?



ろくでなしの亭主に泣かされて、苦労して見る影も無くやつれた末に出戻ったというのなら
諸手を挙げて歓迎する親心は察して余りある。

が、

つまらない男は最初から排除して、出来のいい娘が出来がいいであろうY染色体を選んで妊娠し出産し、親子水入らずで我が家は幸せだと、テレビの女医さんのご両親が思ったとしたら、
それはやはりおかしいよ。


ご両親は娘や孫をいっぱい愛して、協力を求められて幸せかもしれないけれど。
娘は両親に愛されても、それほど幸せには思えない年齢に達しているんじゃない?
もう他人を愛する幸せのほうが大きくなっている年齢のはずだよ。

「愛すること、そして愛する人の子供を産むのが幸せじゃない?」と言ってやるのが親の優しさじゃないの?

それが出来れば苦労はないのよ!と言われそうな気もするが。






夫は要らないけれど、子供は絶対にほしいと思っている独身女性は多いだろう。
そして
一人の経済力では大変だから無理よねと諦めている。

しかし
経済力があり、惜しみなく愛情を注ぎ育ててくれる協力者がいれば今は可能なんだ。!!!





他人を愛するなんて馬鹿じゃないの?
そんな面倒なことイヤだよ。
と、考える若い人が増えていると聞いた。


うん!面倒なことだよ。
でもね。その空間に迷い込む勇気が有れば、とても幸せな錯覚に浸れるんだよ。
人って、案外馬鹿なんだよ。知らないでしょう?
馬鹿でいられる時って短いからね。そのバカさってとっても尊いの。一生の中でも一瞬なの。


昔は、簡単に入れた空間なのに、この頃は頭でっかちになっちゃって入り難くなってるみたい。




難しい世の中になっていくね。可哀そうね。





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2018年07月23日

子供の能力と親と教師

私は中学で躓き成績が振るわなかった。


詰め込み教育の時代だった。

何でもかんでも覚えさせる授業に付いていけなくなった。
興味のあることなら覚えるのは簡単にできた、が何の興味もないことを丸暗記することが出来なかった。

そして記憶科目は全て投げ出してしまった。

興味のある本だけ朝まで徹夜で読んだりしていた。


我儘が通用するはずはなく、成績は惨憺たるものだった。



そんな私の娘が成績優秀だった。



乳児期から幼児期に入る頃からこの子は面白い子だなと思っていた。
言葉の吸収や意味の理解をスポンジが吸水する様にグングン伸ばし拡げていく。
娘を見ていて、そもそも人間の脳の発達とは?と興味をそそられた。
頭の中の伝達物質がどう作用して頭脳を作り上げていくのか。
母親が子を育てるという意識よりも、発達する頭脳や心理の観点から子供を見ていた。

こう書くと興味は頭だけなのかと勘違いされそうだが、もちろんファッションも躾けも食事も一緒に楽しんだ。
時はバブル、子供服といえどもいざというときはブランド物を着せた。
音楽も多岐にわたる。クラッシックから演歌までなんでも歌う、それは今彼女の財産になっている。
年齢に関わらずカラオケで人脈を築けるのは母の御かげだと思っているはずだ。(笑)


子供が小学校に入学する年齢に達しても中学生になっても頭脳に対する私の意識は変わらなかった。
学校の勉強に縛る必要はないと思っていた。

教師の中にも優劣がある。
優秀な教師は、それぞれの子供のアンテナを見て子供の能力を判断することができるものだと私は思っている。
能力のない教師は子供のアンテナを識別できず、自分の知識に頼ってそれを子供に押し付けることしかできない。

アンテナを見るとは、
1を言うと10先まで想像を膨らませ、答えを導き出す能力を備えた子供と、1を1と理解することで終わる子供の違いを見極め、指導方法を広げられる教師のことである。

娘は、1から10に発想を飛ばす能力を持った子供だった。
成績はいつもトップだった。

もし、1を教えられて10まで想像を膨らませる子供が、1を1と理解させることしかできない教師に当たった場合はどうなるだろう。
その教師は10まで発想を飛ばした子供の理解の幅が計れず、対応出来ず、こいつ何言ってんだ?
黙って先生の言う事を聞け!と握り潰す。或いは親に苦情を言って躾けてくれと逆切れするかだろう。


現実問題として子供の理解が10に及ぶことに着いて行けない教師が多い事を親は知っているだろうか。

親は教師の資質(能力)を見極めることが出来なければ、子供の能力を不完全燃焼させることになることを知っているだろうか。




娘は公立の小中学校に通った。
幼稚園と小学校4,5年生の時、お受験の塾に通わせたが、医者の子供が多く通う市内の私立の小中学校の受験はさせなかった。
理由はその私立中高一貫校の大学進学率が大して良くなかったから。そして私の望む進学の基準とは大きく違うと思えたから。

その程度ならば行く必要はないと判断した。


運よく小学校の5年生までは優秀な教師に当たった。
10を理解する能力が有る子供でも面倒がらずにクラスで上手く伸ばしてもらえた。

もし低学年で無能な教師に当たっていたら、教室で孤立し適応障害を起こしていたかもしれない。
その時は、難しい設問を提供してくれるお受験塾にでも入れて適度なガス抜きをする必要があるかもと思っていた。

しかし、毎日の大半を過ごす学校が辛いものであれば精神的苦痛は計り知れず、その後の性格形成にも多大な影を落とすことは想像に難くない。

親はどのような環境を子供に提供できるか、見栄や親の希望とは違う次元で、子供の側に立って考える必要があると思っていた。



娘の場合は、低学年で優秀な教師に受け持ってもらえたおかげで、中学の劣悪な能力の教師のカバーまでできたなと思っている。



子供の能力を如何にするか。

1を完璧に理解する能力を10積み重ねれば、1から10を理解する能力を持つ子とも並ぶことはできる。
それが努力が実るということかもしれない。

今の教育の基本姿勢は1を10積み重ねさせるというやり方だ。
これならば教師の指導を忠実に守っていけば、国公立の大学や有名私立には入れる。


しかし、これには難点がある。
発想の飛躍に乏しい。コツコツ積み上げてきたものはぐらつきやすい。
発想のスタンスが狭い。


勉強家で成績優秀なのに何処かしらひ弱なムードを漂わせた青白いお兄さん。


私はそんな風に育てたくはなかった。
私が記憶科目を放棄したのは、好きでもないことを無理やりやらされて気が変になりそうだったから。
性格が窮屈になりそうだったから。

性格が窮屈になった娘を見たいとは思わないから、コツコツ勉強しなさいとは言わなかった。
またコツコツが楽しいと思える性格じゃなかったし、コツコツ勉強しなくても成績は良かった。
ただ、計算能力は努力しとかなきゃ、後々行きたい方向を狭めることになるわよと言って励ました。


あなたの能力で出来るところまでやればいいじゃない。と思っていた。
あなたがやりたいならどこまでも応援するし、出費もできるところまで応援するわ。


子供の性格や能力を見極めるのは難しい。
ややもすると能力に期待して無理な重荷を背負わせることになりかねない。

また、能力を過小評価して子供を苦しい環境に置いてしまい、辛い思いをさせることになる場合もある。


親は子供に幸せに生きていける能力をつけてやることが出来うる責任を伴った大切な存在だ。


そして、
子供にとっての幸せとは、スクスクと快適に成長し、
大人になった時、その子が望む生き甲斐有る人生を生きられる人になれるか、ではないかと私は思っている。



子供の能力の見極めの難しさ、
生徒の能力を見抜けぬ大人が教育者として子供を潰す可能性と、そういう教育者を見抜く親の能力の有無。




小学校から私立を目指す親の意向というのは根っ子にこんな問題が見え隠れしている場合が少なくない。



小中高一貫校だと受験地獄に苦しまないためなどという単純な問題ではない。
ましてや、親として鼻が高い、格好イイなどという馬鹿な親はたぶん振るい落とされることだろうと私は思うのだが・・・・。





posted by win-manma at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし