2019年06月28日

幼児の知的欲求

幼児期というのは色々と知りたい欲求が半端ない。

これは何? なぜどうして?
娘が小さい時も質問攻めにあった。

最後はどうしてだと思う?と反対に問い返すと一丁前に頭を絞って面白い返答をしてくる。
その度に凄いな、いろいろ考えているのだな、その発想力ずっと持っていたらきっと天才になるな、なんて親馬鹿になっていたものだった。


孫は理系だなと時々このブログで書いた。

根拠は娘が幼いころは言葉や文字に強く興味を示したが、孫は言葉より先に児童科学館の力学の模型などを喜び特殊車両や新幹線、プラレールなどに我を忘れて没頭している様を見てそう感じた。


発端は生後4ヶ月の時に買ってあげた、O'ball ラトル&ロール レッドカー に興味を示した時からだった。

赤ん坊なんだから動くものに興味を示すのは普通じゃないか?と思う人は多いかもしれない、がよく見るとどこを見ているのかどの程度の興味を示しているか見て取れる。


そして一年二年と時を経るにしたがって喜ぶオモチャの系統がはっきりしてくる。


先日娘からここ二三日機嫌が悪いからどうしたんだろうと思っていたんだけど、Z会のドリルをさせてやったらようやく機嫌が直って落ち着いたわ。知的欲求不満だったみたい。
どうしもんだろうね。とメールが来た。


娘たちは幼児期からお勉強させることに抵抗感を持っている。のびのび育てたいと思っているらしい。
私も同意見だ。

幼児教育と聞くとお受験勉強を連想する人が多い。

頭を良くする勉強のさせ方なんてハッキリうたい文句に上げている幼児向け教室やパンフを見ることもある。


頭の良い子には幼児期からのお勉強は必要ないと私は思っている。


だが、知的欲求の強い子に何も与えないというのは食事を与えず飢えさせる行為に似ている。

ではそんな子には何を与えればいいのか。


子供は自ら興味の方向に触手を伸ばしている。

親がその触手とは全く違う方向に引っ張って行っても、子供には迷惑でしかない。


草原の風を心地よいと感じるのか、高原の空気が吸いたいと思っているのか、磯の匂いを嗅ぎたいと思っているのか。
漠然と言えばそういうことなのではないだろうか。

つまりどんなところに連れて行ってやれば喜ぶのだろう、のびのびとした知的意欲をひろげる喜びを与えてやれるだろう。と親は考えるべきなのに、このランクのドリルをやらせたら、或いはどのくらいの難易度の勉強をさせたら将来有利に問題をこなせるようになるだろうと考えるのは本末転倒だなぁと私には感じられる。


生物化学に興味を示すのか、物理にはてなマークを示しているのか、空間認識や図形、または数学的な面白さに興味を持っているのか。

子供の知的欲求には根っこにそういうものが隠れている。それを理解してちょうどいいストライクゾーンに遊びやゲームを与えてやれるようになってほしいわ。と娘に難しい問題提起を投げてみた。




去年のクリスマスにフィッシャープライス プログラミングロボというおもちゃをプレゼントした。
つなげたパーツの命令で自走するイモムシロボを思い通りに走らせましょう。ボディの8つのパーツにはそれぞれ「前進」や「右折」に「左折」、「停止&サウンド」などの命令が組み込まれており、連結を変えるだけで、走行ルートが自由自在に操れるよさあやってみよう。というオモチャ

残念ながら孫はこれには全く興味を示さなかったという。
ということは、組み合わせで変化させて自在に操るという頭の使い方には興味はないということだ。


孫はただ単純に動くことを面白いと思うのだろう。
ということは用意された答えに従うのはおもしろくないと感じたということだ。
起き上がりこぼしや弥次郎兵衛に面白さを感じる。そこにはなぜ??があるな。
うん! 確かに有るなぁと私は思った。大人が考えたプログラミングの先の答えには確かに面白さはないかもしれないな。


もしかしたら孫はもっと自然な素朴な根本原理に疑問を見出し見分ける勘を持っているのかもしれない。幼児の疑問とはそういうことか。なるほど。


ならば系統別の違いを見つけて、それをグラフ表記する作業などに興味を示すかもしれない。
または展開図から立体を想像できる力があるかもしれない。言葉から三次元の想像を膨らませる力があるかもしれない。
これは空間認識につながっていくのだはないだろうか。


いろいろな方法でアプローチをかけて子供の興味を掴んでみるのもおもしろい。




娘は言葉に興味を示したので「ものがたり本」をよく読んでやった。
そして主語熟語、動詞副詞形容詞などをそれぞれ個別に強調しな読み、その違いを教えると面白ろがり、よく理解した。
ものがたりの登場人物への興味や感情移入に進むことはなかった。文字を読むことが楽しい。言葉の成り立ちや構成に惹かれている様子だった。
この子は文学少女ではないなと思った。長じて法学部に進んだ。


親は子供に適した環境を提供してやりたいと思う。

子の知的欲求に適した環境というのは分かりずらく難しい。にもかかわらず知識欲の強い子は親にそれを求めてくる。
うるさい!と一喝してしまうのはもったいないと私は30数年前思った。


知的欲求を放置すると子の方もだんだんフラストレーションを溜めてイライラしてくる。


私の場合、子育てはそれとの戦いだった。



出来る子を持って幸せねなんていう人がいるが、とんでもない!!



とっても手が掛かるんですよ。ね、できる子を持ったあなたならその苦労わかるでしょう?




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2019年06月18日

練馬・川崎の事件に思う

川崎の20人殺傷事件、練馬区の元事務次官の殺人事件。

ニュースを見ていると気の毒で言葉を失う。
被害者に対しては勿論のこと、
加害者にもなぜそんな不幸に、そんな地獄に身を置くことになったのと思う。


こういう事件を起こす人の多くが自分の不幸は置かれた環境のせいだと言う。
社会が悪い、親が悪い、あいつが俺をこういう人間にしたと。

人を怨み、世の中を怨んで恨みの鬼と化して凶行に及ぶ。


他者のせいで自分はこうなったということは、置かれた環境や人に抗えない自分の根本的弱さに気付いていないのではないかと厳しい見方をしてしまう私などは思ってしまう。


人は壁にぶち当たったとき、
自分の力の無さ己の弱さに憤り、エネルギーを自分の内面に向かわせる人がいる反面。
自分は頑張った自分は強かったのに他人や社会が自分を陥れのだ、自分を認めない社会が悪いあいつが悪いと外に向かって憤る人がいる。


そして絶望した時、
内面に向かっていく人は自己否定ののち自らに絶望して命をも絶つ人もいる。
外に向かって絶望する人は自己の尊厳を信じて他者への攻撃を行なうようになる。


だからといって外に向かって攻撃する型の人が全て悪い人間だとは限らない。
その気性がうまく作用すれば社会の閉塞の突破口となる力を秘めている可能性が無いとは言えない。

だが往々にして社会との摩擦や波長の合わなさに悩まされることになりやすい。


子育てするうえで子の性格というのはつかみにくい。
親といえどもわが子が気弱な内向的性格なのか、気性の強い内向型なのか、気弱なのに攻撃的なのか、気性が強くしかも攻撃的なのかを見極めるのにはいろいろな経験の中で見ていくしかない。しかも親がその気で見ていなければ見えてこない。

そして、もし気性が強く外に向かって攻撃的な子ならば、どう育てていけばいいのかどう接していけばいいのかということを考えながら育てなければならないだろうと私は思う。


攻撃的な性格の人間(子)に対して上から押さえつければ強く反発することは目に見えている。
気性の弱い子に対して強く接すれば増々気性を弱めてしまうことはおおいにありうる。

もし自分の子が攻撃的で気性が荒い子だったとしたらどうしただろう。

私はたぶん育つ段階に応じて苦難を与えて苦しませ、自分の力を過信しないように自分自身に立ち向かう強さを持ってもらいたい、持たせてやりたいと思っただろうと思う。


なぜなら、挫折した時に頼れるのは自分自身なのだから。
挫折し自分を見失しなえば、救われるべき魂はどこかに流れ去ってしまう。
挫折しても自分をしっかり掴んでいられれば、ここが底だぞ、ここから浮かび上がるぞと自分を励ますことができる。


その本当の強さを持つまでに育て上げたいと私なら考える。
気性の強い子というのはとても育てにくい。子のエネルギーはすさまじくお前は親の生命力を奪いながら育つのかと思えるほどだ。そのエネルギーの塊のような子を制御する力がいるのだ。

また気性の弱い子は親にとって歯がゆくもあるだろう。
しかし、気性の弱い子はやさしい。気の優しい子の特性を生かした育て方をしてほしい。
弱い子に強くなってくれと願うのは親の欲というものだ。優しい子に救われること癒されることに感謝したいじゃないか。気の優しい子に恵まれた幸せというのは得難いものだと思う。


今回の練馬の子殺し、川崎の大量殺傷の事件に冒頭でも書いたがなぜそんな地獄に落ちてしまったのだろうと思った。


近年増々子育ては難しくなっている。
価値観が多様化し、生活・教育環境も多様化している。
ネット社会は親の計り知れない広がりと深さがあり理解しがたい部分も多い。
部屋にこもってPCに向かって動かない子供。
親は何をしているのかも分からず不安ばかりがつのる。

挙句の果てに親子の仲が険悪になる。


だが、ネットから何かを得ている子供にすれば親の理解など求めてはいない。
自分には必要だと信じて疑わず、これをクリアできれば更なる能力が得られる、そうして自分は高みに上れるかもしれないじゃないかと嬉々としてPCに向かって日々精を出す。


この溝は、埋めようがない。
親の想像を超えた世界に入り込んでしまった子をハラハラして見ている親。

思い通りにクリアできず苛立つ子。

ネットの世界は入りやすい世界だ。
が、
奥が深い。東大や京大の理系のトップクラスの知的レベルの人が理系脳を駆使して作り上げ牽引している世界なのだ。

そのネット社会を作っている側の人になるのか、遊ばせてもらうだけの人になるのか。

この画面はどういう風に作られているのだろうと興味を持つのか、
ゲームの進展に興奮しているだけなのか。
親はそんな視点を持って、PCに興味を示している子供の様子をみてみるのも一考ではないかと私は思う。



私は多少だが、C言語でプログラミング操作したりする。複雑なことは到底できないがネットの画面に映し出される画像や文字や構成が設計通りに決められた言語や数字で作り出されていることは知っている。



もし自分の子がネットに囚われたら、どの高みに昇ろうとしているのか聞くだろうと思う。
そして誰かが作ったゲームやアプリに嵌っているのなら、興味の方向をちょっと変える方向に引っ張ってみる。
例えば、このゲームの背景を変えるならどんな画像がイイと思う?とか 音楽を変えるならだれの楽曲がいい?とか。
お前なら作れるようになるんじゃないか?とか。


ゲームやアプリに嵌る心理というのは一種のギャンブル性が高い。

子がそこに嵌ってしまったら救出しなきゃならない。

ギャンブル依存はやっかいだ。




子供とのかかわり方は基本的にはあまり変わっていないのではないだろうかと思う。

まだ幼児の頃、おもちゃを与えて興味を引出し、ドンドン成長する姿をみて喜んでいたのにいつの間にか訳分からん方向に行きやがったと思ったのなら、それはおもちゃの内容に親が着いて行っていないのであって、親の勉強不足は否めない。


ネットゲームのせいで子が変な方向に進んだのだと思ったらそれは間違いで、子の成長を把握できなくなっている自分(親)の力不足を棚に上げて子を叱ったりしたら、子に馬鹿にされても仕方ない。

だが、親を馬鹿にするその優しさの無さは捨て置けない。

そこは正すべきだし、いずれ子は親を超えていく、それは当然の成り行きなのだ。
親は年老いて能力も知力も衰える。新しいものを吸収できなくなるのだから。

馬鹿にしている間はまだまだ甘えているということだ。
親を馬鹿にするというのは、子が幼いからだ。
成長を促すうえで、そこを教えてやるのも親の役目かもしれない。
賢い子は親に教えられなくても気づくものだ。


親が偉くはなく自分は親を超えてしまった、労わる側になってしまったと気付いた時、
子は切ない寂しさを覚える。
それは誰もが経験したことだと思う。
だが、人間的にはまだまだ越えられない厚みがあるなぁと私などは思った。


そこまで来たらもう親の出番は終わりということなのだなと私は思う。

しかし、子がまだ経済的にも精神的に幼くて自立できず、そのくせ偉そうに振る舞うのなら千尋の谷に落としてやる勇気も必要なのかもしれないと今回の事件を見ていて思った。

千尋の谷に落とすとは、決して己の手で殺してしまうことではない。
這い上がれ、見守っていやる。骨は拾ってやるということだ。




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2019年05月26日

角を矯めて牛を殺す

年を取ると一年があっという間だと年寄りはよく言っている。
まったくその通りで、私も近頃半年一年が瞬く間に過ぎ去っていく気がする。

ならばまだ三歳の孫は時間経過をどのように感じているのだろうか。

先日孫と話していてなるほどと思ったことがある。

去年11月に中耳炎になってしまった孫、耳鼻科に行き医師に指しゃぶりは良くないよとやさしく諭されたのだそうだ。

そこで孫は決心した。
指しゃぶりをしないexclamationことにすると。
夜泣きをしたり体調を崩したりしながらも、孫は指しゃぶりを克服しようと頑張った。
そして自分の意志で指しゃぶりを卒業した。

それを聞いて「すごいね。偉かったね。黒ハート」とほめてやったことは勿論だ。


「次はおむつを卒業しなければね」というと、「kazyuちゃんはあかちゃんだからまだいいの」と言う。
二歳は赤ちゃんだぞ!とでも思っているのだろうか。ヾ(・ε・。)ォィォィ

娘は、この子は自分でやると決めたらそうする子みたいだから、そのうちトイレでウンチするよ。とか言い出すんじゃない?と焦っている様子もない。



そして三才を2ヶ月後に控えたある日、そろそろ赤ちゃん卒業だ、お姉ちゃんパンツを穿くのだと決め、いざ決行とあいなった。
そしてすんなりとおむつを外してしまったという。


私の子育ての頃はおむつ外しは親の大仕事だったと記憶している。
最近の子は大したもんだ。(゚∇゚ ;)


今年のゴールデンウィークに電話で面白いことをいう。
「kazyuちゃんが赤ちゃんの頃、ウンチをおむつの中にしてたんだよ(笑)」
「あのころはね。〜〜 うふふ」
って、あなたまだ数ヶ月しかたってませんが。ヾ(・ε・。)ォィォィ


あー。そうかこの子にとっての1ヶ月は、私の1年位に相当する長さなのかもしれない。

時間感覚の違いに驚かされた。





感覚の違いに今もう一つ問題が生じている。

自分の意志がしっかりしているこの子は、お友達たちも自分と同じで頑張れると思っている。
誰でも自分で自分をコントロールできるものだと思っている。
そこでお友達が保育園のルールに背いたり、成長が遅かったりすると「どうしてできないの?」と思い、言ってしまう。


お友達に「いけないのよ!」とか「どうして分からないの?」と言ってしまうことはお友達を非難攻撃する言葉だと捉えれられても仕方がない、配慮や優しさに欠ける言動だ。


こんな時、周りの大人はどうしたらいいのだろう。
ネット検索を掛けると、「そんな風に言ったら可哀そうよ。優しく言ってあげてね」と言うというのがあった。

三歳の子に「そんな風に言ったら可哀そうよ。優しく言ってあげて」と嗜(たしな)めれば、たぶん素直にそうなのだと受け入れるかもしれない。
はたまた嫌いな食べ物を床に捨てるのはダメだってパパもママも言うじゃない。(゙ `-´)/ と反発するかもしれない。

可哀そうよで片付く問題か?それは安易ではないか?それでいいのか?
これは深い問題だぞと私は思った。



友達に対して可哀そうだと思う憐みの感情を教えることに私は少なからず抵抗を覚えた。
同い年の、成長の速い遅い、能力の多少の優劣を可哀そうと捉える。それ間違ってるでしょう。
そもそも三歳になったばかりのおむつをやっと卒業したような子に他人への配慮が理解できるのか。


冒頭でも書いたように「赤ちゃんだったころ、おむつにウンチしてたんだよ」「自分で食べれなくてママやばばちゃんに食べさせてもらってたんだよね」赤ちゃんだったから。
このお友達は私より大きいけれどまだ自分でスプーンでご飯が食べられない。だから食べさせてもらっている。

この子は赤ちゃんなんだな、と思うとしたら。そしてそれと可哀そうが結びつくとどうなる。

“可哀そう”という言葉で繕った他者への配慮が、子供の心の中でどう成長するのだろうか。

憐みの感情を呼び覚まされ、上から目線、不遜、思い上がり、高慢につながりはしないか?





「角を矯めて牛を殺す」という諺がある。
曲がった牛の角をまっすぐにするために叩いたり引っぱったりすると、牛は弱って死んでしまうことから、欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうことをいう。 by コトバンク



この諺を私は父に教えられた。
子供の全体を見て子育てしろよと言われた。

部分に囚われると子供の大切な要素(芽)を摘み取ることになりかねない。


至らなくて当然なのだから、気には留めても先ずは見守ることだ。
直ぐに矯正しようなんて考えないで成長段階の時期を選んで、少しづつ少しづつ活花の枝を矯(た)めるように形を整えなければならないのだと思っていた。


優しい心根は私の子供なのだから確かに遺伝している。それが顔を出した時に大切に育めばいい。

いろいろ弄(いじ)くって、ドンドン出てくる才能の芽を摘んではならない。

周りの目を気にして子供を小さいく纏め上げないでいくことは難しい。
子供にとって窮屈な環境がどれほどのストレスか。それを分かってやることはとても重要だと思う。
子供は伸び伸び育ちたい、それが本来の姿なのだから。




子供の世界には大人が介入しちゃいけない領域というのがあるような気がする。
子供の喧嘩に親は出て行かないで傍観するという知恵が昔はあった。




そして親同士が仲良くしていれば大事に至らず子供の知恵で問題を解決する賢さを親は愛でた。


昔の親は賢かったんだな。私らの世代からダメになっているんだわね。きっと。


孫よお友達同士で切磋琢磨して大きく育て。d(@^∇゚)/ファイトッ♪






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2019年04月23日

将来必要とされる人材とは?

東洋経済 ONLINE 掲載記事
「女性の事務系仕事」は令和時代に生き残れるか
「必要とされる仕事」について考える by[坂東 眞理子 : 昭和女子大学理事長]

要約すれば今後、簡単な事務職はAI(人工知能)に取って代わられますよ。
AIを使いこなせる人になって、更に人間力を磨いてこれを武器にでき得る人になれば社会に必要とされる人材になれますよ。と書いてあった。(私にはそう読み取れた)


AIの登場で将来が危ぶまれる人達というのは、
努力してAIを使いこなせる人になりうる若者ではなく、AIに挑むなんてとうてい無理なんだよという人をどうするかじゃないのか?

これではAIに取って代わられてしまう人のアドバイスにはなっていませんよね。



そのころになると格差社会がますます広がるのよと、脅かすばかりで具体的にどうしたらいいのかを示唆できていない。
失礼ながら将来像がこんなお偉い先生にも見えていないから示唆しようがないのだろうな。と私は思った。




問題は、お勉強は嫌いだけど性格は明るくて体力もあって人を愛する情熱もある若者が食っていけない社会が来るとしたらどうするということでしょう。そこのところの解決策を人々は待っているのだ。



多くの逞しい若者を食わせていけない社会というのは社会の体をなしていないといえるのではないか?

昔読んだ本に社会が若者を食わせていけなくなると、皆を兵士にして戦場に送り込もうとする作用が働くと書いてあった。


格差社会の底の方にいる人々に仕事を提供するのは社会(政治)の役目です。


彼らに何らかの役割を提供しなきゃならない。
それが何なのか。どういうものなのか。
社会はどう進もうとしているのか、どう膨らもうとしているのか、能力の低い人間を排除しようとするのか、切り捨てようとするのか。
個人レベルではなく社会システムとして考え、答えを導き出さなければならない段階に来ているように私には思える。



若者よ地に足を付けてしっかり踏ん張れよ !!!(ง •̀_•́)ง





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2019年04月06日

備忘録 養老孟子著「養老訓」

老後の生き方の指南書を2冊読んだ。

外山 滋比古 (著)「知的な老い方」を読んだが私の老後とはどうも違うなと感じた。
財テク上手で都会暮らしの教養人の知的老後の暮らしには要するにお金がなくちゃ楽しくないよ。と書いてあるのだなと私には思えた。
どうも私はお金に執着する人の話が好きではない。お金で買える幸せや楽しみなんて大したことないでしょうと思ってしまう。
お金では得られない感性や優しい心根に重きを置いてしまう。
たぶん無い者の妬みも含まれてるんだわね。(笑)


次に養老孟子著「養老訓」を読んだ。

以下は目次。

訓の壱 不機嫌なじいさんにならない
訓の弐 感覚的に生きる
訓の参 夫婦は向かい合わないほうがいい
訓の四 面白がって生きる
訓の五 一本足で立たない
訓の六 こんな年寄りにはならないように
訓の七 年金を考えない
訓の八 決まりごとに束縛されない
訓の九 人生は点線である

前回の「知的な老後〜」はとっても安易で読みやすく私の頭でも言っておられることは理解できた。


ところが

「養老訓」は全く私の頭に入ってこない。

養老さんの言っておられることが伝わってこない。
目次は平易な言葉で書かれているのに何を教えて下さろうとしているのか全くチンプンカンプンなのだ。
知的レベルが全く違うのだと気付いた。


あっ、これが「バカの壁」だ。

あー私は養老先生のおっしゃる概念的思考に毒されているのだな。だから自分を肯定しよう否定されまいとする意識が働いて理解不能状態になったのだ。
そう気づいたのは本の終わりにさしかかったころだった。

そこでもう一度最初から読み返してみた。
二度目は多少なりとも理解できるようになってきた。

そうそう先生が仰るように、「あーすればこうなる。こうすればあーなる」と頭で考えながら生きてきた。
詰め込み教育の全盛時代に育った。頭のいい人が優れていると刷り込まれて育った。

それは都市生活の上でしか成り立たないのだよ。
自然界に入ると予測不可能なことばかり、感覚が生きる上でとっても大切になる。
都市型社会に暮らすとその感覚的思考が弱くなり概念で生きるようになる。
と書かれている。


脳内のバランスが悪いとも書かれていた。
入力ばかりで出力していないと。

確かに入力方法は学校で習ったけれど、我々は出力方法は学習していない。

子育ての頃「ゆとり教育」が盛んに提唱されて授業時間を減らし、体験学習をさせなきゃダメだとなりゆとり世代なるものを生み出したが、競争を排除し個性豊かに育てようというのはスローガン的提唱に終始して真の人間形成には及ばないままに終わった印象がある。


頭で考える。人として生きていくにはそれがすべてだとつい思ってしまう。
違う違う、頭の力を抜かなきゃ鬱血してしまう。


そのためには五感を開いて感受しようと先生はおっしゃる。


人は脳内バランスを整えて心身ともに健やかに老いればこれほど幸せなことはないと。


まったくだ! この年になっても教えられることがいっぱいある。
気付かされることもいっぱいある。

人生は楽しいものだなと年金がもらえて飢えることなく自由に時間が使えるようになってつくづく思う。


もし年金収入がなくなって飢えるようになったらさっさと死ねばいいんだもの。
なんとなくそんな風に読み取れる部分もあって、そう!わたしはやはりこんな気概のある老人が好きだし自分もそうありたいと思っている。


いい本だった。




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2019年03月10日

今度は腱鞘炎

一昨年整形外科2つの病院で五十肩だといわれ、
1軒目では時を待つしかないよと言われ。
2軒目では早く来れば治りも早いのにと言われつつ、痛いと言っているのに無理やり腕を引っ張られ激痛に悶絶。
肩に注射され、今日からリハビリだと言われイケメンのリハビリ専属スタッフをあてがわれ、せっせとリハビリに通ったが症状は悪化の一途。

いかんいかん男の子の色香にほだされている場合じゃないぞと自分を戒め、「すみません、ちょっと時間的に無理が生じまして」と嘘の電話を入れてリハビリを中止。

その後、東京で整体師に見てもらったら痛みで筋肉(胸筋(特に胸筋の奥)背筋)が凝り固まってしまっている。それをほぐすと楽になるよと言われほぐしてもらい少し楽に、そこから徐々に腕が上がるようになった。
痛みが最後まで残ったのは上腕二頭筋だった。ほんとうに五十肩だったの?

数年前に肩から腕に激痛が来て、休日急患センターに飛び込み上腕二頭筋の捻挫と診断されたことがあった。その時の処置がよくてすぐに治ったということがあった。

五十肩ではなく、上腕二頭筋の捻挫だったんじゃないの?といまだに時々痛む上腕二頭筋をなでながら思う。

1月中旬ころから親指が痛みだした。
腱鞘炎は持病のようにときどき顔を出す。

20代の頃から腱鞘炎には悩まされてきた。
中指の腱鞘炎では手術と言われ悩んだが、手術はしなかった。
指先が器用なのに手術で不器用になってはいやだと思ったのだった。(笑)
外科で手のひらに針を刺して電気を通す痛い治療もしたが芳しくはなかった。
要するに酷使しなればすむのだと観念して転職に踏み切った。

使い過ぎで腱鞘炎になると思っていたが、体質のいうのもあるらしい。
私は腱鞘炎になりやすい体質らしい。

今回は親指が全く曲がらなくなり、財布からお金を出すこともままならず、鉛筆が持てなくった。
痛みが強くて生活に支障をきたす。
放置すると固まってしまうこともあると聞き病院に頼るしかないとふたたび整形外科の門をくぐった。

昔からこの地方では名の知れた「黒崎整形外科病院」。
評判が良く、待ち時間が半端ないというので今まで避けていた。
常勤のドクターが7名、非常勤ドクター2人 手術入院ができる5階建の大きなビルなのだ。

診察治療は早かった。
診断は、酷い腱鞘炎バネ指。
親指の根本の炎症箇所を患者とドクターの指でさぐり2か所にマーキング。
局所麻酔薬とステロイド薬の混合液を腱鞘内に注射。
この注射、うなり声が漏れるほど痛い。
ドクターに痛いよ!と言われつつ耐える。的確に的に当たっていると思った。

診察処置はそれだけ。
電気に当たりに来いだのリハビリに通えなど一切なく、
この注射は頻繁には打てないから再発するようなら手術になると言われた。支払った額は1660円。
痛みはマックス時の10%までになり、指は引っかかりつつも曲がるようになった。

整形外科の診察治療処置ではじめてありがたいと思った。






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2019年02月25日

美容院で読書談義

髪がのびて美容院に行かなきゃ、ヽ`アセ(;~▼~;)アセ、ヽ`
と思うが、寒かったり気が乗らなかったりで数ヶ月。

行きつけの美容院は腕が良から3〜5ヶ月行かなくても格好良さが保てる。
しかし、さすがに半年も行かないと「落ち武者」か?となる。
少し暖かくなったので、ようやく重い腰を上げた。

店長さんmale(オーナー)は娘と同年代アラフォーだ。
子供さんは?と聞くと小学四年生だと教えてくれた。

ついこの間聞いたときは幼稚園の年長さんだと言っていたような気がしたがもう10歳にもなっていた。


「今が一番イイころね。もうすぐ反抗期になるね。」
店長
「反抗期ってどう対処したらいいんですかね。」「反抗期のない子も増えてるらしいですよ」

「うちの子も親にはほとんど反抗しなかったわ。一人っ子だから親だけど友達っぽい会話も多いしね。一人っ子って家ではずっと大人としゃべってるからね」
店長
「うちも一人っ子だからそんな感じですね」

「息子さん、読書する?」
店長
「マンガが多いですけど、活字も読んでますね。」
「自分は全く読まなかったけど、大人になって読むようになりましたね」
「manmaさんはどんなの読むんですか?」

「私は固い本が多いよ」「今、司馬遼太郎読んでる」
「若いころに読んでおきなさいよと言える本は『竜馬がゆく』よね」
「あれは若いころに読むと人生観が刺激されるもん」
店長
「僕、竜馬は途中で投げてます。長いんですもん」

「後半で西郷とか出てくるとまた面白くなるよ。大政奉還とか薩長同盟とか」
店長
「中だるみなんだ、それで投げちゃった。」

「本を読む子はいろいろな価値観を吸収するから友達だけに影響されることが少ないよね」
「親子で知的情報の交換もできるし、これ面白かったよって教えてくれたり教えたりすれば、何に興味を持っていてどう感じているのかとかも分かる。」
店長
「そうですね(゚▽゚*)ニパッ♪」
「高杉晋作読みました?」「読んでみたいなと思って」

「葉室 麟の高杉読んでもの足りなくて、司馬遼太郎の高杉で読み直したわ」「やっぱり深みが違った。司馬遼太郎は人物の本質を掴んでるからね。納得したわ(笑)」
店長
「店をどの方向に持っていこうかと考えてるんですけど、幕末の人って行動力すごいですよね」

「あの時代の人って命が軽いよね。思いの丈で生きてる」「若いからこそできる」
「あんな男に惚れたら女はたいへんよ(笑)」

若い店長とこんな話ししたの初めてだったけど、楽しかった。

アラフォーか、店を構えて一人でやっていける限界も見えてきて、これからなんだね。
勝負にかけるんじゃなくて、堅実に確かな経営にすすめてほしいものだと思うわ。



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2019年02月07日

エネルギーの放出

エネルギーの放出?なんのこっちゃ?
年を取ると夜中に目が覚めてそのまま眠れなかったり、寝付きが悪くて朝方まで浅い眠りを繰り返すことがよくある。


先日ふと気付いた
習字を書いた日はよく眠れていると。

昨年、習字教室の先生が手術のために一ヶ月教室を閉められた。
その時私はショックを受けた。
練習嫌いでちっとも真面目に勉強をしない私を叱りもせず、気長に見守ってくれることに甘えてダラダラと過ごしてしまっていることを反省した。

先生は80歳になられた。いつ習字教室は辞めることにしたわと仰っても不思議じゃない。
先生はお忙しいのだ、理事会の運営や書道展の審査員、中国との交流など文化振興のお役目だけでも大忙し、
初心者の育成など弟子(師範)に委ねて当然なのに、自ら指導に当たって飛び回っておられる。
お蔭で練習嫌いの私でも、師範の手前の師範格にまで進めた。

ここで辞めたくはないという欲が出てきた。先生の手術が私のやる気に火を付けた。

私は先生に宣言した。師範になるまでご指導ください。いや師範から先の道も引っ張って下さいと。


書にしても、絵画にしても、優劣の根本はエネルギーの放出だと近頃感じる。
静かな書画であっても薄い色合いのものであっても、エネルギーがほとばしる作品に人は惹きつけられる。
エネルギッシュである必要はない。
静かで上品である中にも満つるエネルギーがある。それを人は美しいと感じるのだなと思う。


今、師範試験に向けて条幅(掛軸の大きさ)の字を書いている。
真剣に筆先に神経を集中させ、呼吸で書いてゆく。
筆先から私のエネルギーが放出される。ようやく書くことが楽しくなってきた。


師範に近づいてようやく習字から書道に入ったなという実感が持てるようになった。
美しいと感じられるほどの「書」が書けるようになるのは何年何十年先だろう。(笑)


エネルギーを放出するとよく眠れる。
書かないと寝付きが悪い。こうなると仏教でいうところのか? (゚∇゚ ;)エッ!?




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2019年01月13日

20年以上使った洗濯機

先日、洗濯物をたたんでいて台拭きの汚れ落ちの悪さに気づいた。

そろそろ買い替え時だよなと思いつつも壊れていないので決心がつかない。
貧乏な年金生活になるとますます出費を控えたくなる。

正月に帰省した娘に聞いてみると、やはり最新式に比べると汚れ落ちが悪いようだという。

洗濯機の製造年を見るとサンヨー電気の1997年製。なんと今年で22年となるらしい。
そりゃ汚れ落ちが落ちても仕方ない。


娘が少しカンパするよ。と言ってくれたので決心がついた。

早速ネット検索
価格コムで商品を絞り込む。6s以上、簡易乾燥付、国内メーカー、設置対応。

日立がモーターが強く機能面でも充実していて人気だが、予算オーバー(本体価格\50000≒)。
妥協して東芝のAW-7G6(本体価格\41000≒)がイイかなと絞り込んで、目と鼻の先のヤマダ電機に実物を見に行った。

ヤマダ電機の人は親切に対応してくれた。(後で日立の人だと判明)
日立と東芝を見比べると、やはり日立がしっかりしているように見える。
私は、人も道具も質実剛健なのが好きなのだ。
特に道具は丈夫で長持ちする方が、結局お得。


私は、ネットで調べても電気製品はネットでは買わない。
電気製品というのは生産者から流れるルートが決まっていて、家電量販店は最新機種が取り揃えられている。
古い機種の物は扱わない、売れ残りは、それ専門の業者に流がすと冷蔵庫を買ったときお店の人に聞いた。
その業者が低価格でネットで販売していたりする。
低価格品の品質は悪いのではないかと疑ったりしたら失礼だ。
が、当然売れ残り品の中にはキャセンル品や何らかの事情で返された物も含まれるのではないだろうか。

生産者は大切な売り手である量販店にはしっかりした商品を届けなければ信頼関係が損なわれる。
そして量販店では良い物から捌かせていくのではないか?と、思っているのだがどうだろう。
自分が直接対応して売ったお客様には、より良いものを届けたいのは当然の気持ちだと思う。
同一機種の良品質品の確保は量販店の使命ではないだろうか。
お店の人に同一機種の物の中の品物の良し悪しの見分け方法があるのかないのか聞いてみたいところである。

まぁ電気製品は当たり外れがあるものではある。


今回、ヤマダ電機で日立の洗濯機で量販店向け製品を紹介された。
それらは価格コムには出てこない。
ヤマダにあるのなら他の量販店にも有るのではないか?と、いったん帰ってネット検索を掛けてみた。


家電量販店がネット対応に乗り出していた。

各量販店が、ヤフーショッピングや楽天、或いは自社サイトで安く売っている。


各量販店を見るとe-best(ベスト電器)が一番安かった。
ベスト電気店舗でそのネットのページをスマホに示してこれ下さいと言うと、話が早かった。

更に少し値引きしてくれ、設置料、リサイクル料、5年保証も付けて日立製NW-T74が\47,000弱で買えた。


数年前までは家電量販店の人はネット価格の知識がなく、自店の価格に忠実だった。
ネットだとこの値段なのよなどと言おうものなら、イヤーな顔を隠さなかった。
お宅の会社のネット価格がこれよと言ってもチンプンカンプという顔をしていた。(笑)


家電量販店の人は一人一人の客に親切に対応し自信を持って商品を売っている。
そして今、ネット販売を視野に入れ価格競争と品質保持の荒波を泳ぎ始めたのだなと嬉しくなった。
私はネット崇拝者ではない。
販売店舗がネットに対抗して頑張ってくれればこれほどありがたいことはない。


今年地元デパートが閉店する。
ネット販売に対抗できなくなったのだろう。売り上げの低迷はネット販売のせいではないはずだが・・・。
年末にお歳暮を買おうとこのデパートのページを見たが全くネット販売のコツを掴んでいなかった。
製造業者の販売代行窓口でしかないのならデパートとしての矜持はどこにいったのだ。と思った。


ネット販売に押されて多くの販売店が苦しんでいる。


店舗で品物を確かめてからでないと買えないものもある。
写真では質感は伝わらない。
交通費を使ってまでそこに出向く理由があるからその店舗まで行くのだ。
品質が分かっているものを買う場合は家まで届けてくれるネットの方が便利だ。
しかも安い。
送料無料なら尚更だ。


消費者は賢くなっている。
その賢い部分を理解したうえで自分のところに誘い込む力が必要なのだと思う。

家電量販店の健闘を称えたい。





21年もの間働き続けてくれたサンヨー電気の洗濯機さんご苦労様でした。ありがとう。





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2019年01月09日

2019年 明けましておめでとうございます。

早速ですが孫のご報告。
2歳と10ヵ月 見た目は随分女の子らしくなりましたが、好みは男の子寄りで電車大好き特種車両(工事用車両や救急車、消防車)大好きで見つけると目が大きくなり声のトーンが変わります。(笑)

保育園にイベント用の“スケルトンのごみ収集車”が来たときは目を輝かせて見入っていたそうです。
かわいいお人形には興味を示しません。ひらがなよりも数字の方に興味を示します。
やはりこの年齢ですでに理系女の様子です。
0歳のころに理系だな!と感じた私の勘、当たっているようです。(〃'∇'〃)ゝエヘヘ

なかなかのお利口さんぶりの時と困ったさんの時が今回もやはりありました。
親戚の家で楽しく遊んでもらいハイテンションになってしまった孫。
どうも理性が効かなくなってママに叱られる。それでも効かない。
とうとう泣く羽目になった。が、泣き止みごめんなさいと言いはしたものの、
その後もハイテンションのおバカぶりは直らないまま。
困ったものだ。
お利口とお馬鹿のけじめがつくほどには成長していないのだなと思いつつ、

見かねて、一発
こらっ (`□´)コラッ!」・・・気迫ある婆ちゃんの一撃が落ちた。

孫、一瞬ひるみ声を失う。ストンと憑き物が落ちた。

私が「ばばちゃん、怖いね」と笑顔で言うと、「こわい」と孫が言っていた。


怖い一面など孫には見せたくない。
優しいやさしいおばあさんでいたいと、どんなおばあさんでも思っていて怒ったりはしない。
しかし、効果的な叱り方というものがどういうものか示したかった。

ぐだぐだ言い聞かせるよりも、一発で静まる叱り方というのもがある。

これは大砲のようなもので、数年に一度くらいしか出しちゃいけない秘伝だ。
お利口さんの時とお馬鹿さんの間を彷徨う時期だから効果があるのかもしれない。


その後、お利口さんを取り戻した孫は元気に食べ、遊び、東京に戻っていった。
飛行場の保安検査場の列から戻って、ギュッとハグをしてくれた。
「お利口さんでがんばってね」と言うと、しっかりした声で「うん (*´∇`*)」と答えた。

たぶん、飛行機の中ではママの膝の上でじっとしていなきゃならなことを頑張るのだと思ったのだろう。


d(@^∇゚)/ファイトッ♪




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posted by win-manma at 11:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし