2018年09月13日

子供は遊びの天才。

最近は孫からLINE電話が掛かってくる。
勿論まだ二歳なので自分で携帯を操作して掛けてくるわけではない。
娘に「ばばちゃんと電話する!」と言うのだそうだ。わーい(嬉しい顔)


何して遊んでる?と聞くと
もじもじして答えられない。でもニヤニヤしている。
答えたいが、どう言っていいのか分からない様子。

今日は新しいパズルを出してきて親子して挑戦している様子を見せてくれた。




近頃の子は何でも手に入って羨ましい気がする。
娘が小さい頃は、ネット検索もなく、勿論ネット購入など考えもしない時代。
何を買い与えればいいのかも分からず、昔ながらの積木や輪投げ、ブロック、ラッパや太鼓、ぬいぐるみなど貰い物をそのまま与えていた。砂場セットは必需品で毎日それを持って公園に行き、砂団子を作って遊んでいた。
夏はビニールプールを出して水遊び、そこでもお砂場セットは大活躍した。

テレビを観るようになって、ヒーローものの変身グッツを喜ぶようになったのは4〜5歳の頃だったような気がする。

たいした遊び道具がなくても子供は毎日機嫌よく元気に遊んでいた。

毎日毎日公園の砂場で午前中を過ごす子供。
親はママ友と合流して子供の様子を離れたところから眺めながらおしゃべりを楽しんでいた。

あの頃、数人の子供が同じ砂場で話すでもなく、喧嘩するでもなく、楽しそうに砂遊びに興じていたが、いったいなにを楽しんでいたのだろう。

親は只々見守っていただけだった。
子供は砂を掘ったり、山にしたり、団子にしたり、思うままに手を動かしていた。

時々、砂をばら撒く子がいると目に入ると危険なので止めたりしていた。親の介入はその程度だった。

今から思えば、子供は土や水に触れる感触を楽しんでいたような気がする。


二歳児は感触を楽しむ時期だった。
風の感触、太陽の感触、木の感触、布の感触、土や水の感触、植物の感触、動物・虫の感触・・・。
これってとても大切な経験なのだ。
娘はよく団子虫を触って遊んでいた。
目に見えるものの感覚や驚きも大切だ。耳にするものも楽しんでいた。
そして、子供はこれらを強く求めた。

雨の日など砂場に行けないと不機嫌で困った。
ママ友たちと「雨だね^〜 困るよね。洗濯物は乾かないし、子供は泣くし」とこぼしたものだった。

この時期に大人が砂場に踏み込んで道路を作ってトンネルを作ってミニカーを持ち込んで走らせたりすると、子供達は最初とても喜ぶ、自分もブーブーなどと言いながら車を動かしている。
しかし
そのうちに飽きて遊ばなくなる。
玩具の自動車に飽きるのだ。
玩具の自動車は想像を生まない。
基本的には遊びに介入しないが、様子を見てちょっとした刺激を与えることも必要だ。
ミニカーと同じくらいの石を自動車に見立て動かしてみせると、子供は自動車とは限定しないで色々に想像を膨らませる。
時に芋虫を思い、時に自転車を思い、時には飛行機にも。そして飛行機に変身した石が空を飛ぶ。

それが子供の世界だ。

その世界を引き出すのが幼児教育だと私は思っている。


教えるのではなく、引き出すきっかけを投げ掛ける。
そこが幼児教育の難しさだ。



石をなにかに見立てて遊んでいる子供に「これ何?」と聞くと、トンボなどと答えてくれる。

そのトンボ何色?と聞くと、「赤」とか「青」とか答えてくれる。
「赤トンボか!」♪夕焼け小焼けの赤トンボ〜♪と歌ってやると、うれしくてたまらなくなる。

頭の中では絵本で見た赤とんぼの絵と歌が満ち溢れる。


この頭に浮かぶ映像と記憶が大切なのだ。
この経験が多いほど頭脳は伸びる。


小さい子供に幼児教育と称して訓練や競争を強いて学習させようとする風潮がある。
これは訓練であって教育ではない。
訓練に従う子供は何を楽しんでいるのだろう。
優越感や競争心を煽って知識を身につけさせても地頭は良くはならない気がするのだが・・・。


子供は本来遊びの天才だ。
発想は無限で大人の想像を超える。
考える力の源を犯してはならない。

大人はじっと耐えて、子供が自分で納得するのを待つしかない。
例えば新しい玩具を与えられた子供は、いったいこれは何だ?と思う。
箱を開けて、ロボットだったとする。
あっ!ロボットだった。グッド(上向き矢印)
動く?と思う。
どうすれば動く?と思う。
手で動かしてみる。
あっ!動いた。わーい(嬉しい顔)
座るの?思う。
足を折ってみる。
膝が曲がった。exclamation

この過程が楽しいのだ。

買ってきたおじいさんが
「ほら!凄いぞ、電池をここに入れてスイッチを入れると、どうだ動くだろうъ( ゚ー^)イェー♪」
なんてやっちゃったら、やさしい子供は、一緒に喜んでくれる。が、興味や好奇心は奪われてしまっていることに本人も気付かないまま成長することになる。


一緒に喜びたい気持ちはよく分かる。が、大人は子供が成長のステップを少しづつ自分で掴んで進むことをじっと見守ってやるしかない。教えるのは簡単なんだけどそれは安易というもの。
じっと堪えて待たなきゃならない。子供の成長を見守るとはそういうことだ。
その姿勢を持ち続けなければならないんだ。




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2018年09月04日

白髪

ポツポツと白髪が出はじめたのは50代の後半。
前髪を下ろせば見えなくなった。
白髪のない私に、友人は苦労が足りないんだぞ (;`O´)oコラー! と睨んだ。


60代になって容易に隠せなくなり白髪染めを始めた。

何度も書いているが私は極度のアレルギー体質。
当然自然素材のヘナを使用した。

ヘナにも色々な種類(配合率?)がある。
生協が勧めるヘナは浸透させる時間が長く、冬など風邪をひく。
そしてアレルギー反応はやや苦痛という感じ。

最終的にはグリーンノートヘナ オーガニータ に落着いた。
オーガニック植物原料の審査をクリアしたと謳っている。
こちらはアレルギー反応も出ないし浸透時間も短い。



しかし
65歳になり、顔も随分年寄りじみてきた。(-д-`*)
そして髪を染めるのが面倒になってきた。
染めても直ぐに出てくる。出来栄えもたいしたことはない。あーぁ。



と、思っているところに
女子アナの近藤サトさんの記事が目に付いた。
『“年齢に抗わない”生き方』そして、お写真の老け込んでいないお顔とグレーヘアがステキだなと思った。



私はふと思った。

白髪を敵視している間に、段々顔も老けて白髪が似合う顔になっているんじゃない?わたし。

そもそも白髪がどうして老け込んだ印象になるのか考えてなかったわ。
白髪が老け込みの原因ではなく、気持ちの老け込みが白髪と重なってイメージを作り上げているのであって、若者が白く染めても老け込んでは見えない。
中身の問題なんじゃないのか?




今、白髪は全体の3割強から4割弱になっている。

髪の生えぎわの白髪の多い部分を思い切って出してみた。額を出してみた。
ウフ(*´∇`*) 似合ってるじゃない。

そうか、白髪が年寄りじみてみっともないんじゃなくて、隠そうとする卑屈さがみっともないんだわ。

バサバサになって艶も無く、髪型にも頓着せず、シミだらけの素顔を晒す様な真似がみっともないんだ。


市販のリンスやコンディショナーが使えない(アレルギー)から、
私はレモンを絞って湯に溶かしてリンスにしている。

このリンスはお勧め!!!
天使の輪ができるほど髪が艶々になる。


きらりと光る銀色の髪。
格好イイじゃない。ヽ(*^^*)ノ


そう思い込むと、自分で納得してきたぞ。

その思い込みが大切なんだわ。きっと。









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2018年08月21日

連ドラミスキャスト

テレビの連ドラ、好きです。
しかし最近はイマイチ熱が入らない番組が多い。

歳を取って感性が鈍ったか?
人生経験に照らして有得んわたらーっ(汗)、と思うと白けて楽しめなくなってきている。


この夏は「義母と娘のブルース」と「高嶺の花」と「せごどん」をビデオに撮り置きして見ている。
放送時間に縛られるほど時間を持て余してはいないため、好きな時に好きなようにテレビは見ることにしている。

この夏のドラマは、
「義母娘」が中盤になっても視聴率が良いと高評価。
物語の軸がシッカリしているし、役者さんがそれぞれに説得力があるので見ていて引き寄せられる。


残念なのが「高嶺の花」
主演が石原さとみさんで今年1月12日〜3月16日まで放送された「アンナチュラル」(主演女優賞を総ナメ)でイイ女優さんになったわぁと喜んでたのに・・・。

この「高嶺の花」何が言いたいの?
何を世間にアピールしたいの?
華道会の内側を描くのに苦心惨憺?(笑)
お家元の内部事情や風情があまりに陳腐で見ててイヤになるほど、只の下品なお金持ちぽくっていけません。
お家元ならもう少し品位と凄味が有る人のほうが似合うのに!
後妻さんどう見ても元ホステス風じゃない?
妹さん可愛いのかおバカなのか、おっとりなのか、才能がないという部分は上手く演じてるわね。

ドラマを作るのってひとつボタンを掛け違えるとこうなるんだね。


最後に「せごどん」
10回分も貯まってしまってもう消しちゃおうかなと思いつつ、瑛太さんや小栗旬さんが見たくて早送りで消化。

小栗さんの竜馬を見て、また止まっている。
なんで岩倉具視が鶴瓶。ちっ(怒った顔)
あんな油ぎった太ちょで大阪弁の岩倉具視?
他に似合いそうな人いなかったの?

俳優さんの説得力というのはスゴイよなと思う。
実在の人物ならその人物に成りきって、違和感を抱かせないほどに昇華して見せてくれる。
それがドラマの醍醐味でしょ。

ミムラさんの向田邦子
中谷美紀さんの白洲正子
....etc




これからもあの鶴瓶そのままの岩倉具視なら見るのよそうかな。




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2018年08月10日

子供の授かり方が進化しているみたいです。

先日テレビを見ていて驚いた。

美容整形外科の女医さんに突撃して「通帳を見せて下さい」とねだり、私生活も覗いちゃうという番組。


そこに登場した綺麗な女医さん(未婚)がお金の使い道を聞かれ、厳しい突込みにも正直に応えられ、淡々と説明していた。


その真摯な姿に私は好感を持った。

医学書をAmazonで購入。これが1冊数万円。学会出張費、、、等々。




突っ込みは更にエスカレートし鋭くてこの出費は???
「私、体外受精で妊娠するんです」「そのための費用です」「精子はカナダ人の知り合いの方のものです」
(゚∇゚ ;)エッー!?

そして、ご自宅へ押掛ける。
ご家族と一緒にとても広いマンションに住んでおられる。
ご両親と妹さんのご家族、小さな子供も同居している大家族だ。
和気藹々としたご家族の様子が映されている。エリートそうだ。



「妊娠には両親も賛成してくれていて、子育てには両親と妹も参加してくれます」と。




おー、世の中すでにこうなっているのか。(・・;)



三浦しをんさんの小説「まほろ駅前多田便利軒」のなかで行天(登場人物)が子供はいるけど家族はいないよ俺は只の精子提供者だからというのがあり、
ほう('-'*)エヘ、突飛な例としてはありうるなと、その時思ったのだったが、

現実に(テレビの中ではあるが)精子の質としてY染色体を選び、妊娠しようとしている女性を見て、
これは合理的というものなのだろうか?
我が子に父親は不必要と判断をくだしたの?と、思っていろいろなことを考えてしまった。



今、離婚して出戻ってきた娘は親孝行者だと喜んで迎えられることが多いそうだ。
かわいい孫を連れて帰ってきた。気を使わねばならない婿さんはもういない、親子水入らずで楽しく暮らそうねと喜ぶらしい。
そう安易に事を済ませて本当にいいのか?

娘はもういい大人の女だよ。男日照りなんて下世話な言葉もあるんだよ。
孫が父性の愛を知らないで育つ葛藤や成長を見るのは、とは考えないのかい?



ろくでなしの亭主に泣かされて、苦労して見る影も無くやつれた末に出戻ったというのなら
諸手を挙げて歓迎する親心は察して余りある。

が、

つまらない男は最初から排除して、出来のいい娘が出来がいいであろうY染色体を選んで妊娠し出産し、親子水入らずで我が家は幸せだと、テレビの女医さんのご両親が思ったとしたら、
それはやはりおかしいよ。


ご両親は娘や孫をいっぱい愛して、協力を求められて幸せかもしれないけれど。
娘は両親に愛されても、それほど幸せには思えない年齢に達しているんじゃない?
もう他人を愛する幸せのほうが大きくなっている年齢のはずだよ。

「愛すること、そして愛する人の子供を産むのが幸せじゃない?」と言ってやるのが親の優しさじゃないの?

それが出来れば苦労はないのよ!と言われそうな気もするが。






夫は要らないけれど、子供は絶対にほしいと思っている独身女性は多いだろう。
そして
一人の経済力では大変だから無理よねと諦めている。

しかし
経済力があり、惜しみなく愛情を注ぎ育ててくれる協力者がいれば今は可能なんだ。!!!





他人を愛するなんて馬鹿じゃないの?
そんな面倒なことイヤだよ。
と、考える若い人が増えていると聞いた。


うん!面倒なことだよ。
でもね。その空間に迷い込む勇気が有れば、とても幸せな錯覚に浸れるんだよ。
人って、案外馬鹿なんだよ。知らないでしょう?
馬鹿でいられる時って短いからね。そのバカさってとっても尊いの。一生の中でも一瞬なの。


昔は、簡単に入れた空間なのに、この頃は頭でっかちになっちゃって入り難くなってるみたい。




難しい世の中になっていくね。可哀そうね。





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2018年07月23日

子供の能力と親と教師

私は中学で躓き成績が振るわなかった。


詰め込み教育の時代だった。

何でもかんでも覚えさせる授業に付いていけなくなった。
興味のあることなら覚えるのは簡単にできた、が何の興味もないことを丸暗記することが出来なかった。

そして記憶科目は全て投げ出してしまった。

興味のある本だけ朝まで徹夜で読んだりしていた。


我儘が通用するはずはなく、成績は惨憺たるものだった。



そんな私の娘が成績優秀だった。



乳児期から幼児期に入る頃からこの子は面白い子だなと思っていた。
言葉の吸収や意味の理解をスポンジが吸水する様にグングン伸ばし拡げていく。
娘を見ていて、そもそも人間の脳の発達とは?と興味をそそられた。
頭の中の伝達物質がどう作用して頭脳を作り上げていくのか。
母親が子を育てるという意識よりも、発達する頭脳や心理の観点から子供を見ていた。

こう書くと興味は頭だけなのかと勘違いされそうだが、もちろんファッションも躾けも食事も一緒に楽しんだ。
時はバブル、子供服といえどもいざというときはブランド物を着せた。
音楽も多岐にわたる。クラッシックから演歌までなんでも歌う、それは今彼女の財産になっている。
年齢に関わらずカラオケで人脈を築けるのは母の御かげだと思っているはずだ。(笑)


子供が小学校に入学する年齢に達しても中学生になっても頭脳に対する私の意識は変わらなかった。
学校の勉強に縛る必要はないと思っていた。

教師の中にも優劣がある。
優秀な教師は、それぞれの子供のアンテナを見て子供の能力を判断することができるものだと私は思っている。
能力のない教師は子供のアンテナを識別できず、自分の知識に頼ってそれを子供に押し付けることしかできない。

アンテナを見るとは、
1を言うと10先まで想像を膨らませ、答えを導き出す能力を備えた子供と、1を1と理解することで終わる子供の違いを見極め、指導方法を広げられる教師のことである。

娘は、1から10に発想を飛ばす能力を持った子供だった。
成績はいつもトップだった。

もし、1を教えられて10まで想像を膨らませる子供が、1を1と理解させることしかできない教師に当たった場合はどうなるだろう。
その教師は10まで発想を飛ばした子供の理解の幅が計れず、対応出来ず、こいつ何言ってんだ?
黙って先生の言う事を聞け!と握り潰す。或いは親に苦情を言って躾けてくれと逆切れするかだろう。


現実問題として子供の理解が10に及ぶことに着いて行けない教師が多い事を親は知っているだろうか。

親は教師の資質(能力)を見極めることが出来なければ、子供の能力を不完全燃焼させることになることを知っているだろうか。




娘は公立の小中学校に通った。
幼稚園と小学校4,5年生の時、お受験の塾に通わせたが、医者の子供が多く通う市内の私立の小中学校の受験はさせなかった。
理由はその私立中高一貫校の大学進学率が大して良くなかったから。そして私の望む進学の基準とは大きく違うと思えたから。

その程度ならば行く必要はないと判断した。


運よく小学校の5年生までは優秀な教師に当たった。
10を理解する能力が有る子供でも面倒がらずにクラスで上手く伸ばしてもらえた。

もし低学年で無能な教師に当たっていたら、教室で孤立し適応障害を起こしていたかもしれない。
その時は、難しい設問を提供してくれるお受験塾にでも入れて適度なガス抜きをする必要があるかもと思っていた。

しかし、毎日の大半を過ごす学校が辛いものであれば精神的苦痛は計り知れず、その後の性格形成にも多大な影を落とすことは想像に難くない。

親はどのような環境を子供に提供できるか、見栄や親の希望とは違う次元で、子供の側に立って考える必要があると思っていた。



娘の場合は、低学年で優秀な教師に受け持ってもらえたおかげで、中学の劣悪な能力の教師のカバーまでできたなと思っている。



子供の能力を如何にするか。

1を完璧に理解する能力を10積み重ねれば、1から10を理解する能力を持つ子とも並ぶことはできる。
それが努力が実るということかもしれない。

今の教育の基本姿勢は1を10積み重ねさせるというやり方だ。
これならば教師の指導を忠実に守っていけば、国公立の大学や有名私立には入れる。


しかし、これには難点がある。
発想の飛躍に乏しい。コツコツ積み上げてきたものはぐらつきやすい。
発想のスタンスが狭い。


勉強家で成績優秀なのに何処かしらひ弱なムードを漂わせた青白いお兄さん。


私はそんな風に育てたくはなかった。
私が記憶科目を放棄したのは、好きでもないことを無理やりやらされて気が変になりそうだったから。
性格が窮屈になりそうだったから。

性格が窮屈になった娘を見たいとは思わないから、コツコツ勉強しなさいとは言わなかった。
またコツコツが楽しいと思える性格じゃなかったし、コツコツ勉強しなくても成績は良かった。
ただ、計算能力は努力しとかなきゃ、後々行きたい方向を狭めることになるわよと言って励ました。


あなたの能力で出来るところまでやればいいじゃない。と思っていた。
あなたがやりたいならどこまでも応援するし、出費もできるところまで応援するわ。


子供の性格や能力を見極めるのは難しい。
ややもすると能力に期待して無理な重荷を背負わせることになりかねない。

また、能力を過小評価して子供を苦しい環境に置いてしまい、辛い思いをさせることになる場合もある。


親は子供に幸せに生きていける能力をつけてやることが出来うる責任を伴った大切な存在だ。


そして、
子供にとっての幸せとは、スクスクと快適に成長し、
大人になった時、その子が望む生き甲斐有る人生を生きられる人になれるか、ではないかと私は思っている。



子供の能力の見極めの難しさ、
生徒の能力を見抜けぬ大人が教育者として子供を潰す可能性と、そういう教育者を見抜く親の能力の有無。




小学校から私立を目指す親の意向というのは根っ子にこんな問題が見え隠れしている場合が少なくない。



小中高一貫校だと受験地獄に苦しまないためなどという単純な問題ではない。
ましてや、親として鼻が高い、格好イイなどという馬鹿な親はたぶん振るい落とされることだろうと私は思うのだが・・・・。





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連日の35℃超えでも孫は元気です

猛暑の中 孫(二歳四ヶ月)がやってきた。

相変わらず厄介な身体で、眼科で処方された目薬に反応して酷いめまいを起こしてしまっていた。
横になることが多い日が続いていたのだが、
二泊二日(三日めは早朝に帰る)の短縮帰省なら、、、。
孫の顔を見ればめまいなんか吹っ飛ぶんじゃないかと?、、、。と受け入れ態勢を整えて待つことしばし。


孫は空港のロビーに現れた。
孫、ニンマリするも声に出して喜んだりはしない。
娘によると朝から「ばばちゃんちにくよーグッド(上向き矢印)
タクシーを降りると「ばばちゃんは?」地下鉄を降りて「ばばちゃんは?」モノレール降りて「ばばちゃん!」と、言っていたらしいのだが会って直ぐに嬉しがったりしないところが二歳児のおもしろさか?

ちなみに、じじちゃんが自分を指して「これだれ?」と聞いたら、「知らないと」答えた。たらーっ(汗)

じじちゃんは臆することなく「これ、じじちゃん!」と自己紹介していた。(笑)
その後はいたって仲良しな二人だった。「遊ぼう!遊ぼう!じじちゃん遊ぼ」わーい(嬉しい顔)


事件は二日目の昼食の時に起きた。

いのちのたび博物館で恐竜を見て、チャンポンのおいしい店に行った。
チャンポンは熱いよね、チャーハンないのかなぁというので確かあったと思うよということで、
「チャーハン!チャーハン!」と連呼しながら眠たがるのを鼓舞して店に到着。
そして、そうなのです。
チャーハンが無かった。あせあせ(飛び散る汗)

仕方なく急遽、お握りを注文。
孫にはチャーハン無いって、お握り食べようねと理(ことわり)を入れる。
しかし、なんと、出されたお握りが湯気を噴いている。
海苔が巻かれているが、海苔をはがすとご飯になってしまった。がく〜(落胆した顔)

孫、「おにぎり食べたい」「おにぎり食べたい」と言っている。
しかし、皿にはご飯しかない。おにぎりの跡形すらもない。
お腹は空いているけれど泣かないで我慢する健気な孫。

そこに注文していた焼きソバが運ばれてきた。
焼きソバは味が濃そうだなと言いつつも小皿に移して扇子であおいで熱を取り、食べさせる。
孫はおとなしく食べていた。
が、途中で「おにぎり食べたい」と言っている。(・・;)


ようやくチャンポンが運ばれてきた。
アツアツだ。
これは直ぐ食べさせられるものじゃない。
娘のチャンポンは、麺を孫の小鉢に移して随分少なくなっている。
娘が何気なく「kazyu(孫)に取られて麺が足りないわ」とこぼしてしまった。

孫の目がほんの一瞬、泳いだ。

その後、大人も焼きソバやチャンポンを適当に食べて人心地着いた時。


孫がチャンポンの入っている小鉢をゆっくりテーブルにひっくり返した。

私達は大慌てに紙ナプキンで汁を吸い取り、麺を皿に戻した。
お店の人が台拭きを持ってきて事なきを得た。

娘は孫を叱り付け、表につれて出た。

私も会計を済ませ、表に出ると孫は叱られて大泣きしていた。






おにぎりがご飯になって食べられなかったけど、泣かなかった。(ご飯ならせめてアンパンマンふりかけ掛けてよ!)
焼きソバはあまり美味しくなかったけど食べた。
そもそもチャーハン無いの?約束が違うじゃない。
チャンポンはママの分だった。



このやるせなさ。





しかし、大泣きして少し気が晴れたらしく。

その後、孫も娘もスッキリした顔をしていた。






お店の人不親切だったもの、わたし頑張ったモン、ママは怒ったけど食べ物で抗議しちゃだめだって教えたかったのわたし知ってる。
そんなkazyuの気持ち、ばばちゃん 今回は直ぐに分かってあげられなくてごめんね。





孫は言葉の理解がグーンと伸びていて驚かされる。
もう普通に会話ができているように感じる時も多い。
しかし、まだ完全に日本語をマスターしているはずはないのである。
使うところを微妙に間違っていることもある。
救急車が一台走っていった。通過後「救急車いっぱいいたね」という。
頭の中でいっぱいと急いでと早くが混在しているようだ。



最近は「怖い」を使うようになった。

怖い目をしたぬいぐるみを怖がるようになった。

なんと、「トトロの猫バス」は怖いのだそうだ。
アニメソングの「猫バス」も怖いと言う。

エー!赤ん坊の時、ドライブで猫バスを流すと直ぐに寝てたのはあれは逃避だったのか?
てっきりお気に入りだと信じて疑わず、みんなで合唱してたのに?(笑)


聞いて見なきゃ分からんもんです。(゚∇゚ ;)エッ!?




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2018年07月12日

めがねを買った

あまりの眼精疲労に危機感を覚え、眼科に行った。

夜になると物がぼやけて小説の字が見えない。風呂上りの顔すら見えにくい。
肩が凝る。等々。


眼科は涙目や閃光が見えるなどと訴えて5軒目だ。

どの医者も目薬を出して、様子を見てくださいとしか言わない。


最近になってようやく病院の口コミ評価がネットに載るようになった。
そこで、評判を見ながらホームページなど見てJR駅近くの女医さんを頼ってみることにした。

疲れ目と涙目を改善したいと訴えた。
そして、こちらの病院のホームページにある「シェーグレン症候群」が気になりました。と伝えた。
この病院のホームページはとてもうまくまとめられており、診断の大まかな要領を掴むことができた。
医師のプロフィールや学会とのつながりなども参考になった。


初診では炎症が起きているので瞳孔を開いて詳しく調べることが出来ない、目ヤニが治まったら来てくれと言われていたので、10日後に再診を受けた。

涙腺が詰まっているかの検査をした。
涙腺が詰まっていた。涙が喉に流れず溢れているのだそうだ。

それからドライアイの検査を受けた。
涙が溢れているにも関わらずドライアだと診断された。左目は涙が溢れているので傷にはなっていなが、右目はキズが入っているそうだ。

この時、涙目は若松区に涙目専門の医師がいて、専用内視鏡「涙道ファイバースコープ」を使って手術しているが行ってみますか?と聞かれた。鈴木眼科クリニック


涙目を治すより先に「シェーグレン症候群」の診断が先だろうなと考え、涙目は軽減できれば好しとする事にした。
ドライマウス、ドライアイ、筋肉痛、関節痛、甲状腺、アレルギー、、、一致するなぁ。怪しいなぁ。


今、目薬を二種類差している。
目薬を注している間はコンタクトレンズは使わないでくれと言われ、20日間コンタクトを使わずに過ごすと疲れ目が改善され、夜でも本が読めるようになった。

あー、もうコンタクトは無理なんだなと諦めることにした。

そこでかわいいメガネを新調することにした。(ง •̀_•́)งシメシメ


今使っているメガネは娘の結婚式の時に作ったものでちょっと気取った雰囲気が好くないなぁと思っていた。

最近、歳を取って地味な色が似合わなくなった。
ちょっと明るめの雰囲気にしなきゃダメだわと丁度思っていたのだった。


もともと乱視なのでコンタクトの矯正の方が楽なのだが、ドライアイで目に傷が常にあるようじゃ仕方ない。

不便だけど、これが老化というものなんだな。と観念した。(x_x;)シュン




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2018年06月26日

踵をつける

40年前、弟が言った。
「あんた、尻がハの字だな、恰好悪り〜なヾ(´ε`*)ゝ」

あいつはいつもそんな言い方ばっかするデリカシーのない奴だった。
憎まれ口を叩いては、私をイラッとさせる。年下のくせに、弟のくせに偉そうにしたがる奴だった。




私のお見合いをしたお相手がお母様を伴ってうちに来た時、
偉そうに応接セットの椅子に座ってドスを効かせた顔ををしてお相手を睨んでた。(笑)

結局、この話しは流れた。
弟さんが・・・。とは言われなかったが、思っただろうなとは思った。
お付き合いもしていない段階でお母様が品定めに来られる。
これは大変だ(゚゚;)エエッ
と、この話しは丁重にご辞退申し上げた。(゚ー゚;Aヨカッタ ヨカッタ




適齢期(あの頃はクリスマスケーキと言われた24歳を超えると・・・)を過ぎた私の結婚が決まった時は、ほんとうに嬉しそうな顔をしてみせて酒を飲んで酔っぱらっていた。





弟よ、私は
アンタが死んで10年経って気付いたのだよ。
「両足の踵をつけて足先を九十度開いて立つと、お尻がハの字にならないんだと」(笑)
そして、わたしつまんない事覚えてるのねと思った。


そして思ったあんたはいつもそうだった、解決方法は教えてくれなかったんだよね。と。



弟だからしかたないか。
思ったまんまを口にしただけ、それが姉弟だわね。


あいつは心の深いところを分かり合えてた共有しあえた数少ない人間だったんだよな。




大人になって老人の入り口に立ってみると、ひとことしゃべるのにも気を使って言葉を選ぶようになっちゃった。


なんだかつまんないわ。ヾ(_ _。)





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2018年06月18日

娘を持つ親

友人が娘さんの結婚が決まった。と嬉しそうに話してくれた。


そもそも彼女はこの話に反対していた。


理由は相手が医者だから。

彼女も旦那さんも裕福で派手な暮らしなど望んでいない、むしろ嫌っているのだ。
だから娘の相手も地味で堅実に静かに暮らす価値観を持った人をと望んでいるのだと言う。


お金持ちの家に育った人は普通の人から見ればどうしても派手に見える。
海外旅行、ブランド物、お洒落なレストランでお食事。
そんな家庭と親戚付き合いなんてしたくない!!


ちょっと待って。と私は反論した。

そうとは決まらんやろ?(標準語なら 決まらないんじゃない?(地方でこう言うとちょっと気取った感じになってしまうのだ))


(私)相手の家、病院なん?
(友人) 違うみたい。普通のサラリーマン。

(私)ほら〜、あんまり反対するとこじれるよ。反対されるとお互いに感情的になってややこしくなるからね。
思わぬ方向に走ったり、判断を間違ったりすることよくあるじゃん。
○○ちゃん逆上(のぼ)せるタイプじゃないから案外冷静に厳しい目で相手を見てるような気がするけどな〜。


それから数年後、
別れたみたい。(^^ゞ

更にその後、
復活したらしい。(-д-`*)


だらだら付き合って真剣さに欠けると女は不利になることがあるな。と私はその時思った。

いざ結婚となると男は二の足を踏む場合がある。
面倒くさくなるのだ。
結婚は人生の一大イベント、相手だけでなく親戚や世間に対してもけじめの宣言を見せなければならない。
責任も発生する。常識を踏まえた行いも科せられる。
だから、今のままでイイじゃないか。今二人で楽しく過ごせれば楽だ、これに越したことはない、と。

しかし
女にしてみれば、世間から見れば単に愛人扱いされても仕方ない立場、別れても何の保証もない微妙な立場。
世間からも親族一同からもちゃんと祝福された二人でありたい。
これは愛情の嵩の問題ではない。自分の居場所、自分の立位置の問題だ。

若ければそんなの不純とか計算高いとか思うのかもしれないけれど、
計算高いのは地位とか名誉とか財産とかを計算してそれを優先して事を運んだ場合だ。




ここは
親としての動きがいるのではなかろうかと考えた。


(私)「相手に会った?」「挨拶に来いとか、どういうつもりでいるんだ!」
「そんなんじゃなくて、この娘にはこの娘を愛している私達家族がいるんですよ」「この娘は私達の宝物なんです」ということを相手にちゃんと自覚してもらうのって必要な気がすると言った。



その後
彼氏が来たそうだ。

そして親も認める恋人同士なった。



そして相手の家にも行き、挨拶し気に入られたそうだ。
そりゃそうでしょう。
気立てが好くて美人ですもん。
うちの夫など○○ちゃんに会った愛想よくていいねと嬉しそうにしているもの。




よしよし、順調。(*^_^*)



そして先日、秋に式を挙げることになったと嬉しそうに友人は言った。
が、
それでー、もう一緒に暮らすって。ほんとうに今の子は(`□´)コラッ!と愚痴ってた。


ほんとうに頭、古いんだから。(笑)




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posted by win-manma at 11:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2018年06月16日

列車を止めたんですって(゚゚;)エエッ

我が家から望む借景の山並みの裾野を新幹線が走っている。

その新幹線に人が飛び込んだと聞いて皆で驚いている。


新幹線は犬でも跳ねたか?と思ったのか広島まで走り続けたという。
最近の人間社会の近くに棲む動物は、ここは危ないぞという危険察知力は近年特に発達してきているんじゃないかと私は思っている。
猫も犬も道路の渡り方は承知していて、心神喪失状態、あるいは気持ちが動転している、生まれて直ぐで危険認知力が確立されていない状態にあるなどの極少数が春先にペッタンコに踏み潰されていたりするのではないか?と思うのだ。

動物達は意外になんでも分かっている。

夫の散歩の楽しみは、猫に遭遇すること。
夫は猫を見つけると必ず「ニャーヽ(=´▽`=)ノ」と話しかける。
車に乗って出かけてる最中にも猫を見つけると窓を開けて「ニャーヽ(=´▽`=)ノ」と挨拶する。

先日、二匹の猫が塀の上でなにやら話していた。
そこに夫が通りかかった。
すかさず、「ニャーヽ(*^^*)ノ」と声を掛けた。

すると、猫二匹が顔を見合わせ「誰? 知合い?」「いや知らんぞ(・・)」という顔をしたのだそうだ。

おそるべし、猫。





その認識が新幹線の運転手に有ったかどうかは知らないが、人を飲み込んだとは思いもしなかったのだろう。

これまで運転手はもとより誰もが新幹線の線路には入れないものと信じて疑わなかった思う。


今後は侵入できないよう改めて万全を期す必要が生じたのだと思う。



行きつけの喫茶店でマスターや常連客とこのような死に方を選んだ場合、賠償金が半端無いという話になった。
数億円は遺族に圧し掛かるんじゃないか?と、話していると一人のご夫人が・・・。
「子供の頃、私列車を止めたことがあるの」と仰る。


皆して、呆気にとられる。
「また、どうしたの?」となる。

ご婦人曰く。
横断歩道を渡る時は手を上げて渡りましょうと教えれらたので
素直に
線路脇に立って手を上げたら、列車が止まってくれた。
のだそうだ。
おー怖い怖い。

その時賠償金は?と当然聞く。
子供だったから知らないんだけど、親戚が集まるとその話になり、400万とか小耳に挟んだと。
(;゚ロ゚)
40〜50年前の400万円。って。(@Д@;




小さなお子さんをお持ちのお父さんお母さん。

くれぐれもご注意あそばしませ。
(ง •̀_•́)ง





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posted by win-manma at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし