今年も夫婦二人で過ごすのんびりしたお正月。
益々老化が進むこの頃、劣化していく頭を含む身体と折り合いをつけながらも楽しく暮らしていかなければならない。今年も気ままに日々を楽しむことにしよう。
去年の嬉しかったこと、
・書の県展出品と入選。
・薬膳安眠スープのおかげで不眠症が改善されたこと。
・持病になって久しい副鼻腔炎が刀豆茶で改善されたこと。
・コレステロール値が高いのに薬を拒んでいたら瞼に眼瞼黄色腫出現、目立ってきた。ネット検索で民間療法らしきものを発見、カルシウムベントナイト(クレイ)+アップルサイダービネガーでクレイパック。試してそろそろひと月、ほんの少しだけれど希望もてるかな???
コロナのせいで夫の実家にも行き難い状況。
義母様も施設から家には戻らないらしい。
夫は去年後期高齢者になった。
私は今年春69歳になる。
近頃終活という言葉が気になり始めた、人生の終わりについて考える時が来ているのだなと思う。
断捨離の方ではない。葬式やお墓をどうするかの方。
昔は終活なんて習慣はなく、なんとなくその家の前例に従うのが普通だった。
だから両親の時は深く考えず祖父母のお寺さんにお願いして仏式で行った。
祖父母は宮崎県からの移住者だ。
宮崎県時代の宗派を頼って長年お経を唱えてもらっていたことを覚えている。
しかし、祖父が亡くなった時はどういうわけか住まいの近くのお寺さんに来てもらってその後そのお寺さんとのお付き合いが続いている。
夫の実家でも先祖からの長年付き合いのあったお寺さんと曾祖母の最後の法事を期に義母さんが縁を切り、そして義父さんのお葬式からはお布施が少なくて済むお寺さんにお願いして今に至っている。
最近墓じまい、家族葬、樹木葬、海に流す散骨と新たな選択肢やワードを耳にすることが多くなった。
お墓を守っている友人の多くが気持ち的に相当な負担だと言う。
子供にこの負担を受け継がせるのは嫌だ!墓じまいをしたいと言う。
墓じまいでお寺さんから高額のお布施を言い渡されたと聞いたこともある。
そして散骨がいいよね。と言いつつもご主人を見送りその後の法要を経るにしたがって少しずつ立ち直っていっているのはそばて見ていて感じるのだが・・・。
つまり、多くの人が僧侶のお経で儀式を終わらせ、お骨はさりげなく捨ててくれればいいとなんとなく思っているらしい。
私は無宗教の家族葬で散骨で簡単に済ませちゃっていただきたいと思ってきた。
でも
近頃それでいいのかなぁと思い始めている。
残された者には、手を合わせて拝むという行為が慰めになるんじゃないか、子供の頃訳も分からぬまま法事になれば仏間に揃って手を合わせ、仏壇のある家に行けば線香を灯し手を合わせることを躾けられた。
手を合わせれる行為には素直な気持ちが引き出される。
私の幸せを願い、見守り、励ましてくれた亡き人に手を合わせる行為を教えてくれた両親の躾けは大切なことだった。
手を合わせて祈る姿は世界中で見られる。美しいと感じるし、尊いと思う。
無宗教に拘る夫を見送って無宗教でお別れしたがどうにも落ち着かない。
それを見てお坊さんがお経を唱えて進ぜようと言われお願いしたところ、なぜかスーッと溜飲が下りたような心地になったという話を何かで読んだことがある。
しかし
私は宗教というものを肯定していない。
その教えを喜び、受け入れる要素を持ち合わせていない。
それでも死んだらサッサと焼いて捨ててくれとは言えない。
もし夫がそんなことを言ったらきっと腹が立つ。
子や孫へもしかしたら夫へ私はこの世にお別れしたんだよ「ありがとうね」という「ケジメ」はつけなきゃならいのだろうなと思い始めている。
つまり、その儀式をどういう形で行うか。
何も決めらずに死んでしまえば、たぶん夫のことだ(私が先に逝く前提)毎朝鐘をついて時を知らせてくれる近場の、私の両親もお世話になったお寺さんにお経を唱えてもらって済ませるだろう。
有難迷惑な適当な戒名を着けられて怒っている私を想像することもなく・・・。(-_-メ)
プロテスタント教会の牧師さんにお別れ会を仕切ってもらうという手もあるが、信者でもなく面識もない人の何を話せばいいのかと困られるに違いない。(カトリック教会は洗礼を受けた信者さん限定らしい)
来てくれた人も讃美歌を歌えのアーメンと言えのと言われても戸惑ってしまう。
焼香のほうがしっくりくるねと陰で囁かれそうだ。(笑)
神道による葬儀もある。
神社は神聖な場所なのでそこで葬儀や霊祭は行われない。
亡くなった人はその家の守護神となり家や家族を見守る神になったとして祀るという考えが基本にあるらしい。
思想体系などあるのかないのか?
ネット検索情報なので深いところは分からない。
仏教やキリスト教に感じる違和感はこと神道には感じないのはなぜだろう。
たぶん、とてもシンプルそうで私のただ家族を見守る存在でありたいという思いに近いように感じるのかもしれない。
墓につて
さて私達のお墓どうしましょう。
夫は次男で先ごろ夫の実家の古いお墓は義兄が処分してお寺の納骨堂を買い求め、お前達は物理的にここには入れないよと言った。
各自調達のこと、ということになった。
先日見晴らしのいい霊園の新聞の折込チラシを見ていたら、「そんな不便なところ、年寄りはなかなかいけないんじゃないの?」と夫に言われ、アーこの人は墓参りに行くことを前提にしているんだなと知った。
私は見晴らしのいい所で眠りたいなと思っていたのだった。(^^;
一人っ子娘は結婚して夫の姓になったので私達夫婦の墓を守る義務はない。
しかも東京暮らし。墓の世話などできるはずがない。
みなが墓じまいしたいと願っているこの時代にわざわざ墓を求めるのは愚の骨頂。
ならば散骨か期間限定型の納骨堂か。
私一人で決められることではない。
しかも死んでしまえば文句もへったくれもないんだ。(笑)
あとの人が適当に事を運ぶだろう。
それでいいんじゃないのという気もする。
今年はお寺巡りでもしてみようかな。(#^.^#)
.