2021年02月02日

コレステロール値が少し下がった。

橋本病と診断されて20年くらいになる。

ずっとコレステロール値が高いと注意され続けている。

中性脂肪は基準値内だ。
中性脂肪とコレステロールの両方が高いと心配になり、食材選びや調理法に気を付けるようにしている。

ちょっと気を付けると中性脂肪は下がる。が、コレステロールを多く含む食材は取らないようにしているのにコレステロール値はなかなか下がらない。


コレステロール値を下げる薬を飲みなさいと勧められるが、お断りしている。

一応一回は処方していもらうのだが、気分が悪くなったと言って次からは頂かない。
実際、薬のアレルギーがあるので医師も仕方ないかと言ってくれる。


昨日は、コロナのワクチン接種について聞いてみた。
32歳の時、急性大腸炎で入院中にアナフィラキシーショックを起こして生死の境を彷徨った。

コロナのワクチンは取扱いが難しいく、開業医さんでは簡単には接種できないらしい。
ましてやアナフィラキシー経験者は、設備の整った大きな病院で厳重な管理下で接種を受けることになるとだろうなと教えて下さった。

頼りになる先生である。聞きたいことに的確に答えて下さる。


去年12月にデロンギ スフォルナトゥット・イーヴォ ミニコンベクションオーブンを買った。

若い頃からオーブンレンジを使い続けてきたが、庫内の汚れが常に気になって仕方なかったのでキッチンをリフォームした際に、電子レンジと電気グリルの二台を区別して使うことにした。

電子レンジは毎日大活躍している、温めるだけなのでほとんど汚れがこびりつくことがなく、付いているのは手垢くらいのものだ。

電気グリル(けむらん亭)は魚や肉や野菜を焼く、こちらも優秀で焼きナスなど絶品になる。
が、今回はこちらに引退してもらった。
オーブン機能がないのでお菓子が焼けないのある。

市販のお菓子は甘すぎていけない。しかも高価だ。

12月号の雑誌にお菓子作りの別冊が付いていた。
これに触発された。

コンベクションオーブンは昔から欲しい物の1つだった。

昔は高価で買えなかった。サイズも大きくてレンジと二台置きは無理だった。


最近はオーブントースターが進化していて、オーブントースターにしては高価な物も多くて人気だ。

そこで上記のデロンギのコンベクションオーブンを見つけた。

小さいサイズでお手頃価格(14000円だった)。
決まりだ。(*'▽')

外側はカリッとしているのに中はしっとりジューシー。

調理は、このコンベクションオーブンを重点的に使うことになった。
油を落としてくれる上に、外側カリッと中ジューシー。
このさっぱり感。(*^^)v


今までフライパン調理で油を使い過ぎていた。

フライパンに油を注ぎ馴染んだら、ふき取るようになった。

換気扇のフィルターの汚れ具合が随分違う。


たぶん、コレステロール値が下がっているんじゃないかと思って定期健診に行くと案の定下がっていた。

先生、「今回は下がってるね」
私「調理器具買えたんです」「油を落とすとかいうあれ」
先生「宣伝通りなのかね? そううまくいくのかなぁ?」
私「下がってますよ(笑)」
先生「下がってるね」(^^;

さてさて次回はどうなっているでしょう。(._.)




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2021年01月28日

個性にあった導き方は簡単じゃないよね

孫二人を見ていると(リモートだが)全く違うことに気付く。


1人は映像の認識に特化している。片方は言葉の理解が早そうだ。


1人目が乳児の頃に来た時、おもちゃを用意しておいたらまず色に目をやり、動きに興味をみせる。
こちらの言葉に対しては、言葉よりもこちらの表情を見てそれに反応する感じだった。

二人目はコロナ禍で会える機会が少ない。1人目よりも受け取れる情報が少ないが、それでも違いが見えてきた。
一歳三ヶ月。こちらはすでに言葉を理解し、言葉を返そうとする。


1人目はもうすぐ五歳、トランプの神経衰弱が得意らしい。
トランプのカードを映像で記憶するらしく親より好成績をとると親は喜んでいる。

迷路や数など数学系の遊びが好きで得意だ。

こういうタイプの子は平仮名も漢字も記号として認識する。


花という字を見て、カラフルな色や形、公園のお花畑を思い描くのは二人目のタイプだ。

1人目は花という字そのものの形をインプットしようとする。


この個性の違いに合わせて親が教育的指導をすると上手くいくことが多い。


例えば、
花という字は草が変わる(化ける)という意味が込められているのよ草だったのにお花が先っぽに付くでしょうと話したとしよう。

二人目なら、そうなんだと!とある程度理解する。

が、1人目は花は「花」なんでしょう?となる。
まどろっこしい説明より、「艹」と「ィ」と「ヒ」だねとなる。

この子は今、花という字をパッと記憶することが楽しいのだ。
成り立ちや意味なんて後で知識が欲しくなった時に与えてこそ喜ぶのだから、親はその順番を間違えなければいいだけのこと。

子供が知識を吸収する過程や方法は、それぞれで違う。
 

その子の個性に合った与え方を心得て接するとコミュニケーションがはかどる。

そうすると子供が伸びる。


子供の伸びる芽が何色なのかどの方向に伸びようとしているのか、言うのは簡単だけど容易くわかるもんじゃない。


子供の言動を見ているとふと気付くことあるので、あーこれかと気づいてくれたら嬉しいです。




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2021年01月17日

粘りが足りないらしい

書道のスランプから少し脱した。


あまりのダメ出しに心が折れてしまいそうだった。

書けない。もう無理なのかもしれない。やめてしまおうか。

先生は早書きはダメ!
もっとゆっくり書く! と、仰るが「ゆっくり」がつかめない。

我が師匠は行書・草書で有名なのだが私は元々草書行書が苦手だった。
口の悪い意地悪な先輩がいて、入った早々に「まっ!もう草書を書いてきてるの、凄いのね( ゚Д゚)」と嫌味を言われた。
草書のお手本をもらったので書いて行ったのだが、いけなかったらしい。
毎月の提出物に草書も入っているのだから書いて当然なんだが、新人叩きをしたかったのだろう。こういう輩はどこにでもいるのです。

臍を曲げて草書を書かずにいたら苦手になってしまった。先輩の思う壺に嵌まってしまった。(笑)

苦手ながらも師範になるには書かなきゃならない。
四苦八苦しながら書いて師範免状は頂いた。


が、県展作品を作るこの期に及んで、師匠が作品の指導してくれるのは行書・草書なのだから苦手などと甘えたことは言っていられない。

縦175pの半紙に三行の漢文を書く。

書けない。ダメ出しをされると益々書けなくなっていく。筆が動かない。筆が迷う。


先週、月例の条幅作品を書いていて、ふとお手本に付いてくる釈文の横にある小さな模範作品を見ていて、これなら!!と思った。拡大コピーしてそれを手本に書いてみた。

書体の勢いが読み取れた。力の入り具合は伝わってくる。息遣いが分かる。

私にはこの人の作品が合っている。
迷いが吹っ切れた。自分のリズムが戻ってきた。

書けそうだぞ。!(^^)!


その勢いで書いてみた。
県展作品はすでに100枚以上書いている。
何回も注意された部分はもう頭にこびりついている。
やっと、書けた。
師匠に見せるとOKが初めて出た。ここから安定して書けるようになっていかなきゃならない。


同じ調子で書いたが月例の条幅作品はダメだと言われた。
早書きしてない??
ゆっくりよと言われるが、ゆっくりというのは漠然としすぎている。
直線的になってはいけないのだ。緩急をつけて、その呼吸が掴めていない。

師匠が粘りが足りない。と仰った。

そうだ、私は気が短いのだ。何事にもゆったりのんびりした心構えができない。

焦って先を急ぐ癖が字に出ている。
書は体を表すというけど、性格は出るね。と仰った。


ははーん、せっかちな短気を修練しなきゃいけない。これが修行ということか。成る程。




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2021年01月14日

獣臭い豚肉

私はスーパーが苦手だ。

うず高く積まれた食品に圧倒される。

ここで地震が起きたらきっと棚に潰される!みたいな恐怖心が起きる。



陳列棚が低くて、間隔が広くてゆったした店なら楽しく買い物ができる。

残念ながら近所のスーパーはギリギリの棚の設置なので夫が買い物に行ってくれる。


近頃、夫はこの買い物が好きになったようである。

率先して買いに行くようになった。要らないもの物まで買ってくるので時々喧嘩になる。


正月明けに大寒波に見舞われた。

元々私はスーパーで生鮮食料品を買わない派。

肉は和牛専門店、魚は個人鮮魚店、調味料は生産者の確かな生協と決めている。

凄く嫌味に感じる人もいるだろうが、値段は意外にも安く済んでいる。
顔見知り(30代の頃からの付き合い)になると高級品を勧められたりしない。
毎日の食材なんだからこれでいいのよとお店の人のほうが言う。
私(店主)が日頃食べてるのでいいでしょう?と言ってくれて、高級肉の切れ端なんかを用意していてくれて大助かりなのだ。


そうそう大寒波。

正月明けは8日からの営業だと聞いていたのだが、雪で出られない。

3日降り続いてお店に行けない。
夫が豚肉を嬉々としてスーパーに買いに行った。

豚肉と豆腐があればキムチ鍋ができるよと言ったのは私だ。
このスーパー、豆腐の品揃えはいい。おいしい豆腐は夫の買い物なのだ。

これが間違いだった。

いつもの美味しいキムチ鍋が台ないしになっていた。
豚肉が臭い。
色は綺麗だった。脂身が少なかった。切り身の端に血が付いていたので取り除いた。硬くはなかった。

他の具材も精彩を欠いてしまっている。

翌日のお昼に残っている出しでリゾットにするのが決まりだったのに・・・
到底無理だった。


不味いものを作る人の技が分からないと思っていた。

そうか、材料選びで間違うと私でも不味いものができるんだ。
長年食材を選んできた、小さなスーパーで食材を揃える時期もあった。
だが、これほどのハズレに当たったことはなかった。

夫はきっと、ライトに照らされたショーケースのお肉はどれも美味しそうに見えていたんだろう。
これでいいじゃないか!!と思っていたのかもしれない。
小売店に拘る女房の有無を言わさぬ態度を忌々しく思っていたのかもしれない。


今回は女房に軍配は上がったけれど、私だって試行錯誤を繰り返してきたのだ。

食材を選ぶ目は何十年もかけて培ったものなのだ。

あなたも頑張って。(笑)




それにしても、美味しい久原のあごだし鍋 旨辛鍋があれほどに激変するとは驚いた。



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2021年01月10日

ネットで衣類を買うのは難しい。

先日、無印良品の店舗に行ったのに夫の肌着を買うことを忘れていた。

無印のネットショップを見るとほとんど在庫が無いことを知った。

慌てて探すとAmazonに少しあったので購入した。買った後にサイズを再度見るとLサイズなのに胸囲が92pしかない。
数年前に自分の物を買ってワンサイズ大きくしないといけなかったのだと後悔したことがある。

慌てて、夫のLサイズをキャンセルし、LLサイズを買いなおした。
肌着は締め付けるものはよろしくない。
だが、袖も長く着丈もの長い。

届いたLLサイズを見て夫が怒り出した。
今までこんなサイズ買ったことないじゃないかと。

若い人に標準が合わせてあるから細身の長身になるのは仕方のないことだ!
納得するしかないと説得する。


ネットで衣類を買うのは難しい。
Amazonでは値段に関係なく試着して合わなければ返品OK、送料もAmazon持ちである。

高価な靴を返品したことがある。
靴は足の形にそぐわないと違和感を持ったり痛かったりすることが多いからこれは凄く画期的なことだと思った。


しかし、zozoタウンやディノスなど多くの店では値下げしたものは返品に応じてくれない。


だが店独自のサービスもある。
zozoタウンでは、登録している人のサイズをつかんでくれていて、親切にこの前買ったサイズはこれですよと画面上に出してくれる。これはとてもありがたく安心して購入できる。


それでも失敗はある。
ボトム類は特に慎重になる。
ギャザースカートを買ったがギャザーが広がりすぎていて、70に近い老人には無理なデザインだった。

冬用のスリムなパンツが安くなっていたので買ったら、腰回りが小さくて着れなかった。
お店なら試着して買わなかった代物だ。
2500円に値下がりしていたので返品はできない。近くのリサイクルショップにタグをつけたまま持って行ったが300円にしかならなかった。たらーっ(汗)


知人がワ〇ールのブラジャーをワ〇ールネット店で買ったらアンダーサイズD70なのに測ると60しかない。
何十年もこのブランドを使い続けてきているの安心しきっていて、このコロナ禍だからと洗濯して着けて気付いた。

お客様対応に問合せると、モノによって違いますから試着をしたうえで洗っていただければよかったというだけ、サイズ表示がおかしいこということには触れようともしない。何を言っているの?という態度だったそうだ。

ブランドそのものに不信感を抱いたので他のブランドに変えようと思っているそうだ。




Amazonやその他の返品OKの店でもそうだが、店の人の監視下で試着するわけではない。

人によっては一日中着けて、着心地を確かめる人がいるかもしれない。
そんな商品が返品されても店は素知らぬ顔をして次の客に送るのだろうと思うと信用できないじゃないか。


これから益々ネットで買い物をする人が増える。
人との接触を避けていないと、いつどこで感染するか分からない状況になってきている。


消費者を守る消費者庁にお願いしたい。

消費者の立場に立って返品対応の規制をもっと明確にして、消費者が安心して気軽にネットで買い物ができるように!!
お願いします。




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2021年01月06日

新聞からチョイス「デジタル教科書」/ 神経科学者メアリアン・ウルフ

「考える力紙とバランス」


人間は遺伝的に文字を読む能力を備えていない、先天的に神経回路がある言語や視覚と異なり読書の為に反復学習で新たな神経科路を作る必要がある。〜 
子供の教育ではゆっくり考えさせ、共感力や批判的な分析力を身につけさせる必要がある。子どもの脳の発達には、ゆっくり読め、より集中できる紙媒体で学ぶ方が望ましい。5歳までは家庭で多くの本を読み聞かせることが大切だ。深く読むことになれる10歳ころまでは、可能な限り紙媒体で学習させ、集中力を高める機会にしたい。〜
記事より抜粋


私は30年近くパソコンに慣れ親しんでいるが、PCの文章を読むのが苦手だ。

情報量が多すぎてうんざりしてしまう。
東洋経済オンラインの記事に興味を抱いて読むが、ダラダラと書いてある記事が多い。
簡潔に言えばいいじゃないの!と文句を言いたくなる。

結論から先に言ってくれればいいのに、それが言いたかったのね、時間の無駄だったわと思わずに済む。

記事に取り上げてもらえた人からすれば世に知らしめる絶好のチャンスとばかりに張り切るのだろうが、文章が間延びしていてはかえって逆効果だと思うのだが。


なぜPCの文章が苦手なのだろうと考えてみた。
どういうわけか内容が深く浸透してこないことに気付いた。

知識が素通りしている感覚に近い。

紙媒体の物を読むと深く浸透してくるのが分かる。
『成る程!』と意識の中にとどまる。

デジタル文章だと『フーンそうなんだ、へー』となる。

デジタル文章の書き手が、フーンそうなんだへーという文章しか書けないからなのか、
紙媒体の書き手が、原稿を書くにあたって言葉に言霊を注入しているのか、

不思議だ。


知的能力を培う成長期において、『フーンそうなんだ、へー』という思考回路しか持ち合わせない子供が育っていくのは恐ろしい。


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2021年01月04日

2021年明けましておめでとうございます。

小さな商店街の地域振興券を3万円分買った。36000円分を2ヶ月で使い切らないといけない。

余るかと心配したけれど、最後にいつもは買わない鰤を4分の1匹と蒲鉾・伊達巻、数の子それに十日分の肉類を買ったら正月用食料として十分に贅沢なものになった。

昨年はとても忙しい年だった。
孫がインフルエンザになり、生まれたばかりの赤ちゃんにうつると大変だからとSOSが入り急ぎ東京へ、


1月、生活の中で多くを占めている趣味の書道の指導を受けている黒崎メイトカルチャーセンターが存続の危機に、、、。
何はともあれ書道を続けるためには教室(場所)確保に動かねばならない、方法を模索、市の文化振興課に当たりを付けて、どうすれば認められるのか検索。
市民のサークル活動として団体を作り、申請すればいいらしいことが分かり、文化活動として認められれば広い会議室をいつでも貸してもらえる制度があることを知り、申請に乗り出す。

無事に13人の書道サークル玄海黒崎として活動開始。


書の師匠からそろそろ県展作品の制作を始めましょうかと言われる。
県展に挑む仲間(教室内)を集めなさい言われる。


書道サークルの活動内容(規約や会費等の取決め)を詰める傍ら、県展の仲間を募るお誘いを開始。
今までは奥様方の趣味の会だった。
もう一段上のご指導を受けてみたいと思いませんか???



じわりじわりとコロナが・・・・・。

春、黒崎メイトが閉まり、サークル活動としての書道教室が始まる。
この段階になって、13人の仲間内で状況の変化を理解していない人が多いことに驚く。
会費を集めて運営する生徒主体の書道教室になったのだと言っても顔をしかめる人がいることに、人の思考というのは分からないものだと改めて思い知る。


緊急事態宣言で市の会議室は使えなくなった。まだ一度も使わせてもらえないまま。たらーっ(汗)



先生のご自宅の教室に月に二度ほどバラバラに行ってご指導(添削)を受ける体制。
県展作品のご指導も始まった。


夏、ネットショップに変化が出始めた。

こちらは月に一度のペースで仕入、撮影、ページプログラミングしてアップ、会員様へ販売日のお知らせメール発信、受注、発送。

春までは中国人様のお買い上げで成り立っていたが、夏ごろから国内の日本人様が明らかに増えた。
月を追うごとに中国人様が消えていく。

中国人様のお買い上げに胡坐をかいていたが、去年から会員さま宛のメールを開始した甲斐があった。

夏ころから売り上げが上昇、忙しい。(-_-;)
思わぬ物が売れたりする。そんな高価な物、ネットショップでは売れないでしょうと思えるものが売れた。
忙しい。(';')



緊急事態宣言解除後、会議室での書道教室が始まった。

メイトカルチャーの頃にあったティータイムが取れなくなった。
お菓子を持ち寄り紅茶を入れて皆でおしゃべりする時間があったが、市の施設内では飲食禁止なのだ。バッド(下向き矢印)

今まで先生は口で指導してくれていたが、筆を持って書いて見せてほしいという要望を聞き、それ用の机を設えた。
すると今度は勉強ばかりで楽しくないという声も聞こえてくる。(汗)


秋、相変わらずネットショップが忙しい。
書道の方はスランプ状態。いろいろダメ出しされて筆が迷うようになってしまい書けない。


10月に有名月刊誌『婦人画報』から干支を紙面で紹介したいので見本を貸してもらえないとメールが届く。
何故にうちに???
戸惑いつつ作家と相談してうちが対応することになる。
ここで買えますよと紙面でURLを載せてくれるというので追加仕入をおこない対処。
嬉しいことだった。


11月、ゴーツートラベルを利用して東京方面に行く。
一歳を過ぎたのに二人目の孫に夫はまだ会っていない。コロナの隙を狙って行動し会うことが叶った感じだ。


12月上旬、干支の販売も終了し無事に皆様のもとに届いた。やれやれ。(^^;


11月ころから雲の上を生きているような、、、生活に実感が持てなくなっていた。
疲れているみたいだと思う、頭がフワフワしている。ボケか?
注意力散漫で無意識のうちにこなした家事に記憶が曖昧な状態になっている。


イライラして夫の言動に腹が立つ、もう12時過ぎていると言われれば昼ごはんの支度が遅いと責められているように聞こえる。心楽しい気持ちが褪せている。腹立たしい。生きていても楽しくないなと思う。最近笑わなくなったと自覚する。

コロナ鬱ではないと思うのだが。ストレス解消してない!!!


いつもなら12月に仕入れて下旬に売る作業に入るのだが、ちょっと休んだ方がいいかもしれないと思い12月の仕入れをしなかった。


正月をのんびり過ごした。
テレビをいっぱい見た。頭の中を空っぽにしたかった。

昨日の箱根駅伝の、最後の逆転劇を見ていて感動した。薄っすらと涙が出た。
あー感情が戻っている。


さてさて今年はどんな年になるんだろう。

真面目過ぎる性格というのは損だ。もっと楽をしようとしなきゃ、楽に生きようと思わなきゃ。
思わぬ依頼や、高価な物でも売れるなんて嬉しい誤算もあったのにこんなに疲弊してしまうなんて、本当に損な性格だ。




まだまだコロナ禍だ、娘家族も我ら老家族も無事に生きられますように。



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2020年12月17日

備忘録 AI.vs 教科書が読めない子供たち

「AIvs 教科書が読めない子供たち」 新井 紀子 著

AIが世の中を変えると言われるようになって久しい。

問題は今後AIが、多くの人の仕事を簡単に短時間でこなしてしまうようになるということだ。
そうなると、社会においての人の仕事が減り、収入を得る方法を失う人が相当数に上るようになるだろうと予測されている。

大昔から人間社会は進歩を続けてきた。

物々交換の次にお金が生まれ、農業が根幹だった社会から機械産業へとシフトし、車社会の次にコンピューターが出現した。
その度に人々は戸惑い流れに乗り遅れる人々が困窮し翻弄されて辛酸をなめることを繰り返してきた。



私の世代(1953年生まれ)は経済成長に必要な人材育成が急務となり、詰め込み教育が本格的になった時代だった。
概説
詰め込み教育は試験の点数は上がる反面、児童・生徒の学習の動機付け・持続に欠けるという短所があると言われる。

普通教育の最終目標が大学入学試験突破にあり、また当時の高度経済成長下において均質かつ従順で質の高い勤労者を育成する必要があった日本においては、少なくとも1970年代まではこの教育方法が一般的であった。だが、詰め込み教育の一番の問題として、「テスト過ぎたらすべて忘れる」(『剥落学力』と呼ばれる)といった成績のための暗記が一般的になったことがある。また、膨大な量の知識だけをひたすらに暗記させた結果、「なぜ、そうなるのか」といった単純な疑問や創造力が欠如してしまう点も問題である。授業速度の上昇や、現場の準備不足、教師の力不足もともない、落ちこぼれと呼ばれる、授業についていけない子どもが増加した。
Wikipediaより



中学生の時、機械的に丸暗記させられることに嫌気がさした。

私は中学での学習を放棄した。
当然成績は無残なものになった。
要するに頭が(特に記憶系が)弱かったということだ。
それでもなんとか普通に生きてこられた。
高度経済成長、昭和元禄のおかげなんだろうなと思う。


30年前パソコンと出会ったとき、今からはこれが主体の社会になるなと直感した。PCは記憶力を補ってくれる、計算ミスをしない。思考力や直感力が発揮できる世の中にやっとなるなと思った。
しかし、PCが社会に浸透しAIが世に知られるようになるまでに30年も掛かった。

長い間PCは計算機だった。



人間の思考には複雑な回路がある。
記憶と創造力とが合わさり織りなして、イメージが出来上がる。


AIにはましてやPCには思考力は無い。発想力が無い。閃きなんて起きようがない。


計算力や膨大な知識量を活かせる能力は、AIの方が人間より勝っている。


これからは思考力や発想力、閃きを持つ人間が、膨大な量の計算や途轍もない量のデータを持つAIを駆使して時代を進ませることになる。



記憶力が苦手な私は子供を育てるとき、思考力に力を入れた。

2歳の子に疑問を投げてやると、幼児のくせに小さい頭で一生懸命に考えている。それが手に取るように分かる。少ない知識を駆使して突拍子もなく面白い答えを引っ張りだす。
人間は考える生き物なのだ。

ドンドン伸ばしてやりたいと思った。
10代のころに読んでいた発達心理学の知識が少し役に立った。



娘は文系頭だと直ぐに分かった。

字を読む能力が卓越していた。幼い頃、視覚に文字が飛び込んでくると言っていた。


ちなみに孫は理系頭だ、数字やパズルが目に飛び込んでくるらしい。

先日上京した際に孫と、毎月送られてくるドリルで遊んだ。
迷路やパズルや数字が載っていると嬉々として取り組もうとする。あっという間に解いてしまう。

しかし、問題文をちゃんと読もうとしない。

字は読めるが、意味を持った言葉として吸収されるまでにタイムラグが生じる。
娘の幼少時はこの時期が全くと言っていいほど無かった。センテンスとして文字を捉えていた。

これからの時代、教科書がちゃんと読めない子供たちの将来はAIに取って代わられちゃうよとこの本は訴えている。

裏返せば教科書くらいは一字一句違えずに読めるならば、なんとかなるということだろうか?


私も教科書が読めない部類に入る。
一字一句見逃さないで読もうとする意識が欠落している。

頭の悪さは治しようのない持病だと諦めている。その頭で読むものだから飛ばし読みになってしまう。

それではダメらしいので、「AI.vs 教科書が読めない 」を読んで、ゆっくり読む練習をしてみた。
なかなかできない。早く問題を解くことを強いられる環境で育ったせいだと思うが、単に注意力散漫なだけだなと観念する。

それならばと、飛ばし読みの癖は直らないが漢字に注意を払いながら読んでみた。

成る程、文章の内容が今までよりちゃんと入ってきた。

意識の集中の仕方が少し変わった。




PCの総力を上げて進化した末にAIが生まれた。

AIはかなり複雑な問題もハイスピードで答えを出してくれる優れものだ。

AIは文句も言わずご飯も食べずに24時間動き続ける。

事務処理も銀行の窓口業務もスーパーのレジも病理の検査もなんでもやってのける。


これからは記憶や計算力やデータ処理に下支えされた職業はAIに取って代わられるようになるらしい。


AIは国語が苦手なんだそうだ。

特に日本語は分解処理しても入力の種が一定せずパターン化が難しいらしい。

日本語は音読みと訓読みあり、音で分類しても同一音で意味が違う場合が多い。

ニュアンスを重視する日本語は数学的に分解するのが困難だという。




これからの教育は、大きく変わらざるを得ない。


思考力の無いAIと思考力の無い頭脳なら、AIのほうが便利に使えるのは言うまでもない。


AIに取って代わられない社会人に育てなければならない。



今、先が見えにくい時点に来ている。


社会が大きく変わろうとしている。




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2020年11月30日

4歳9ヵ月になった孫

6月生まれの娘は3歳と10ヶ月で幼稚園に入った。
私は4年近くも母娘の穏やかで幸せな時を過ごしたんだなと思うことがある。


娘は小さい頃、常に機嫌のいい子だった。不満でイライラする様子もなく素直に私の言うことに納得し、散歩に出ると道行く人、一人ひとりに笑顔で「ちわ!ちわ!( ◜ᴗ◝)و」と挨拶しながら歩いてた。お年寄り達はみな笑顔で応えてくれていた。
グズらない泣かない子なんているの?そんな子いないよ!と思うだろう、と思う。が、娘はクズったことのない子だった。


私は子供のヒステリックな泣き声に耐えられない大人だということを自覚していた。
だから泣かすまいと思った。


そのためにまず子供が目覚めたら泣く前に対処する。母の笑顔に勝る武器はない。
満面の笑みで寝起きの不安を払拭する。
あとは毎日決まったスケジュールを繰り返す。
常にご機嫌さんで、バカ笑いや泣く等の感情を爆発させることなく順調に知的興味に進んでいった。

知的興味はそのまま幼稚園入園に受け継がれた。偶然にも、この年赴任されたベテラン保育士がモンテッソーリ教育のスペシャリストだった。


先生は娘を見てこの子はモンテッソーリに合っていると思われ、直ぐにモンテッソーリの教材を用意して年少組をモンテッソーリ教室にしてしまった。娘はラッキーだった。

半年もすると絵本を黙読するようになり、言うこともしっかりしてきた。そして、シッカリし過ぎるようになった。あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)

強すぎる。失敗

お友達に対して優しくない。あせあせ(飛び散る汗)

出来て当たり前。出来ない友達を見下しているように見える。ママ友から娘ちゃん時々酷いこと言ってるよと忠告されたこともあった。

さて、どうしよう。



いつもニコニコ明るい楽しい子が幼稚園ではお友達との関わり方が分からないで威張ってる。

大人となら上手く話が出来て楽しく明るい面を見せるのに同年代と噛みあわない。


そうか!
一人っ子で兄弟喧嘩の経験が無い。

子供同士の関係を肌感覚で捉える経験が足りてない。

しかも、何でも水準以上に出来るものだから回りが引け目を感じて従う子が多い。本人も従わせようとする。
モンテッソーリでは上の子が下の子を導くことを教える。
娘は導くことを意識していたのかもしれない。


こうして、のび太とジャイアンのジャイアン化していったようだ。



この時、私は正直に言うと性格なんだもんと仕方ないじゃないと思った。


娘は意地悪な性格では無い、友達を泣かせたいと画策するような子でもない。
そして、水準以下の子を憐れむような憐憫の情を掛けてやるような高慢な性格でもない。


この子になんと言ってやれと言うのか。


お友達に優しくしなさいと言うのか?
普通はそうだろう。


が、私はなんでも深く掘り下げて考える癖がある。

優しさってなに?
幼児期の切磋琢磨する友達関係において、優しさの占める位置とは価値とは。


優しは教えてやるものなのか?
元々の性格を無視して優しさを押し付けるのはその子の有り様を否定することになりはしないか?



持って生まれた性格は何よりも大切にしてやりたい。


それが佳きにしろ悪しきにしろだ。きっと伸びしろがここにあるはずなのだ。


強い負けず嫌いな性格であっても(私は好まないが)、裏を返せば生きていく上での強い逞しさとなる場合がある。
気が弱く消極的な性格なら、親は歯痒く思うことも多いだろうが、それを責めても仕方がない。
どうしてそんなにダメな子なのなんて言えば傷つくし、言われて性格が強くなるとは思えない。


どの子も一長一短なのだ。

強い性格の子がいれば周りは迷惑だろう。気弱な性格の子の親は腹も立つだろう。

強い子同士で喧嘩もするだろう。



風当たりが強いことを覚悟して生きるしかないんだろうなこの子は。

社会で揉まれて学んでくれ!と思った。
処世術を幼子に教えていては、物事の真価の判断力を培うことができなくなりそうな気がした。


誰に教わるでもなく己の内から誠や真義や道義をつかめる人間性の土台こそ、大切に育んでやらなければならないのではないか親のなすべきことはこれだろうと思っていた。



今はまだ表面ヅラを装う優しさなんて、纏わせたくないと思った。


こんな厳しい親をもった娘こそ気の毒だったなとこの年になると思う。
もう少し柔らかい心根の親だったらよかったのにね。



スポーツの部活では厳しく辛い時、芯に信頼があればこそキツい言葉も優しい言葉も活きる。

真の優しさをこの子は持っているはすだ。
何らかの極面において内面から滲み出る優しさこそを尊びたいと私は考えていた。
硬いな。たらーっ(汗)




今孫が、娘と同じような状況にあるらしい。

負けず嫌いで元気な孫はついつい乱暴になる。親はそれを気にしている。

娘は私の教育方針から被った弊害から友達関係で苦労したと言っている。

自分の子供には穏やかな友達関係をと願っているらしい。


1歳から保育園で揉まれている孫は娘のその頃のように単純ではない。
複雑な精神状態と頭を持ち合わせているようだ。



今月上旬に会いに行った。
随分大きくなっていた。活発だ、つい乱暴になると空かさず親から窘められる。


私に乱暴に振舞ったといって謝りなさい!ということになった。
なかなか謝れない。そっぽを向いたまま言葉だけゴメンなさい。
それじゃダメと言われる。
祖母としては可哀想になるが親の方針を台無しにする訳にはいかない。あせあせ(飛び散る汗)


言われていることに納得出来ないのか?
無理やり謝罪を強要されることに理不尽を感じるのか。
確かめたいと思ったが時間が足りなかった残念。私はこの手の心理に興味がある。てれてれ

多分後者だろうと思う。


子育ては難しいなと今更ながら思った。



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それにしても育メンパパ振りが凄かった。顔1(うれしいカオ)


常に親に頼ることが出来ない地方出身の子育て世代は、夫婦で共に乗り越える覚悟が私達の頃とは比べものにならない強さで伝わってきた。


しかし仕事場では理解を示されないと嘆いていた。


いつでも助っ人に馳せ参じるつもりでいるが、コロナだ老いによる力不足だと思うようにはにいかない。


孫よすくすくと育てよ!!

優しさを心根に持てよ!!



娘夫婦よ
遠慮せずに親を頼っていいんだぞ。自分を追い詰めるなよ。顔1(うれしいカオ)


自分に負荷を掛けすぎていないか?苦しないか?



ほどほどに気を緩めて“のほほんと”生きていくことの心地よさ年金生活をするようになって感じている。

あー、世間の人たちはのほほんと生きているんだ。それって幸せなことだったんだ。知らなかった。(^^)v




年を取って丸くなるとはこういうことなんだろうか。








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posted by win-manma at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし

2020年10月19日

おばさん

あさイチでやっていた「おばさん」議論を見ていて、世の中はおばさんを嫌な存在として認識しているいんだ へー、とちょっと違和感を持って見た。

私たちの時代は子供を産めば皆おばさんと呼ばれた。

「○○ちゃんのおばちゃん(*^^*)」と近所の子供たちは近所の母親たちに親しみを込めてこう呼んだ。

皆二十代だった。早い人は二十歳なるかならないかでおばちゃんと呼ばれてもお母さんになった誇らしさをたたえた笑顔でこたえていた印象がある。

おばさんを受け入れないのは子供を持たない人のプライドのように見えた。
「あら!( `ー´)ノお姉さんよ」と言っていた。(笑)

オバタリアンが出現して恥も外聞も脱ぎ捨てたような女性を総称してしまった為おばさんの値をグッと下げた。
これは中年の生活に翻弄され疲れた末にたくましく成長した女性パワーを面白おかしく表現していたように記憶している。

男は年を取ると厚みと苦みと哀愁を湛えた風貌を持つ人が現れ、人々に暖かく称賛されたりする。

ギラギラした若さゆえの青臭さが抜け、味わい深くなるのだろうなと思う。
顔の皴が味わいに変わる。

それにひきかえ女の皴は衰えにしか見えない。

この違いはなんだろう。
皮膚の厚さの違いだろうか。それもあるだろう。女は表皮が男と比べてかなり薄い、ゆえに張りや小皺が表に出やすい。男の小皺縮緬ジワなんて聞いたことがない。(笑)

そうか女は損をしているのか。(^^;

おばさんと揶揄されるのは顔に絡んだこととは限らない。
老け顔をとはいうがおばさん顔とは言わない。

往年の女優さんを見ていてアーこの人も衰えちゃったな、昔は綺麗だったなと思ったりすることが多々ある。しかし、彼女たちの立ち姿やソファに腰かけた姿を見ると流石だと感心する。

背筋がビシッとしていて美しい。堂々としている。
年を重ねた美しさとはこれか、これなんだなと思い至った。
姿形の衰えは仕方ない。だが立ち居振る舞いは努力で補えるのではないだろうか。
往年の女優さん達はさぞや昔から背筋を伸ばし颯爽と歩く訓練を重ねてこられたのだろう。だから今も美しいのだろう。遅きに失した感はあるが見習いたいと思う。

世間が馬鹿にした目を向ける「おばさん」というのは顔や着るものといった小さな範疇のことではないのかもしれない。

他人に不快を与えない気配りの人、あぁ好(い)いねぇという印象を残す気遣いのできる大人の女性を世の中が求めているのかもしれない。

男の大人が格好良くなるのは大歓迎。
大人の女性が格好良くならなくては太刀打ちできないじゃないか。負けてられないよね。(*´▽`*)
負けっぱなしで男社会に鼻であしらわれているようなこの事態...このハードルは超えなきゃよ。

ましてや女が女同士でおばさんの定義を狭めてギャーギャー言ってるなんてナンセンス。

知的で格好いい大人の女を目指して頑張って。
私はもう老齢だから間に合わないけれど、それでもそれなりに頑張るからね。(*^^*)




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posted by win-manma at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし